第二十五話 卒業式

 教室は笑顔でいっぱい。

 男子も女子も、仲のいいメンバー同士で集まって、小さな輪っかをいくつも作ってる。真面目な子も、サボりがちな子も、お喋りな子も、無口な子も、みんなみんな楽しそう。きっと全員が集まるのは、今日が最後。だから、最後にたくさん、会話に華を咲かせてるんだ。

 教室は笑顔でいっぱいだけれど、ちらほら泣いている子もいるみたい。最後だから、悲しいんだね。悲しいのは、今までの三年間が、きっとすごくすごく楽しかったからなんだよね。それって、とっても幸せなことだと思う。


 あたしはみんなの邪魔にならないように、音を立てないように、気配を消して廊下に逃げた。

 ゆっくりドアを開けて、そろりと体を外に出した。そしたら、隣の教室の声も一緒に聞こえてきた。どのクラスも、一緒みたいだ。


「こらこら。なーに一人で抜け駆けしてんのさ」


 あたしと同じように、一番に廊下に出た女の子がいるのも、一緒だ。






「雫ちゃん、いいの? 他の友達もいっぱいいるのに」

「いいのいいの。あいつらとは大学でも話せるからさ」


 前川雫と篠宮舞。幼馴染みの二人は、まだ誰もいない静かな玄関で靴を履き替えている。


「大学かぁ……あたしは駄目だったよ」

「知ってる。そりゃね。篠宮に医学部は無理だよ」

「雫ちゃんも、やっぱりそう思う?」

「自覚があるなら、志望変えても良かったんだぞ?」


 重い空気にならないよう、前川雫はあえて明るく笑い飛ばした。


「受験勉強中はなんとなく聞きにくかったからさ、今聞いてもいい? 病院から帰ってきたと思ったら、急に医学部行きたいーなんて言い出したじゃん。どしたの? 病院でイケメンの先生でも見つけた?」

「んー、まあ、似たような感じ」

「うっわ、マジで!? 篠宮も隅に置けないね! 何歳? いくつ上!?」

「5つ下」

「って下かよ!? え? 下、ってことは……」


 前川雫は指を折り、年齢を計算する。


「……篠宮、さすがに子供に手を出すのはまずいよ」

「あの子は、私なんかよりずーっと大人だよ」


 篠宮舞は目に影を落とした。覇気が無く、全身に哀愁を帯びている。とても冗談には聞こえなかった。


「……そう。ま、終わったことはいいか。それより桜! 桜見ようぜ! 今なら貸し切りだ!」

「わっ!? ちょっ、引っ張らないでよー!!」


 玄関を出る。校門へと続く道に、桜の木が植えられている。

 左右に一列ずつ、等間隔で並んだ木々は、毎年卒業生を送り出し、また、新入生を迎え入れている。春の訪れが早かったせいか、今年は例年よりも桃色の割合が多いようだ。

 そのど真ん中を悠々と闊歩するのは、なんとも気分がいい。


「見事なものだ。まるで我らが進む道を照らしてくれているようではないか。そうは思わんかね、篠宮どの?」

「進む道かぁ。……あたしも明日から浪人生だよ」


 しかし、横を歩く幼馴染はこの感動をそのまま享受できるほど素直ではなかった。


「そんな暗い顔しなーい! ……ん? 待った。篠宮、来年も受験生やるの?」

「うん。そのつもり」

「あのさ、大学に行かない人生ってのもあるんだよ? 篠宮にはSTRとDEXがあるじゃん。受験じゃなくて、そっちを生かす方向で考えてみたら? 今からでも遅くないって」


 幼馴染でなくとも、誰が篠宮舞のプレートを見ても、そうアドバイスするだろう。むしろ、どうして今まで誰も受験を止めなかったのか。


「…………あたしがバカなのは、あたしが一番よくわかってるよ」


 答えは、すぐに明らかになった。


「でも、駄目なの。あたしの世界は、あの子と会って、変わっちゃったんだ。……どうしても、忘れられないの」


 5つ下だという、病院で出会った彼との思い出。

 それは篠宮舞にとって、桜よりもずっと綺麗なのかもしれない。他の全てが、色褪せてしまうほどに。


「……篠宮。いいかげんにしなよ?」


 前川雫は、角が立たないように言葉尻を柔らかく丸める。


「失恋なんて誰にでもあること。また他の人探せばいいじゃん。篠宮の人生だし、最後は篠宮が決めればいいとは思うよ? けど、篠宮が来年も医学部目指すって言うなら、親友として止めさせてもらう」

