第44話 こんな事もあるのか

 飛行に適した翼竜形態でなくとも、生体力場を有する上に風を操る飛竜スピアの翼なら、都市の何所どこだろうと一っ飛び。


  ――到着したのは、一部の建物が崩壊している犯罪多発地区にある貧民街。


 助けを呼ぶ声は、幼い少女のもので、倒壊した建物の中にいる兄を助けてと涙ながらに声を上げている。


 突如飛来したドラゴンの姿に、泣く子は黙り、無事な人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、ランスとパイクはその少女の傍らに降り立った。


 小地竜パイクが生体反応で知覚範囲内の要救助者を探し出し、ランスが【念動力】で瓦礫を持ち上げて助け出す。


 少女の兄は生存しており、負傷してはいたが、傷口の【洗浄】、【念動力】での接骨、【縫合念糸】で傷を全て縫合し、【応急処置】で錬成したフィルムを張り付けて処置完了。【空識覚】で全身を診察した結果は、異常なし。後遺症や傷跡は残らないはずだ。


 そのついでに他の負傷者達の処置も手早く済ませたちょうどその時、どこかへ行っていたスピアが戻ってきた。本来の大きさである20メートル超の飛竜は、その両手でそれぞれ狼人ルーガルー人族ヒューマンを掴んでいる。


 【精神感応】で尋ねると、その2名はこの惨状を作り出した犯人らしく、屋根から屋根へ移動しつつ戦闘を繰り広げて被害を増やしていたので捕まえてきたとの事。


 ランスとパイクは、意識を取り戻した兄と寄り添う妹から伝えられた感謝の言葉に一つ頷いて踵を返し、スピアは迷惑な2名を死なない程度に軽く握り潰してから被害者達の前にポイと投げ捨てた。




 ――到着したのは、豪邸が立ち並ぶ高級住宅街。


 敷地内には幾つもの死体が転がっており、広い庭では、綺麗に敷き詰められた芝や庭園の草花を蹴散らして激しい戦闘を繰り広げる二人の男の姿が。


 そのどちらも召喚術士らしく、彼らが振るう大剣と斧槍は、理不尽から身を護るための武器に変化する天使アンゲロス力天使ヴァーチュズ型の聖魔マラークだ。


「ヒャッハァ――――~ッ!! オラオラどうしたッ!? 早く行って護ってやんねぇと、大切なお嬢様がケダモノ共に喰われちまうぞぉッ!」


 下衆な笑みを浮かべた斧槍のチンピラがピアスをした舌を出してわらい、


「貴様ァッ! そこを退けぇえええええぇッ!!」


 大剣の青年が怒りの咆哮を上げて斬りかかる。


 助けを求める声は、その大剣の青年が向かおうとしている邸宅の中から。しかも、一つや二つではない。


 スピアの背から飛び降り【落下速度制御】で扉がぶち破られた玄関前に音もなく着地したランスは、射殺されている男性を飛び越えて邸宅内へ突入した。


 襲撃者達は『男は殺し、女は犯せ』と命令されているのだろう。それを忠実に実行しようと、召使いサーヴァント執事バトラーの亡骸が放置されている邸宅内のあちこちで、服を引き裂かれスカートを捲り上げられた侍女メイドを一人で、または複数で組み敷き抑え込み、下半身を露出させた、またはベルトをカチャカチャ鳴らして露出させようとしている男達。


 彼らは自分と関係のない犯罪者。殺傷許可のない犯罪者は、可能な限り逮捕して裁判を受けさせ罪を償わせなければならない。


 ランスは〝閃捷〟で音もなく屋内を駆け巡り、その不意をいて拳や掌で勁力を打ち込み片っ端から昏倒させて行く。全員、半裸に剥かれて泣き喚く女性を襲うのに夢中だったため、いとも容易かった。


