第14話 壊された錠前(Broken magical lock)
どのくらいの時間が経っただろうか。静寂は、背後から聞こえる扉が開く音によって破られた。
同時に白い光が教会の中を満たしていく。開いた扉の向こうには神父が立っていた。
眩い光に目を凝らしながら、ライアンは扉に目を向ける。
「おはようございます、ライアン殿」
教会の中に足を踏み入れながら、神父は微笑んだ。
「・・・おはようございます、神父さん」
よく見ると、神父の奥からはジョナスが歩いてきているのが分かる。
ライアンは立ち上がり、二人と直面した。
神父はにこりと微笑むと言った。
「昨晩は少し冷えましたからね。教会の中も、さぞ寒かったことでしょう。御苦労様でした」
ライアンは無言で小さく頷いた。
そして、神父は言った。
「では、心の準備はよろしいかな?」
「はい」
「それでは、行きましょう。大事な日の朝食が冷めてしまいますぞ」
教会を出ると、三人はヘーゼルガルド城へ向かった。神父が先頭を歩き、その後ろにジョナスとライアンが並んで歩く。
ジョナスが言う。
「調子は大丈夫か?」
「ああ、大丈夫。平気さ」
「そうか。それは良かった」
「ねえ、父さん」
ライアンは声を潜めて切り出した。
「一晩たくさん考えたんだけど、俺、やっぱり友だちを見捨てられないよ」
「何っ? 気が変わったと言うのか?」
ジョナスは、瞬きを繰り返す。
「そうじゃない。ヘーゼルガルドへの忠誠心は忘れていない。兵士にもなりたい。でも友だちを見捨てることは、やっぱりできない。どうしてもできない・・・」
「だが、助けるといってもどうやって助けるつもりだ? お前の友だちは今オリの中だ。しかも殿下の魔法仕掛けのな」
「カギがどこかにあるはずだ」
「そりゃあるが、カギは勿論しっかり見張られてる。そんな簡単に盗める代物じゃない」
「でも・・・、でも何とかカギを手に入れないと」
「ライアン、お前はこれからヘーゼルガルドの兵士になるんだろう。鍵を盗んで囚人を逃がすのは反逆行為だ。ヘーゼルガルドに仕える者として、そんなことをしてはいけない」
ライアンは押し黙った。ジョナスの言っていることはもっともであった。
「もし、どうしても友だちを助けたいのなら、もう一度王に話をしてみるしかないな。ただ、話をしてみるのはこれが初めてじゃない。昨日俺から王には頼んでみたんだが、あっさり断られたよ。それに死刑は今日だ。もう準備は終わってるんだろう。今日また頼んでみたところで、王が聞き入れてくれるか・・・」
ジョナスは、ライアンの背中をぽんと叩いた。
「でも、やれることはやろう。城に着いたら、もう一度話してみる」
「分かった。ありがとう、父さん」
話したところで死刑が取りやめになるはずもないことは、勿論ライアンも分かっている。しかしジョナスは少しの可能性に賭け、王に意見するというリスクを顧みず、ティムたちを助けようとしてくれているのだ。そんなジョナスにこれ以上の負担をかけたくはない。だからライアンは頷くしかなかった。
勾配のきつい坂道をしばらく登り続け、ようやくライアンたちは城に着いた。門番の兵士が城門を開け、三人は城の中に入っていった。
「うん・・・?」
城の中に入ったジョナスは眉を潜めた。
何人もの兵士が大声で何かを喚きながら、慌ただしく奥の部屋に出入りしている。普段の城の様子ではない。明らかに何かがおかしかった。
その時、階段からフレデリックと何人かの兵士が早足で下りてきた。
「フレデリック」
ジョナスが呼ぶ。
「ジョナスか。ちょっと大変なことになったぞ」
「一体何があったんだ?」
「囚人が逃亡したんだ」
「何だって?」
ライアンは息を飲んだ。
「と、逃亡ですか?」
