第75話 竜飼師と竜使いの違い

 時は、わずかにさかのぼり、ランス達が浮遊島オルタンシアから飛び立つ少し前。


 場所は、瀟洒しょうしゃな街並みが広がる浮遊島オルヒデア、その中心を挟んでミューエンバーグ邸のほぼ反対側に位置し、正門から邸宅まで徒歩で5分以上かかるような広大な敷地を有するお城のような大豪邸。


 その時、その場所が、静かな戦場と化していた。


 今夜はつねにも増して強化されていたにもかかわらず警備は突破され、屋外で任にいていた者達は、既に一人も残っていない。まねかれざる客の侵入をはば警備装置セキュリティ・システムは乗っ取られ、警報は鳴らず、もし異変を察して救援に駆け付ける者があったとしても通さない。外部との連絡手段は真っ先に断たれた。


 そして、それは、臨時やといではない、主に仕える屋敷の守護者達と謎の襲撃者達が激しい戦闘を繰り広げている邸内、その長い通路に並ぶ無数のドアの中から無作為に選んで入った、とある一室での事。


貴女あなたはここに隠れていなさい」


 そう言って、高貴な血筋を感じさせる面差しの美少女が、自身より小柄で大人しそうな印象の少女を、扉で内と外をへだてる備え付けのクローゼットの中に押し込んだ。


「貴女の役目は通信。戦闘ではなくみなに情報を伝える事。――だから伝えて。私の身に万が一の事があったその時は、私の意思を、この場所で何が起こったのかを」


 美少女は、姉が仲のいい妹にするように、反論しようとした少女のほほにそっと触れて優しくで、必ず生き延びるのよ、そう一方的に言い置いてクローゼットの扉を閉め――


「ユリアーナ様……ッ!」


 反論するタイミングをいっして言葉に詰まり、やっと少女がその名を呼んだ時にはもう、素早く身をひるがえして行動していた美少女の姿は部屋の外にあり、そっとドアが閉じられた。


天空神様かみさま……ッ! どうかユリアーナ様を、みんなを、お守り下さい……ッ! どうか……どうか……~ッ!」


 高貴な血筋を感じさせる面差しの美少女――ユリアーナの後を追うため、咄嗟とっさにクローゼットの扉を開けようと伸ばした手は、彼女の言葉に従わなければならないという使命感と、外で起こっている事に対する恐怖によって止まり…………その手を引き戻し、両手を組み合わせた少女は、一心に祈りを捧げ、ユリアーナや共にこの屋敷へやってきた仲間の無事を願う。


 それしかできる事がない。重要や商談や今回のような密談が行なわれるためにもうけられた厳重な警備装置の高い性能、それが裏目に出て、彼女が得意とする情報系法呪が封じられてしまっている今は……


 だからこそ、彼女は、神に、心の底から祈りを捧げ――


「―――~ッ!?」


 地震のない天空都市国家グランディアで屋敷が揺れたその時、それが戦闘によるものだという事が脳裏を過った瞬間、息が止まって頭が真っ白になり、


「だ、誰でもいいから助けて……~ッ!!」


 形振なりふり構わずせつに助けを願った。


 その結果、霊力によって身体能力や五感能力を強化する事ができるように、情報系統の中でも特に通信系法呪に高い適性を示した少女の思念は霊力によって強化され、本人がそれを自覚する事なく無意識に発信され、しくも遮断する対象と指定されていなかった術式を介さない思念波は、警備装置に組み込まれている屋敷の結界をすり抜けて、極端に薄いグランディアの空気中の霊気マナを介して広がった。


 だが、それは非常に微弱なもの。とても人に感知できるようなものではない。


 しかし、竜族ドラゴン達の巣がある浮遊島フィリラより位置が近い、浮遊島オルタンシアにいた幼竜は、そのかすかな助けを求める思念波こえを聞きらさなかった。


「…………~ッ!?」


 果たして、自分はどれくらいそうしていたのか……。もう時間の感覚が狂って分からなくなっていた少女は、唐突に響いた、カチャッ、というかすかな物音に、ビクッ、とからだを震わせ、咄嗟とっさに両手を口に当てて思わずれそうになった声をおさえた。


