第10話 生き延びる策略 (Ruse to survive)

 ソニアの下で魔法の修行を始めてから、六日が経とうとしていた。ヘーゼルガルドはもう目前だ。今一行は鬱蒼とした森を進んでいる。


 突然木陰からゴブリンが数体、吠えながら飛び出してきた。


「ティム!」


ソニアが言うと、ティムは「分かってるって!」と言って右手を上に上げる。


「空を乱舞する烈風を刃に変えよ」

 ティムがそう唱えて腕を振ると、鋭い風がゴブリンを襲った。一体のゴブリンが真っ二つに分かれる。


「どりゃっ!」

 ライアンが残りのゴブリンに剣を振り降ろし、斬り捨てた。呆気なくゴブリンたちは地面に崩れ落ちる。


「なかなか良い一撃でしたよ、ティム」


 ソニアが笑顔でティムを褒めると、ティムは「いやあ、そんなことあるよ」と頭を掻きむしりながらおどけた。


「ちぇっ」

 褒められているティムを見て、ライアンが拗ねる。


 そんなライアンを見て、ソニアは困ったような表情で言った。

「そう気を落とさないでください。ライアンもいつか、魔法が使いこなせるようになりますよ」


「本当かよー。全然そんな気がしねーよー」

 ライアンが溜息混じりに言う。


「ライアン・・・」

 ティムが悲しそうな目で、ライアンの肩に手を置く。

「これが生まれ持った才能の違いだよ」


「だぁー! うるせー! 今に見てろよ! てめえを黒焦げにしてやるからな!」


 ティムが腕を組む。

「いいだろう。かかってきなさい。でもまずは焚火の種火くらい起こせるようになってくれないと、お話になりませんな」


「キー! 何も言い返せねー!」

 ライアンは歯を食いしばりながら、地団駄を踏んだ。


 実際のところ、ティムの上達の速さはソニアも舌を巻く程だった。魔法を自在に扱えるようになるまで一週間とは言ったものの、実はどれだけ早くても十日はかかると踏んでいたのだ。それをティムは一週間足らずで来ている。ティムが自分でも言っているように、これは生まれ持った才能と言えるだろう。


「あーあ。面白くねえの」

 ライアンは地面に積もった落ち葉を蹴り上げると、ふと呟いた。

「そういえばゴブリンの奴ら、どんどん弱くなってきてないか?」


「ああ、言われてみれば確かに」

 ティムも頷いた。


「いえ、そんなことないですよ。むしろ進むにつれて少しずつ強くなってきているくらいです」

 ソニアは、一息吐くと言った。

「二人が強くなっているんですよ」


「俺たちがあ?」

 ライアンは口を下に大きく開いた。

「ここのところ魔法の練習しかしてねえぞ」


 ティムもきょとんとした顔でソニアを見ている。


「だからこそ強くなってるんですよ」

 ソニアが、二人の顔の前に人差し指をぐっと突き出す。

「守護神石は戦闘能力を上げるっていう話をしたの、忘れてしまったんですか?」


 二人は顔を見合わせた。


 ティムが言う。

「そういえば、そんなこと言ってたね」


「度合いの違いはあれど、今は二人とも共鳴ができますね。石と共鳴することができれば、肉体能力が強化されるんです。サファイアのティムは、攻撃力、耐久力、魔力の三つがバランス良く、ルビーのライアンは、攻撃力が大きく伸びます」


「何だ、俺はいまいち強くなった実感がわきにくいじゃない」

 ティムはつまらなそうに呟いた。


「ってことは、俺は今とんでもねえ力持ちってことか?!」

 ライアンが、得意げに拳で空を切ってみせる。


「以前より、パワーは上がっているはずです。でも伸び幅は、石とどれだけ深く共鳴ができているかにもよるので、ライアンの場合そこまで伸びてはいないかもしれないですね」


「このタイミングでディスるかフツー?」

 ライアンがしょんぼりとうなだれる。


 ソニアは少し申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんなさい、ライアン。でもライアンはこれからの頑張り次第でいくらでも伸びていきますよ!」


