農協おくりびと (68)伝説の、老農(ろうのう)

 老農の葬儀の日がやってきた。

消防自動車が、早い時間からさくら会館へ駆けつけて来る。

老農の本葬がはじまるのは、午前11時。

しかし。8時を過ぎた頃から、関係者たちが集まって来た。


 関係者の姿の中に、消防の制服を着た祐三と独身3人衆の顔がある。

万一にそなえ、地元の消防団員たちに出動命令が出たからだ。

今日は収容人員400人のさくら会館に、500人をこえる弔問客が集まる。


 公共の建物が、収容定員を超えるとき。

万一にそなえて、消防車と消防団員が配備される。

有事の際の避難誘導と、事故を未然に防ぐことが彼らの任務だ。

真っ赤な消防車と制服姿の消防団員を横目に、ぞくぞくと車が駐車場へ入って来る。

9時を過ぎた頃。長老が、ちひろの前にあらわれた。


 「今日は忙しくなるぞ」長老がニコニコと、ちひろのそばへ寄って来る。

「すでに消防車も待機しておる。

老農の最後じゃ。県下から、世話になった連中がどっと集まって来る。

500人から600人くらいは、集まるじゃろう。

入り切れるかのう。老朽化した、こんな手狭な会館に」長老が不安そうな目で

会館を、ぐるりと見渡す。


 「老農というのは、明治時代に使われた言葉でしょ?。

 今の時代。いまだにそんな古めかしい言葉が生き残っているのですか?」


 「おう。技術に秀でた農業指導者のことを、敬意をこめて老農と呼ぶ。

 老農は2度も、このあたりの農業を救ってきた男じゃ」


 「2度も救ってきた?。それって、かなり有名な話なのですか?」


 「なんじゃ。お前は、伝説の老農のことを何も知らんのか。

 勉強不足にも限度がある。まったくもって、呆れた奴じゃ。

 開墾と言う言葉を知っておるだろう。

 荒れ地などを耕し、あたらしく農地を切り開いていった事業のことじゃ」


 「屯田兵たちが北海道を開拓したという、あの開墾事業の事ですか?」


 「あれは維新直後の明治時代の話じゃ。

 ワシが言っておるのは、戦争に負けた、終戦直後のことじゃ。

 このあたりでも大規模に、開墾事業が行われた時代があった」


 「このあたりで大規模に、開墾事業がおこなわれたのですか?。

 へぇぇ・・・初耳です。本当ですか、そのお話は?」


 「郊外へ行くと畑のど真ん中に、大木が残っておるじゃろう。

 林のように木立が並んでいるところも有る。

 あれはこのあたりで開墾が行われたことの証明で、その名残じゃ」


 「たしかに、そんな景色を目にすることがあります。

 でもあれは、炎天下で働く農家の人たちが涼をとるため、わざわざ畑に

 植えたモノではないのですか?」


 「馬鹿もんが。農地のど真ん中へ、木を植える道楽者がどこにおる。

 このあたりは真冬になると、木枯らしが吹き荒れる。

 放っておくと表面の土が吹き飛ばされて、農地が荒れる。

 それを防ぐために、防風林がつくられておった。

 横幅が2キロ。南北は10キロを超える、大きなものも有った

 防風林とは異なるが、広大な面積をもつ平地林が町の北部に有った。

 このあたりには、防風林と、平地林の広大な原野が有ったことになる。

 だが終戦直後に発生した食糧難を打開するため、政府が緊急の政策を発動した。

 防風林と平地林がつぎつぎ開墾され、いまのような畑が作られた。

 畑の中に残っているのはその当時、伐採されず、生き残った木々たちじゃ」



 「え・・・食糧難の時代が存在したのですか?。

 終戦後の、この日本に?」


 「お前。農協へ就職したくせに、農業に関しては、まったく何も知らんのう。

 その程度の知識で、老農を送るとは、おこがましいにもほどが有る。

 そこへ座れ。まだ少々時間がある。

 ワシがお前に老農の生き方を、少しばかり教授してやろう」



 (69)へつづく

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