「ああ。さっき担当の兵士が地下牢に様子を見に行ったら、牢はもぬけの殻だったそうだ」
「でも、どうやって? あの牢は、マルコム様の魔法仕掛けの牢だろう」
「さあな。私にも分からん」
フレデリックは両手を横に広げてみせた。
「ただ、牢の錠前は、ざっくり断ち切られていたらしい」
「マルコム様の魔法の錠前だぞ。断ち切れる訳がないだろう。一体どうやって?」
「だから、分からんよ。とにかく逃亡したんだ。マルコム様の魔法は破られたんだよ」
「そんなことが・・・」
ジョナスは唸りながら何度も瞬きをした。
ライアンは口をぽかんと開けたまま眉を潜めている。すぐに状況を理解することはできなかった。
フレデリックは言った。
「とにかく、私の部隊は今から逃亡した囚人の追跡に当たる。君たちは何も気にせず、叙任式を済ませてくれ」
「ああ、分かった。任せるぞ」
「よし、行くぞ!」
フレデリックは背後に付いていた部下たちに合図をすると、早足で城の外へと出て行った。
フレデリックの部隊がいなくなると、ジョナスはライアンの肩にぽんと手を置いた。ライアンが振り返ると、ジョナスは何も言わずに力強く頷いた。それを見たライアンは、顔の筋肉を震わせ、冷たい城の天井を見上げた。
良かった、本当に良かった。
言葉にすることは躊躇われる。だがライアンの心は、嵐の去った後の湖のように穏やかで、安堵感に満ちていた。
「一体どういうことなんだ!」
けたたましい怒声が、大広間に響き渡った。
エドマンドは、顔を真っ赤に紅潮させながら、目の前に跪いているマルコムを睨みつけたている
「脱獄不可能だと言っておったくせに、何だこのザマは!」
「申し訳ありません」
マルコムは落ち着いた声で謝罪すると、丁寧に頭を下げた。
「錠前は真っ二つだったそうだな? 奴らの一人にエルフがいたのだぞ。エルフの魔法で錠前が破壊されたに違いない。昨日私が心配した時、お前は私に心配するなと言ったな」
「はい。奴らの魔法ごときで私の結界が破られる訳がありません。今回の一件に関しては、何か別の可能性が」
「別の可能性だと? どんな可能性があろうと、全てお前の責任問題であることには変わりはないだろう!」
うつむいていたマルコムの表情がぴくりと動く。
「まあ、良い! お前なんぞを信頼していた私がどうかしていたわい!」
吐き捨てるように言うと、エドマンドは鼻息を荒げながらずかずかと大広間を出て行った。
大広間の大扉がばたんと音を立てて閉まる。
マルコムは長い髪をかき上げながら、深く溜息を吐いた。
危なかった。
もう少しで父上を殺してしまうところだった。
マルコムは、狂気に満ちた形相でけたけたと笑った。
ダメだなあ。衝動的に殺そうとしちゃう癖。
今父上を殺したら、今までの苦労が全部台無しじゃないか。
冷静に、冷静に。俺らしくもない。
他の誰にもできはしないのだ。俺ならば、このアレキサンドライトの魔力に身を滅ぼすことはない。この禍々しい魔力に打ち勝つことができる。心の底から湧き上がるような強烈で、禍々しい欲望に。
耐えろ。今はただ耐え忍べ。
俺はヘーゼルガルドの王子なのだ。やがて王となり、エルゼリアを支配する存在なのだ。
魔族すらも手中に収め、全てを統率する絶対的存在。俺の権力と実力があれば、それができる。だから、今は我慢・・・。
その時、マルコムは背後から人気を感じた。振り向くと、そこに実の妹であるシルビアが立っていた。
マルコムはさっといつもの表情に戻ると、立ち上がった。
「シルビアか。いつの間にここに来たんだ」
「兄さんが怒鳴られてるところの途中から。怒鳴り声が聞こえたから、様子見に来たんだよ」
シルビアは気怠そうに腕を組むと、溜息を吐いた。
