第75話 竜飼師と竜使いの違い
時は、わずかに
場所は、
その時、その場所が、静かな戦場と化していた。
今夜は
そして、それは、臨時
「
そう言って、高貴な血筋を感じさせる面差しの美少女が、自身より小柄で大人しそうな印象の少女を、扉で内と外を
「貴女の役目は通信。戦闘ではなく
美少女は、姉が仲のいい妹にするように、反論しようとした少女の
「ユリアーナ様……ッ!」
反論するタイミングを
「
高貴な血筋を感じさせる面差しの美少女――ユリアーナの後を追うため、
それしかできる事がない。重要や商談や今回のような密談が行なわれるために
だからこそ、彼女は、神に、心の底から祈りを捧げ――
「―――~ッ!?」
地震のない
「だ、誰でもいいから助けて……~ッ!!」
その結果、霊力によって身体能力や五感能力を強化する事ができるように、情報系統の中でも特に通信系法呪に高い適性を示した少女の思念は霊力によって強化され、本人がそれを自覚する事なく無意識に発信され、
だが、それは非常に微弱なもの。とても人に感知できるようなものではない。
しかし、
「…………~ッ!?」
果たして、自分はどれくらいそうしていたのか……。もう時間の感覚が狂って分からなくなっていた少女は、唐突に響いた、カチャッ、というかすかな物音に、ビクッ、と
何者かによって開けられたのは、廊下に続くドアではなく、反対側の窓。
内側から掛かっていた錠が外れた音に続き、両開きの大きな窓が開かれた事で、涼やかな風が吹き込み、閉められていたカーテンが揺れ、月明かりが差し込み――それを
少女は、クローゼットの中でギュッと
「――助けを求める貴女の
明らかに、隠れている自分に向かってかけられた言葉に心臓が止まりそうなほど驚いて、目を大きく見開いた。
決して大きくはない、それなのに不思議とよく通る声は更に続き、
「これより残る敵性存在の制圧へ向かいます。結界はもうありません。安全が確保されるまでそのまま身を隠しつつ、可能であれば、外部との交信を試みて下さい」
直感的に敵ではないと感じたのか、もう孤独に耐えられなかったのか、声の主の姿を見たいというただの好奇心か……自分でもよく分からないまま、少女は思わずクローゼットの扉を開けようとして、
「きゅおっ!?」
押して開いたわずかな
「でてきちゃだめ~」
目付きだけが妙にキリッとしていて格好良いほうが、テッテッテッテッ、と近寄ってくるなり前足で押し返して扉を閉めてしまった。
「…………」
涼風でカーテンが波打ち、月の光が差し込む、そんな室内の様子が幻想的だった事と
それから程なくして、どうしても我慢できず、そっと扉を押して、開いたわずかな隙間から様子を
この屋敷を襲撃しているのは、
殺傷許可のない犯人は、可能な限り逮捕して裁判を受けさせ罪を償わせなければならない。
だが、襲われている被害者達から見て一番後ろ、ランスから見て一番手前、嗜虐的な笑みを浮かべて高みの見物を決め込んでいた男を、背後から〝発勁〟を
現在、優先すべきは、今まさに生命を
〝敵の
故に、要救助者達の安全のため、残り3名を敵と断定し、これを速やかに殲滅する。
(――兵は神速を貴ぶ)
そこから繰り広げられた、次々と流れるように続いた一連の戦闘は、まさに瞬く間の出来事で――
まず、〝来い〟と念じて銀槍を召喚しつつ距離を詰めたのは、両手の十指に指環を――指環型の
その男は、殺傷力が非常に高く発動後に回避するのはまず不可能と
「…………~ッ!?」
人も、それ以外の動物も、速く動くものに危機感を覚える事はあってもゆっくり動くものには身の危険を覚え難い――そんな生物の性質を踏まえ、闇夜の影のように存在感を消して音もなく移動する〝
先に相手の躰に到達したのは、光とほぼ等速で不可避の【雷光弾】ではなく、虹色の光沢を帯びた銀色の槍の穂先だった。
次は、ストリート系ファッションの野性的な青年。
両手に、
その余韻の陰で、ドヅッ、と響いた打突音は一つ。開いた
ただ合わせただけの拳打では、命を削り、磨り減った魂が槍の形になる程の修行で躰に刻み込み、突き詰めに突き詰めた刺突を止めるどころか逸らす事すらできず、そのまま突き進んだ鋭利な穂先が青年の
最後は、ランスの存在に気付くまで、装飾が見事な
