くもの巣キャンディー
洞貝 渉
上
くもが巣をはるように、私はキャンディーを売るの。
陸は飴売りの女の子の言葉を聞いた。
女の子は路かたに小さな折りたたみ机を置き、その上にくもの巣キャンディー入りの小さな袋を並べている。
くもの巣キャンディーはくもの巣の形をした小さな飴で、机の上に並べられた袋の中に数個ずつ入っていた。
「一つ、ちょうだい」
陸はポケットから代金を出して女の子に渡す。その時女の子が言ったのだ。
くもが巣をはるように、私はキャンディーを売るの。
「ふうん」
興味のないように呟くと、陸は小さな袋を受け取り、くもの巣キャンディーを一つ口に入れる。
ふわりと、甘い香りが口いっぱいに広がった。
陸は女の子に笑いかけ、おいしい、なつかしい味がするよ、と語りかける。
飴売りの女の子はうつむきがちにポツンと言った。
とうぶんの間、ここでくもの巣キャンディーを売ることにしたの。気に入ったなら、また、来て。
†
女の子は言葉のとおりに翌日も、その翌日も、その翌々日も、同じ場所に同じように小さな袋を並べていた。
陸は毎日一袋ずつ、女の子からくもの巣キャンディーを買う。お世辞ではなく本当においしかったのだ。
女の子はくもの巣キャンディーの入った袋をお客さんに渡す時、それが初めてのお客さんでも陸のようなお得意さんでも、必ずこう言った。
くもが巣をはるように、私はキャンディーを売るの。
ある人は陸のように、ふうんと無関心に相づちを打った。
またある人は不思議そうに、それはどういう意味ですかとたずねた。
またある人は神経質そうに、わけのわからんことを言うなと怒り出した。
飴売りの女の子はそのどれにも答えない。
くもの巣キャンディーを渡してしまったら、あとはうつむいてじっとしている。
おいしいよ、とか、また来るね、などと言えば、女の子はうつむいたままにありがとう、とか、待ってます、などと返した。
陸はいつも買ったくもの巣キャンディーを女の子の隣で食べた。
一個だけ食べて立ち去る時もあったし袋の中にある飴をすべて食べてもまだ女の子の隣に居座ることもあった。
陸はうつむく女の子の隣で、行きかう人々を眺める。
人々の中には時々、足を止めてくもの巣キャンディーを買ったり、ただ冷やかして行ったりする人もいた。けれどほとんどは女の子のことも、折りたたみ机に並ぶくもの巣キャンディーのことにも気がつかないようで、迷いなく歩いていく。
飴売りの女の子はくもの巣キャンディーを買ったすべての人に必ず言った。
くもが巣をはるように、私はキャンディーを売るの。
†
雨の多い時期になっても、女の子は毎日同じ場所にいた。
大きな傘で雨から商品を守り、女の子の方は、傘は差さずに合羽を着ている。
陸は相変わらず毎日くもの巣キャンディーを買い、飴売りの女の子の隣で飴を食べながら道行く人々を眺めた。
雨降りの日や今にも雨が降ってしまいそうな日は、行きかう人の量がぐっと減り歩調が速くなる。
陸は甘くてなつかしい味のするくもの巣キャンディーを含みながら、飴売りの女の子に話しかけた。
「よくやるね。こう雨が降ってちゃ、そんなに売れないんじゃないの?」
毎日やって来るお客さんがいるから。
ぼそりと、女の子は隣にいる陸にだけ聞こえるような小さな声で言う。
「おいしいからね、これ」
ふいに足早だった歩調がゆるんで、立ち止った。通りがかりの人は、折りたたみ机の上にある最後の袋を手に取る。
女の子は代金を受け取って、呟くように言った。
くもが巣をはるように、私はキャンディーを売るの。
†
飴売りの女の子が、くもの巣キャンディーを売っていなかった。
いつも飴を売っている所で、大きなリュックを背負い、うつむいて立っている。手にはガラスのビンが握られていた。
陸が近付くと、女の子はゆっくりと顔を上げる。ほおが腫れていた。
「それ、どうしたの?」
お世話になっていた家の人が……。
女の子はそれだけ言うとうつむいた。
「なにがあったのさ?」
女の子はうつむいたまま何も言わない。陸がもう一度たずねようと口を開きかけた時、聞き洩らしてしまいそうなくらい小さな声がした。
くもの巣キャンディーを作るくもがいて、それの入ったビンを、お世話になっていた家の人が壊してしまった。くもが一匹逃げてしまったので怒ったら、殴られた。
雨は降っていないが、雲が何重にもなって空を覆っている。