「分かってるよ。雫ちゃんの言う通り。だけど…………」


 いまいち煮え切らない幼馴染を見て、前川雫は思案する。一年半も、想いをずっと引き摺ってきたのだ。たった数分で考えを改められるなら、今日まで苦労していない。

 何度も会って、もっとじっくり話をしよう。今は浪人や卒業のストレスも重なっている。しばらくすれば、また前向きに切り替えられるはずだ。


「あーもう、わかったわかった。この話は終わり。今日は帰ろう。そうだ、時間あるならこのままカラオケでも行かない?」

「ん……でも、あたしは受験勉強しないといけないから」

「卒業式の日くらいいいじゃん! な? 親友だろ?」

「……そうだね。行こっか」

「よしきた!」



 私の親友をここまで苦しめるのは一体誰だ。見つけたら、一発ぶん殴ってやる。

 前川雫ははにかみながら、内心ふつふつと怒りを滾らせていた。



「篠宮さん!!」



 答えはすぐに明らかになった。

 校門の前に、親友の名を呼ぶ、幼い少年の姿があった。







「篠宮さん!!」


 篠宮さんは、他の女子と二人で歩いていた。交友関係は知らなかったけど、篠宮さんなら友達の一人や二人いるだろう。

 どうやら、一部紫に染めていた髪は、全部黒に戻したらしい。それ以外は、ほとんど僕の知っている篠宮さんと同じだ。身長も服装も胸囲も全部、一年半前と変わっていない。


 やっと……やっと、出会えた。

 今日まで、長かった。

 誕生日を迎えて、本当はすぐにでも会いに来たかった。けど、リハビリと受験の為に、今日まで……高校の卒業式の日まで我慢してきたんだ。一日千秋、という言葉が身に染みた。


「……しじょう、く」

「賢者様っ!?」


 僕の元へ一目散に駆け付けたのは、隣の女の子の方だった。

 キラキラと輝いた瞳で、斜め上から見下ろされる。身長はかなり高いみたいだ。175センチくらいかな。僕は160ちょっとで、篠宮さんは僕より数センチ高い。


「えっ? ええっ!? 本物ですか!?」

「あはは。そこまで騒がれるほどの者じゃないですよ。初めまして、コメンテーターの四条賢者です」


 僕の服装は、トレードマークの病院服。これはキャラ付けのための私物だ。VITが伸びてくれた影響で、普通にテレビ出演することも増えてきたから、その時はこの服を着ている。というか、他に服を持っていない。一般の人のセンスはまだ僕には分からないから。


「いつもニュース見てます! あ、あと、ブログ見て泥沼ラプソディエ買いました! 面白かったです!!」

「それは良かったです。僕は出自が特殊なので、普通の人と感性がずれてないか少し不安で。安心しました。ありがとうございます」

「い、いえ! 感謝されるようなことはなにも! こ、こちらこそありがとうございますです!!」


 篠宮さんの友達だし、ほんの少しサービスしてみた。ニュース番組は贔屓のない公平な報道が求められるけど、これくらいは許してほしい。


「え? え? あれ? なんで、四条君がここに? というか、賢者様って……?」


 背中の方から、篠宮さんの声が聞こえる。

 ……ついに、この日が来たんだな。感慨深いよ。


「二人とも! なにがなんだか分かんないよ! バカなあたしにも分かるように説明してよ!!」


 篠宮さんも走って近づいてくる。

 距離が少しずつ縮まる。もっと近くに。もっと。

 たった数秒が、じれったい。


「あれ、そういえばなんで篠宮の名前を……待てよ。5歳下…………ってまさか!」


 目の前で、ぶつぶつと独り言が聞こえた。友達さんは、INTは低くはないようだ。


「たぶん、想像通りです」

「なるほど……こりゃ確かに、篠宮より大人かも」


 ただ、そろそろ解放されたいというか、出来れば篠宮さんと二人きりになりたい。勝手に押し掛けたのは僕の方だから、この子を恨むのは筋違いだけど。


「じゃ、お邪魔者はこの辺で失礼しますね」


 そう思っていたら、友達さんは気を利かせてくれた。


「邪魔だなんて思ってませんよ。お気遣いどうも」

「だって顔に書いてありますよ?」

「あ、えと……すみません」

「いやいや! 代わりと言ってはなんですが、後で篠宮経由でサインください! ではこれで!」


 友達さんは女子とは思えぬ速さで走り去って行った。体育会系なのかもしれない。

 どうやら、僕はまだポーカーフェイスは習得できていないらしい。DEXの影響もあるのだろうか? ……って、そうだ!


「ちょっと待って! 僕のDEXじゃまだサインは書けな……」


 振り向くと、そこには既に誰もいなかった。


「……まあ、なんとか頑張ろう」


 そんなことより、今はもっと大事なことがある。

 視線を正面に戻す。僕の知ってる顔が、すぐ目の前にある。


「久しぶりだね、篠宮さん」

「……順番に、説明してよ。どうして、キミがここにいるの?」


 僕の知ってる、篠宮さんの、愁いを帯びた顔がある。

 まずは、一番かわいい顔を――笑顔を、取り戻させることから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る