実際に買って読んだ本を語る。
AranK
第1話 コンビニ人間とキラークイーン
突然アニメの話で恐縮なのだが、2016年現在、集英社刊、荒木飛呂彦作の『ジョジョの奇妙な冒険』第4部がアニメ化されている。
「日常に潜む脅威」を題材にしたこの作品は1992年から1995年にかけて連載され、作中には「吉良吉影」という殺人鬼が登場する。
彼はいたって真面目なサラリーマンとして社会に溶け込みながら、その実、殺人鬼のしての本性を隠して生活を続けている。
彼が志向するのは「平穏な日常」だ。殺人鬼としての抑えられない衝動を持ちながら、幸福に生きていこうとする。
その姿は社会的には異常・異質でありながらも、人間として幸福に向かっていこうとする点だけを言えば、けして間違っているとは言えない真理さえある。
『コンビニ人間』著者:村田 沙耶香 を読み終えた時、私は何故だかこの吉良吉影の「在り方」を思い起こした。
『コンビニ人間』の主人公はコンビニアルバイト、36歳、未婚女性だ。
彼女には幼いころからちょっとした個性があった。
あまりにも合理的に過ぎるきらいがあったのだ。
人間味に欠けるとも言える彼女は、彼女自身が「普通」ではない事を自覚するがゆえに、彼女なりに合理的な考えのもと、社会に溶け込む努力をしている。
着ている服は同年代が身に着けるものを。喋り方は同僚と同じような感覚で。
彼女にとって、均一なマニュアルのあるコンビニこそが「普通の存在」になる事ができる唯一の場所だと信じて疑わない。
18年同じ店に勤めていながら、社員になるでもなし、バイトリーダーになるでもないほどの彼女だが、仕事ぶりは至って真面目で、組織の人材としては正しい姿であるといえる。
そうした彼女がふとしたことから、妹や友人から「結婚はしないのか」「就職はしないのか」といった話題を振られることとなる。
36歳にもなってアルバイトを続ける彼女。
「普通」であるならば正社員として勤め、あるいは結婚して家庭に入っていてもおかしくない年齢だ。
何故、そうしないのか。
そうできない理由があるのか。
どうすればその理由は治るのか。
浮き彫りにされていくのは「普通」であるとされる人達の無遠慮さと傲慢さ、冷酷さだ。
この作品に登場する「普通である人達」のほとんどに「許容」が無いという点に驚かされる。
「普通の生き方」を口にする一方で、その実、そうした「普通」から外れた存在を認めようとしない。
異端に対して、異端である理由をこじつけようとし、どうすれば矯正されるかを押しつけようとする。
彼女はそれを、コンビニの秩序になぞらえる。
迷惑な客がいたら排除され、不穏な空気は払拭される。
不実なスタッフは排除され、誠実な仕事だけが店に残っていく。
コンビニと言う箱型世界は、異端を排除する事で秩序を保ちつづける。
彼女はそうした秩序の守り手でありながら、もうひとつの世界では異端者なのだ。
果たして、どちらが彼女にとって幸福であるのか。
人間味のない彼女が、責任ある立場を持ち、家庭を持つことが幸福であるのか。
老いていくまでコンビニで誠実に働き続ける事が幸福であるのか。
普通である人々と、彼女のような異端者。
本作品は「どちら側の人間か」によって評価が大きく分かれる。
彼女の考え方が理解できないという人もいれば、彼女はもう一人の私だ。と考える人もいる。
少なくとも現代社会においては、どちら側の人間も存在する。
そして、幸福な在り方とは何か。
「普通ではない」人間が幸福になれる居場所はあるのか。
芥川賞を受賞した本作品には、まさしく人間を問う「文学」において非常に揺さぶりをかけるものがある。
そして、こうした作品が評価される時代に「吉良吉影」がアニメとして放送される事に、何らかの啓示さえ私は感じてしまっている。
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