MOTHER
大場鳩太郎
MOTHER
このまま永遠に時間が停まってしまえばいいと思った。
でも現実はとても残酷だ。
残された時間は本当にもうあとわずかしかない。
その日の午後、私は病室にいた。
椅子に腰掛けて、携帯用のホログラフテレビを視聴している。
首都の連邦議事堂の檀上に立つ小男が浮かび上がっている。
彼は滔々と『地球は今、危機的状況にある』とかそんな退屈な話をしている。
これは大統領演説の中継で、残念ながら今はどのチャンネルもこれしかやっていない。
カートゥンチャンネルならばアニメが観れるかも知れないけれど生憎うちはそんなものに加入できるほど裕福ではなかった。
急にノイズが混じりだして映像と音声が乱れ、私は舌打ちした。
チューニングがずれるから旧式は嫌いだ。
でももっと嫌いなのはママ。
彼女はわたしのすぐ隣の医療用のベッドにいる。
半身だけを起こした彼女は、点滴に繋がれていないほうの手で、始終、私の頭を撫でている。
その手を振り払いたいのを堪えながら、私は携帯テレビのチューニングを続ける。
「ねえママ?」
「なあに私のいい子ちゃん」
「ママは一体いつ退院できるわけ?」
「難しい質問ね。なんでも分かるママにもそればっかりは分からないわ」
「ママは働きすぎて入院することになったのよね」
「あらそんなこと誰から聞いたの?」
「カルバン先生さんが看護婦さんと話してた。娘の『チケット』を手に入れるために過労で倒れたって」
ママはすこし考えるような仕草を見せてから、「それはきっとママじゃないわね。別の患者さんよ」と嘘をつく。
「じゃあなんでママは倒れたわけ?」
「それは小さい頃にちゃんとニンジンを食べなかったせいね
ママは貧血症なの」
「そんな話聞いたことないけど?」
下手糞な言い訳。
馬鹿にしないで欲しい。ママが過労だということはカルテを盗み見て分かっているのだ。担当医のカルバン先生は、達筆過ぎて判りにくい字だが過労(オーバーワーク)の文字だけは、私のような子供でも読めた。
「私のいい子ちゃんは、一人でも御飯を残さず食べれるわよね?」
「保障できないわね。心配ならママも一緒に来なくちゃ」
「それは無理よ。今は点滴を受けなきゃいけないもの」
ママは点滴のチューブを繋いでいる腕を掲げる。
まるで移民船に乗らない理由は、療養に専念する為、というような言い方だった。
でも違うのだ。私にはちゃんと分かっている。
移民船に乗れるのは私だけ。
ママは今回も、これから先もずっと私を追いかけてくることはない。
「ママは後の便で向かってくるのよね?」
「ええ勿論。この身体が治ったらすぐにでもターシャを追いかけるわ」
ママはすこしだけぎこちなく笑ってみせた。
彼女は明らかに嘘をついていた。
移民船に乗るには『チケット』が必要だ。
それはすごく高価なもの。
シングルマザーで、スーパーマーケットのレジ係しか職がないような彼女が、容易に入手できる程、世界は優しくできてない。
彼女はそれでも死に物狂いで働いて、私の養育費に積立していた貯金と、事故で死んじゃったパパの保険金を注ぎ込んで、ようやく手に入れた。
たったの一枚の『チケット』を。
『――想像して欲しい。芯だけとなった林檎を』
いつの間にかノイズがなくなっていた。
手元のホログラフテレビのチューニングがかうまくいっている。音声と映像がいつの間にかクリアなものになっていた。
ホログラフ上には、腕を振り回し、演説を続けているちっちゃな大統領。
『それが現在の地球だ。人類という毛虫が貪り尽くし結果だ。地球は今ありとあらゆる資源が採りつくされ、削れ、枯れ果てる寸前なのだ。だが我々はいつまでも毛虫でいるわけにはいけない』
先程まで滔々していた声は熱がこもっており、演説はいよいよクライマックスを迎えようとしていた。
『さあ新天地は用意されている。すでにテラフォーミングは完了した。後は我々人類が蝶となり、そこへ羽ばたいていけばいい』
ああ人類はなんて馬鹿なんだろう。
ああ人類はなんて身勝手なんだろう。
