第二章11話『世界の因果』

 空気が振動した。暗い家は誰から発せられたものか分からない。だが、怒声は女性のもので、若々しくなく年の功を感じさせる声域で、聞きなれた言語の様な気がした。


「……カガミ、何急に言ってんだよ。小僧って同い年だろ」


「ちがっ。違わないけど……そうじゃなくて、ツルギは小僧より小象で――」


 失言をしたと思い焦燥に駆られ赤面と腕がよく動く。顔面の前で掌をぶんぶんと振り慌ただしく湯気を出す。


「小象……って見たこと!?」


「――にゃいにょ!?」


「口回ってねぇけど……う、まあそこら辺は番外編としまして。一先ずは、ばあさん。日本語分かるのか?」


 赤面する少女に嘆息し老婆に視線を戻す。カガミは「ばんがいへん?」と疑問符を浮かべているが差して意味もない言葉だ。放っておこう。

 暗がりの奥に鎮座し星の明かりで首から下が照らされる老婆に視線を送る二人。老婆の口元に目を凝らすと噤んだ唇が開かれる。


「……小僧、年を弁えよ。老成した者を敬い尊え、ユウシャだか凡人だが知らぬがほぼ初対面の相手に口が荒れるのは感心せんぞ」


「そりゃ失礼なことしたっす。ババアなんつって悪かったっす。えっと、ばあさんはウァサゴさんで合ってるっすか?」


 そのツルギの発言の謝罪を聞くと大袈裟に鼻を鳴らした。


「失態を返上する趣きは良い。じゃがなんともぎこちのない言い様は虫唾が走る。言を砕くこと自体はお主の個性故。そこまで固くなることもなかろうよ」


「……そ、そうか。なら普段通りいかせてもらう。ふぅ、ぶっちゃけ苦手で助かるっちゃあ助かるよ」


「うむ。どれ、話は長らせる気もないが腰を掛けたらどうじゃ。そこに立たれたままではおちおち会談も落ち着けん」


 元から二人を待っていたかのように設けられていた古椅子を二人は引いて座れば軋む音が暗い部屋に響く。ツルギは想定されていたそれに微動だにはしないが軋む音を響かせながらゆったりと徐々に腰を下ろす。カガミは一度びくりと身体を跳ねさせ椅子からお尻が遠のくがもう一度軋ませると音が歪に響くことはない。


「お、お邪魔します」


 ウァサゴが指を一度鳴らすと部屋に明かりが灯る。朱色の灯りは心を穏やかにする効果と不安を排除する意味でも効果を発揮した。カガミの強張る表情は明かりが灯ったことによって心なしか和らぐ。

 一同の会談への準備が整ったと察しが付いたのか入口に待機していた帽子屋は忽然と姿を眩まして扉が強くも弱くもなく閉まる。カガミが再びびくりと身体を跳ね上げるがツルギは深呼吸を浅めにして。


