第6話 サムソンとデリラより『バッカナール』

「合奏練習始まりまーす」

 各部屋に聞こえるように誰かがふれまわっている。

「はーい」

 パーカス部屋の先輩たちも、スティックや楽譜を持って二階に上がる準備をする。

「見学したと思うけど、パーカッションの楽器は全部二階にあるの。

 今日は6月の文化祭用の曲を練習するから、よかったら見学していって」

「はい」

 私と内山田君は秋山先輩に連れられて二階に上がった。

 私たちが並んで上がってきたのを見た鷹能先輩は眉をひそめてちらりとこちらを見たけれど、すぐにまたトランペットを構えて練習を再開した。


 秋山先輩から、二階に並べられた大きな打楽器の紹介を受ける。

 小太鼓はスネアドラム、大太鼓はバスドラムというのね。

 ティンパニ、シンバルくらいは音楽の教科書で知ってる。

 あれは内山田君がやりたいっていうドラムセットだ。

 木琴はシロフォン、大きいのはマリンバ、鉄琴はグロッケンとビブラフォン…

 うーん。沢山種類があってけっこう覚えるの大変!


 パーカッションは曲によって使う楽器が違うし、専任の楽器というのもなくてみんながいろんな楽器を分担するそうだ。

 ただしドラムは男子の担当になることが多いらしい。

 内山田君にドラムを教えてくれるのは、3年男子の霧生きりゅう先輩ということだった。


「はい。じゃあ今日は『バッカナール』練習しまーす。

 昨年度の定期演奏会でも演奏してますし、まずは通しでやってみましょう」

 指揮台に立ったチャラい先輩が言う。

 指揮者の先輩を中心に、扇形にずらりと並ぶ先輩たち。


 数十人が一人の指揮者を見つめて様々な楽器を構える姿は緊張感があり圧巻だ。

 よく見ると、大きなチューバの陰にあゆむちゃん。

 彼女は経験者だから今日の合奏にさっそく参加するらしい。


 チューニングとかいう音合わせの後、指揮者が掲げたタクトを皆が見つめて空気が一気に張りつめる。

 緊張感の増す中で、時折ちーんという鼻をかむ音が聞こえる。

 トロンボーンの小柄な先輩が箱ティッシュ持参で参加していた。

 演奏中は鼻がかめなくて辛いんだろうな。


 チャラい指揮者の顔つきが別人のように変わった。

 真剣勝負を挑むような目つきだ。

 指揮者がタクトを振り下ろす。


 ジャン!


 という一斉の音の後にすかさず始まるオーボエのソロ。

 静寂の中に流れるエキゾチックな旋律。

 哀愁の漂うソロが終わると、耳に残るメロディが始まった。

 少しずつ音の重なりが増えていく。ティンパニやシンバルも入ってくる。


 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪~


 盛り上がったメロディが突然止み、タッタカタッタカ…というカスタネットの音だけが聞こえる。

 幼稚園のお遊戯で使う赤と青のカスタネットしか知らなかったけど、180度イメージが違ってかっこいい!


 ♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪


 また旋律が変わる。静かな音から少しずつ厚みを増して、迫力のある音へ。

 スピード感も増してきて、いやが応でも気分が高揚してくる。

 鷹能先輩たちのトランペットの高く硬質な音が緊張感を高めている。

 アラビアっぽいメロディアスな木管楽器のフレーズに、重低音の金管楽器の規則的なフレーズが奥行きをもたせて不穏な雰囲気を漂わせる。

 初めて聞くけれど、何かストーリーを感じさせる曲だ。


 ♪~♪~♪♪~♪~


 盛り上がった旋律が緩やかに減速し、やわらかく静かなメロディが始まった。

 ビブラフォンが柔らかい音色でいい仕事してる。

 パーカッションって要所要所でからんでくるんだな。音楽全体をドラマティックに引き締めてる感じ。

 情緒あふれる旋律にうっとりと目を閉じて聞き入ってしまう。


 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪~


 やわらかい部分が終わると再びスピード感のある旋律が戻ってくる。

 前半部分と同じメロディが繰り返される。

 盛り上がって、盛り上がって、スピードを増して…


 ♪ ♪♪♪ ♪ ♪♪♪ ♪♪


 そのスピードと静寂を一手に引き受けて響き渡るティンパニ!

 かっこいい!

 ティンパニの激しいリズムに中音のホルンが華やかなメロディを乗せる。

 続いて木管楽器とトランペットが重なるところでティンパニのスピードと音量がさらに増す。

 シンバル、トライアングル、カスタネット、バスドラムなどパーカッションも総動員で盛り上げる。

 終焉に向かって破滅を思わせるようなスピード感と音量、厚み、そして高揚。

 曲は最高潮に盛り上がったまま、ジャン!と終わった。


 その迫力に圧倒された。


 私は音楽をほとんど知らない。音楽の時間に聞かされたクラシックも退屈にしか思えなかった。

 でも、吹奏楽ってこんなにかっこいい曲を演奏するんだ。


 指揮者が振り上げた手を下におろすと、張りつめた空気が一気にゆるんだ。

 私は感嘆の深いため息をもらした。

 一緒に見学していた内山田君は頬を少し赤らめて小さく拍手を送っていた。


 後から秋山先輩に、この曲はサン・サーンスという人が書いた「サムソンとデリラ」というオペラの中の有名な一曲だって聞いた。

 簡単に言っちゃうと、ヘブライ人の英雄で怪力の持ち主サムソンが敵対するペリシテ人の美女デリラに惑わされて捕らえられてしまう。ペリシテ人が勝利の酒宴を開いているときに流れるのがこの「バッカナール」という曲で、最後には怪力を取り戻したサムソンがペリシテ人を巻き込み神殿ごと破壊して自らも死ぬ、という話なんだそうだ。

 だから最後はあんなに破滅的に盛り上がっていたのね。


 そして今、私は曲の余韻とともにもう一つの余韻に浸っている。

 合奏の中でトランペットを高々と上げて吹く鷹能先輩の姿が、写真のように心にくっきりと焼きついてしまった。


 前を見据える真剣なまなざしと端正な横顔。

 フェンシングの剣のように正面を突き刺すシャープで透明感のある音。

 私の胸が高鳴ったのは音楽のせいだけじゃない。

 私の頬を紅潮させたのはサン・サーンスじゃない。


 やっぱり吹奏楽部はヤバかった。

 鷹能先輩はヤバい人だった。

 今日一日で、私から帰宅部という選択肢を取り上げたという意味で。


 私が妄想の中で描いていたバイトしてカフェでお茶してっていうオシャレなハイスクールライフは、いつの間にか遥か彼方へ消え去ってしまっていた。

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