第105話 ニーナの闇

 それは、《トレイター保安官事務所》が所有するシャーロット号の居住区画キャビン――広々としたフロアのおよそ3分の1が長方形のテーブルとソファーのセットが置かれた応接室のような空間で、残りが、強いこだわりが感じられる木の風合いが生かされたレトロな酒場バーのような空間――で行われている打ち上げ会での事。 


「ニーナ、ちょっといい?」


 ずっと気になっていた事を訊こうと、話を切り出すタイミングをうかがっていたフィーリアが、思い切って声を掛けた。


「はい。なんですか?」

「ニーナって、ものすごく強くなっていたけど、ランスくんからどんな指導を受けたの?」


 この短期間で恐るべき成長をげた竜飼師の少女から、強くなるための手掛かりヒントが得られれば、と思い、質問すると、


「あっ、それ、あたしも気になってたんだよッ!」


 ティファニアがそう言いつつ二人に近寄り、レヴェッカとクオレもまた興味を示し――


「どんな、って……、ランス先輩は、〝竜飼師ドラゴンブリーダーが最低限につけておくべき事〟って言って――」

「――是非ぜひくわしく聞かせてほしい」


 エレナが、その話題はなしすさまじい食い付きを見せ、シャリアも、すでいくつも常識をくつがえしてきた竜飼師が考える『最低限身につけておくべき事』に興味を示している。


「じゃあ、ちょっとこっちで話をかせてもらいましょうか」

「え? えぇっ?」


 レヴェッカとティファニアによって、逮捕された被疑者のように応接セットのほうへ連行されていくニーナ。ぞろぞろとその後に続く、フィーリア、クオレ、エレナ、シャリア。


 ちなみに、心置きなく双子を迎えに行ってやれると安堵していたエルネストも、非戦闘職だと言いながら凄まじい戦いぶりを見せた後輩のほうの竜飼師の話に興味はあったが、その中に混ざる度胸はなく、先輩のほうの竜飼師のとなりの席にすわったまま耳をそばだて、ランスは、甲斐甲斐かいがいしく幼竜達が食べやすい大きさにフォークとナイフで料理を切り分けつつ自分の口にも運び、ゼロスは、シャルロッテロッテに、飲んでばかりいないで少しは固形物ごはんもお腹に入れてください、と食事をすすめられていた。




「それで、ランスが考える〝竜飼師ドラゴンブリーダーが最低限身につけておくべき事〟とは?」


 ニーナは、待ちきれないといった様子でそう問うエレナを始め、レヴェッカ、ティファニア、フィーリア、クオレ、シャリアにかこまれて、腰を下ろしたソファーの上で委縮いしゅくしつつ、


「〝捷勁〟〝流纏〟〝疏通〟〝根張〟〝調質〟の五つです」

『――〝調質〟?』


 それは、捷勁法に限らず、自身の霊力の波長を調整する技法の総称。精緻をきわめる制御によって、他者の波長と同調させる、または、二つ以上の霊力が反発し合わないよう触媒のようにもちいて融和させる高等技術。


 思いがけない、または聞き覚えのない技名に、数名が困惑の声をそろえ、


「医療系法呪、それに、呪化合金に精霊石を象嵌ぞうがんするような高度な鍛冶や細工などで必須ひっすとされる技法だけど……」


 それについて説明したフィーリアも、何故それが竜飼師にとっても必要なのかまでは分からないらしい。


「〝調質〟でキースと霊力の波長を同調させて、〝疏通〟と〝根張〟でしっかりつかまるんです。だから、私は、高速で飛び回るキースの背中に、くら手綱たづななしで乗っていられるんです」


 例えば、〝発勁〟は勁力をはっして相手に打ち込む必殺技。ランスは、要救助者の傷口を縫合する際、意図的に〝調質〟を行わず微量の霊力を送り込む事で、局所麻酔のように感覚を麻痺まひさせる。


