最終話 やっぱり私は抗えない、かも!?

 私立藤華高等学校の文化祭「藤歌祭」は、毎年6月の第一土曜日に行われる。

 講堂で行われる今年の吹奏楽部のステージは、午後の第一部に割り当てられた。


「座席は詰めてお座りくださーい」

「こちらの列まだ座席が空いておりまーす」

 出番の少ない一年生部員達でお客さんの席の誘導係をする。

 200ほど並んだパイプ椅子に次々とお客さんが座っていき、立ち見(立ち聞き?)のお客さんも出そうなくらいの盛況ぶりだ。

 うちの高校の生徒だけでなく、私服姿の中高生もけっこう入っている。


「藤華の吹部、レベル高いから楽しみだよね」

「定演で見た指揮者の先輩、チャラそうだけどイケメンだし目の保養になる~」

「イケメンって言ったら、あのトランペットの人でしょ。上手すぎだし」

「トランペットの人、いろいろヤバいって噂あるの知ってる?」

「フルートの女の先輩、部長らしいけどめっちゃ美人なんだぜ」


 椅子に座った人たちが様々な噂話をするのが耳に入る。

 ”ヤバい部活”だの”藤華の魔窟”だのいろいろ言われているけれど、いろんな意味で注目度の高い部活なんだなぁ。


 開演時間の午後1時30分になると、講堂の照明が暗くなった。

 客席のざわつきの音量が徐々に下がっていく。


 暗い壇上の左端から、髪と制服を整え少しだけチャラさをマイルドにした富浦トミー先輩が現れた。

 拍手の中を指揮台まで進み、一礼すると客席に背中を向けた。

 舞台は暗いまま、オーボエの音を合図にチューニングが始まる。

 客席も一気に期待と緊張が高まった。

 本番直前、山崎先輩の鼻をかむ音もいつもより控えめに聞こえてくる。


 ステージの照明がぱっと明るくなると、皆すでに楽器を構えて臨戦態勢をととのえている。

 タクトを構えた富浦先輩がすぐに合図を出す。


 ♪♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪ ♪♪~


 藤華高吹奏楽部の文化祭ステージが、高らかなファンファーレで始まった!


『アルヴァマー序曲』はオープニングに相応しい明るく華やかな曲だ。

 金管楽器の伸びやかなメロディにのせて、軽快な木管楽器のフレーズが淀みなく流れていく。

 厚みをもったメロディが徐々に緊張を解き放ち、ゆったりとした美しいフレーズの中間部が始まる。

 穏やかで静かな波が打ち寄せるように奏でられ、やがて大きな波となって引いていく。その後パーカッションを皮切りに冒頭のフレーズが繰り返される。

 後半に中間部の美しいフレーズが再現されるけれど、背景には木管楽器のフレーズが息をも尽かせぬスピードで広がり、クライマックスへと盛り上げていく。

 最後まで華やかさとスケールの大きさを失わないまま、突き抜けるように曲が終わった。


 一瞬の静寂の後の、大きな拍手の渦。

 つかみは完璧オッケーのようだ。

 ステージが一度暗くなったタイミングで、客席の脇に立っていた私とうっちーはステージ裏へと回る。


 ステージ上、カーテンの左端にスポットライトが当たった中心には、咲綾先輩のお友達だという演劇部部長の椎名先輩が立っている。

「本日は、藤華高等学校吹奏楽部のステージにお越しくださり誠にありがとうございます」

 アナウンサーのような美声ではきはきと話す椎名先輩。

 台本も見ずに、アルヴァマー序曲の曲紹介をすらすらと説明している。


「続いての曲は、スウィング・ジャズの代名詞ともいえるグレン・ミラー・オーケストラの演奏により一躍ヒットした名曲『イン・ザ・ムード』です。

 ジョー・ガーランドによって作曲されたこの曲は…」


 曲の紹介の後、再び明るくなったステージから、あのお洒落で軽妙なイントロが聞こえてくる。


 私は舞台裏、楽屋代わりの用具室で慌ててポップスのステージ衣装に急いで着替える。


 あ、鷹能先輩のソロが聞こえてきた。

 相変わらず艶っぽくて素敵な演奏だな…。

 客席から聴けないのが残念!


 着替えを済ませて舞台袖に行くと、明るい茶髪ロングのウイッグをかぶり、同じミニスカ制服風衣装に身を包んだ長内君が数人の1年生女子に囲まれていた。


 どれどれ、どんな風に女装できたのかな…?

