序章

「ここ重要だぞー。テストに出るからなー」


 打海うつみ高校の1年1組の教室では、数学Aの授業が行われていた。中年くらいの長身の教師が教壇に立ち、生徒たちの前で確率の問題の解き方を教えている。


 生徒たちは真剣に聞いている者、眠そうにしている者――と様々であったが、教室の中は生徒たちがノートに書く時のカリカリという音がよく聞こえるくらい、シンと静まっていた。


 そんな1年1組の教室の中に、髪の色のせいで教室内でひときわ目立つ――金髪を頭の後ろの高い位置で結んでいる女子生徒がいた。


 彼女は自分の机の上に何も出さずに、頬ずえをついて不機嫌そうに黒板を睨んでいたが、机の横にかけてあるかばんを手に取ると、突然立ち上がる。


 ガタンという大きな音が静かな教室に響き渡り、教室中の視線が彼女に注がれる。彼女はそれに一切動じることなく、教室の一番後ろまでスタスタと歩いていく。


「おい……霧野」


 教師が彼女――霧野きりの由希ゆきに声をかける。霧野はそれを無視し、廊下へ出る扉を開けようとする。


「どこへ行く! 席に戻りなさい!」

 教師が先ほどよりも少し声を荒げて霧野に注意する。


 霧野は扉に手をかけると同時に立ち止まり、教師の方を向いて凄みのある鋭い目つきでギロリと睨む。

 その目つきの威力に教師はひるんで思わず一歩後ろへ下がり、それ以上は何も言えずに石のように固まっている。


 霧野はくるりと扉の方に向き直り、無言で扉を開け、外に出ると扉を勢いよく閉める。

 ガラガラ……ピシャッ‼ という大きな音が教室中に響く。


「こえ~~~っ」


 髪のハネた茶髪の男子が、霧野の出ていった方を見て大声で言う。それを皮切りに、先程まで静かだった教室が急にざわめきだす。


「また無断で早退……?」

「やっぱ不良っぽいよなぁ霧野さん……」

「物静かで、口喧嘩するタイプの不良じゃないけど、あの目つきと威圧感は……ぜってぇヤバイことしてるよなー」

「俺、あんな目つきで霧野に睨まれたら……」


 それまで霧野の目つきの威力に固まっていた教師は、ハッとした様子で我に返る。


「静かに! 授業続けるぞ!」

 ざわめいている生徒たちに向かってそう言うと、教師は何もなかったかのように授業の続きを始める。


 やがて徐々にざわめきはおさまってゆき、先ほどの静かな教室に戻った。


「…………………」


 教室の真ん中あたり――霧野の後ろの席に座っている、サラリとした黒髪の、色白で細身の男子生徒――佐々木ささき優人ゆうとは、おそるおそる霧野の出ていった扉をちらりと見て、ごくりと唾を飲み込んだ。




 霧野は、スタスタと長い廊下を歩いている。


 そんな中、廊下の壁にある掲示板に貼られている一枚のポスターが、ふと霧野の目に留まる。

 そこには「急募! 吹奏楽部入部希望者! 小編成になるのを防げ!」というタイトルで、吹奏楽部が人数不足のため入部して欲しい旨が書かれてあった。


「……知るかよ」

 霧野はそう呟くと掲示板から目を離し、再びスタスタと廊下を歩いてゆく。



 一階の玄関にある靴箱まで辿り着くと、自分の靴箱からかかとがすっかり踏み潰されているスニーカーを取り出して、それに履き替える。


 そして校舎から出ると、太陽が眩しくて霧野は思わず目を細める。


「はー……つまんねーな…………」


 霧野は雲ひとつない、どこまでも青い空を見上げ、ぽつりと呟く。


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