巫哉

 暗闇。見間違えようのない銀の髪。俯(うつむ)いている絹のような髪の向こうから苛烈な紅い瞳が刺すようにただ、こっちを見る。




「ーーーーーー!」




 日紅(ひべに)は『彼』に向かって何かを言った。




 自分でも何を言ったのか聞き取れなかった。

















「おはよ」




「ん…おはよ」




「最近元気ねぇじゃん。どした?」




 それは日紅(ひべに)と犀が付き合って1週間が過ぎてからの事。付き合ったその日から日を追うごとに日紅の元気はなくなり落ち込みは深くなっていた。




 そんな日紅を見て、犀はやはり時期尚早(じきしょうそう)だったかと少し早まった自分を悔いた。自分が限界だったとはいえ、日紅の逃げ道をなくすように気持ちを押しつけて選択を迫ってしまった。もっと日紅に合わせてやることもできたのじゃないかと考えたが、どうやら原因はそれとは違うことらしい。





「……………みこ、やが…」




 そう言った途端、堪え切れなかったかのように日紅の瞳から涙が溢れた。




 犀は驚いて日紅を覆い隠すように抱きしめた。今は登校途中で、同じ学校の子や、出勤途中のサラリーマンなんかも通る。泣き顔を見られたくないのではないかと思ったのだ。




 でも日紅は周りの事など目にははいっていない様子で、犀の制服を皺になるくらい強く握って嗚咽を漏らした。日紅の姿に犀は『彼』に怒りを感じた。なにがあったかは与(あずか)り知らぬところだが、日紅をこんなに泣かせやがって!次会ったら殴ってやる。決意も新たに犀は日紅の肩を抱いた。




「日紅、ちょっと座って行こうぜ?な」




 日紅は無言で肯(うなず)いた。




 犀は日紅をベンチに座らせ自らも横に座ると、日紅の涙を拭いながら落ち着くまで辛抱強く待った。




「…ごめん、ね。がっこ…」




 しゃくりあげながら日紅が言う。




「謝んなって。毎日ゾンビみたいな顔色したお前に会うぐらいだったら遅刻ぐらい。あ、でも俺ハンカチは持ってないけど。次から常備しとくよ」




「ありがとう…」




 日紅は笑うことなく瞳を伏せたまま頷(うなず)いた。




「で、どうした?月夜(つくよ)がおまえになんかしたのか?」




 日紅は首を振った。





「犀。巫哉、いなくなっちゃった…」





 小さな声で日紅は言ってまた涙を零した。





「なに?」





 犀は耳を疑った。





「………それは、違うだろ」




 犀は強く言った。確信があった。『彼』が日紅を置いて姿を消すことなどあろうはずがないのだ。




「あいつ、いつもなんかふらふらしてんじゃん。どっか出かけてんじゃないの?」




「あたしも最初はそうかも、って思ってたけど…だって変!もう一週間だもん。巫哉がいないなんておかしいよ。今までいなかったことなんてなかったんだもん」




 日紅はばらばらと涙を零しながら駄々っ子のように首を振った。




「どうしよう…犀、どうしよう!?誘拐とか監禁だったら!今巫哉どうなってるの!?どこにいるの!?どうしよう助けに行ってあげなきゃ。も、もしもこのまま会えなくなったら」




「落ち着けって!月夜は絶対におまえを置いてどこかに行ったりしない。そうだろ?日紅」




 言いながら、何で『彼』のことを自分の口からわざわざ日紅に伝えなければならないのかと、犀は『彼』に無性に腹が立った。




 先に日紅に出会ったのは『彼』だということもわかっているし、その分のふたりの結びつきが強いのも悔しいが分かっている。けれど、事実だけじゃ我儘(わがまま)な感情は納得してくれない。




 しかしこんな状態の日紅にその感情をぶつけるなんて大人げないことは絶対にするまいと、日紅に悟られないように犀は気持ちを落ち着かせる。




「………………」




 日紅は俯いたまま、唇を震わせた。




 日紅も、何の根拠もなく取り乱しているわけではない。『彼』を最後に見たとき、日紅の見間違えでさえなければ『彼』は…涙を流していた。ほんの一瞬だったし、最初はまさかそんなことあるわけないと気のせいだと思っていたのだが、その時から『彼』の姿が消えたことを思えば、もしかしたら本当に『彼』は泣いていたのかもしれない。




 それを犀に伝えようか迷って、でも言葉にできずに日紅は別のことを口にする。





「犀。あたし、夢を見るの。まっ暗闇の中に一人で巫哉が座っていて、近くに行こうとするんだけど近づけなくて。巫哉の紅い目が、暗闇の中でもじっとこっち見てるのがわかって。巫哉はあたしのとこに近づけるんだけどあたしから来てほしいって思ってる。あたしを待ってる」




 犀は日紅の髪を撫でながら頷いた。




 その一方で思う。赤い目?なんじゃそりゃ。あいつが兎ってタマでもあるまいし。泣きすぎて目が赤いなんてオチか?




「日紅。どうして夢の中の月夜の目は赤かったんだ?」




 落ち着かせるつもりでなんの気なしに犀は話を振った。




 わからない、と返ってくる答えは予測できていた。だが。




 それを聞いて、日紅はゆっくりと犀を見上げた。犀の質問を自分の中でゆっくり噛み砕いているようだ。




「夢の中じゃなくたって巫哉の目は紅いじゃない、犀」




 ははっとそれを聞いて犀は笑った。一瞬後にはっとした。日紅はどうみても冗談を言っているような雰囲気はない。




「赤い?月夜の、目が?」




「…紅、よね?」




















「いや、月夜は黒髪黒眼だろ?」

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