 と、覗き込んだ私はぎょっとした。


「ちょっ!! 長内くんのメイク、濃すぎじゃない!?」


 つけ睫毛にラメ入りアイカラー、鼻筋を強調するハイライト、ピンクのチークがくっきりと塗られている。

「せっかく皆で化粧品持ち寄ったから、いろいろ試してみたくって…」

 どうやら長内君は、まだ化粧に慣れていない1年生女子達の格好の実験台になったようだ。


「えっ!? 俺そんなにヤバいの?ちょっと鏡見せて!!」

 狼狽する長内君に、私は慌てて「大丈夫!ちょっとメイク濃いけど、その方が舞台映えするし十分イケてるからっ!!」とフォローする。

 時間ないのに今さらメイク直しなんてできないし、どうせ笑いを取るための役なんだからそのくらいのインパクトでむしろ丁度よいかも。

 憐れ、ナルシスト(推定)の長内君。


 小声で交わされるそんなやりとりの後ろでは、いよいよドラムの初ステージを控えたうっちーが、手に「人」って書いて飲み込む常識的かつ古典的手法で高まる緊張を落ち着かせようとしていた。


『イン・ザ・ムード』が終わり、いよいよ私たちがステージに立つ番がきた。

 照明が暗転した後、1年生女子+長内君がステージの最前列に並ぶと、薄暗がりに見えるミニスカ姿の女子たちに、男子生徒達からの歓声が起こった。


 人気アイドルグループ、湘南ウインズ36の代表曲『今年も一緒に海に行こう』が始まる。

 MVで研究したダンスを生演奏で踊る私たち。

 あざと可愛い振り付けでかなり恥ずかしいけれど、お客さんの視線は笑いと共に長内君に向けられているみたい。

 パラパラと始まった手拍子が徐々に客席全体へ広がっていく。


 ドラムセットを叩くうっちーも、緊張していたわりにフィルインも淀みなく入ってるし、いい感じ。

 だてに鬼の霧生先輩にしごかれていたわけじゃないね!

 初めは緊張のせいか控えめだったシンバルが、サビで盛り上がる辺りでは吹っ切れたように伸びやかな音を出していた。


 曲が終わり、舞台が再び暗転。

 着替えを急ぐうっちーが、ドラムセットのひな壇をあわてて降りて舞台袖へはけていく。

 私はコスプレ制服のままひな壇最上段へ上がり、黄色いおもちゃの水笛を持つ。

 次こそ私の正真正銘の初ステージ『ジャングルファンタジー』だ。


 富浦先輩とアイコンタクトを取り、合図とともに水笛を吹く。

 密林の効果音を背景にしたフルートのソロが始まる。

 低音パートによる忍び寄るようなフレーズ。

 それとともに、着ぐるみを着たうっちー達1年生男子が抜き足差し足でステージに登場した。

 その後、突如激しいラテンのリズムに切り替わると、着ぐるみ達も戦隊ヒーローのような威嚇のポーズを取った後で客席に飛び降りる。

 猛獣(キャラ的にはクマの〇ーさんと仲間たちなんだけど)のようにお客さん達を襲う真似をしながら客席の通路を走り回る着ぐるみ達。

 お客さんは笑いとどよめきの中で着ぐるみ達を目で追いかけている。

 マラカスを高々と上げて振りながら、ステージでも楽しくやってますよ~アピールをしているけど、うっちー達に完全にもってかれてるな。


 けれど、そんな騒然とした雰囲気は咲綾先輩のフルートソロによってがらりと変えられた。

 素晴らしいテクニックとスポットライトを浴びた艶やかな姿に、会場の視線と嘆息は咲綾先輩一点に集められる。

 その後、我らがパーカッションのアンサンブルのノリと迫力でお客さんの意識は完全にステージ上に戻った。


 客席を巻き込んで熱く盛り上がったジャングルファンタジーが終わると、次はいよいよトリとなる名曲『バッカナールだ。


 ジャングルファンタジーの曲紹介、咲綾部長の挨拶、そしてバッカナールの曲紹介とステージは淀みなく進行していく。

『バッカナール』に出るあゆむちゃん達は慌てていつもの制服に着替えてステージに戻っていった。

 長内君、アイメイクが落ちきってなくて若干ホラーになってたなぁ。

 客席からは気にならないレベルなんだろうか、あれ。


 舞台袖から覗くと、余興で盛り上がった客席の熱気も曲の解説と部長挨拶の間にだいぶ落ち着き、クラシックを聞く態勢が整ったように感じられる。


 ひな段の上の鷹能先輩が居ずまいを正すのが見える。

 先輩、最後の一曲頑張ってくださいね!