 何者かによって開けられたのは、廊下に続くドアではなく、反対側の窓。


 内側から掛かっていた錠が外れた音に続き、両開きの大きな窓が開かれた事で、涼やかな風が吹き込み、閉められていたカーテンが揺れ、月明かりが差し込み――それをさえぎるものの影が伸びる。


 少女は、クローゼットの中でギュッとちぢめた躰を強張らせ、鼓動がうるさ過ぎる心臓に今は止まってと願い、息を止め、無意識に口と鼻を覆っていた両手に力を込め――


「――助けを求める貴女の思念波こえが聞こえました」


 明らかに、隠れている自分に向かってかけられた言葉に心臓が止まりそうなほど驚いて、目を大きく見開いた。


 決して大きくはない、それなのに不思議とよく通る声は更に続き、


「これより残る敵性存在の制圧へ向かいます。結界はもうありません。安全が確保されるまでそのまま身を隠しつつ、可能であれば、外部との交信を試みて下さい」


 直感的に敵ではないと感じたのか、もう孤独に耐えられなかったのか、声の主の姿を見たいというただの好奇心か……自分でもよく分からないまま、少女は思わずクローゼットの扉を開けようとして、


「きゅおっ!?」


 押して開いたわずかな隙間すきまから見えたのは、2匹の、っちゃくてかわいい、まるでぬいぐるみのような何かで、もふもふの白いほうは、クローゼットの扉に張り付いて聞き耳を立てていたのか、開くとは思っていなかったらしく、驚いて後ろ足で立ち上がるとそのまま数歩後退あとずさってから後ろへ、ころんっ、ところがり、


「でてきちゃだめ~」


 目付きだけが妙にキリッとしていて格好良いほうが、テッテッテッテッ、と近寄ってくるなり前足で押し返して扉を閉めてしまった。


「…………」


 涼風でカーテンが波打ち、月の光が差し込む、そんな室内の様子が幻想的だった事と相俟あいまって、たった今、目にしたものが現実の出来事とは思えず、閉まったクローゼットの扉が額に触れそうな距離でぽかんと口を開けたままパチパチまばたきを繰り返す少女。


 それから程なくして、どうしても我慢できず、そっと扉を押して、開いたわずかな隙間から様子をうかがうと、もうそこには、2匹のかわいい何かと声の主の姿はなく、閉まっていたはずの窓とカーテンが開いているという事が、夢や幻ではなく現実の出来事だったのだというあかしで……


 きつねつままれたような顔していた少女が、また戦闘のものと思しき衝撃で屋敷が揺れたのを感じた事で、はっ、と我に返り、慌ててクローゼットの扉を閉め、最も得意とする通信系法呪【情報共有化通信網ネットワーク】でここにはいない仲間達との交信を試みたのは、それから少しってからの事だった。




 この屋敷を襲撃しているのは、天空都市国家グランディア呪物フェティッシュで【擬人化】して侵入している怪人シャイターン達――ではなく、自分と関係のない犯罪者。


 殺傷許可のない犯人は、逮捕して裁判を受けさせ罪を償わせなければならない。


 だが、襲われている被害者達から見て一番後ろ、ランスから見て一番手前、嗜虐的な笑みを浮かべて高みの見物を決め込んでいた男を、背後から〝発勁〟をともなう打撃で無力化した直後、残り3名の迅速かつ適切な反応を見て、逮捕は不可能だと判断した。


 現在、優先すべきは、今まさに生命をおびやかされている被害者達の救助。


 〝敵のすみやかな殲滅――それこそが平和を維持し、無辜むこの民の安全を守る最善の方法だ〟と師匠が言っていた。


 故に、要救助者達の安全のため、残り3名を敵と断定し、これを速やかに殲滅する。


(――兵は神速を貴ぶ)


 そこから繰り広げられた、次々と流れるように続いた一連の戦闘は、まさに瞬く間の出来事で――


 まず、〝来い〟と念じて銀槍を召喚しつつ距離を詰めたのは、両手の十指に指環を――指環型の発動体つえめた派手なローブ姿の男。


 その男は、殺傷力が非常に高く発動後に回避するのはまず不可能とわれる攻性法呪【雷光弾ライトニングバレット】の術式を無詠唱で超高速展開しつつ、拳銃の早撃ちクイックドロウのように右手の人差し指をランスに向け――