地球から奪えるだけ奪っておいて、芯だけになったらポイと捨ててしまうのだ。
だが私は、彼らを非難することは許されない。
何故なら私は『捨てる側の人間』なのだから。
「地球は」
「ん?」
「地球は悲しんでるのかな? 人類なんて生みだしてしまったことを後悔してるのかな?」
――ママは、私を生んで後悔していないのだろうか。
――地球に残される事を嘆いているんだろうか。
ママがじっと見つめ返してくる。
言いたいことが伝わったのだ。
彼女は急に怖いくらい真面目な顔になった。
昔、アパートの排水管をよじ登って遊んでいた時に、見せたあの表情だった。
「馬鹿ね」
それから彼女は片方の腕で、強引に私を引き寄せてくる。
勢いで引っ張られた点滴のチューブがスタンドごと、ガシャンと音を立てて倒れたけれど、そんなことはお構いなしに力いっぱいに抱きしめられる。
「親はね……子供が巣立つことを喜ぶものよ」
ママの声と、身体がすこし震えていた。
泣いているみたいだった。
急に目の前が滲んでママの肩越しに見える、窓の向こう側の景色がぼやける。
喉の奥の方から、声が溢れ出しそうになって、それを必死で堪えた。
「馬鹿は……ママの方よ……」
どんなに家計が苦しくても休みの日には、ベリーズのカフェに連れて行ってくれた。
バレエのレッスン費用を作るために、シフトの時間を増やして五キロも痩せたことがあった。
インフルエンザになった時に、一キロ先の病院までおんぶして走ってくれたことがあった。
パパがいなくなった日、本当は自分が一番哀しかったくせに、泣いてる私を抱きしめながら私が好きな『こうもりとオラウータン』の唄を大声で歌ってくれた。
私の我がままで喧嘩になった日も、おやすみのキスをしてくれた。
見返りなんかないって知っているくせに、こんな口ばっかりで生意気な私を育ててくれた。
「私の可愛いいい子ちゃん」
「ママ」
ママは腕に指してある点滴針とテーピングを外すと、私をもう一度しっかりと抱き寄せた。
細くて白い腕。
安物のコンディショナーが僅かに香るの柔らかさと温もりに、何物にも代えることのできない幸福感と、そして身体を引き裂かれるような痛みを感じる。
永遠に時間が停まってしまえばいいと思った。
でも現実はとても残酷だ。
残された時間は本当にもうあとわずかしかない。
「さあ」とママの促す声がする
「……」
ホログラフテレビに表示されている時刻は、すでにエアタクシーをチャーターして空港にぎりぎり間に合う予定時刻を、もう五分以上オーバーしている。
このまま駄々をこね移民船に乗らないという選択肢は、ママが持っているすべてを捧げて、私にしてくれた最後の行為を踏みにじるのと同義だ。
これ以上、無償の優しさに甘え続けていてはいけない。
私はもうここから巣立たなくてはいけない。
「……うん」
ママの腕からすり抜けるようにそっと離れると、足元にある旅行用のアタッシュケースを手にした。
「ばいばいママ」
「ばいば、いいい子ちゃん」
ママが目元をぬぐいながら小さく手を振ってくる。
私もできるだけ元気のいい笑顔で大きく手を振ると、病室を駆け足で出ていく。
それが最後のお別れだった。
『我々、人類は、今日この日、この瞬間、地球という揺りかごを巣立つことを宣言する!』
エアタクシーのホログラムテレビで流れる、大統領演説の中継はついにクライマックスを迎えていた。
拳を振り上げる大統領の叫び声にも似た高らかな声。
青空に鳴り響くファンファーレ。
沸き起こる聴衆の盛大な拍手。
それは自分勝手で、尊大で、腹立たしくて、
でもどこか幸せな未来を予感させる光景だ。
病院を出てまだ五分も経っていないのに、ぼとぼろと涙が止まらなくて引き返しそうになる私を、その映像はすこしだけ笑わせてくれる。
私はいつか彼女のような母になろうと思った。
MOTHER 大場鳩太郎 @overq
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