 ステージ上のみんなも力を出し切れますように!

 お客さんを感動させられますように!!


 ♪~♪♪♪~♪♪ ♪ ♪♪~

 オーボエのソロ、エキゾチックに静かに始まるモチーフ。

 音が重なり、高揚したところでカスタネットの音が迫るように鳴り響く。

 不穏な空気を漂わせながらペリシテ人の酒宴は盛り上がっていく。

 中間部の柔らかく美しいメロディはまるで絶世の美女が舞を踊っているかのように光り輝き、聴衆をうっとりさせる。

 それが終わると再び前半のモチーフが繰り返され、緊張感とスピードが高まっていく。

 まるで破滅へ向かうかのような、狂気をも含んだクライマックスへ一気に突き進む。

 客席がその迫力に飲まれているのが手に取るようにわかる。


 富浦先輩が力強く拳を握り、最後の一音が止んだ後の静寂。

 我に返った客席から、まさに沸き上がってくるような拍手が起こった。

「ブラボー!」という歓声と拍手が、やがて「アンコール!」という声と手拍子に変わっていく。


 一度舞台袖にはけた富浦先輩がステージ中央に戻って一礼すると、これから始まる梅雨の時期にふさわしい『雨に唄えば』が始まった。


 ──────


 ステージが終わると、部員達は楽器をその場に残し、講堂の外へ猛ダッシュ。

 お客さん達をお見送りする。


 最前列に並んだ富浦先輩は多くの女子から「素敵でした!」「かっこよかったです!」などと握手を求められてご満悦だ。

 葉山トラちゃん先輩も中学生らしき女子から花束とファンレターを渡されて顔を赤らめている。


 鷹能先輩はというと、先輩のかっこよさと演奏に魅入られた沢山の女子がチラチラと熱い視線を送っているけれど、無機質な表情を崩さずに後ろの列の私の横に彫刻のように立っている。

 そんな先輩をチラ見しながら、私はちょっと優越感を感じてる。

 鷹能先輩の芸術的な微笑みは私だけのものだもんっ。


 ふと、通り過ぎるお客さんの中で、高校生らしき私服の男子と目が合った。

 見知らぬ人だけど、あちらが微笑んで会釈するから、私も軽く会釈した。

 すると、突然隣の鷹能先輩が私の肩を抱いてぐいっと引き寄せた!


「わっ!?」

 先輩の胸に頬が押しつけられて、私の顔がぶにゅってつぶれる。

 その様子を見ていた私服男子の顔が引きつった。

 ついでに鷹能先輩のことを見ていた女子学生たちからも「え~っ」と小さな声が上がる。


「先輩っ!いきなり何するんですか!?」

 恥ずかしさで真っ赤になりながら顔を上げると、無機質よりもさらにむっつりとした様子で鷹能先輩がつぶやいた。


「あの男は、ステージでダンスをしていた知華を客席からずっと見ていた奴だ。

 知華が俺のものだということをはっきり示しておかねばならない」


「もー、知らない人相手にヤキモチ妬きすぎですよっ」


 相変わらず私のことになると了見の狭さが出る先輩に、思わず顔がほころんでしまった。


 ─────


「本日の文化祭ステージ、お疲れさまでした~!