「大変だねえ。あの囚人たちに逃げられるなんて。父さんは兄さんをあれだけ信頼していたのに」
マルコムが黙り込む。
シルビアは更にこう続けた。
「兄さんだって、完璧じゃないんだから。もっと注意を払って、見張りを付けたりしすれば良かったのにさ」
「シルビア」
マルコムが鋭い目でシルビアを睨む。
「何だよ」
シルビアは、マルコムを見返した。
マルコムは、シルビアの方に歩み寄っていく。
「俺の魔法の錠前が中から破れるはずがないんだ。だから破れたとなれば、必然的に外部の協力者がいるということになる」
シルビアは鼻から深く息を吐くと、兄によく似た切れ長の目を僅かに細めた。
マルコムは続ける。
「しかし錠前を破ろうとしても、施錠された状態では絶対に無理だ。施錠されている限りは、俺の魔法が衝撃を跳ね返すからな。つまり錠前が真二つになっていたということは、真二つになる前に開錠されていなければならない。だが鍵庫に近づくことなんて、並の兵士には許されない。鍵庫に近づける人間と言えば鍵庫担当の兵士か、もしくは俺たち皇族だけ・・・」
「・・・何が言いたいんだい、兄さん」
「囚人たちを逃がした犯人」
マルコムはシルビアの方を振り返る。
「それはお前じゃないのか、シルビア?」
シルビアは赤茶色の巻き髪を掻き上げながら、ふんと鼻を鳴らした。そしてマルコムの問いかけを無視し、その場から立ち去ろうとくるりと踵を返す。
「シルビアッ!」
「ご想像にお任せするよ、兄さん」
そう言い残すと、シルビアは奥の回廊へと姿を消した。
「きっとあの人はここに来る。俺たちを助けに来るんだ」
時間は遡り、昨晩のこと。ティムの確信染みた発言に、ソニアとアナベルは思わず顔を見合わせる。そしてその人物が誰かを聞いた時、二人はますます混乱した。何故よりによってその人物なのか。まるで訳が分からない。
来るはずがない。まさかその人物が。しかしティムの確信に満ちた顔を見ると、心の奥で、もしかしたら・・・と思ってしまうのだった。
そして、突如その時はやってきた。長い静寂は、牢獄の入口の扉が開く音によってかき消された。
俯いて座っていた三人は、思わず顔を上げる。
コツ、コツ、コツという硬い足音。次第に近づいてくる。牢獄の三人に緊張が走った。
壁に吊るされた松明に照らされ、その人物の影が三人の前まで伸びてくる。そして次の瞬間、その人物の正体が明らかになり、ソニアとアナベルは息を飲んだ。
その人物は、シルビアだった。牢獄の前まで来るとシルビアはおもむろに、牢獄に掛けられた魔法の錠前に鍵を差し込み、錠前を開錠した。
錠前を取り外し牢獄の扉を開けると、シルビアはぷいっと顔を横に向け言った。
「さっさと失せろ」
「ああ。ありがとう、シルビア姫」
ティムがさらりと言う。
「礼なんて言うんじゃねえよ」
シルビアは鋭い目つきで、ティムを睨み付けた。
「後、二度と私のことを姫と呼ぶな」
「え? じゃあ何て呼べば?」
「シルビア様、でいい」
「は、はあ・・・」
たじろいでいるティムを気にも留めずに、シルビアは続けた。
「この部屋を出て、左にずっと行くと階段がある。その階段を上った後、後ろに真っ直ぐ行った所にある扉を出れば、城の外に出れる」
「分かった、ありがとう」
そう言った後、ティムは大事なことを思い出した。
「あ、そういえば、俺たちの守護神石は?」
「そんな物、私には関係無い。後、礼は言うなって言ってんだろうが」
「えー? そりゃ困るよ。せめてどこにあるかだけでも教えてよ」
「おい」
シルビアが、ティムの首を掴んで凄む。
「口の聞き方には気を付けろ」
「は、はい・・・」
ティムが冷や汗を流しながら、苦笑する。
「あの、どこにあるかだけでも教えてくれませんか?」