「頑張るよー。トホホ」


 次にソニアは、二人に力強い口調で言い放った。

「とにかく、これで共鳴の大事さが分かったはずです。基礎練習も怠らずに、これからも頑張りましょうね」





 一行は再び森の中を進み始めた。この調子なら明日にはヘーゼルガルドに着けるかもしれない。


「ライアンとももうすぐお別れだな」

 落ち葉を踏みしめて歩きながらティムが言う。その声は努めて明るかったがどこか寂しげだ。


「そうだなあ」

 ライアンは少し思考を巡らせてから、穏やかな口調で言った。

「でも別に金輪際の別れじゃねえさ。俺はヘーゼルガルドにいるから、いつでも会いに来いよ」


「ライアンがいなくなると寂しくなりますね」

 ソニアも少し表情を陰らせる。


 ライアンは両手で頭を抱えた。

「だぁー! やめろ! 辛気臭いのは苦手だ」


「やっぱり、何だかんだずっと付いてくるんじゃないの?」


 ティムは期待を込めてそう言ったが、ライアンはそれを制した。


「いや、付いていきたいのは山々だが、親父が俺のことを今も待ってる。それにヘーゼルガルド軍に入ることはガキん時からの俺の夢だ。俺はヘーゼルガルドに残るよ」


「そうだよな。お前あんなにいつもヘーゼルガルドの話してたもんな」

 ティムはこれまでのライアンの言動を思い返し、しみじみと呟いた。



 その時だった。



 悲鳴のような叫び声が、遠くから響いてきた。



 一行は一斉に足を止める。


「今、聞こえたか?」

 ライアンの口ぶりは、自分が聞いたものが間違いではないか、確かめるようだった。


「はい。聞こえました」

 ソニアが張り詰めた声で応じる。

「女性の悲鳴です。それ程遠くないでしょう」


 ライアンは片手で顎を触った。

「どこかで誰かが襲われてるはずだ。声はどの方向から聞こえた?」


 ライアンが言い終わるよりも前に、再度悲鳴が聞こえてきた。今度は長くはっきりと聞こえた。


 ソニアがすかさず指を差す。

「あっちです! あっちの方から悲鳴が!」


 すぐさま三人は、ソニアが指し示した方角へ駆けだした。





 行く手を阻もうとしているかのような曲がりくねった木の根や生い茂る茂みを避けて、三人は声が聞こえてきた方向へ無心に走り続けた。

 間もなく三人の目が何かを捕えた。三人とも迅速に木陰や茂みに身を隠す。


 三人は慎重に先の様子を伺った。そこでは男たちの大群ががやがやと騒いでいた。恐らく三十人はいるだろう。悲鳴の主と思われる女はその中にいた。女は縄で拘束されていて、身動きがとれなくなっている。小柄な体で童顔なので、女というよりも少女と言った方が適切だろうか。


「まさかこんな所でエルフに会えたなんて、今日はついてますね、親分」

 男の中の一人がにやにやしながら言った。


「そうだな。今日はパァーっと宴会でも開くとするか!」

 親分と呼ばれている図体のでかい男は豪快に笑った。


 茂みに隠れていたティムが小声で言う。

「エルフだって?」


 ティムのすぐ横にいるソニアが頷いた。

「エルフは珍しいので、大道芸人にでも高く売り飛ばすつもりでしょう」


 ティムは唾をごくりと飲み込んで、その光景を見つめた。


 ソニアは虚ろな瞳で地面を見た。

「何とか助けにいきたいけど敵の数が多い・・・。私たちだけじゃ手も足も出ないですね」


 ティムは、ほんの少し離れた木陰に潜んでいるライアンにふと目をやる。思った通りだった。ライアンは歯を食いしばって、今にも飛び出さんとばかりに先の光景を睨みつけている。


 頼む、ライアン。余計なことをするなよ。


 ティムは心の中で念じた。


「よし! 野郎ども! とっととここからずらかるぜ」


「ヘェーイ!」

 子分たちは掛け声のような返事をすると、小さいそのエルフの少女の体を担ぎあげる。


「んーっ! んーっ!」

 エルフの少女は必死に体をよじらせ抵抗する。声を出そうとするが、口も縄で縛られていて声にならない。


「おら! 暴れるんじゃねえ! いい子にしてないと、痛い目にあうぜ」

 担ごうとした男の一人がそう言って、下卑た引き笑いをした。


 目の前でエルフの少女が連れ去られていく。しかし状況は多勢に無勢。出て行っても勝目が無いティムは、その光景を見守ることしかできなかった。それは横にいるソニアも同じだった。