「…………~ッ!?」


 人も、それ以外の動物も、速く動くものに危機感を覚える事はあってもゆっくり動くものには身の危険を覚え難い――そんな生物の性質を踏まえ、闇夜の影のように存在感を消して音もなく移動する〝捷影シャドウムーヴ〟に幻惑されて攻撃対象ターゲットを指定できず、それはつまり、準備はできているのに発動させる事ができないという事で……


 先に相手の躰に到達したのは、光とほぼ等速で不可避の【雷光弾】ではなく、虹色の光沢を帯びた銀色の槍の穂先だった。


 次は、ストリート系ファッションの野性的な青年。


 両手に、グリップの上下と護拳ナックルガードに4本の爪、計6本の刃を備えた〔虎の爪バグナウ〕と呼ばれる種類の武器を装備したその青年は、左手を前にしたボクシングのオーソドックススタイルで構え――目で見て動いたのではなく、攻撃のタイミングを読んだのでもなく、体外に放出した霊力を体表にめぐらせてよろいのようにまとう〝流纏オーラ〟を応用した迎撃技が自動発動。


 制空圏オーラ内への侵入を条件に発動し無意識に繰り出された拳打が、真正面から意表を衝くタイミングで繰り出された速くもなく遅くもない刺突、認識できていても反応できないはずの槍穂を迎撃し、甲高い金属音が響き渡った――が、弾かれたのは〔バグナウ〕を装備した拳。


 その余韻の陰で、ドヅッ、と響いた打突音は一つ。開いたあなは二つ。


 ただ合わせただけの拳打では、命を削り、磨り減った魂が槍の形になる程の修行で躰に刻み込み、突き詰めに突き詰めた刺突を止めるどころか逸らす事すらできず、そのまま突き進んだ鋭利な穂先が青年の心臓むね穿うがち、間髪入れずのどつらぬとおした。


 最後は、ランスの存在に気付くまで、装飾が見事な刀剣サーベルを使う老執事と2丁拳銃のメイドを一方的になぶっていた、カジュアルなスーツ姿の美男子。


 右手に宝具と思しき漆黒の禍々しいナイフを、左手に音を吸収する霊装サイレンサーが取り付けられた大型自動式拳銃を装備しているその美男子は、身体能力が超強化されている者特有の目にも止まらない動きで左腕を振り、ピタッ、とランスに銃口を向けて引き金トリガーしぼる――直前、


「――――ッ!?」


 ぬらり、と一人目がられた時に見たあの奇妙な動きで射線上からのがれたのを認め、ムダ撃ちを嫌い、咄嗟の判断で発砲するのをやめ――


「…………」


 ランスは、敵が放つ殺気――殺意の先走りから、老執事と戦闘メイドの攻撃を完璧に遮断してのけた【守護障壁】、恒常展開している通常より複雑かつ高度にアレンジされた多重積層の対物理障壁でこちらの攻撃を弾いてから後の先で仕留めるつもりだ、と洞察し、その上で刺突を繰り出した。


 ――その数4回。


 連続で繰り出された槍のあまりの速さに、居合わせた者達の目には1撃に見え、後になって遺体に開いている孔が二つある事を知ると、2度繰り出していたのか、と驚愕する事になる。


 だが、実際は、槍穂の先端に勁力を収束させ超高圧縮したランスの刺突でも、その多重積層の障壁を一撃ですべて貫く事はできず、まったく同じ軌道で繰り出された2撃目で半数以上を打ち抜き、3撃目が残りと最後の層を貫いてそのまま生命の維持にも体内霊力制御にも重要な部位である心臓むねを穿ち、4撃目が臍下丹田はらえぐった。


「バ、バカ…な……~ッ!?」


 数秒前まで勝ち誇っていた美男子は、断末魔の苦しみの中でうめき――直後、ギリッ、と食い縛った歯をきしらせ、致命傷を受けた身に残っていた全ての力を振り絞り、地獄へ道連れにせんと、弾倉に残っていた特殊障壁貫通弾を全てぶち込んだ。


