僕らはまたあの空の下で

迷い猫

第1話 プロローグ

 “人間の感情は一見複雑そうに見えて、落胆するほど単純なんだ”




 


――ごめんね。また、君を救う事が出来なかったよ。


 彼女の瞳から零れる大粒の涙は、まるで真珠のように美しく。

 地面に落ちて割れた真珠は姿を変え、小さく砕けた宝石のように儚い。


 君のせいで俺はこうなった訳じゃないと伝えたいが、体力を急速的に失った体は動きやしない。指先がピクリと反応するだけだ。


 彼女は膝をつき、両手で顔を覆う。肩が呼吸する度に動き、感情が乱されるほど上がる。

 泣くなよ。俺まで辛くなるじゃないか。死なんてとっくの昔に覚悟したというのにさ。 

 自分に涙を流してくれる奴を見ると、どうにも覚悟が緩んでしまう。


――やっぱ、死にたくないもんだな。


 不甲斐ない自分に嫌気が差す。仰向けになって倒れている俺の目の前には、正しく曇天が広がっていた。

 絶え間もなく降り続く雨は冷たい。でも、妙に俺の高ぶった感情を冷やしてくれる。

 しかし、敵にやられた背中がずっと炎に炙られてるように熱い。 

 嫌でも分かる死が近づいていることに。でも、この痛みから逃れられると思えば少しは楽な気がした。


「本当に……ごめんなさい。今度は君をこの混沌とした世界から救うって決めたのに。助けられないで、ごめんなさい」


 どうしても生への執着から逃れられない人間の心理だと悟る。


 その執着から絶ちきるために俺からの最後の言葉を伝えなければ。


 さっきから謝ってばっかりで、腰まで届く白銀の髪の彼女に。

 何処までも凛としていて、揺るがない芯がある美しい夕焼けの瞳の色の彼女に。

 

 

「アミノ……ありがとう」



 やっと出した声は掠れていて、ちゃんと聞こえただろうか。雨の音で消えてしまってるかもしれない。

 最後の言葉としては、安直過ぎたかもしれないが今の俺の思考では精一杯だ。それでも、生きていた中で一番嘘偽りない言葉だ。

 俺はこれでいい。

 飾る言葉より飾らない方が俺らしくていい気がした。


 すっかり重くなった瞼に抵抗することはなかった。


 素直に、

 

――意識を手放した。








 


 冷たくなった彼は苦しみながら死んだというのに、酷く幸せそう……否、後悔してない安らかな顔をしていた。


 身体中傷だらけ、痣だらけの痛々しい遺体になってしまった彼。

 結局私は彼を救えなかった。私は後悔だらけで、悔し涙しか浮かばない。


『アミノ、そちらの状況はどうなりましたか。至急報告を』


 ノイズと共に聞こえた。淡々とした事務的な問い。私も相手に感情を悟られないように答える。


「鷹匠 浩。敵の背後からの攻撃により戦死しました。以前状況は変わりません」


「では、田南区間は切り捨てることが上の判断により決まりました。切り上げて一度ラボに戻ってください」


「――待って下さい! この区間にはまだ住民の避難が済んでおらず」


「これは決定です。田南区間の者には1ヶ月前から避難命令を下した筈です。従わなかったその者の罪です。アミノ、もう一度言う。至急ラボに戻れ」


――プツリ……。



 一方敵に切られた通信。感情のままに任せて地面を殴りつける。拳からは血が滲み出ているが気にしなかった。


 田南区間の住民は故郷を捨てたくなくて、逃げなかった。

 ただ、それだけだ。それが、何の罪になろうというのか。



「貴方も変わってしまったのね……」


 戦争は人を変える。環境を変える。運命を変える。遠い未来さえ変える。


 変わらないものを見つけるのが大変なくらいだ。


 周りを見ると、雨が降った所為か火の海だった場所は黒い炭の海へと、うって変わってしまった。

 立ち込める焦げた臭いと死体の異臭が充満していて、普通ならば嘔吐してしまうだろう。それさえ今の今まで気づかないほど、私は参ってしまったようだ。



 バケツをひっくり返したような雨空を見上げ、

「世界はもう、朽ちた」


 

 彼の遺体を見下ろし、

「今度は救って見せるよ。待ってて」



 私は何度でも繰り返す。

 彼を救うため。

 何度だって。



――次は一体、どんな世界へ君はいくの?

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