 2階は襲撃者と思しき男達の死体のほうが多い。それは、傷だらけで意識を失っている護衛と思しき女性が奮戦したからだろう。


 部下をけしかけて十分に消耗したところで襲い掛かり、その意識が飛ぶまでなぶり、手間をかけさせられた容姿端麗な女性の衣服を剥ぎ取って両脚を左右に大きく開かせ、まさに強姦レイプしようとしていた屈強な大男。彼は、傷を受けた事で一層興奮して周りが見えなくなっており、ズボンを膝まで下ろしていて身動きが儘ならない状態だった。


 それ故に、他の男達と同様、不意を衝いた一撃で己の身に何が起こったのか理解する間も与えずあっさり意識を刈り取れたが、そうでなければ倒すのに他より少し時間が掛かっていたかもしれない。


「あ、貴方あなたは誰?」


 最後の二人は、うつ伏せに昏倒した男の躰を突き飛ばすように脇へ押し退けて寝室の隅へ逃げ、露わになっている肢体をお互いで隠すように身を寄せ合っている若々しい母親と十代半ばの可憐な娘。


「スパルトイです」


 娘の問いに、レベル表示の〔ライセンス〕を見せながら答えて踵を返し、


「スパルトイが何故、今ここに?」


 広い寝室から退室する直前に投げかけられた母親からの問いに、


「助けを求める声が聞こえました」


 振り返らずそう答えて部屋を後にする。


 表へ出ると、庭ではまだ斧槍のチンピラと大剣の青年が戦闘中で――銀槍を召喚したランスはチンピラの背に向かって殺気を放った。


 チンピラはなかなかの反応を見せて側方へ大跳躍。着地と同時に振り返り、


「なんだテメェ? どこから湧いて出たッ!?」

「…………」


 ランスは答えず、大剣の青年に向かって顔を小さく横に振り、『行け』と促す。


「――感謝するッ!!」


 迷ったのは一瞬。銀の槍を携え〔万里眼鏡みょうなゴーグル〕で顔の上半分を隠している少年が敵か味方か判断するため様子を窺っていた青年は、そう告げるなり脇目も降らず邸宅へ向かって全力疾走し――


「させるか――チッ!」


 それを阻もうと動いたチンピラをランスが阻む。


「邪魔だッ!! 退――けェッ!?」


 チンピラが乱入者に向かって突進しながら両手で斧槍を振りかぶった――その瞬間、ドヅッ、と響いた打突音は一度。穴は二つ。両肩を打ち抜かれたチンピラの手から力天使型聖魔が変化していた斧槍が離れ、岩が風化して崩れるように空中でサラサラと消え去った。


 長物の長所はその間合いリーチの広さ。そうであるにもかかわらず、こちらの間合いの内で斧槍を振りかぶるなどというその長所を捨てて無防備な姿を晒すような真似をする――同じ長物ロングウェポン使いとして、チンピラが何を考えているのか、ランスには全く理解できなかった。


「……はぁっ? 何だこれ? 何だこれ? 何だ――ブフゥッ!?」


 茫然自失のていで崩れ落ちるようにガックリと両膝をつき、現実から目を逸らしてブツブツ呟くチンピラ――その顔面が殴りやすい高さにあったので縦拳をぶち込んで意識を刈り取ったランスは、銀槍を送還し、襲撃者達が乗り付けたと思しきステーションワゴンやピックアップトラックを思う存分〝爪〟で切り刻んでまた爆発炎上させていた幼竜達と合流した。




 ――到着したのは、都心部にあるエルハイア警察本部。


 助けを求めていたのは、負傷した先輩男性刑事バディを庇っていた新人女性刑事。


 ランスが情け容赦のない不意打ちで、正面しか見ていない犯罪者達を後ろから音もなく順に蹂躙して行った結果分かった事だが、警察本部を襲撃したのは麻薬カルテルの兵隊だった。


 現在、都市のいたる所で発生している事件を解決するため、事務と無線担当を除くほぼ全ての署員が出払っている。それを見越して好機だと判断し、署内の保管庫に収められている犯罪者やそのアジトから押収した大量の麻薬や武器弾薬を強奪する、というかねてよりの計画を実行した。