 そして盗賊たちがその場を立ち去ろうとしたその時だった。ティムが最も恐れていたことが起こった。ライアンが剣を抜いて盗賊たちの目の前に飛び出したのだ。


「やいやい! この腐れ外道ども! 一部始終はこの男ライアンが見させてもらったぞ! お前らのやろうとしていることは非道千番! 見過ごすことはできんぞ!」


 ああ、行ってしまった・・・。

 ティムは両手で顔を押さえた。


 盗賊たちが一斉にライアンを見る。


 少しの沈黙が流れた後、親分の男が突如大胆不敵に高笑いを始めた。


「貴様、今誰に喧嘩を売ろうとしているか分かっているのか? 聞いて驚け。俺たちは、悪名高いオズワルド盗賊団だぞ!」


「オズワルド盗賊団だって?」

 ティムは思わず息を飲んだ。

「全っ然、知らねえ・・・」


 ソニアも愕然とした表情で言う。

「はい・・・全く聞いたことがありません・・・」


 ライアンは、剣を構えた臨戦態勢のまま叫んだ。

「おい! そんな盗賊団聞いたことねえぞ!」


「えっ、ウソ? マジで? だったら別にいいんだけどさ・・・うん」

 親分の男は、急に怯んで口ごもった。その場に奇妙な空気が流れる。


 毒を抜かれたライアンは体勢をくずし、咳払いをした。

「ゴ、ゴホン。とにかく、そのエルフの子は置いていってもらおうか」


「ふっふっふ。悪いが、そういう訳にはいかねえな」

 親分の男は唇を歪めて笑った。

「おっと、自己紹介が遅れたな。俺の名前はオズワルド。悪名高いこのオズワルド盗賊団の首領だ。俺たちは悪いことや曲がったことを生業にして生きている。いわば、闇の世界の狩人と言ったところか。だから、悪いことをやめろと言われて、はいそうですか、って聞き入れる訳にはいかねえな。エルフは高く売り飛ばせるからなあ。このエルフをお前らに渡してしまったら、それが我々オズワルド盗賊団の名がすたるってもんだぜ!」