 大成功を祝して、かんぱーい!!」


 咲綾部長の乾杯の音頭が青雲寮のクラ部屋に響き渡る。

「かんぱーい!!」

 部員の皆が満面の笑みで紙コップに入ったジュースを高々と掲げる。


 テーブルの上にはOBの方々や3年生の先輩達が差し入れてくれたお寿司やデリがいっぱい並べられている。


「ああ、終わっちゃったなぁ。文化祭」

 私がぽつりとつぶやくと、隣に座った鷹能先輩も「そうだな」とうなずいた。


「大きなイベントが一つ終わったなぁっていう充実感と、寂しさを感じちゃいますよね」


 クラ部屋に集まった部員たちをぼんやりと眺める。


 チャラさ全開で盛り上げ役を買って出ている富浦トミー先輩。

 ステージでのソリスト達やパートリーダー達をねぎらってジュースを注いで回っている咲綾部長。

 箱ティッシュをテーブルに置いて鼻をかんでいる山崎先輩。

 クラ部屋の隅っこでさっきもらったファンレターをこっそり読んでいる葉山トラちゃん先輩。

 ボーイッシュな秋山先輩はパーカスの2年生の先輩たちと楽し気に談笑している。

 あゆむちゃんは小さすぎて見つけにくかったけど、小柄な体に似合わない旺盛な食欲でもりもりとお寿司を頬張っていた。

 うっちーは霧生先輩に肩を組まれて何やら話しかけられている。

 うっちーの顔はちょっと強張っているけれど、霧生先輩が笑顔だから、ポップスのドラムはまずまずの合格点をもらえたんじゃないのかな。


 初心者の私は本番の出番こそ少なかったけれど、みんなが一丸となって一つのステージを作り上げていく充実感と、合奏練習のたびに曲の完成度が高まっていく喜びを先輩達と一緒に充分に味わわせてもらった。


 鷹能先輩と出逢えたこと。

 青雲寮うんりょーと出逢えたこと。

 吹奏楽と出逢えたこと。

 仲間と出逢えたこと。


 今はすべてに感謝したい気持ちだ。


 文化祭ステージが終わると、来週からは夏のコンクールに向けて本格的に練習が始まる。

 3年生の先輩たちはコンクールで引退となってしまう。

 鷹能先輩のトランペットをこの青雲寮で聴けるのもあと少しなんだなぁ。

 そう考えるとなんだか今から寂しくなってくる。


「それに…

 青雲寮うんりょーでの先輩との合宿も、もう今日で終わるんですね…」


「知華はこの二週間の合宿はどう感じた?」

「楽しくて、幸せで、あっという間でした」

 目を細めて私を見つめる先輩に、私は笑顔で返す。


「料理や家事は先輩の主婦力に追いつけるよう頑張らないとですけどね!」

「知華が俺の家事能力に追いつけるだろうか」

「追いつくどころか、追い越してみせますっ」

 先輩にのせられて、またしても勝ち気なところを出してしまった。

 まんまとはまったなと言わんばかりにふふっと笑みをこぼす先輩がちょっと癪だけど、これはほんとにそう思ってる。


 いろんなことがあったけど、そしてこの先もきっといろんなことがあるけれど、先輩とならこれから先もきっとずっと幸せに暮らしていける。

 青雲寮での二人暮らしがきっとそのスタートになったんだ。


「俺もこの二週間は楽しかった。

 …と言いたいところだが、理性との戦いはかなり辛かったな」


 苦笑いの後で、先輩は優しい眼差しをまっすぐ私に向けた。


「俺も来週の成人の儀がすんだら実家に戻る予定だ。

 青雲寮での最後のひとときを知華と一緒に過ごすことができて幸せだった」


 先輩が幸せだって言ってくれて嬉しい。


 でも、青雲寮で暮らす鷹能先輩を見られるのも、あと一週間なんだ…


 そう思うとちょっと寂しい。

 なんだか先輩が少し遠くに行ってしまう感じがする。


「じゃ、私が先輩と朝の青雲寮でおにぎりを食べるのも来週で最後なんですね…」


 朝稽古の後に、静かな青雲寮で二人で食べる朝ごはん、すごく幸せだったんだけどな…。

 先輩が私から離れていくわけではないのに、ちょっとセンチメンタルな気持ちになってしまった。


「そのことだがな」

 センチメンタルな私の気持ちとは裏腹に、うきうきとした様子の鷹能先輩。

 こういうときって、なんかイヤな予感がするんだよね…。


「実は先日、実家の俺の部屋を隣の部屋とつなげて広く使えるよう、武本にリフォームの手配を頼んでおいたのだ。

 来週末には間に合わないかもしれないが、空いている部屋は他にあるし、当面はそちらを使ってもいい」


「は…い?」

 その意味するところは??


「成人の儀が終わって正式に婚約が認められたら、俺の実家で毎朝知華のおにぎりを食べたい」


「は…いっ!?」


 先輩は、さっと周りを見回すと、皆が盛り上がってこちらを見ていないことをいいことに電光石火の早業で私にキスをして微笑んだ。


「知華。

 これからは、俺の家に一緒に住んでくれないか」


「えええええーーーっ!!?」


 思わずあげた大声に、部員のみんながきょとんとした顔でこちらに視線を向けた。


 鷹能先輩はいつものようにやわらかい微笑みをたたえて私を見つめている。


 この芸術的な微笑みに、やっぱり私は抗えない、かも!!?



(おわり)

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