 あと一歩のところで想定外の人物の横槍がなければ、それは成功していただろう。


 ランスの迅速な応急処置によって新人女性刑事の相棒は一命を取り留め、他にも助けを求められて処置を施していく――その間、いけない遊びを覚えてしまったスピアとパイクは、もう完璧に〝顕刃ブレイド〟を会得してその必要はないのに、悪党共が乗り付けた車輌を次から次へと〝爪〟で切り刻んではわざと爆発炎上させ、その爆風で、ぎゃあっ!! と楽しそうにひっくり返っていた。


 後になって悔やむ事になるとは思いもせずに……。


 救急隊が到着したので後を任せ、処置に急を要したためその暇がなく、結局、名を名乗る事もせず警察本部を後にしたランスが目の当たりにしたのは、破壊の限りが尽くされた凄惨な戦場のような光景。


 犯罪者の移動手段を奪う事になり、修行にもなる。だからこそ多少のやり過ぎには目を瞑ってきた。だが、これは違う。一目見て分かった。移動手段を奪うためでも修行のためでもない。


 警察本部前で燃え盛る車輌の残骸と立ち昇る黒煙をバックに、これは遊びや悪ふざけでやって良い事なのか、悪い事なのか、と〔万里眼鏡〕のプレートを上げて瞬きもせず、じぃ――――~っ、と目で問うてくるごしゅじんを前に、スピアとパイクはおろおろ狼狽うろたえ…………小型犬サイズにまで身を縮めてしゅんと項垂うなだれた。


 ランスは、怒ってはいないし、叱るつもりもない。だが、良くない事をしたら、どうすべきだったのかを教える、または一緒に考える必要がある。


 故に、悪いと思っていて反省しているなら、もう言う事はない。


「きゅう――~っ」

「がぅ――~っ」


 怒っていないと分かった途端、スピアとパイクは一転して勢いよく飛び付くなり肩までよじ登り、左右からごしゅじんの頬へ頭をグリグリすり寄せて甘え、ランスは苦笑しつつその背を、ぽんぽんっ、と撫でる。


 ここが最後だったなら、クオレとソフィアを乗せた〔ユナイテッド〕が追い付いてくるまで、このままたわむれていられたのだが、


『――ごしゅじんっ』


 幼竜達は、ピクッ、と頭を上げて同じほうへ顔を向け、ランスは一つ頷いた。




 ――到着したのは、都心に程近い住宅街。


 今そこは、決闘の舞台リングになっていた。


 普段は交通量が多い広い道路、その中央で真っ正面からぶつかり合っているのは、どちらも2メートルを超える巨躯の、岩のようにゴツゴツした鱗に覆われた蜥蜴人リザードマンと、右肩から先が戦闘用に違法改造された機械式義腕の闘犬人ルーガルー


 その闘犬人の義腕には魔導機巧が内蔵されており、火弾を発射し、火炎を放射する機能が備わっている。対戦中の蜥蜴人は火属性への耐性が高く効果が薄いと分かってからは使用していないが、それまでに、その2名のせいでクラッシュした事故車輌や街路樹が燃えていて、すぐそこの7階建て高級集合住宅マンションが火事になっていた。


 よく言えば伝統を感じさせる趣があり、悪く言えば古いその建物には、どうやら火災対策が足りていなかったらしく、増す一方の火の手は上へ上へと伸びて既に全階から煙がもうもうと噴き出している。


 そして、助けを求める声は、マンション5階の角部屋、そのベランダにいる赤ん坊を抱いた熟年女性と、マンションの前で消防隊員に引き止められていなければ今にも火の中に飛び込んで行きかねない様子の女性のもの。


 逃げ遅れ、火と煙に追われてベランダに追い詰められた二人は、助けに行こうとしている女性の息子とベビーシッターらしい。引き止めている消防隊員が片手に買い物袋を提げているのは、彼女が放り出したものを拾ったのだろうか?