 かすむ目に焼き付いていた、どこからともなく現れたクソ野郎の残像に向かって。


 既に自分の脇を抜け、斜め後ろで槍を構えているランスの存在に気付く事はついぞなく、消音霊装サイレンサーによって発砲音は吸収され、誰もいない空間に向かって発射された弾丸が床や壁で跳ねる音がむなしく響き…………弾が尽きてもカチカチと引き金トリガーを引き続けていたが、最初に意識を断たれた者もふくめた3名に続き、崩れ落ちるように倒れ伏した。




 ――『裏ギルド』


 それは、スパルトイ達のギルド《竜の顎》が受け付けない仕事――殺人、強盗、誘拐、密輸などなど――を引き受ける事からそう呼ばれる、存在する事自体は疑うべくもないが、総合管理局ピースメーカーですら実体を把握できていない謎の組織。


 翼竜スピアに導かれて到着した時点で、知覚範囲内に存在する生体反応から、怪人シャイターン達とは無関係である事はわかっていたが、倒れ伏している犯人達は、その裏ギルドで、目的の達成をさまたげる問題を全て武力で解決する『戦闘屋』や、殺しの依頼を専門とする『殺し屋』と呼ばれる者達である可能性が高い。


 それも、一流や超一流と言って過言ではない使い手達で、短い時間とは言え、その中で行なわれた攻防、行使された技法は非常に高度なものであり、何かが一つでも違っていれば、倒れていたのはランスだったかもしれない。


 それ故に、何とか勝ちを拾い生き延びる事ができた、というのが実情なのだが……


「おぉ……、なんという凄まじい槍さばき……ッ!」

「私達が手も足も出なかった相手を、こうも容易たやすく……」


 刀剣サーベル使いの老執事や2丁拳銃のメイド、その他、一連の戦闘を、倒れ伏す襲撃者達のかたわらで一人平然とたたずむその姿を、目の当たりにした者達がそんな勘違いをしてしまうのはどうしようもない事だった。


 ――それはさておき。


貴方あなたは……ランス・ゴッドスピードッ!?」


 そんな驚きの声を上げたのは、屋敷の主と思しき年配の男性の背にかばわれていた少年少女の中の一人。


 既に一度、グランディアでも五本の指に入る高級ホテル《ロイヤルグランディア》で顔を合わせている彼女は、オーラヴ子爵・ユリアーナ・デュノワ。今は制服ではなく私服姿だが、イルシオン皇国を代表する学生の一人であり、ローデン公爵家の御息女。


「何故、貴方がここにいるのですか?」


 城館地下の私室で周囲に無数の仮想画面ウィンドウを投影し、天空城の監視システムで現状を把握しているミスティの報告によると、彼女の傍らにいる凛とした少女はイルシオンの学生だが、他の男子3名は、オートラクシア帝国を代表する学生達との事。しかも、名門貴族の子弟らしい。


 碧天祭開催期間中は、国を代表する者であるという立場を明確にするため、外出する際には制服の着用が義務付けられているにもかかわらず、彼らは身分を隠そうとするかのように私服を着用している。


 皇国と帝国、現在いつ戦争を初めてもおかしくない二つ国の者達が、こんな夜中じかんに人目を忍んで一堂に会している。


 この屋敷を襲撃したのが裏ギルドで依頼を受けた者達なら、依頼人が、誰なのか、どの国なのか、知らない可能性が高く、仮に知っていたとしても訊き出すのはまず不可能。


 それらを踏まえると、ランスがこの場にいる理由を問うユリアーナが、緊張や動揺を必死に隠そうとして隠しきれていないのは何故なのか、想像するに難くない。


 だが、額に装着している〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを鉄兜の目庇まびさしのように下ろしているランスは、それに気付いた素振そぶりも見せず淡々と、


「自分と契約している竜族ドラゴンが感知した思念波での救助要請に応じ、急行しました」


 ユリアーナは、思念波? と怪訝けげんそうにしたものの、すぐに脳裏を過るものがあったらしく、はっ、と目を見開き、


「ひょっとして、あの子が?」

「彼女は無事です。今もクローゼットに隠れているはずです」


 それを聞いたユリアーナの顔に笑みが浮かび、それを見た事で、ランスと初対面の者達もようやく、ほっ、と肩の力を抜いて安堵の息をついた。


 その場の空気が緩み、学友、知人、主人や同僚と顔を見合わせて危機を脱した喜びを共有し――ふと気付いた時にはもう、前触れもなく現れて瞬く間に脅威を打ち砕いた槍使いの少年の姿は、まるで夢か幻だったかのように忽然と消え去っていた。