「大丈夫だったか? 怪我は無いか?」


 オズワルドたちが気付いた時、ライアンは既にエルフの少女の縄を解きにかかっていた。

 オズワルドは話すのに夢中。子分たちはオズワルドの話を聞くのに夢中。だから誰も気付かなかったのだ。


 ティムがますます胡散臭そうな顔で言う。

「ソニア。あいつら、あの隙だらけのライアンよりも隙だらけだぞ」


 ソニアも、いまいち状況が飲み込めず眉を潜めていた。


 しかし、その後すぐのことだった。


「親分の話を最後まで聞けい!」

 子分の内三人が、ライアンに斬りかかったのだ。


「うおぉ!」

 ライアンは咄嗟に剣で防御するが、体勢が悪かったのか弾き飛ばされてしまった。しかも運の悪いことに、近くにあった岩に頭を激しく打ち付けた。


 不意を突かれたティムは思わず叫びそうになった。しかし今自分の存在がばれたらライアンの二の舞を踏んでしまうだけだ。ティムは後一歩のところで叫び声を飲み込んだ。


しかしその時だった。


「氷よ! 突き差せ!」

 突然ソニアが呪文を唱え、両手を前に出した。


 途端にたくさんの氷のつぶてが勢いよく放たれる。その氷のつぶては、ライアンの近くにいた三人の子分全員を捕えた。


「ぐげぇ!」「うひぃ!」「ぎゃあ!」

 三人ともうめき声を上げてその場に倒れこむ。


男たちの群衆は一気に慌てふためき始めた。

「何だ、今のは!」

「あっちの方から何か飛んできたぞ!」


 ライアンは倒れたまま、ぴくりとも動かない。気を失ってしまったのだろうか。


「落ち着け、野郎ども!」

 オズワルドが一喝すると、皆一斉に黙った。続いてオズワルドは姿勢を落として、迅速にティムたちのいる茂みの所まで駆け寄ってくる。


 ソニアは下唇を噛みしめた。

「ティム、ごめんなさい・・・」


 ティムは大きな溜息を吐くと、ソニアの方を見ずに気怠そうな表情で呟いた。

「こうなったら、俺に残された手段は一つしか無いなあ」


「え?」


 ソニアが思わずそう聞き返したのとほぼ同時だった。突然ティムが、ソニアの首を背後から締め上げた。ソニアの首に強烈な力がかかる。


 驚いたソニアは思わず叫びかけたが、首を絞められていたため声は出なかった。


 ソニアは、ティムによって無理やり体を引き上げられた。とうとう二人の姿がオズワルドたちの視界に入った。


「何だぁ?」

 ティムたちのすぐ目の前に来ていたオズワルドが足を止める。


 ティムはソニアを腕で拘束しながら、冷めた表情で男たちの顔を見渡した。

「何だ、とはこっちの台詞だ。俺の仕事の邪魔でもしたいのか?」


「何を言ってやがる。邪魔してるのはお前らの方だろう!」

 オズワルドは目を吊り上げる。


「お前ら?」

 ティムは怪訝そうな顔をしたが、やがて悟ったように言った。

「ああ、この女のことか。俺はただ、この女が魔法を使っているところを見かけたから、これはいい見世物になると思って捕えただけだ」


 ティムの言葉に、ソニアは目を大きく見開いた。


 もしかしたら、ティムはオズワルドたちを騙しこの場から逃れようとしているのかもしれない。そうだ、きっとそうに違いない。

 確かにうまくいけば逃げおおせるかもしれないが、そんなあからさまな嘘が本当に通用するだろうか。


 オズワルドが眉を寄せる。

「んー? ってことは貴様、同業か?」


 ティムが顎を上に持ち上げる。

「お前らは何だ?」


「盗賊だ」


 ティムは首を横に振った。

「じゃあ違うな。俺は大道芸人だ」


「大道芸人だと?」

 オズワルドは口元を歪めて笑みを作った。ティムのことを信用していない顔だ。

「最近は、大道芸人自ら見世物を捕まえにいくのが流行っているのか?」