 ――何はともあれ。


 消防の梯子はしご車、放水車、救急車の他に警察車輌なども近くまで来ているのだが、戦闘中の異種族達が原因の渋滞でマンションに近付けない。


 スピアとパイクは全属性の適性を獲得しているものの得手えて不得手ふえてがあり、水を操るのは巧くない。もちろん、それ以外の方法で火を消す事はできる。だが、それらだとおそらく周囲の建物に被害が出る。故に、消火は消防隊せんもんかに任せたほうが良い――ランスはそう判断し、幼竜達には消防の車輌が通れるよう邪魔な車を退けてほしいと頼み、自身は大飛竜スピアの背からベランダへ直接飛び移った。


 赤ん坊を抱いている熟年女性を抱いてベランダから飛び降り、【落下速度制御】でゆっくりと降下し、家族を再会させて救助完了――そう思ったのも束の間、


「――ごしゅじんっ!」

「―――~ッ!?」


 ランスは、バッ、と勢いよく今飛び降りてきた5階の部屋を振り仰ぐ。


 幼竜達が生体反応を感知したのは5階のあの部屋のみ。室内は既に火と煙で様子を窺う事ができない状態だったが【空識覚】で確認した。故に、要救助者を見過ごして置き去りにしたなどという事はあり得ない。


 だが、スピアが『いる』と言うからには、まだそこに助けを求める者がいるのだ。


「…………ッ」


 ランスはその場から大跳躍し、更に捷勁法の〝踏空〟で透明な足場があるかのように空中を蹴って5階のベランダへ。そこから屋内へ突入した。


「…………」


 【念動力】で煙と炎を押し退けつつ【空識覚】で探す。この部屋は、バスルーム、トイレ、洗面所、寝室やリビングなど複数に分かれており……やはり何所どこにも人の姿はない。


 どういう事かと怪訝に思いつつ、ならば、と【空識覚】の範囲を狭めて精度を上げ…………


「――――ッ!」


 ランスは、横手の壁に駆け寄ると、抜き放った自前のサバイバルナイフに勁力を通して突き立て、豆腐のように易々やすやすと切り裂いて十分な大きさに切り取ると、それを後ろに投げ捨てた。


 手抜き工事なのか、こういう工法なのか、建築に関する知識がないランスには分からないが、外壁とこの部屋の壁の間にはわずかな空間があり、サバイバルナイフを納めて四角く切り抜いた穴からその中を覗き込むと、


「ミィ~っ」


 そこには、闇の中に差し込んだ光を見上げる愛らしい顔立ちの小さな子猫の姿が。


 まさか、助けを求めるもう一つの声というのが、薄汚れた生後数週間と思しき白猫のものだったとは……。竜族ドラゴンなら他の生物と意思の疎通ができても不思議ではないが、人以外の助けを求める声の許へ導かれたのは初めてだった。


 こんな事もあるのか、と〔万里眼鏡〕のプレートの下で目をパチパチさせたランスだったが、強まりつつ迫る炎の気配が呆気に取られている事を許してくれない。


「お前、何でこんな所にいるんだ?」


 ランスは、子猫の首根っこをつまんでひょいと抱き上げ、負傷していないか調べつつ訊くが、子猫は、ミィ~っ、と鳴くばかり。スピアとパイクのように教えてはくれない。


 ここに空間転移したのでもなければ天井裏から落ちてきたとしか考えられず、【空識覚】で調べてみると……


「…………」


 天井裏は、既に煙と熱気が充満している。この子猫は、幸か不幸か、この隙間へ落ちていたからこそ助かったのだ。


 ランスはこの子猫の親兄弟、その冥福を祈り、猫の家族、その唯一の生き残りをかかえてベランダへ出ると躊躇なく空中へ身を躍らせる。


 そして、弱っている子猫に負担をかけないよう【落下速度制御】でゆっくり降下し――その最中、視界に飛び込んできた光景に、思わず、うっ、と呻きを漏らした。


 それは何故か?