 目的は、人命救助。


 感謝の言葉や謝礼を得る事ではない。


 それ故に、屋敷の一角へ追い詰められていた人々のもとから離れたランスは、【気配遮断】を使い【光子操作フォトン・コントロール】で不可視化している小飛竜スピアと【認識不可】を使っている小地竜パイク――人見知りドラゴン達と共に屋敷内を移動し、まだ屋内で継続中だった戦闘に文字通り横槍よこやりを入れ、戦闘屋や殺し屋を無力化した。


 そして、自分の目と耳と【空識覚】、幼竜達ドラゴンの超感覚、ミスティがランスの名の下に命じて天空城の管理者に行なわせた探査で脅威が排除された事を確認し、状況を終了した後は、〔収納品目録インベントリー〕から取り出した〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕に乗って速やかに屋敷から離脱する。


 それは、厄介な場面に出くわしてしまった事を原因とする面倒が予想されたからであり、浮遊島の上空は原則として飛行禁止になっているからだ。


「…………」


 何事もなかったかのように、平然とクルーズ・フォームの〔ユナイテッド〕を運転しながら、内心でため息をつくランス。


 おそらく、屋敷の主は、事件の発生や被害を通報せず、学生達も口をつぐみ、今夜の襲撃自体をなかった事にするだろう。


 自分の存在もなかった事にして忘れてくれたなら言う事無しなのだが、目にしたもの、耳にした事を口外しないという約束もせず立ち去った事が後々問題になるかもしれない。


 それでも、利用価値ありと判断され、詳しい事情を説明されようものなら、その約束や知ってしまった事を盾に取って本格的に国家間の問題に巻き込まれる。それよりは幾分ましだろう。


 ――何はともあれ。


 救助活動は完了し、裏碧天祭は場外反則で失格。


 よって、急にする事がなくなった。


「ごしゅじん~ がぁ~うっ」


 それなら、と後ろに乗ってシートにお座りしているパイクが、『新生の間』で孵化の時を待つかぞくの許へ行こうと提案し、反対がなかったのでそれを採用する。


 街中から外縁へ出て、片側2車線の太い自動車専用道路へ。オルタンシアの近くを通過する最短ルートを選択し、等間隔に並ぶ街灯が照らし出す静かな夜道を、浮遊島フィリラへ向かって快調に走行する〔ユナイテッド〕。


 運転しているランスと、後ろでお座りしているパイクは、穏やかな気分で前から後ろへ吹き抜けて行く風を楽しんでいるが、前に乗って風防カウルに両前足を掛けているスピアは、おろおろ、そわそわ、落ち着かない様子でチラチラごしゅじんの様子をうかがっている。


 どうやら、今になって、何故急にする事がなくなったのか、何故ごしゅじんランスが裏碧天祭で失格になってしまったのか、に思い至ったらしい。


「きゅおっ!?」


 それに気付いたランスは、運転を自動操縦に切り替え〔ユナイテッド〕にまかせ、両手でスピアをで回してからっこすると、左手でかかえ、右手で少し乱れた毛をいて整えるように撫でる。


 気持ちよさそうに目を細め、だが、どうして怒られるのではなく撫でてもらっているのか分からず、ごしゅじんの顔を見上げるスピア。すると、ランスは、〔万里眼鏡〕のプレートを額に押し上げ、真っ直ぐに紅のつぶらな瞳を見詰めて言った。


「スピアは間違ってない。竜飼師ドラゴンブリーダーと契約している竜族ドラゴンとして、正しい事をしたんだ」


 世間でよく同一視される、『竜飼師ドラゴンブリーダー』と『竜使いドラゴンテイマー』の違い。


 それは、『竜使い』が、竜を――この場合は陸亜竜ダイナソー偽翼竜ワイバーンなどを使役し、仕事をさせる者であるのに対して、『竜飼師』は、竜族ドラゴンとのきずなを尊び、人との付き合い方を、友好な関係の築き方を教え、はぐくむ者であるという事。