「面白いものは自分の力で手に入れた方が遣り甲斐があるんだ。無駄な金も使わずに済む」


「かっかっか。なるほど」

 オズワルドは喉を鳴らして笑ったが、目は笑っていない。

「そんな腕白な大道芸人さんには悪いんだが、その女はお前に渡す訳にはいかねえな。その女はついさっき、その魔法とやらで俺の子分に随分なご挨拶をくれていやがるんだ。その落とし前をつけてもらわにゃならんのよ」


「そんなこと俺の知ったことじゃないね」

 ティムは素っ気ない態度を取る。しかしその後、何かに気づいて目を瞬かせた。

「ん? そこにいるのは・・・」


 ティムの視線の先には、依然として拘束されたままになっていたエルフの少女が横たわっている。


「へえ、耳が尖ってる。エルフか」


 オズワルドは、目つきを更に険しくさせた。

「何だあ? 今度は俺たちが捕まえたエルフまで自分の物だって言い出す気か?」


「さすがにそこまで理不尽なことは言わないよ」


 オズワルドは表情を緩めた。

「それを聞いて少し安心したぜ。俺たちも無駄なコロシはしたくねえからよ」


 続いてティムはこう言った。

「じゃあこうしよう。この女はお前たちにやるよ。好きなようにしろ。ただその代わり、そのエルフをこっちに引き渡せ」


 ティムの腕の中でソニアは表情を曇らせた。


 私とエルフを交換する? 一体何を・・・?


 一方オズワルドは、ティムの勝手な申し出に苛立ちを露わにした。

「はあ? 何をぬけぬけと言っていやがる。折角捕まえたエルフを、何でお前なんぞに渡さねえといけねえんだ!」


 それをティムは手でさっと制す。

「勿論ただ交換するだけとは言わない。女を引き渡すだけじゃなくて、ちゃんとエルフに見合うだけの金を払おう」


「いくら出すんだ?」


 ティムは指を三本突き出した。

「三千ルーン」


「な、何ぃ?」

 オズワルドは、驚嘆の声を上げた。三千ルーンは相当の大金である。

「そ、そんなに出してくれるのか?」


「何でわざわざ大道芸人がこんな森の中を歩いているんだと思う? 俺も丁度エルフを探す旅の途中だったんだ。しっかし森をずっと歩いていれば見つかるかと思ったのに、全然いないのな。だからもう自分で見つけるのは諦めた。お前たちから買う」


「・・・」

 オズワルドは、黙ってティムの顔を見据えている。


「ただ悪いが今は持ち合わせが無い。今日はもう日が暮れるから、明日一緒に見世物小屋まで来てもらうことになる」


 子分たちがざわつき始める。三千ルーンの条件に当惑を隠せないようだ。


 一方オズワルドは腑に落ちないといった顔だ。

「どうも、しっくりいかねえな」


「何が?」


「だってよ、明らかに俺たちの方に有利な条件だ。その女はもういらねえのか?」


「エルフが手に入るんなら、女はもうどうでもいい。勿論、お前らさえ良ければこの女も持っていくが」


「待て、待て。分かった。だが本当にそんな大金あるんだろうな?」


「ある。心配は要らない。何なら金を渡すまで、エルフも魔法使いの女もお前らにやってもいい」


 オズワルトは片足で地面を叩きながら考え込んでいるようだったが、やがて頷いた。

「よし。分かった。交渉成立だ」


「じゃあ約束通り、こいつはお前らにやるよ」

 ティムは抱えていたソニアを、オズワルドの方へ突き飛ばした。オズワルドはソニアを受け止めると、背後から両手を掴み拘束する。


「おっと、口も塞いでおいた方がいいぜ。呪文を唱えられたら厄介になる」


 ティムが忠告すると、オズワルドはすぐさま口を無骨な手で押さえこんだ。


「おい、誰か縄でこの女を縛れ!」


 子分たちが数人がかりでソニアを縄で縛る。ティムの助言を受けて、口にも縄が掛けられた。これでは魔法を唱えることができない。


 ティム・・・! 一体何を考えているの!?