「……それでだばあさん。えーっと、日本語分かるのかってのは今のやり取りで概把握出来たし、こっちの世界の言葉を」


「――こっちの世界の言葉をくれ。じゃろ? 言われなくても元よりその願は受けとる。じゃが……」


 言いたい言葉を重ねられ綴られる。

 よぼよぼの涙袋と瞼で双眸を薄く見せる瞳は黄金の金色。瞳に光が灯っている錯覚も瞳の中を光が踊る錯覚も与えられる。薄らと見える瞳はどこか寂しげに机に向かった。

 尊いものを見つめる。儚いものを見つめる。そんな瞳だ。

 今にも溜め息を溢しそうな双眸はそれをせずに軽く閉じられ瞬間的に息を吸い込み続けた。


「じゃが、儂の未来はそう長くない」


「それってウァサゴさんが死……」


「そうじゃよ御嬢さん。儂は年も年、生を維持するための魔力も残り微か」


「なんとなく察し。つまりばあさんが言葉を俺らに与えると死ぬかもしれねぇって、そうゆうことだろ?」


 ウァサゴがゆっくりと上下に頭を動かし、カガミが怯えた表情でツルギに視線を送る。


「……性悪精霊め、老人一人の残りの命を引き換えにってそんなこと出来るわけねぇだろ」


 カガミにのみ聞こえる声量でツルギはぽつりと嘆息を込めて吐いた。するとウァサゴは二人の感情を読んだのか、ツルギの発言を置いて言葉を繋いだ。


「言葉の譲渡をすれば限りなくいつ死ぬか分かりせん。じゃから小僧、いや、ツルギと申したな。ツルギよ、未来の話。聞くかの?」


「未来の話……。それって未来予知的な?」


 ウァサゴは鼻でその疑問を吹き飛ばすと失笑を浮かべる。


「なんだよ、未来予知じゃねぇってなら」


「――預言じゃ。儂は未来から未来の事柄見据えることが出来る。過去の真実も、現在の事象も」


「それって、最強だし、それに……全て無意味に」


 過去の真実は歴史書などとの齟齬がはっきりと分かる。現在の事象は今何が起きているのか何が企てられているのか分かる。そして、未来は現在の事象を凌駕する。

 未来を見ることが出来ればそれは今していることの必然性が明白にもなる。これからすべきことも、しなくていいことも、全て未来が決まっていることになる。


「……俺の地元じゃ未来は変えられ――」


「答えを急ぐことも感心出来はせん。儂には未来が見えよう。そして見えた未来は確定される。まあ経験上はじゃが。ともあれ、儂が見据えた未来の事柄を知るか否か」


 未来に何が起きて何が必要で何を捧げることを未来は望むか。この場所へ来て、異世界で生活した二日間で過去の事実を知った。あの二日間で異世界の苦痛を味わった。目を瞑り、耳を塞ぎ、背を向けたくなる。そんな過去であの時の事象だった。

 未来を知ることが出来ればこれからの悲しい悲惨を先んじて気持ちを構えて置ける。この悲惨で残酷で無慈悲な世界でどんな未来が待ち受けるか事前に知れる。それだけの話だ。

 口を噤むツルギを置いてウァサゴの問いに返答したのはカガミだった。


「ウァサゴさんはツルギに未来を教えてそれでどうしたいんですか?」


「うむ。御嬢ちゃん、名をなんと申す?」


「カガミです。ヤタノ・カガミ」


「ふむ、カガミよ。その問いにはこう答えよう。どうにもせん、とな」


「それじゃあ、全く意味がないんじゃ――」


「じゃろうな。なぜそうでもして主らに問うのかと疑問なのじゃろ?」


 二人は顎を引いて沈黙で肯定をする。


「それを解くに世界の理を告げよう。過去と現在と未来の理を」


「過去と現在と……」


 カガミが押し黙る。そしてツルギが「未来」と一言だけ繋げると、ウァサゴが吐息を吐いて続けた。


「過去、過ぎ去った時間。未来、現在から先の時間の全て。現在、過去も未来も意識しながら今すら意識する時間。過去は歴史であり変えることは叶わん。現在は今意識することで己自身、周囲の影響で過去になってゆく。未来は現在の道すじ。過去は一筋であるが未来は無数に分かれる」


「……何言ってんのかわからねぇよ」


「簡易的に仮定を言えば。過去を変えることは現在を変えることになろう。つまり、変えた過去は、現在に生きる正しい過去であり、改変する前の過去はありはせん。未来も同義」


 口を開けて呆気に取られるツルギの横でカガミは少し納得のいった表情をする。


「カガミ、分かったのか?」


「うん、まあねー。ウァサゴさんは、未来を見れる。それは今を生きる私たちが辿って行きつく先。過去を変えても変えても現在に戻ればそれは歴史の教科書に載る過去になってて現在も変わるから。あれ?」