本当は、と女の子はビンを見つめながら一段と小さな声で言った。
本当は、このくもたちはみんな不良品として処分されるはずだった。でも、くもの巣キャンディーそれ自体には何の問題もないのに処分してしまうのはおかしいと思った。だからこっそりと、くもの巣キャンディーを作るくもたちを持ち出した。処分予定のくもが消えてしまって当然のように騒ぎになってしまったけれど、見つかって没収される前に生まれ故郷を出た。その時初めて、私は生まれ育った土地から出たの。以来ずっと、飴売りとしていろんな所を転々としている。
「ここを出て、また違う所に行くんだね?」
陸が確認するように言うと、女の子は小さくため息を吐いた。
くもが巣をはってその場に落ち着くように、私はキャンディーを売って一所に落ち着きたかった。なのにここでも、ここの前の土地でも、それ以前のどの場所でも駄目だった。
女の子は陸に、持っていたガラスのビンをつき出す。ビンの中には小さなくもが一匹、ひょこひょこと動いている。
先ほどとは打って変わり女の子はきっぱりと言った。
これ、くもの巣キャンディーを作るくもなの。一匹だけあげる。
「いいの?」
驚いた様子の陸に、いつも来てくれたからと小さく笑った。
陸がおずおずとビンを受け取ると女の子は言う。
くもが巣をはるように、私はキャンディーを売るの、と。
†
街から飴売りの女の子がいなくなった後も、陸は毎日くもの巣キャンディーを食べ、行きかう人々を眺めた。飴はいつ食べても甘く、なつかしい味だった。
様々な人が道を歩く。
たまに陸の目の前で歩みを止め、くもの巣キャンディーはもう売ってないのかとたずねる人がいた。
「飴売りの子は他の街に行ってしまったよ」
そう返して、持っているビンの中を確かめる。くもがビンの中で巣を作っていれば「飴売りじゃないけど、あるからどうぞ」とくもの巣キャンディーを渡すし、巣を作っていなければ「残念だけど、くもの巣キャンディーはないよ」と言って首を振った。
くもは一日に数個の巣をはる。陸はそれを全部一人で食べることもあれば、声を掛けてきた人に分けることもあり、翌日の分にと取り分けておくこともあった。
陸は毎日、道行く人々を眺めながらくもの巣キャンディーを食べる。
†
日差しが強く暑い日が続いた。
くもは一日に作るくもの巣の数をじわじわと減らしていき、時には丸一日、全く巣を作らない日もあるくらいだった。
陸は、くもが巣を作らない日にはガムを噛む。なつかしい味はしないけれど、なじみ深い味のするガムだった。
口をもごもごと動かしながら、陸は街の人々を眺める。
行き先を見すえ迷いなく歩く人々、ぼんやりとした表情で、まるで何かに誘い出されたかのようにふらふらとしている人たち、それから陸のことをじっと見ている男の子……。
男の子は陸と目が合うと、小走りで陸に近付く。
ねえ、あんた、いつもここにいるよね?
ソプラノの声で元気よく言う男の子。
「いつもじゃないけど、まあ、たいていはいるかな」
何やってんの?
「見てるだけだよ。歩いている人を見てるだけ」
見てるだけ? なんで歩いてる人を見るの?
「特に理由はないかな」
退屈でしょ?
「そうでもないよ。この人たちはみんな、一体どこに向かって歩いているんだろう? 一体このうちの何人がこの街から出たことがあるんだろう? なんてことを考えていると、あっという間に時間が過ぎているからね」
それって、暇ってことだよね? だったら一緒に遊ぼうよ。
「悪いけど、ここから動く気はないんだ。退屈してるなら友達のところへでも行っておいで」
男の子は口をすぼめた。陸はガムを噛みながら、視線を街の人々に戻す。
最近、なんか変じゃない?
口をすぼめたまま、男の子は不機嫌そうな声を出した。
「変?」
だってさ、ノラ猫とかスズメとか、なんか見かけなくなったしさ。
「ふうん」
たまに、すっごく甘い匂いとかするし。
「ふうん」
男の子は黙った。
陸もしゃべらない。ただ、道行く人々を眺め続けた。
しばらくどちらも口を開かなかったが、声変わり前の幼い声音で男の子が尋ねる。
何食べてるの?
「ガムだよ。食べる?」
男の子は陸からガムを受け取り、口に入れた。
「おいしい?」
まずい。ひどい味だよ、これ。
顔をしかめてすぐに吐き出してしまう。
陸は肩をすくめた。
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