 ソニアは焦燥してティムを見つめたが、ティムは視線に気付いているのか気付いていないのか、表情一つ変えない。


 ティムが口を開く。

「ちなみにそこで寝ている金髪の男は何だ?」


「ああ、こいつか。こいつはさっき俺たちがエルフを確保した時に、俺たちに喧嘩を売ってきた奴でな。恐らくその女の仲間だ」


「へえ」


 オズワルドはくるりと踵を返し、子分たちの方を向いた。

「野郎ども! よく聞け! エルフも高く売り飛ばせたし、魔法を使った女も確保した。今日は宴会だ!」


 子分たちから大きな歓声が上がる。


 オズワルドは続ける。

「まず宴会の前に、なめた真似をしてくれた金髪野郎と魔法使いの女を処刑したいと思う!」



「おおぉ!」「殺せ! 殺せ!」

 子分たちが掛け声を上げ、口笛を鳴らす。


 オズワルドは持っていた剣を、縛られて座り込んでいるソニアの首筋に当てた。ソニアの首に冷たい剣の感触が走る。

 ソニアは思わず目を瞑った。


「ハッハッハ・・・」

 その時、突然ティムが渇いた笑い声を上げ始めた。


 オズワルドが、じろりとティムを睨む。

「何だ、大道芸人。何が可笑しい?」


「いやあ、別に」

 ティムはまだ喉を鳴らして笑っている。

「ただ、盗賊ってのはもっと派手なことをやってるもんだと思ってたから」


「何だと」


「職業柄そう感じてしまうのかもしれんが、剣で首を斬って殺すだなんてありきたり過ぎじゃないか? もっと絵になる殺し方がいくらでもあるだろう」


ソニアは冷や汗が全身から噴き出すのを感じた。胸の奥に抑え込んでいた恐怖心と懐疑心が沸々と込みあがってくる。


 そもそもティムは味方ではなかったのではないか。もしかするとずっと守護神石を奪う機会を狙っていたのかもしれない。今のこの顔が本当の顔、狡猾で残酷なティムの本性なのだとしたら――。


 オズワルドはふむふむと頷いた。

「絵になる殺し方か。例えばどんなのだ?」


「例えば、そうだな」

 ティムは顎に手を当てて、考える素振りをした。

「こいつらを、生きたままゴブリンたちの餌にするとかな」


 それを聞いて、子分たちが騒ぎ始める。

「それは面白ぇ!」「超ゾクゾクするぜ!」


 オズワルドは興奮している自分の子分たちを尻目に、顎を撫でた。

「確かに面白いやり方ではある。だが、わざわざゴブリンが来るまで待てと?しかも、こいつらだけが襲われるとは限らない。見物するなら俺たちにだって襲ってくるだろう。それじゃあ興がさめる」


 オズワルドの発言を聞いて、今度は子分たちが水を打ったように押し黙る。単純な集団である。


「なあに。そんなことは心配無い」

 ティムはにやりと笑った。

「俺たち大道芸人は、見世物のゴブリンを飼ってるんだ。檻に閉じ込めてな。どうせ明日見世物小屋に来るんだろう。こいつらも連れていこう。それで一緒に檻に詰め込めばいい」


 オズワルドは唸った。

「それはなかなかいい考えじゃねえか。貴様、面白いことを考えるな」


「伊達に見世物の商売はやってないよ。まああのゴブリンどもも、いい加減死んだ馬の肉には飽き飽きしている頃だしな。丁度いい」


「よし、じゃあそうするとするか!」

 オズワルドがもう一度、子分たちの方へ振り返る。

「よし、野郎ども! そういうことだ! 明日になれば三千ルーンだぞ! 今日は宴だ!」


「おおぉ!」

 子分たちからは大歓声が上がった。





 日が沈み、闇が辺りを包んでいく。今宵は大きな満月が夜空に浮かんでいた。


 そしてその満月の下、オズワルド盗賊団の一味はその日の収穫を肴に酒を飲みながら盛大に盛り上がった。その場にはティムも混ざり、一緒に談笑している。


「ここのところ、なかなかおいしい話にありつけなくてなあ」

 あぐらをかきながら、オズワルドはしゃがれた声でそう言った。顔が既に赤くなって、目つきもとろんとしている。

「大道芸人の仕事はさぞ痛快だろうなあ!」


「何も楽しいことばかりじゃないさ」

 ティムはふんと鼻を鳴らした。

「この御時世、見世物なんかに払う金がある奴なんてほんの少しだ。俺たちだって必死に生きてるんだぜ」


「でもあのエルフがいれば大儲け間違いなしだろう?」


「そうだといいがな。これだけの手間と金をかけて大儲けできなかったら、商売上がったりだ」


「確かにそうだなあ」

 オズワルトは葡萄酒の瓶を豪快にラッパ飲みする。

「何するにしても大変な世の中だよな、今は」


「ああ」


 オズワルドが不意に肩眉を吊り上げる。

「それにしても、大道芸人。まだまだ酒が足りないんじゃねえのか? もっと飲め、飲め!」


 上機嫌で酒を進めてくるオズワルドを、ティムは制した。

「いや、結構。酒はあまり好きじゃないんだ」





 丁度その頃、ソニアとライアン、そしてエルフの少女は、座った状態で近くの木に縛りつけられていた。


 近くで見るエルフの少女は遠目で見た時よりも大人びていて、ソニアと同じくらいの年齢に見えた。まるで粉雪のような白い肌。透き通るような金色の髪を、肩にかかる一歩手前で切りそろえていた。もっと明るい所で見たら、さぞ美人であるに違いない。