シルビアはしばらくティムをじいっと睨みつけていたが、やがて赤茶の巻き髪を掻き上げて言った。「守護神石は、全部兄さんの寝室にある。でも、忍び込もうなんて考えはやめるんだな。兄さんは寝ながらも、警戒網はしっかり張っている。少しの物音、足音でも、兄さんは気づいて目を覚ますだろう」
「そうなのか」
ティムは床を見つめた。
「下手なことを考えるなよ。もし次見つかったら、今度こそ間違いなく処刑されるからな。それに場合によっては、私がお前らを逃がしたことがばれるかもしれない」
「そうか、分かった」
ティムは頷くと、やがて顔を上げた。
「じゃあ、俺たち行くよ」
「ああ」
しかしティムたちが部屋を出る扉の前まで来た時、再度シルビアの声が聞こえた。
「ちょっと待て」
ティムたちは動きを止めて、シルビアの方を振り向いた。
シルビアは腕を組みながら、凛々しい切れ長の目を細めた。
「貴様、なぜ驚かない? ヘーゼルガルド王の娘である私が、何の縁も無いお前たちの脱獄の手助けをしたんだぞ。どうしてこんなことをしたのか、理由を聞いてもいいはずだろう」
何を言われるのかと思い身構えていたティムは、ふっと表情を緩ませた。
「聞く必要なんて無いさ。理由なんて大体想像できる」
「何だと?」
「きっと貴方は、お兄さんばかり王様から信頼されていることに嫉妬していたんだ。だから、王様のお兄さんに対する信頼を損ねる為に、俺たちを逃がした。違いますか?」
シルビアは、目を大きく見開いた。その目には、動揺の色がありありと出ている。
「どう? 図星でしょう?」
「あ、ああ」
シルビアは目をぱちぱちさせながら答えた。普段の鋭い目つきとは打って変わって、今だけは間の抜けた目つきをしている。相当の衝撃だったようだ。
「何故それを?」
「ソニアが話してくれた貴方に関する情報、紹介をしている時のヘーゼルガルド王の態度、貴方の態度。この三つを考えれば、貴方が俺たちを助けたい理由は明らかです」
ティムは後ろに立っているソニアを指し示す。
「ここにいるソニアは、昔修道女だったんだ。貴方が通っていた修道院と同じ修道院でね」
ティムは、ソニアの肩から手を話すと腕を組んだ。
「で、ソニアは、貴方とマルコム王子のことを覚えていた。ヘーゼルガルド王の子どもってことで、随分目立っていたらしいからね。しかし、目立っていた理由はそれだけじゃない。もう一つの理由は、マルコム王子の圧倒的に優秀な成績だ」
シルビアは、腕を組んだまま黙って話を聞いている。睨むように目を細めているのは、何かに集中したり考え事をしたりする時の、彼女の癖なのかもしれない。
「でも、シルビア様。貴方は、すぐに修道院をやめてしまったらしいじゃないですか。普通は王様も、男に比べて腕力に劣る女に魔法を習得してほしいと思うものでしょう。でも貴方はすぐにやめた。成績がある程度いいのならば、やめる理由が無い。経済的な事情は理由になるかもしれないが、ヘーゼルガルドの娘である貴方に限って、そんなことは有り得ない・・・・」
「・・・」
「シルビア様。貴方は相当成績が悪かったんだ。だから修道院をやめた。でも一方のお兄さんは抜群の成績・・・。兄妹ということで、その出来の善し悪しを比べられていたに違いない。その度に貴方は劣等感を感じていたんでしょう」
「・・・」
「次に、紹介をする時の王様のあの態度だ。お兄さんについての紹介と貴方についての紹介で、明らかに態度が違っていた。貴方を紹介する時は名前と肩書きしか言わなかったのに、お兄さんを紹介する時は、『エルゼリア随一の魔法使い』、『頭が切れる』、『冷静沈着』、『自慢の息子』・・・。紹介の際の気持ちの入り様が、まるで違った」
「・・・」