 ランスは、スピアとパイクに、消防の車輌が通れるよう邪魔な車を退けてほしいと頼んだ。


 その結果、ランスから見て左側では、10メートル超の大飛竜スピアによって道を作るのに邪魔な車が積み木の塔のように縦に積み上げられており、右側では、同サイズの大地竜パイクによって横転させられた車の裏側が壁のように連なって1本の道を作っている。


 それは、遊び心や悪戯心が発揮された結果ではない。幼竜達なりに無用な破壊を行わないよう配慮した結果だ。


 その証拠に、大きいままでは自分達が邪魔になってしまうからと気を利かせ、虎ほどのサイズになって【落下速度制御】で軟着陸したごしゅじんの許へ駆け寄ったスピアとパイクは、ほめてもらえると思って期待にお目目めめきらめかせ、尻尾をフリフリしている。


 そんな幼竜達に対して、ランスは――


「ありがとう」


 背中に下ろしているフードの中に子猫を移して両手を空けてから、手段はどうあれ頼み事をしっかり達成してくれた事について感謝を伝えながら幼竜達をわしゃわしゃ撫で――内心、もう少し詳しく指示を出すべきだった、と反省した。


 ――何はともあれ。


 あとは火事の原因となった2名の異種族を排除するのみ――と思っていたのだが、


「――貴様がそのデカいトカゲ共の飼い主だなッ!?」


 火事の原因の片割れ、というか、原因そのものである義腕の闘犬人が怒声を張り上げつつ歩み寄ってきて、


「見ろ、あのざまをッ!」


 そう言って、路面で這いつくばるように平伏している蜥蜴人を指さした。


 どうやらリザードマンにとって、ドラゴンは特別な存在らしい。


 戦闘を邪魔された事、そして、力を認めた強敵の不甲斐ない姿に、闘犬人は怒り心頭といった様子で、


「そのトカゲ共を連れてく立ち去れッ! もなくば――」

「――わぁあああああぁッ!? けろけろ止ま――そこを退けぇえええええぇッ!!」

「あァッ!?  ――ゴフゥッ!?」


 ランスに向かってすごんでいた闘犬人が、苛立ちを隠そうともせず近付いてくる声のほうへ振り向いた――直後、スピアが作った道を通って【障壁バリア】を展開したまま高速で突っ込んできた〔ユナイテッド〕に、ゴッ、とね飛ばされた。


 高い放物線を描いて宙を舞った闘犬人が、信号機に、ガンッ、とぶつかってから、ドサッ、と路面に墜落する。


「今ヒトを撥ねたぞッ!! 運転する者が優秀なら事故など起きないんじゃなかったのかッ!?」


 分かりにくいが顔を青くして喚く白獅子人クオレに対して、〔ユナイテッド〕は常と変わらぬ落ち着き払った口調で、


〔はい。今のはわたくしの必殺技です〕

「交通事故じゃなく殺人事件ッ!?」


 流石にクオレはまだ平気そうだ。しかし、後ろのソフィアは目がうつろで、クオレが後ろ手に支えていなければ車体からずり落ちてしまいそうな程ぐったりしている。歓声を上げ溌溂はつらつとしていた少女の姿は今や見る影もない。


 クルーズ・フォームは一番楽に長く乗っていられる形態だが、バイクは曲がる際に車体を傾ける。急激な加減速と右折左折で振り回され続けるのは成人男性でもキツイ。体力のないソフィアなら尚更に。辛い、苦しいと泣き言を漏らさないだけでもたいしたものだ。単にそうする力が残っていないだけかもしれないが……


――何はともあれ。


 ソフィアと子猫を休ませるためにも、両者にはもう少し辛抱してもらい、速やかにその場を離脱するランス達。


 その後すぐ、邪魔な車が退かされた事で通れるようになり、最大の障害だった異種族達が無力化され、それを警官達が取り押さえて逮捕した事で、近くまで来ていながら手をこまねいている事しかできなかった消防隊が消火活動を開始した。




 クオレは小型無線機を持っている。列車で移動中にランスが帝国軍人から拝借して渡しておいたものだ。そして、ディランも持っている。それは隠れ家セーフハウスから持ち出した物の一つ。


 二人は、いざと言う時にはそれで連絡を取り合う事にしていたそうで、


「お前の頭の中はどうなってるんだ?」


 彼の仲間のものと思しき自動車ワンボックスカーに乗って現れたディランは、呆れを通り越して感心したように言ってから乗るよう促した。


 ランスは〔ユナイテッド〕を〔収納品目録インベントリー〕に収納し、スピアとパイクは小型犬サイズになり、それに乗り込んだ一行は今、目立たないよう交通法規を順守して移動中。