 ふとソニアの横から物音が聞こえてくる。反射的に目をやると、ライアンが縄を引きちぎろうとして暴れていた。ようやく意識が戻ったようだ。


 ソニアが自分を見つめていることに気付くと、ライアンはソニアに何か訴えかけようとした。しかしライアンも口を縄で縛られているのでただの唸り声にしかならない。それでも、今の状況を確認しようとしていることは直観的に分かった。


 口を縄で縛られているのはソニアも同じであり、状況を説明してやることはできない。ライアンは縄を引きちぎろうと再度体に力を込める。だが固く締められたその縄はびくともしていなかった。


 そんなライアンを尻目に、ソニアは夜空を見上げる。これから自分はどうなってしまうのか。ティムは何を考えているのか。ソニアが魔法を使ってからの態度の変わりようは尋常ではなかった。何か狙いがあることは明らかだ。エルフか、守護神石か、それとも自身の命か。


 やはり私は、付いていく人間を間違えたのかもしれない。


 目前では、オズワルド盗賊団の一味とティムが、酒を飲んで大騒ぎをしている。その騒ぎ声を聞きながら、ソニアは強い疲労感を覚え、目を閉じそのまま眠りに落ちた。





 それからどのくらい時間が経っただろうか。

 頬に温かい刺激を感じて目覚めると、ティムの顔が視界に飛び込んできた。

 はっとしてソニアがティムの手元に目をやると、ティムは手に握ったナイフでソニアを縛りつけている縄を切っていた。口の縄はもう切られている。


「え・・・?」


 ソニアが目を見開くと、ティムは人差し指を口の前に持ってきて、しいっと息を出した。


 あっという間にソニアを縛っていた縄が切れる。

 ソニアは状況把握ができず、何も考えずに立ち上がり懐を探る。固いアクアマリンの感触。石は奪われてはいない。


 ティムは既にライアンを縛っている縄を切り始めていた。周囲を見渡すと、小さくなった焚火の周りでオズワルド盗賊団全員が大きないびきをかいて眠っている。


 ソニアは体に電撃が走るような感覚を覚えた。ようやく全てが分かる。ティムは、自分たちを助けようとしているのだ。


 縄が切れるとライアンは立ち上がり、腰回りについた土を払ってにいっと笑った。

 ティムは素早い動きでエルフの少女の縄も切る。エルフの少女は飛び上がるように身を起こした。


 全員の縄が切れティムが手で合図すると、一行は一目散にその場から逃走した。エルフの少女も後ろから付いてくる。四人は無我夢中で暗闇に包まれた森の中を駆け抜けた。


 どれくらい走り続けたか。先頭を走っていたティムが立ち止まった。後続の三人も足を止める。


 ティムは膝に両手をあてがい、ぜえぜえと息を切らした。

「ここまで来れば、大丈夫だろう・・・」


「そうだな・・・」

 ライアンも息が上がっている。


 ティムは、横で座り込んでしまっているエルフの少女に声をかけた。

「大丈夫? 怪我は無い?」


 エルフの少女は、肩で息をしながらも答えた。

「う、うん! 大丈夫!」


 初めて聞くエルフの娘の声は、よく通る可愛らしい声だった。


「ソニア、色々悪かったね。大丈夫だった?」


 ティムがそう問いかけるが早いか、ソニアはティムの胸に勢い良く飛び込んだ。突然の出来事に、ティムは思わず腰が抜けそうになる。


「ソ・・・、ソニア?」


「怖かったよお・・・。怖かったよお・・・」

 ソニアはまるで小さい子供のように泣きじゃくっていた。


「ご、ごめん。色々考えたんだけど、ああするしかなかったんだよ」


 ティムがしどろもどろで謝っている時も、ソニアはティムに抱きついたまま離れない。

 事情を知らないライアンは、その光景を前にきょとんとしていた。


「とにかく、暗くて何がなんだか分かんねえ。まずは火を起こそうぜ」

 ライアンは近くに落ちている落ち葉や小枝かき集めると、そこに手をかざした。

「火よ、つけ!」


「ライアン、こんな時に練習かよ」

 ティムが苦笑しながら、ソニアを宥めていたその時。

「あっ」


 落ち葉の集まりに微かな光が見えたのだ。その光は細く煙を立ち上らせながら、徐々に大きくなっていく。


「おお、火だ! 火がついた!」

 ライアンは顔を輝かせた。手で風を送り、火を大きくしようとする。すぐに火は他の落ち葉にも燃え移っていき、焚火が完成した。


「良かったじゃないか、ライアン!」

 ティムもにっこりと微笑む。

「これからは、火起こしの手間が省けるな」


 するとライアンは、得意気に胸を叩いた。

「ま、ちょっと本気を出せばこんなもんよ」


 ティムは、少し落ち着いてきたソニアに言った。

「ソニア、ライアンが魔法を使えたよ!」


 ソニアはティムの胸から顔を上げると、ローブの袖で涙を拭い鼻を大きくすすった。焚火の炎が視界に飛び込んでくる。


「ライアンが魔法でつけたんだよ」

 ティムが焚火の方に指を差して教える。


 ソニアはしばらく涙で潤んだ瞳をぱちくりさせていたが、やがて弾んだ声で言った。

「ライアン、良かったですね!」


 ライアンは、この上なく嬉しそうな表情で拳を天に突き上げた。





 こうして一行は、焚火を囲むようにして座った。


 まずエルフの娘がもじもじしながら口を開く。

「皆さん、助けてくれてありがとう」


「いやあ、別にいいってことよ!」

 ライアンはいかにも照れ臭そうに、ぼさぼさの金髪を掻むしる。

「困ってるレディーは、ハビリスでもエルフでも助けるのは当然だぜ」


「お前は気を失ってただけだけどな」

 ティムは腕を組み、冷めた目でライアンを見る。


 するとエルフの娘は、とんでもないというように手をぶんぶんと横に振った。

「助けに来てくれただけで嬉しいよ。本当にありがとう」


「そうだ。自己紹介がまだだったね」

 ティムが言う。

「俺は、ティム・アンギルモアっていうんだ。よろしく。で、そこの汚い金髪ロン毛がライアン。で、俺の隣りにいるこいつがソニアだよ」


「どうぞ、よろしくね」

 ソニアはエルフの娘ににっこりと微笑みかける。


「誰が、汚ない金髪ロン毛のサル野郎だって?!」

 ライアンは噛みつくように言った。


「そこまで言ってないんだけど・・・」


 二人の会話を聞いて、アナベルはまん丸の顔いっぱいの笑顔でけらけらと笑った。

「あたしは、アナベル・エンブレイスっていうんだ。よろしくね!」


「おう、よろしくな」

 アナベルにウインクをした後、ライアンは思い出したように話を変えた。

「ああ、それで俺が気を失ってる間に一体何があったんだ?」


 ティムとソニアは一部始終をライアンに説明した。説明が終わると、ライアンは納得したように何度も頷いていた。


 ソニアは、改めて冷静に振り返った。

 絶体絶命だった。相手の人数からして、あのままではエルフの少女だけでなく全員残りらず殺されていた。だが蓋を開けてみれば四人全員生きているという奇跡。そしてそれは単なる奇跡ではないことをソニアは知っていた。また仲間であるティムを信じることができなかった自分を心から恥じた。


