さるすべり

凸助

第1話 地べたに乾杯



-2年前-


医者「症状から見て、鬱病で間違いないでしょう。不眠の症状があるようなので眠れるお薬と、あと気持ちが落ち着く薬も出しておきますので」


「っえ、鬱病…ですか」


医者「ええ、でもまあそんなに落ち込まないで。貴方と同じような方は意外に多いんですよ、また来週あたりにカウンセリングをかねて診察しましょう」


「は…はい、わかりました」


私は椅子から立ち上がると担当医の先生に軽く会釈をし、言われた通りに受付で次回の診察の予約をし、その受付の女性に言われた通りに病院の向かいにある薬局で薬を受け取った。


病院の駐車場に停めておいた車に戻ると不思議と涙が溢れてきた。


秋の乾いた風の音が半開きの車のドアから入ってきていたが、この時の私には自分の嗚咽まじりの鳴き声さえ耳に届いてはいなかった。

この時の私はまだ、自分の中にある理想的な人生という名の木の枝に必死に喰らい付いていたのだろう。



-現在-


8月25日 上野公園-


…ミーン・ミンミン…ミーン…


蝉達の鳴き声がやけに耳につく。

日陰に居てもジリジリと焼かれたこのコンクリートジャングルの暑さからは逃れられそうにない。


あぁ、クーラーの効いた部屋で大の字になって

寝転がりたい。

そんな思いが今日一日で何回よぎっただろうか…

鬱病を宣告されてから早2年。


気付けば私は世捨て人になっていた。


「おーい、たけちゃーん!こっちおいでよわ良いのが手に入ったぞ〜」


少し離れたベンチから大きく手を振り私を呼んでいるのは私の家(段ボールハウス)の隣に住んでいる坂本(さかもと)さん43歳(自称)だ。


見た目は頭は禿げ散らかり、歯はボロボロで身体もこんな生活なのに肥えているが体臭にだけは人一倍気を遣っていて、どこで手に入れているのか消臭スプレーを定期的に持ち帰って来ては毎日それを使いケアをしている変わった人だ。


「ほらっ、お前タケちゃん呼んでこいよ」


「っはい、タケさーん!坂本さんが廃棄のお弁当仕入れて来てくれたんで一緒に食べましょうよー」


坂本さんに指示されてこちらに駆け寄ってくる彼は佐々木 圭一(ささき けいいち)くん、見た目からして恐らくまだ二十歳かそこいら、どんな事情でホームレスになってしまったのかは私達の決まりで聞いてはいないがきっと家出なのだろう、彼は一時的に私の家に一緒に住んでいる。


「毎回すいません、ご馳走になってしまって。僕、部屋にお茶あるんで取って来ますよ」


坂本さんには此処に来てからというもの本当にお世話になっている。


「いーのいーの、飲み物ならここにあるからさ」


そう言うと坂本さんはビニール袋の中からスッと缶ビールを取り出し、驚いている私と圭一くんの前でくいっと飲んで見せた。


「ぷはあ、あんたには命を救ってもらった恩があるんだから、だから何も気にしないでさ、食べて食べて」


缶ビールなんてどうやって手に入れたのだろう?疑問に思ったがきっと聞いたところで教えてくれるはずもない。


「缶ビールなんてどうやって手に入れたんですか?」


配られた缶ビールを握り、笑顔で圭一が聞いた


「それは企業秘密なんだよねえ」


あまりに予測どおりの答えだったので思わず笑みがこぼれた。


「それより乾杯しようよ、乾杯!

じゃあ、いっくよー、かんぱーい」


圭一「か…かんぱーい」


岳本「かんぱい」


人で賑わう上野公園の片隅で、人の目を気にせずに昼前から飲む酒は


意外にも美味しかった…


岳本 孝(たけもと たかし)30歳 鬱病 ホームレス

今日は良い日になりそうな気がした。








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