「そして決定的だったのが、その紹介の後の貴方の態度。あの場にいた人間全員が凍りつく程の凄まじい殺気を放っていた。最初は、酒場でのライアンの一件のせいで俺たちに嫌悪感を抱いているのかと思ったよ。でも一応俺たちに会釈をしていたし、あれくらいのことであれだけの殺気は、普通出さない」
「・・・」
「だから分かったんだ。あの時異常なまでの殺気を出したのは、王様がお兄さんばかりいい風に紹介して、自分のことは適当に紹介したことに腹を立てたからだと。だから貴方は、腹いせに俺たちを逃がしてやろうと考えた。あれだけお兄さんが脱獄不可能を謳っていて、王様も完全に信頼していたから」
ずっと黙って話を聞いていたシルビアは、参ったと言わんばかりに舌打ちをすると、赤茶色の巻髪を掻き上げた。
「なるほど。完全にお見通しだった訳だ」
「そういうこと」
ティムが得意気に笑う。
シルビアは、一つ空咳をすると言った。
「ただ、一応言っておくけどね。あそこまで私の機嫌が悪かったのは、酒場での一件も関係していたからだからな。そこを誤解するなよ」
「分かりました」
堂々たる口調から滲み出た微かな恥じらいの色に、ティムは思わず微笑んだ。
「それにしても、もし私が来なかったらどうするつもりだったんだ。確かに私は、兄さんに対する父上の信頼を壊したいと思っていた。だがお前たちを逃がすかどうかなど、結局は私の気分次第だろう。私の気が乗らず、助けに来ない可能性は十分にあったはずだ」
「ああ、確かにその通り。だけど、助けに来る確率を高めることは不可能じゃない」
「何だと?」
「俺たちが捕らえられる時、俺が最後に叫んだ言葉を覚えてますか?」
「・・・」
シルビアの脳裏でその言葉が蘇った。シルビア自身が驚く程鮮やかに。
――絶対に脱獄して、お前の鼻をあかしてやる――
シルビアは頷いた。
「ああ、覚えている」
ティムは満足げに頷いた。
「状況からして、貴方がお兄さんに対して嫉妬心や劣等感を抱いていることが分かった俺は、咄嗟に貴方のその気持ちを利用することを考えたんだ。だからああ叫ぶことで、貴方の頭にある考えを植え込んだ。『この囚人たちを脱獄させれば、兄さんの面子を丸潰しにできる』というね」
シルビアは黙り込んだ。
ヘラヘラしていて、どう見ても阿呆そうな男。
しかし、何という秀才だろうか。
洞察力、判断力、決断力の全てにおいて、非凡と言わざるを得ない。
それも、親友に裏切られ死刑になるという、普通ならパニックに陥る状況下で、である。
なるほど。ただのネズミじゃないという訳か。
シルビアはわざとらしく大きな溜息を吐くと、言った。
「ほら、早くここから出て行け。今もし誰か来たら、何て言い訳させるつもりだ」
「ああ」
ティムは頷いた。
「さようなら、シルビア様」
話についていけず呆然と突っ立っていた二人を連れて、ティムは部屋を出て行った。
部屋に残されたシルビアは、おもむろに腰に掛けていた剣を抜く。そして床に置いておいた錠前目掛けて、思い切り振り下ろした。
暗い回廊を小走りで駆け抜けると、そこにはシルビアが教えてくれた通り、地上への階段があった。ティムたちは、薄暗闇の中、足を踏み外さないように慎重に階段を上っていく。
階段を登り切ると、そこは大広間になっていた。地下程ではないが、少しの松明だけが灯っている状態なのでかなり薄暗い。人の気配もなかった。
ティムはシルビアに言われた通りに、真っ直ぐ後ろにある小さな扉に向かい、ノブに手をかけた。
「待って」
突然、後ろから声がした。ソニアだ。
「どうしたの?」
ティムがノブに手をかけたまま尋ねる。
ソニアが躊躇いがちに切り出す。
「守護神石はどうするの?」
ティムは、ソニアとアナベルと向かい合った。
