【短編】僕ではなくお姉さんの後輩
夜乃偽物
……夏の京都はダメでしょう。
八月。
七月の一連の事件が終わり、いよいよ本格的に受験勉強にいそしんでいた僕であったが、ここで一つ、問題が生じた。それは、僕が住まうこの京都の町の、異常なまでの蒸し暑さだ。
これは住んでいた人にしたわからないことだろうが、この町の暑さはとても性格が悪い。町中がサウナのようになり、吹く風すら熱風と化している。簡単に言えば、とても落ち着いて勉強のできる環境とは言えないのだ。特に、猛暑日が続く八月は。
そこで僕は、知り合いの大学生、『お姉さん』にお願いして、お姉さんが通う大学の図書室に連れて行ってもらうことにしたのだ。本来なら大学の図書室を一般利用するためには、年会費としてお金を支払わなければならないのだが、僕は身内のお姉さんの手引きの下、なんとか図書室に忍びこんだ。悪いことをするのは気分がいい。
静かで涼しい図書室で勉学に励む。隣にはお姉さんがいて、わからないことがあるとなんでも教えてくれる。周囲は海だなんだと騒いでいるが、僕には関係ない。地味だけれど、とても優雅で穏やかな日々が過ぎていった。
そんなある日。
「ねえ、アンタ」
「なんですか、お姉さん」
世界史の年表を確認していると、お姉さんが突然話しかけてきた。いつもなら、僕の勉強中にお姉さんが話しかけてくることはあまりないのだが、今日のお姉さんは普段よりそわそわしていた。その要因は、おそらく今日お姉さんが館内で拾った、京都観光ガイドのせいであろう。ならば、今からなにを言われるかは、大体予想がつく。
「最近アンタ、すごく勉強してるね。えらいえらい」
「ありがとうございます。ま、K大狙いですからね。念に念を入れないと。それもこれも、みんなお姉さんのおかげです」
「どーいたしまして。でもね、がんばりすぎるのはよくないよ。人間の集中力はそう長いこと続かない。根を詰めても、結果に繋がらないからね……」
「そうですねえ」
「そこで、これだ」
ガイドブックを僕に見せつけて、
「市街散策に」
「行かないです」
言わせる前に僕は返事をしてあげた。こう見えて、僕は親切な性格をしているのだ。
「……理由を、聞かせてもらおうか?」
「理由、ですか……」
そんなこと、訊くまでもないだろうに。
「まあ第一に。お姉さんの言う通り、最近僕勉強ばっかりしてますしね。いくら受験の夏だからって、少しがんばり過ぎてるかもしれません。模試の結果もA以下取ったことないですし、息抜きをするのは悪くないかも」
「そうだろうそうだろう」
「次に。お姉さんと一緒にお出かけ。これもいいです。僕、お姉さん好きですし、誘われればわりとどこにでも一緒に行きたいと思います」
「そうかそうか、今度からもっと誘ってやる」
「最後に。市街散策、これも文句ないです。この町で暮らせてもう十八年といっても、僕の行動範囲は狭いですからね。もっと色々見てみたいっては、昔から考えてました」
「うんうん」
「でもですよ」
僕は照りつける陽光を反射している窓に指をさした。
「……夏の京都はダメでしょう」
「……ダメかな」
さしものお姉さんも一度苦笑いする。地元に生きる者だからこそ、夏の市街には出たくないのだ。正直、夏に京都を観光する人の気持ちが、僕にはわからない。暑いぜ? 秋でいいじゃん。
「でもさあ、このガイドブックの案内がすごく面白そうでさあ。ほら、大徳寺、行ってみない?」
「大徳寺……バスで何でも通り過ぎてますし……」
「じゃあ金閣寺だ。ここを見ずして京都観光は語れまいよ」
「大学からバスで一本じゃないですか……特にプレミア感は感じないですね……」
「むう……」
にべもなく断る僕に、お姉さんは憤慨した。
「アンタねえ……そのものぐさな性格、ちょっとはどうにかした方がいいと思うよ? 大学で一人も友達できなかったらどうするの?」