 このように、他者の霊力が打ち込まれるというのは、毒を注入されるに等しい危険な行為。


 それゆえに、もし〝調質〟を行わずに、霊力をとおして意思をかよわせる事でみずからの手の延長とする〝疏通〟や、足から根を張るように霊力を通す事で、悪い足場で体勢を安定させたり、壁に立ったりする事ができる〝根張〟で、その背に張り付こうものなら、キースにひどい不快感を与えてしまう。


 だからこその〝調質〟だと聞いて、保安官側は感心しきりといった感じだが、竜飼師側は、それをはるかに通りし、驚愕のあまり言葉も出ないといった様子で目を見開いている。


 そして、そんな二人の様子に気付いたニーナは、不思議そうに首をかしげつつ、


「〝調質〟なしに、どうやって〝人竜一体〟になってるんですか?」

「〝人竜一体〟ッ!? いや、どうやって、って……」


 エレナが戸惑う一方、シャリアは、困惑とあきれが半々といった様子で、


「あのね、ニーナ。〝人竜一体〟っていうのは、騎乗の極意。聖竜騎士団でも、体現していると言えるのはトップクラスのほんの数名しかいない――そういう次元の境地なの」


 その説明と、だからできて当然みたいに言わないで、という言外の抗議に、ニーナは、そうなんですかッ!? と心底驚いた様子で、


「で、でも、ランス先輩は、『それができなければ、〝運んでもらっている〟だけで〝一緒に飛んでいる〟とは言えない』って……」


 自分がどういうレベルの技術を要求されていたのかを初めて知ったニーナ、極意が『最低限身につけておくべき事』ってどこまで非常識なんだと呆れ返るエレナとシャリア、それにられるようにしてレヴェッカ達が、同じほうへ目を向けると、〝再来の勇者〟や魔王候補、〝血道の主ブラッディロード〟〝エゼアルシルトの死神〟…………数々の異名で恐れられる槍使いの竜飼師は、ひなえさを与える親鳥のように、あーん、と甘えて順番に口を開ける幼竜達の世話を焼いていた。




「でも、その〝調質〟じゃ、殺しの専門家プロのころしやに勝てないだろ?」


 そう言い出したのはティファニアで、


「いったいどんな修行をしたら、五ヶ月そこそこで、そこまで強くなれるんだ?」

「強い? 私って強いんですか?」

「そりゃあ強いだろ。少なくとも、武器を持って襲い掛かってきた殺し屋共を無傷でなぐり倒すなんて、ただのか弱い乙女おとめにできる事じゃない」

「そっか……、私って強かったんだ……」


 そんな事をひとちつつも、いまいちピンときていない様子のニーナに、ティファニアが先ほどの質問を繰り返すと、


「スピア先輩達のお散歩に物狂ものぐるいでついていく以外は、大樹海のおうちでハンバーグの下準備をしたり、薮蚊やぶかを駆除したり、はちを巣ごと駆除したりしてました」

『…………』


 ある者は、あからさまに、何言ってんだこいつ、とでも言いたげな表情を浮かべ、ある者は、冗談か本気かをはかりかねているらしく眉根を寄せ、ある者達は、困惑顔を見合わせている。


 そんな反応を予想していたニーナは、表情こそ笑っているようだが、目は完全に死んでいて……


「まぁ、そうですよね。実際に行ってみなきゃ理解できわかる訳ないんですよ。若いドラゴンをえさとしか見做みなさないような化け物がうようよしてる大樹海で、一日を無事に生き抜くのがどんなに大変かなんて……」

「ニーナ?」

「ハンバーグもね、量がおかしいんですよ。小さな家一軒いっけん分くらいある巨大な怪物モンスターの肉のかたまりを二つに分けたら、半分は二本の肉切り包丁クリーバーナイフ微塵切みじんぎりにして、半分は二本の棍棒でたたつぶすんです。俎板まないたの上に乗る大きさに切り取っては切りきざんで、適当な大きさに切り取って革袋に入れたら丸い岩の上に置いて滅多打めったうちにして、切り刻んで、叩き潰して、切り刻んで、叩き潰して…………ふふっ、メチャクチャ大きいからいくらやっても全然減らないんです。だから、いつまでもいつまでも……いつまでも肉の塊を――」