「ティム」

 ソニアは言った。

「助けてくれて、ありがとう」


「いいんだ。怖い思いをさせてごめんね」


 ティムが優しくそう言うと、ソニアは唇を噛んで顔を赤らめた。

 そんなソニアの様子に気づいたライアンは、一人にやにやとほくそ笑んだ。


「それで、アナベルはあんな所で一人で何してたの?」

 ティムが聞く。


「あたし、元々一人だった訳じゃないんだよ」

 愛くるしい目をくりくりさせて様子を窺っていたアナベルが話し始める。

「ホントは仲間と一緒にいたの。でも途中ではぐれちゃったんだよね。それで仲間を探してたら、あの人たちに捕まって・・・」


「あら、可哀想に」

 ソニアが眉を潜める。


「そりゃ悲惨だったな」

 ライアンも渋い表情をする。

「仲間とは旅の途中だったのかい?」


 アナベルはこくりと頷いた。

「外の世界の様子を見る為に、一緒にエルフの里から出てきたんだ。エルフの里にいても外で何が起こっているのか全然伝わってこないから」


 ティムは苦笑いした。

「じゃあ、外の世界は危険なことがいっぱい起こってる所だって分かったか?」


「うん。まさか私を捕まえて売り飛ばそうとする人がいるなんて全然思ってなかったからビックリしちゃったよ」

 アナベルは笑った。前向きで明朗な性格の娘である。

「それで、皆は何してたの?」


 ティムがこれまでのいきさつを説明する。


 一通り話を聞くと、アナベルは透き通る緑色の瞳をぱちくりさせた。

「へえ。そうだったんだ」


「ところで、アナベルは何か守護神石について知っていることはない?」


 アナベルがはきはきと答えた。

「守護神石の一つはエルフが持っているよ」


「えっ。そうなの?」


「まあ、あれ程の力を持っていた種族ですから、守護神石の一つや二つ持っていても不思議ではないですね」

 ソニアが、落ち着いた声で言う。


「確かにそうだな」

 ライアンが頷く。

「じゃあ守護神石の一つは、お前さんの故郷にあるのかい?」


「普段はそうだけど、今は私が預かってるんだよ」

 アナベルは懐から何かを取り出す。その手の中には美しい乳白色の石が収まっていた。


「うお!」

 突然のことに、ティムは度肝を抜かれた。


 ソニアも驚きを隠せず、手を口に当てる。

「こ、これは、守護神石の一つ、パール・・・」


「おっ、おいおい・・・。随分大胆だな」

 ライアンは焚火を避けるようにして身を乗り出して、パールに視線を寄せる。


 すると三人の反応に動揺したのか、アナベルはパールを胸元にぎゅっと引き寄せた。

「で、でも、これはキミたちには渡せないよ。私のじゃないから・・・。里の大切な宝物だから・・・」


 ソニアは、アナベルの背中に手を置くと言った。

「別に私たちは、あなたからパールを奪おうとなんて思ってないのよ。でもね、エルゼリアを救う為にはあなたの持っているパールが必要なの。何とか協力をしてもらえないかしら」


 アナベルは人差し指で下唇を押し上げながら、顔をしかめて考え込んでいるようだった。


「どう? ダメかしら」


「うーん。今は絶対渡せないけど、もしイリフ様がいいって言ってくれたらいいよ」


「イリフ様?」


 ティムが言うとアナベルは頷いた。

「里の長なんだあ」


「そっかあ。じゃあ、エルフの里に行かないといけないな」

 ティムは頭を掻きむしった。


「でもよ。エルフの里ってどこにあるんだ? 地図には載ってねえぜ」

 ライアンが言う。


「ここからすごく遠い所だよ。私たちは、ここまで何カ月も歩いてきたから」


 ティムが言った。

「じゃあ、もうヘーゼルガルドも目前ということだし、まずはヘーゼルガルドに行こう。ライアンはどちらにしろ行くことになるしね」


 ソニアとライアンは頷き、承諾した。


 ティムが聞く。

「アナベルはこれからどうするの?」


「うーん。仲間とははぐれちゃったしな。どうしようかなあ」


 ソニアは微笑した。

「もし良かったら、私たちに付いてきてもいいのよ」


 アナベルは目をぱちくりさせた。

「え、いいの?」


 ティムが言う。

「むしろ、そうしてくれるとすごく助かるよ。何せアナベルは石を持ってるから。それにエルフの里までの道案内もしてほしいな」


「うん!」

 アナベルは顔を輝かせると、小さな手をぐっと握りしめた。

「じゃあ一緒に行く!」


「わあ! エルフの女の子と一緒に旅ができるのね」

 ソニアは嬉しそうに頬に両手を添えた。


「また一人、旅の仲間が増えたな」

 ライアンも穏やかな微笑みを浮かべる。


 ティムも満足そうに微笑むと、声高に言った。

「よーし。じゃあもう遅いしそろそろ寝よう。で、明日にはヘーゼルガルドに到着だ!」


「そうだな。ようやくだぜ」

 ライアンがにやりと笑う。


「あ、そうだ」

 ソニアは持っていた巾着袋の中から何かを取り出した。

「アナベル、あなたのその耳はハビリスの町では目立ちすぎるわ。これからはこのフードを被って行動しなさい」


「そう? 分かった。ありがとう」

 アナベルは受け取った茶色のフードを上半身を包み込むようにして身に付けると、満足気に微笑んだ。


「あら、可愛い」

 ソニアは微笑んだ。


「なかなか似合ってるぜ、アナベル」

 ライアンも褒めた。


 その後間もなく、一行は小さくなってきた焚火を囲んで毛布を被った。


「はあ。本当に今日は色々あり過ぎて、疲れました」

 ソニアがぐったりとした声を出す。


「いやあ、本当に今日は大変な一日だったな」

 そう言ってライアンは思い切り伸びをした。


 すかさずティムが言う。

「まあ、お前は伸びてただけだけどな」


「だぁ! くどいっつうの!」


 こうして波乱万丈の一日の終わりに新たな仲間アナベル・エンブレイスを迎えて、一行は深い眠りについた。そして次の日の昼、一行は遂にヘーゼルガルド王国に到着したのだった。

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