「お母さんみたいなこと言わないでくださいよ。別に、大学は友達を作る場所じゃないでしょ。学び舎ですよ、学び舎。友達作りだとか、別にそれが悪いとは言わないですけど、だったら僕がどんな生活を送るのかも、放っておいて欲しいですね」
「ほう? なら、アンタは
「……あ」
しまった。
これは僕の負けパターンだ。
「そうかよ、いいよもう。アンタだって年増の女はお呼びでないんだろう? 面倒ばっかり呼び込んで、うっとうしいって思ってんだろう?」
「いえ、そんなこと––––」
「いいですいいです、もうほんと大丈夫なんで。別の人誘って行きますんで。さあて、
「ごめんなさい。僕はお姉さんがいないとなにもできない社会不適合者です。どうか見捨てないでください」
「……気持ち悪。プライドないの?」
「理不尽……」
結局言い負かされた。
友達が少ない奴は、こういう時辛い。
「よし、じゃあ今から行こうか」
「今からですか……」
スマートフォンを取り出し、時刻を確認する。時刻は午前十時。このぶんだと、昼食は外で食べることになりそうだ。お母さんに連絡をしておこう。
お姉さんはさっさと荷物をしまい、立ち上がって出口に向かう。僕はそれに着いて行く形で、急いで参考書をしまった。
「さて、それじゃあ最初は––––」
***
それから二時間ほどの間。
僕は、お姉さんとともに市街散策を敢行していた。市街を、観光していた。
外は予想通りの真夏日であり、僕みたいなインドア派の人間には致命とすら言えた。しかしまあ、日陰を選んで歩いたり、なんだかんだお姉さんとたわいもない世間話をしながら歩く道のりは楽しかったので、あまり暑さを感じずに済んだ。
一通り近所の仏閣を散歩していると、時刻は午前十二時となってしまった。いくら普段より涼しく感じるからといって、もう二時間も歩いている。お腹もそろそろ空いてきた頃合いだ。
「お姉さん、ご飯食べに行きません?」
「んあ? ……いいよ、何食べたい?」
若干不満そうにしながらも、お姉さんは同意してくれた。ちなみに、お姉さんは当然のように僕より意気揚々と散策を楽しんでいて、その額に汗はかいているものの、全然元気なようだ。なぜお姉さんがそれほど元気なのか、僕にはまるでわからないけれど、それももうどうでもいいような気がする。
お姉さんは全てが謎の存在だ。しかし、今確かに僕の隣で笑っている。それだけで僕は、別になにかをしたいとは思わない。思えないのだ。
がっつりしたものが食べたいという僕の要望に聞き入れ、お姉さんは僕を近所の洋食店に連れて行ってくれた。店内はお昼時ということもあり、わりと人が多かった。どこかに空いている席はないかときょろきょろしていると、
「……あれ?」
以前、どこかで見たことがあるような、既視感のある顔を見つけた。うなじが見え隠れするショートカット、物憂気にオムライスを口に運ぶ端正な顔。白いワンピースに紺のジャンパースカートを着た、綺麗な女性。しかし、僕はその女性を最初に見たとき、やはり以前初めて見たときと、同じ印象を感じた。
その女性は、誰しもに『この人は不幸になりそうだ』と思わせる、幸薄さが漂っていた。
僕が女性を凝視していると、女性の方も僕に気づいた。途端、ただでさえ暗かった表情を曇らせ、目を伏せてしまう。ちょっと傷ついた僕。
いやしかし、僕の方も彼女に話しかけていいものだろうか。僕と彼女を結びつけた『あの事件』は、僕の外道な手法で一応の解決を見た訳なのだが、それでもあの事件の経過と顛末を知った僕にとって、彼女は大分、触れがたい存在になっている。
そんな風に僕が、長い間会わなかった友人を見かけた時のようにスルーして席探しを再開しようとすると、
「あれ?
全く空気の読めないお姉さんが、彼女に相席を持ちかけしまった。
「あ……先輩、お久しぶりです」
お姉さんに呼びかけられた少女––––
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