「――ニーナッ! ニーナッ!! こっちを見てッ! 私が誰か分かる?」


 まるで狂的猟奇殺人鬼サイコパスのような、かたる様子と言っている内容に、エルネストをふくむ六人が洒落しゃれや冗談ではなく怖気立おぞけだってふるえ上がる中、本気で心配になった保安官レヴェッカがニーナの肩をって我に返らせた。


 ニーナは、もうみなさん大袈裟おおげさですよぉ~、と笑っているが、他は誰も笑えない。


大樹海あっちでは本当にもう何もかもが大きくて、藪蚊だって思いっきり広げたてのひらよりも大きいんです。そのせいで血をうためのはりも注射針よりふといから、されるとメチャクチャ痛いんですよ? そんなデカくて気持ち悪いのが四方八方かられで襲い掛かってくるんです。先輩は、むらがられても針を刺される前に〔雷と稲妻の鎚矛ペルーン〕で叩き落せば問題ない、って言うんですけど、もの凄い速さで不規則に飛び回りながら押し寄せてくるあの耳障みみざわりな羽音はおとが……羽音がぁあああああああァ――~ッ!!!?」


 ガタンッ、と勢い良く立ち上がるなりさけんで打ち震えるニーナを、隣に座っていたレヴェッカが咄嗟とっさに立ち上がって抱き締めた。耳元で、大丈夫、ここはリルルカだから、そんなものはいないから大丈夫よ、と優しい声で言い聞かせる。


 この時、他の面々は、完全にビビり散らしていた。そんじょそこらの怪談噺かいだんばなしよりはるかに怖い。


「ハァ…ハァ……ハァ………ハァ…………あの不快な羽音って、駆除し終わった後もしばらくの間、耳の奥に残るんです。それが不意によみがえってきて……。すみません、取り乱してしまって……」

「いいの、気にしないで」


 二人はソファーに座り直し、ニーナは、落ち着きを取り戻した――かに見えたが、


「藪蚊だけじゃなくて、蜂も大きいんです。蜜蜂みつばちはだいたい私の頭より少し大きいくらいなんですけど、駆除しなきゃいけないオオスズメバチみたいな肉食の蜂は、私と同じぐらいのサイズがあって、自分より大きな怪物モンスターに図太い針で毒を打ち込んで麻痺させたら、巣に持ち帰って、凶悪なあごで食い千切って、丸めて、肉団子ハンバーグにするんですけど…………ふふっ、奴ら、私の事もハンバーグにしようと襲い掛かってくるんですよ? だから、やられる前に、私が、奴らを全て、片っ端から、ことごとく、一匹残らず、叩き落して、叩き割って、叩き潰して…………ふふふっ、ハンバーグにしてやるんです」


 笑うニーナの暗くしずんだ瞳は、ここではない何処どこかを見据えていて…………もう誰も、戦慄するばかりで何も言えなかった。


 ただ、話を聞いて分かった事はある。


 初めて、剣で敵を斬り殺した、銃で犯人を撃ち殺した…………その時の感触が手に残って長く引きずる心の傷トラウマになる、という話は枚挙まいきょいとまがない。軍人、保安官、スパルトイなどであっても、それがきっかけでめてしまったり、カウンセリングを受けるなどして克服につとめたり、経験を重ねて慣れてしまうまで苦しみ続けたりする。


 しかし、ニーナは、人と戦うのは初めてだったと言っていたが、鎚矛メイスで人をなぐり倒した後もケロッとしていた。


 それは、既に、肉を潰し、外骨格ほねを砕く感触に慣れ親しんでいたからだったのだ。


 それに、〝粉砕〟と〝割断〟の異名をとどろかす壊し屋兄弟、その多くの敵をほふってきた前後左右から迫る高速コンビネーション攻撃を、全くあぶなげなく、叩き落とし、打ち上げ、なしてさばけたのは、大樹海で藪蚊の群れを駆除した経験があったからこそ。おそらく、それと比べれば、壊し屋兄弟の手数てかず速度スピードなど、たいした事はなかったのだろう。