「シルビアの話、聞いてただろ? 守護神石は、マルコムがしっかりとガードしているんだ。そこに入って取り返すのは無理だよ」
「うん、それは分かってるけど・・・」と、俯くソニア。
「あたしは、見捨てられないよ」
アナベルが、はっきりとした口調で言い放った。
「あの石は、パールは里の大切な宝物だから・・・」
「分かってるさ」
ティムは言った。
「俺は守護神石を放棄しようとしている訳じゃないよ。ただ、今すぐ取り返すのは無理だ」
「・・・」
ソニアとアナベルが押し黙る。
ティムはにこりと笑った。
「でも、近い内に必ずここに戻って来よう。そして、その時は三人じゃない。もっと巨大な戦力を引き連れてね」
その時、少し離れた所で扉が開く音が聞こえた。隣の部屋の扉だろうか。更に何者かの足音が一行のいる所まで近づいてくるのが分かる。人の気配に気付いた兵士が様子を見に来たのかもしれない。
すぐさまティムは扉のノブに手をかけ直した。
「今後のことは、また後で話せる。とにかく今は逃げよう」
「う、うん」
扉を開けると、ティムたちは夜の闇に吸い込まれるように外に飛び出していった。
城の外に出ると松明はなく、辺りは真っ暗闇だ。しかし地下に閉じ込められている時から薄暗闇にいたからか、目は暗闇に迅速に適応し始めた。目の前の様子が認識できるくらいになるまでに、それ程時間はかからなかった。
「みんな、気をつけて。ここに堀があるわ」
ソニアが、小声で囁く。
城は住居であると同時に軍事要塞という役割を担っている為、周辺は深い堀で囲まれているのだ。暗闇の中ひとたび足を踏み外してしまえば、死は免れない。
アナベルが声を上げる。
「見て。あそこに橋がかかってる」
ティムとソニアは、アナベルが指し示す方角に目を向けた。するとそこには、元々三人が城に入る時に渡った橋があった。城門の真正面だが、人気はなさそうだった。
三人は目線を合わせて素早く意思確認をすると、忍び足で橋の方へと向かった。
城門の近くまで来ても、人の気配はなかった。三人はそのまま橋を駆け足で渡り切り、昼間いた城下町の方角へ突き進んでいく。
勾配の緩い坂道をすべて下り切ると、緊張の糸が解けたティムから安堵の声が漏れた。
「はあ! 良かった! 逃げ切れた!」
「まだ逃げ切れてないですよ、ティム! いつ追手が来るか分からないんだから」
ソニアが息を切らしながら言う。
「分かってるって! でも、とにかくこれで脱出は成功だな」
「あー、ホントに良かったあ」
ソニアの話を聞いているのかいないのか、アナベルが能天気な声を上げる。
大きく息を吐いて呼吸を整えると、ティムは言った。
「さあ、これからどうしようか。ゆっくりベッドで寝たい気分だけど、さすがにヘーゼルガルドの宿に泊まるなんて、悠長なことできる訳ないよな」
「そうだね。どうしようか」と、アナベル。
「今のんびり考えている時間は無いわ。とにかくヘーゼルガルドから出ましょう」
ソニアが早口でまくし立てる。
ティムが頷いた。
「そうだな。今後のことは、まずここから離れてから考えるか」
「じゃあ、急ぎましょう!」
ソニアの一声で、一行はまた走り出した。そして人々が寝静まり、より一層閑散となった城下町を駆け抜けていく。
このヘーゼルガルドで一行は、守護神石全てと仲間一人を失った。しかし何とか命だけは失うことなく、ここまでやって来ることができた。
やがて前方に木の柵が見えてくる。暗闇に慣れた一行の目には、はっきりと判別することができた。この柵を越えれば、外に出ることができる。長かったヘーゼルガルドでの時間は、ようやく終わろうとしていた。
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