右手に宝具と思しき漆黒の禍々しいナイフを、左手に
「――――ッ!?」
ぬらり、と一人目が
「…………」
ランスは、敵が放つ殺気――殺意の先走りから、老執事と戦闘メイドの攻撃を完璧に遮断してのけた【守護障壁】、恒常展開している通常より複雑かつ高度にアレンジされた多重積層の対物理障壁でこちらの攻撃を弾いてから後の先で仕留めるつもりだ、と洞察し、その上で刺突を繰り出した。
――その数4回。
連続で繰り出された槍のあまりの速さに、居合わせた者達の目には1撃に見え、後になって遺体に開いている孔が二つある事を知ると、2度繰り出していたのか、と驚愕する事になる。
だが、実際は、槍穂の先端に勁力を収束させ超高圧縮したランスの刺突でも、その多重積層の障壁を一撃で
「バ、バカ…な……~ッ!?」
数秒前まで勝ち誇っていた美男子は、断末魔の苦しみの中で
かすむ目に焼き付いていた、どこからともなく現れたクソ野郎の残像に向かって。
既に自分の脇を抜け、斜め後ろで槍を構えているランスの存在に気付く事は
――『裏ギルド』
それは、スパルトイ達のギルド《竜の顎》が受け付けない仕事――殺人、強盗、誘拐、密輸などなど――を引き受ける事からそう呼ばれる、存在する事自体は疑うべくもないが、
それも、一流や超一流と言って過言ではない使い手達で、短い時間とは言え、その中で行なわれた攻防、行使された技法は非常に高度なものであり、何かが一つでも違っていれば、倒れていたのはランスだったかもしれない。
それ故に、何とか勝ちを拾い生き延びる事ができた、というのが実情なのだが……
「おぉ……、なんという凄まじい槍
「私達が手も足も出なかった相手を、こうも
――それはさておき。
「
そんな驚きの声を上げたのは、屋敷の主と思しき年配の男性の背に
既に一度、グランディアでも五本の指に入る高級ホテル《ロイヤルグランディア》で顔を合わせている彼女は、オーラヴ子爵・ユリアーナ・デュノワ。今は制服ではなく私服姿だが、イルシオン皇国を代表する学生の一人であり、ローデン公爵家の御息女。
「何故、貴方がここにいるのですか?」
城館地下の私室で周囲に無数の
碧天祭開催期間中は、国を代表する者であるという立場を明確にするため、外出する際には制服の着用が義務付けられているにもかかわらず、彼らは身分を隠そうとするかのように私服を着用している。
皇国と帝国、現在いつ戦争を初めてもおかしくない二つ国の者達が、こんな
この屋敷を襲撃したのが裏ギルドで依頼を受けた者達なら、依頼人が、誰なのか、どの国なのか、知らない可能性が高く、仮に知っていたとしても訊き出すのはまず不可能。
それらを踏まえると、ランスがこの場にいる理由を問うユリアーナが、緊張や動揺を必死に隠そうとして隠しきれていないのは何故なのか、想像するに難くない。
だが、額に装着している〔
「自分と契約している
ユリアーナは、思念波? と
「ひょっとして、あの子が?」
「彼女は無事です。今もクローゼットに隠れているはずです」
それを聞いたユリアーナの顔に笑みが浮かび、それを見た事で、ランスと初対面の者達もようやく、ほっ、と肩の力を抜いて安堵の息をついた。
その場の空気が緩み、学友、知人、主人や同僚と顔を見合わせて危機を脱した喜びを共有し――ふと気付いた時にはもう、前触れもなく現れて瞬く間に脅威を打ち砕いた槍使いの少年の姿は、まるで夢か幻だったかのように忽然と消え去っていた。
目的は、人命救助。
感謝の言葉や謝礼を得る事ではない。
それ故に、屋敷の一角へ追い詰められていた人々の
そして、自分の目と耳と【空識覚】、
それは、厄介な場面に出くわしてしまった事を原因とする面倒が予想されたからであり、浮遊島の上空は原則として飛行禁止になっているからだ。
「…………」
何事もなかったかのように、平然とクルーズ・フォームの〔ユナイテッド〕を運転しながら、内心でため息をつくランス。
おそらく、屋敷の主は、事件の発生や被害を通報せず、学生達も口を
自分の存在もなかった事にして忘れてくれたなら言う事無しなのだが、目にしたもの、耳にした事を口外しないという約束もせず立ち去った事が後々問題になるかもしれない。