 ほんの五ヶ月前までは、絵を描くのが好きな、どこにでもいる少女だった――そんなニーナを、〝人竜一体〟の極意を体現する一流の竜飼師に、そして、プロの殺し屋を無傷で殴り倒す撲殺魔に変えてしまった。


 真に恐るべきは、大樹海の環境か、それとも、ランス・ゴッドスピードか……




 ――それは突然の事だった。


「こんにちわぁ――――~っ!!」


 その声は、怪談噺が行われている会場のごとく静まり返っていたキャビンに響き渡り、女性陣が、ビクゥッ!! と躰を震わせたり、ギャ――~ッ!? とあられもない悲鳴まで上げたりつつ反射的に振り返って、いったい何事かと異変の正体を突き止めるべく視線を素早くめぐらせる。


 すると、丸テーブルの上で、四つ足をピンッとばした絵になる立ち姿すがたで天井の一角をじっと見据えているフラメアを発見し……


「……まさか、――幽霊ゴーストッ!?」


 直前までの場の雰囲気がまさに出そうな感じだったから咄嗟とっさにそう思ったのか、ランス、他の幼竜達、ニーナをのぞき、修得している者達がなかば反射的に目に霊力を集中してそこを【霊視】してみてみた…………が、何も確認できない。


「…………何かいる?」


 フラメアは、まだ、身動みじろぎもせず一点を見続けている。


 ティファニアがそう訊くと、フィーリアは首を横に振り、ほかとも視線アイコンタクトで確認し合うが、返ってくるのは困惑ばかり。


「大丈夫ですよ」


 そんな中、そう言ったのはニーナで、


「フラメアちゃんは時々こういうことがあるんです。でも、ランス先輩も気にしてないので、たぶん、すごく小さな虫とか、天井や壁にあった三つの点が顔に見えたとか、――そう言うことですよね?」


 そう問われたランスは、グラスを片手に平然と、


もっとも空間の把握と自身を中心とした一定範囲内の精密探査にけたフラメアが『いる』と言うなら、いるんだ。――そこに〝何か〟が」


 え? とこおり付くニーナ。


 急に、今までにも増して不穏な空気が漂い始め……


「……な、なな、何か、って何?」


 代わりに戦々恐々としているレヴェッカが訊くと、


「害意のない何か。それ以外の事はフラメアにも分からないそうです」

「分からない、って……ランス君は気にならないの?」

「敵でないのなら、何であろうと構いません」


 話している当人と幼竜達以外は、納得しかねると言いたげな顔をしていたが、何の前触れもなく、動きを止めていたフラメアがきびすを返し、興味を、皿に盛られている料理にうつした。


 それを見て、一同は、その〝何か〟は去ったようだと察したが……


『…………』


 薄ら寒い不穏な空気はってくれず、居心地の悪い沈黙が続く中、幼竜達のおしゃべりや飲み食いする音だけが妙に大きく聞こえ……


「……あ、あのっ!」


 耐えかねたように声を上げたのはロッテで、


「お料理っ、まだたくさんありますからっ!」

「そ、そうねっ! ――あっ、そうだッ! じゃあもう一回乾杯しましょうッ!」


 その後、レヴェッカの乾杯の音頭おんどを皮切りに、女性陣が心を一つにして、必死に打ち上げ会を盛り上げ始めた。




 料理は出尽でつくして残るはテーブルの上に並ぶものだけとなり、ジュークボックス――硬貨を入れて選曲ボタンを押すと自動的にそのレコードが掛かる演奏装置――から流行はやりの曲が流れ、幼竜達とロッテにどうしてもとわれて、ランスとゼロスが、交互に壁に掛けられているまとにナイフを投げて得点をきそい、一投ごとに歓声や拍手が上がり…………始めのほうはどうなる事かと思ったが、結局、打ち上げ会は騒々そうぞうし過ぎない程度の盛り上がりを見せている。