 未だに理解の出来ないツルギは疑問符を浮かべて、カガミも一度首を傾げてから顎に手を添えて疑問を吐く。


「過去を変えたら現在はその過去を正しく引き継いで。でも現在を変えれば、未来も変わるんじゃ……」


「言うたぞ、未来も同義。預言で見据えた未来は確定事項。故に現在を抗とうても世界の強制力が働く」


「待って! ウァサゴさんが未来も同義って言うなら、未来は変えられる。違うの?」


 激情が表に出るカガミは感情の高ぶりに反比例して顔色は蒼白していく。


「時間干渉は神すらも難儀。観賞も同義。時間を超えて見据えたことは世界が肯定してしまう。必ずじゃ。それにの、仮定の話と言うたぞカガミよ。仮に過去を改変したとしても、現在でそれを認識出来るのは世界に限る。元から根元から改変じゃ、変えた張本人すら改変に気付くことは出来はせん。故に未来も同義」


「……未来は、変えられない」


「そうじゃ」


「なんでそんなこと言えんだよ」


「お主は戯け、理解出来る日が来ることを祈ろうかの」


「戯けだ、阿呆だ、馬鹿だあ。言われ慣れてきたな。そこで俺が論破するぜ。未来は変えられる」


「お主、聞いておってもなお……理解は出来はせんと分かっておったがここまで戯けじゃと、これからのあの方の気苦労が絶えないかのー」


 あの方とは、アガレスかアリスか、はたまた性悪精霊か。誰にしろツルギの信念は揺るがない。


「好きに言ってろ。未来はこれから作り上げるもんだろ、違うか」


 大きな嘆息をどっと吐き出してウァサゴが、


「違いはせん」


「だろ……って肯定はやっ!」


「急かすな。違いはせんのは、世界が未来を認知せん未来じゃ。世界が認知認識した未来は因果に基づいて進むのみ」


「いんが?」


「因果って、運命とか悪いことしたら悪い報いがある意味の因果?」


「カガミは理解がはよーて助かるの。戯けとは大違いじゃ。戯けは分かりせんじゃろうから説明すると」


「もっぱら信用なし!?」


「世界が認識した因果は収束しようと強制力が働く。例えばツルギが明日の昼に犬の糞を踏む未来が見えるとしよう」


「なんか雑すぎねぇか」


「例え話じゃ。その見えた未来は儂を通じ世界が認識する。さすれば、儂がツルギに明日犬の糞を踏むことを伝え、ツルギはそれを回避しようと懸命に生きようとも、明日の昼には犬の糞を踏むことは世界が知り、因果が収束する。故に家で籠り続けとうても昼、または時差的に少し先延ばしになった未来で犬の糞をツルギは踏む。世界の因果とも言えるの」


「なんか酷な話。それって例え話だよな?」


「世界は儂が未来を認識したことで因果を結ぶ。それは『ツルギは明日の昼に犬の糞を踏む』と言う形でどこでや、どこの部分でなどは関与してはのう。じゃが『ツルギが明日の昼に犬の糞を踏む』ことは絶対であり、その前に踏むことは……あったとしても、昼に犬の糞を踏むことは世界が因果を結んだ」


「うんを踏むうんを踏むとか何回も言われなくても分かったから。つまりは見た未来はその時までに起きたとしても、見た未来の時間でも起きる。そうゆうことだろ?」


 因果、運命や宿命を決定付ける上でよく用いられる言葉だ。


「回りくどい説明しねぇで初めからそう言えば分かったんだけどな」


 言い訳じみた発言を空打ちさせるとウァサゴが「それで」と言葉を紡いで一拍置いた。

 先刻の馬鹿話の末、この張りつめた空気に身に覚えが多いツルギは次の問いの答えを提示するため空気を吸い込み、ウァサゴの言葉の続きを待った。それをしていたのはツルギだけではなく隣で真剣な表情のカガミも同じだった。


「……未来の話、聞くかの?」


 その問いに二人は同時に、


「――聞くよ」

「――聞きます」




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