それでも、利用価値ありと判断され、詳しい事情を説明されようものなら、その約束や知ってしまった事を盾に取って本格的に国家間の問題に巻き込まれる。それよりは幾分ましだろう。
――何はともあれ。
救助活動は完了し、裏碧天祭は場外反則で失格。
よって、急にする事がなくなった。
「ごしゅじん~ がぁ~うっ」
それなら、と後ろに乗ってシートにお座りしているパイクが、『新生の間』で孵化の時を待つ
街中から外縁へ出て、片側2車線の太い自動車専用道路へ。オルタンシアの近くを通過する最短ルートを選択し、等間隔に並ぶ街灯が照らし出す静かな夜道を、浮遊島フィリラへ向かって快調に走行する〔ユナイテッド〕。
運転しているランスと、後ろでお座りしているパイクは、穏やかな気分で前から後ろへ吹き抜けて行く風を楽しんでいるが、前に乗って
どうやら、今になって、何故急にする事がなくなったのか、何故
「きゅおっ!?」
それに気付いたランスは、運転を
気持ちよさそうに目を細め、だが、どうして怒られるのではなく撫でてもらっているのか分からず、ごしゅじんの顔を見上げるスピア。すると、ランスは、〔万里眼鏡〕のプレートを額に押し上げ、真っ直ぐに紅の
「スピアは間違ってない。
世間でよく同一視される、『
それは、『竜使い』が、竜を――この場合は
ランスは、竜飼師であって、竜使いではない。
だからこそ、スピアが自分の意に反し、
「俺の事は気にしなくて良い」
確かに、受けた依頼を達成できなければ、自分のスパルトイとしての評価や信用は落ちるだろう。だが、問題はない。
何故なら、始めからギルドの評価を気にした事はないし、
それに、自分は、〝利用はしても信用はしない〟。そう教育されている。誰かに信用されたなら、それに応えたいとは思う。だが、信用しない自分が他人に向かって、自分を信用しろ、などと理不尽な事を言うつもりは
「それに、師匠もそうだった」
〝殺す事はできても、生き返らせる事はできないからな〟――そう言って、人命を、時には動物の命を、任務よりも優先させていた。もちろん、達成する事が前提だったが。
「ただ、考えて、備えておかないとな」
今回は良い。失敗したとしても誰も死なず、依頼の遂行を優先させていたなら殺されていたはずの人々を助ける事ができた。
ただ、請け負ったのが、例えば護衛のような、誰かの命を護るような仕事だったなら、依頼の失敗は、
その時、咄嗟に人命救助を優先した結果、依頼人を死なせてしまった、などという事にならないように、考えて、後悔しないよう備えておかなければならない。
「任務を遂行するための教育と訓練を受け、そのためだけに育てられた
「きゅいっ!」
スピアがしっかり頷くと、後ろにいたパイクが腰を回り込んで前にやってきて、
「がうっ!」
と大きく頷いた。
ランスは、法定速度ながらどことなく気分よさげに走る〔ユナイテッド〕の上に抱っこしていたスピアを下ろし、右手でパイクを、左手でスピアを、自らこちらの
そうしながら――
(あとは、依頼人の判断次第だな)
内心でそう
と言うのも、実のところ、まだ完全に失敗したと決まった訳ではないからだ。
こうして時間ができたので、よく考えてみた。そして、気付いたのだが、今回請け負った依頼は、『リーベーラ国立魔法学園のフーリガン、その代理として裏碧天祭に参加する』というもので、試合終了まで勝ち抜く、または、他のフーリガンを全て撃破する、といった条件は、達成すべき目的として指定されていない。
裏碧天祭の結果は、場外による反則負け。だが、
つまり、この結果は、あの時にあり得た可能性の中で最も良い形であり、依頼は達成されたと言って良いはず。
だが、裏碧天祭を利用して魔王候補を、国家の脅威を排除せんと目論んだ者達が、途中退場で自分が生き延びたこの結果に満足するとは思えない。
それ故に、依頼人は、この結果よりも、むしろ、事ここに
果たして、成功となるか、失敗となるか……
(――〝ご主人様、
ミスティからそんな報告がきたのは、幼竜達をなでなでモフモフしながら、後の祭りだと開き直った、そんな時の事だった。
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