 運転席にはディラン。後ろの座席にクオレとソフィア。後部の荷物置場の約半分はテーブルと警察無線を傍受するなど情報を収集するためのものと思しき機材で占められており、残りの狭いスペースに、ランス、スピア、パイク、それに子猫が納まっている。


「状況を把握しているのか?」


 後ろの機材を見てクオレがそう訊くと、ディランはハンドルを握ったまま肩を竦め、


「おおよそは。だが、正直なところ、狐につままれたような気分だ」

「どういう事だ?」

「ほぼ同時刻にエルハイア中で事件が多発し、警察だけじゃ対処しきれず軍の駐留部隊までが動員された。その時点で既に混乱していた状況が、突如ドラゴンが出現した事で更なる大混乱に陥った。その挙句、――事態は早々に収束へ向かっている」

「はぁ?」


 ディランは、同情するように苦笑してから、


「自力で法呪・練法を使えない帝国国民にとって、『ドラゴン』とは、人には決して勝つ事ができない、軍を総動員しても追い払うのがやっとという存在だ。そんなのが頭上を飛び回り、気まぐれに降りては火を噴いて辺りを火の海にしている。しかも、1体だけじゃなく2体もいるともなれば、怖いものなしのギャングやマフィアだって逃げ出したくもなる。チンピラに毛の生えたような犯罪者達なら尚更だ。標的を見失った傭兵や殺し屋、賞金稼ぎがそんな中をうろつく理由はない」


「要するに、善良な市民だけではなく、無法者達までもがドラゴンを恐れて屋内や地下へ避難した結果、街は静かになった、と?」


「ただのバカや頭がおかしい奴はそのまま騒いでいたようだが、流石に数は少ない。それに対して、仕事ゆえに決死の覚悟でドラゴンに立ち向かわなければならない軍や警察の特殊部隊や機動隊は、そのほぼ全戦力が投入され展開している最中だった。――そんな状況で唐突にドラゴンがいなくなったら、後はどうなると思う?」


 狼の群れの中の羊だ、と言って犯罪者ながら憐みを禁じ得ないといった表情を浮かべるディラン。


「まさか、君はこの結果を狙って動いていたのか?」


 クオレとソフィアは振り返って、ディランはバックミラーに映る少年スパルトイを見詰める。


 それに対して、食品と食器類を収納している〔収納品目録〕からおわんに近い形の木皿を取り出して狭いテーブルの上に置き、【水生成】で少量の水を入れたランスは、


「いいえ」


 あっさり首を横に振った。違うのか? と驚いたように重ねて訊いてきたクオレに、はい、と答える。


 事実、助けを求める声に応え、スピアとパイクに連れ回された先々で成すべき事を成しただけだ。


 その結果が敵への奇襲となり、『命懸けを強制する遊戯デスゲーム』の盤を叩き割れたのかもしれないし、それすらも想定内という事もあり得る。――だが、そんな事はどうでも良い。


 何故なら、達成すべき目的――受けた依頼は『ソフィアの護衛』であり、事態の収拾でも、事件の解決でも、クレイグ・ハミルトン博士の野望の阻止でもないからだ。


 ――それはさておき。


 ディランの話の中にせない部分がある。


 事実とは違うが、実際に車輌を爆発炎上させて火の海を作り出していた。故に、『火を噴いて辺りを火の海にした』という不正確な情報が広まってしまったのは分かる。だがしかし、少なくとも一度は警察官に〔ライセンス〕を提示し、竜飼師だと名乗ってスピアとパイクは相棒パートナーだと告げた。それなのに何故、警察と軍は決死の覚悟でドラゴンに立ち向かおうとしたのか?