 そして、的当てゲームの決着がつき、途中から、金がからないと本気が出ない、と言い出したゼロスが、次は勝つ、という言葉と丸テーブルの上に賭け金を置いてキャビンから去って行った後、


「ニーナ、ちょっといい?」

「はい。なんですか?」


 既視感をおぼえるやり取りを始めたのは、カウンターテーブルの前に並ぶスツールに並んで腰かけていた、フィーリアとニーナで、


「ニーナがした修行の話なんだけど……」


 言葉にするなら、先程の二の舞を演じるつもりかッ!? といった感じの非難の視線を複数感じつつも、自分達もまた成長しつよくならなければならない、そのために必要な事だから、と使命感にもた想いとおさえきれない興味から、それらを無視スルーし、


「始めから、その……ハンバーグを作ったり、大樹海の蚊や蜂を駆除したりしていた訳じゃないんでしょう?」

「あっ、はい。最初の一ヶ月くらいは、〝捷勁〟の呼吸法だけで良い、って言われて、朝から晩まで何をする時もずっと、それだけをやり続けてました」


 そう語るニーナは、穏やかなまま。あの撲殺魔が目覚める気配はない。


 フィーリアは、ひとまず、ほっ、と胸を撫で下ろした――が、


「で、意識しなくても体内での霊力の循環を維持できるようになったら、今度は〝流纏〟、次は〝疏通〟…………そうやってどんどん追加していって同時にできるものを増やして――」

「――ちょっと待って」


 なんでもない事のように語られた内容に違和感をおぼえ、少し待ってもらって今の話を思い返し……


「……同時に? それって、一つ一つ技を修得していった、って事じゃなく、まずは〝捷勁〟だけ、次は〝捷勁〟に加えて〝流纏〟、その次は〝捷勁〟と〝流纏〟に加えて〝疏通〟、って事?」


 ニーナが、何に疑問をおぼえているのか分からないといった様子で、はい、と答えると、


「そんなこと可能なのか?」


 そう言ったのは、ティファニア。


 スピア、パイク、フラメアやキースは、ごしゅじんがいい、とか、自分がそうしたい時に食べたり飲んだりするからいい、と嫌がるが、ピルムは、スプーンやフォークで料理を差し出すと、ぱくっ、と食べてくれるので、ずっとにっこにこでエレナと交互に料理を食べさせていたのだが、話は聞いていたらしい。


「捷勁法ってのは、必要に応じて即座に技を切り替えるもんだろ?」

「複数の技の要素を含む『応用技』や、基本技を維持しつつ一部を変化させる『派生技』は存在するけど、同時に複数の技を個別に制御・維持し続けるなんて……」


 少なくとも、そう口々くちぐちに言うティファニアとフィーリア、それに、興味を引かれて寄ってきたレヴェッカ、クオレ、シャリア、遠巻きに様子をうかがっているエルネスト、ピルムにご飯を食べさせる手は止めないエレナの認識は同じだった。


 しかし――


「できますよ。現に、私でも、〝捷勁〟〝流纏〟〝疏通〟〝根張〟〝調質〟の五つなら同時にできます」


 一同にしてみれば、それだけで十分驚愕にあたいする内容だったが、


「ランス先輩なんて、それ以上のことを当然のようにやってますよ?」


 そう言われてしまうと、そうなんだろうな、と妙に納得してしまい、そんな訳ないだろうといった否定の言葉は誰の口からも出てこなかった。


「でも、どうしてそんな事ができるんだ? 同時に複数の技を並列で制御なんて、一つのあたまでできる事じゃないだろ」


 そう素直に疑問を口にしたのはエルネスト。


 修行を始めたのは保安官養成学校に入学しはいってからなのでまだ日は浅いが、自身もまた捷勁法をまなぶ者。だが、教官からそんな事は教わっていないし、自分にそれができるかと問われたら、答えはいな