 ランスは、竜飼師であって、竜使いではない。


 だからこそ、スピアが自分の意に反し、みずからの意思で行動したとしても、それはとがめる理由にはならず、ましてそれが、人が竜を助け、竜が人を助ける――人と竜との間に結ばれた大協約にそくした行動なら、めこそすれ、しかる理由などありはしない。


「俺の事は気にしなくて良い」


 確かに、受けた依頼を達成できなければ、自分のスパルトイとしての評価や信用は落ちるだろう。だが、問題はない。


 何故なら、始めからギルドの評価を気にした事はないし、昇格レベルアップにも興味がないからだ。


 それに、自分は、〝利用はしても信用はしない〟。そう教育されている。誰かに信用されたなら、それに応えたいとは思う。だが、信用しない自分が他人に向かって、自分を信用しろ、などと理不尽な事を言うつもりは更々さらさらない。


「それに、師匠もそうだった」


 〝殺す事はできても、生き返らせる事はできないからな〟――そう言って、人命を、時には動物の命を、任務よりも優先させていた。もちろん、達成する事が前提だったが。


「ただ、考えて、備えておかないとな」


 今回は良い。失敗したとしても誰も死なず、依頼の遂行を優先させていたなら殺されていたはずの人々を助ける事ができた。


 ただ、請け負ったのが、例えば護衛のような、誰かの命を護るような仕事だったなら、依頼の失敗は、すなわち、依頼人またはその関係者の死。どちらも助けられれば良いが、依頼の遂行か、助けを求める者の救助か、どちらかを選ばなければならない時がいつか来るだろう。


 その時、咄嗟に人命救助を優先した結果、依頼人を死なせてしまった、などという事にならないように、考えて、後悔しないよう備えておかなければならない。


「任務を遂行するための教育と訓練を受け、そのためだけに育てられた兵士おれには無理だけど、スピア達にはその決断ができるし、しなければならないんだからな」

「きゅいっ!」


 スピアがしっかり頷くと、後ろにいたパイクが腰を回り込んで前にやってきて、


「がうっ!」


 と大きく頷いた。


 ランスは、法定速度ながらどことなく気分よさげに走る〔ユナイテッド〕の上に抱っこしていたスピアを下ろし、右手でパイクを、左手でスピアを、自らこちらのてのひらに躰をすり寄せてじゃれてくる幼竜達の首や喉、頭や背中を優しい手つきで撫でる。


 そうしながら――


(あとは、依頼人の判断次第だな)


 内心でそうひとちた。


 と言うのも、実のところ、まだ完全に失敗したと決まった訳ではないからだ。


 こうして時間ができたので、よく考えてみた。そして、気付いたのだが、今回請け負った依頼は、『リーベーラ国立魔法学園のフーリガン、その代理として裏碧天祭に参加する』というもので、試合終了まで勝ち抜く、または、他のフーリガンを全て撃破する、といった条件は、達成すべき目的として指定されていない。


 裏碧天祭の結果は、場外による反則負け。だが、過剰な支持者フーリガンとしての役割は、失格前の時点で既に十二分に果たしていた。今以上に撃破数ポイントを加算しても、リーベーラ国立魔法学園の生徒達にえきはなく、それどころか、恵まれ過ぎている状況に不正を疑われている現在、不利益にしかならない。


 つまり、この結果は、あの時にあり得た可能性の中で最も良い形であり、依頼は達成されたと言って良いはず。


 だが、裏碧天祭を利用して魔王候補を、国家の脅威を排除せんと目論んだ者達が、途中退場で自分が生き延びたこの結果に満足するとは思えない。


 それ故に、依頼人は、この結果よりも、むしろ、事ここにいたった経緯を、自分達の戦いぶりを踏まえて判断する事になるだろう。


 果たして、成功となるか、失敗となるか……


(――〝ご主人様、怪人シャイターンが行動を開始しました〟)


 ミスティからそんな報告がきたのは、幼竜達をなでなでモフモフしながら、後の祭りだと開き直った、そんな時の事だった。

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