 スピアとパイクの事だけに確認しておく必要があると判断し、疑問をそのままディランに伝えると、


「そういう報告はあったが、誤情報だと判断された」


 そんな答えが返ってきた。なんでも、誤情報だと判断された理由は二つ。


 その一つは――


竜騎士ドラゴンナイト竜飼師ドラゴンブリーダーと契約を交わす竜族ドラゴンは、力の意味を知る聖母竜マザードラゴンとその眷属――つまり、『翼竜』だ。魔王を倒した竜と人の勇者の伝説は、書籍や舞台にもなっている有名な話だからな。その程度の事は誰だって知ってる」


 パイクは言うまでもなく、スピアも翼竜形態ではなく、〝爪〟を使いこなす修行のためにずっと『飛竜』形態で飛び回っていた。


 それに、思い返してみると、幼竜達が破壊の限りを尽くしていたその時、自分は救助活動を行っていて側にいなかった。余人がそうする理由を知るはずもなく、目撃者達にはドラゴンが暴れているようにしか見えなかっただろう。


 そして、もう一つは――


「エルハイアの《竜の顎》を介して、活動拠点メルカの《竜の顎》に『ランス・ゴッドスピード』なる人物スパルトイについて問い合わせたところ、その者が竜飼師ドラゴンブリーダーであるという確証は得られなかったらしい」


 声には出さず、あっ、と思って取り出した〔ライセンス〕の表示を身分証明書に変更して確認すると、職業の欄や資格や免許などの欄に『竜飼師』の文字はない。


 当然だ。認定書を授与されてからまだ更新していないのだから。


 とはいえ、確かに提示したのはスパルトイの〔ライセンス〕だが、グランディアの竜飼師協会のほうには問い合わせなかったのだろうか? それに、どういう問い合わせ方をしたのだろう? 確かな証拠はなくとも、グランディアであれメルカ市であれ、自分が2頭のドラゴンを連れているという事は良くも悪くも知れ渡っている。故に、証言は得られるはずなのだが……


「…………」


 ランスはふと、目の前にある機材を見て思った。――ひょっとして、これを使えば軍、警察、マフィア、ギャング……その他諸々、無線を利用している全ての組織に対して情報操作を行えるのではないか、と。


「ところで、君は何をしているんだ?」


 テーブルの上の木皿を指さしているクオレに問われたランスは、浮かび上がった疑念の事などおくびにも出さず、おもむろに背中に下ろしているフードの中から子猫を取り出した。


 クオレとソフィアが目を丸くし、その中の居心地がよかったのか、抗議するようにミィミィ鳴く子猫をテーブルの上に乗せ、


「ほら、水だぞ」


 木皿の中の水を勧める。すると、よほど喉が渇いていたのかものすごい勢いでピチャピチャ飲み始めた。


っちゃいクオレ」

「んん~……、あぁ~……、まぁ、遠い祖先は同じだという話を聞いた事があるような、ないような……」


 『猫』とは、時にバステトの蔑称として使われる。もちろん、相手の意図次第では悪い意味にならず、ソフィアにそんな意図がないという事は分かっているのだが、それでもどう反応すれば良いのか分からず……


「かわいい……~っ」


 そんなクオレをよそに、ソフィアは興味津々な様子で座席の背凭せもたれ越しに子猫を凝視し――クゥ~っ、とそのお腹が鳴った。


「ソフィア ちっちゃいクオレたべる?」


 ごしゅじんの肩の上でその横顔に、ぴとっ、と躰を寄せているスピアが訊くと、顔を引きつらせるクオレの隣で、ソフィアはとんでもないと言わんばかりにブンブンと音が聞こえそうなほど勢いよく首を横に振り、


「おっきぃ~クオレたべる?」


 ごしゅじんに抱っこされて膝の上でリラックスしていたパイクが、じゃあ、と放った問いに、クオレおおきいほうはぎょっとし、ソフィアは更にブンブンと首を横に振る。そして、


「そういえば……猫は食べた事ないな」

『ねこ……』

「ミャゥっ!?」


 怪物モンスターすら食らってきた槍使いとドラゴン達に、じぃ――~っ、と見詰められた子猫は、ビクッ、と体を強張らせ、その全身の毛が、ブワッ、と逆立った。

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