 それ故に、得心とくしんがいかず……


「どうして? って言われても…………私は、ただ〝やれ〟と言われたことをやってきただけなので……」


 これまで何の疑問をいだく事もなくただただ教えにしたがってきたニーナは、今さっき指摘されるまで、捷勁法とはそういうものなのだと思っていた。


 それ故に、答えられるはずもなく……


『…………』


 一同の視線は、当然のように、後輩を指導した先輩竜飼師のほうへ向けられた。




 現在、丸テーブルの上では、ピルムが、自分で食べたり食べさせてもらったりしながら、はぐはぐと急がずあわてずゆっくりよくんで料理を味わっており、パイクとキースは、グラスを傾けて一口ふくんでは、酒の深い味わいと香りとその余韻を楽しんでいる。


 姿が見えないフラメアは、ごしゅじんのロングコートのフードの中。丸テーブルの脇に置かれた椅子に座っているランスは、そのすこやかな寝息を聞きながら、自分のひざの上で丸くなってうとうとしているスピアを優しくでつつ、テーブルの上の幼竜達の様子もうかがって、表面上は普段と変わりなくとも心穏やかな時をごしていた。


「ねぇ、ランス君」


 そこに声を掛けたのはレヴェッカで、


「本当に、今ニーナが言っていたような事が可能なの?」


 そう訊く。


 それに対してランスは、


「…………」


 即答はせず、ふと上向うわむいて、どう答えたものかと思案し始めた。


 耳に届いていたこれまでの会話の内容からこの質問をした意図いとを察するに、それが可能か否かという端的な回答では満足しないだろう。


 何時いつの日か、ニーナも後輩を指導する立場になる。それを想定し、見聞きしたものや修行の内容などについて、口止めはしていない。故に、知られたところで支障はないが、みずから手の内を明かすつもりもない。


 ならば、どこまでを、どう伝えるか……


 ランスは、天井てんじょうに向けていた視線をテーブルの上へ移し、ピルムが食べる速度と残っている料理の量を見ながら話す内容を頭の中でまとめ……


「捷勁法の基礎は、体内の霊力を制御して自身を強化する〝捷勁〟と、体外へ放出した霊力を制御する〝流纏〟、この二つ。ほか全ての技はこの二つの応用であり、極論、この二つを突き詰めていけば全ての技を会得えとくする事ができる」


 そうべてから更に、だからこそ、と続けて、


「今の自分よりも強くなる事を望むのなら、そのために何をすれば良いのか分からないのなら、この二つを、特に〝捷勁〟の習熟につとめる事をおすすめします。何故なら、質問されたそれは、可能ですが、今のみなさんには不可能だからです」


 それを聞いて、数名が口を開こうとしたが、


「ごちそーさまでしたっ!」


 ちょうどその時、出された料理を奇麗にたいらげたピルムの、他意のない満足そうな声が響き渡った。


 それが機先を制する形になって更なる質問をはばみ、その数名が機会をいっして口にしようとしていた言葉を一旦いったん飲み込んでいる間に、パイクとキースも、ピルムが食べ終わるのに合わせてグラスを、くいっ、とあおって飲み干し、ランスも、膝の上のスピアを両手でそっと抱き上げて席を立つ。


 そして――


「次の仕事の準備があるので、そろそろおいとまさせていただきます」

「次の仕事?」


 話題を変えると、案の定、すぐレヴェッカが食い付き、ランスは、はい、と頷いてから、仕事の内容についてはせたまま、


「近々、大森海で集会が開かれます。レムリディア大陸の西方このいったいに存在する全ての集落の代表が集まるその会場に、今、警察で保護されている裏町で働かされていた獣人の少女達を連れて行けば、『故郷に帰りたい』という願いをかなえる事ができるでしょう」


 そうべてから、訊いた。


「彼女達の身柄みがらを、俺にあずけますか?」

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