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 タルヴォの名誉のために断っておくと、手合わせはそれなりに白熱したものとなった。

 寝坊をして約束の時間に遅れた挙げ句、自分の子供たちと楽しそうに談笑をしながら現れた対戦相手を見て、タルヴォが激怒したのは言うまでもないことだろう。しかも、悪びれない弟子の姿はどこまでも反抗的で、それが軽い挑発であるということにも気がつかない始末だ。ぎりぎりと奥歯を鳴らして睨み付けられたところで、尻尾を巻いて逃げるような可愛らしさをクロエは持ち合わせていない。


「……良い度胸じゃねぇかよ」


 こめかみに青筋をたてた凶悪な形相でタルヴォが言う。

 腕を胸の前で組み、ようやく現れたクロエを見るセラトラの眼差しは心底呆れているようだった。その隣に立たされていたロランは、不穏な空気を漂わせているクロエとタルヴォの間で視線を巡らせている。

 思い思いの場所に立っている者、座っている者たちの多くがロランにぶしつけな目を向けていたが、当人はそれ以上に既に喧嘩腰のタルヴォとクロエの方が気がかりのようだった。


「それじゃあ、あれか。俺との手合わせが恐ろしすぎて、昨日は夜も眠れなかったってわけか」

「その逆みたいだ」

「逆だぁ?」

「あまりに緊張感がなくて、ついついのんびりしてしまった」


 どこからか囃し立てるような口笛の音が聞こえてくる。タルヴォはその音に向かって苛立たしげに舌を打つと、寄合所の外壁に立て掛けてある武器に歩み寄った。


「好きなのを選べ、さっさとはじめるぞ」

「素手じゃないのか?」

「そうしたかったら好きにしろ」


 タルヴォはそう言いながら、何の迷いもなく一本の槍を手に取った。

 槍はタルヴォが最も操ることを得意としている武器のひとつだ。本人の身の丈よりも長い柄の先には、通常のものよりも大振りな刃先が取りつけられている。


「……タルヴォ」


 すかさずセラトラがその選択に口を挟むが、タルヴォはその槍を自らの肩に立て掛けるようにして構えると、クロエをまっすぐに見据えた。


「血腥い展開だけはごめんだよ」

「本気で当てやしねぇよ」

「どうだろうね」


 はあ、とセラトラは諦めたように息を吐く。そして広場の中央へと進み出ていく背中を見送ってから、クロエを見た。


「君の斬新な作戦が仇にならないことを願うとしようか」

「もし殺り合いになりそうだったら、途中でモウラにでも乱入してもらえば良い」

「あたしにどちらを止めろって言うんだい?」


 壁に寄りかかるようにして立っていたモウラがクロエの言葉に反応を示す。

 皮肉っぽく笑んだモウラに向かって肩を竦め、クロエはどちらでも、と答えた。それからすぐ、壁に立て掛けられている数々の武器の前に立つと、顎に手を添えて暫しの間考えを巡らす。

 タルヴォが槍を選んだのであれば、クロエも同じものを選ぶのが公平というものだろう。遠距離攻撃を狙っている相手の懐に入り込むことは難しく、同時に危険だ。よって、相当自信がないかぎりは近接攻撃を得意とする武器は避けておいた方がいい。

 未だ血気盛んで手合わせの内容を楽しみにしているモウラとは違い、タイとサカリは常識を弁えている。間違っても血を流す父親の姿など見たくはないはずだ。クロエも見せたくはない。最悪かすり傷程度ならば覚悟しようと心に決め、目の前にあった棒を手に取った。


「クロエ、本当に大丈夫なの?」


 血走った目で待ち構えているタルヴォを横目に見ながら、棒の具合を確かめているクロエにタイが言う。


「あれ、かなり不味いよ。本気だよ」

「何とかなるとは思うけど、もしものときはネグロを呼びに走ってくれると助かる」


 ネグロはそんな馬鹿馬鹿しい決闘など見物するに値しない、自分の目が青いうちは絶対に行かないと言って、小屋にこもっているはずだ。案外、こっそりとその辺りまで見に来ているかもしれないが、クロエはあえて探そうとは思わなかった。


「もしものときなんて縁起の悪いこと言わないで、危なくなったらすぐに逃げるんだよ! クロエなんてタルヴォの槍にかかったら、あっという間に真っ二つなんだから!」


 クロエより縁起でもないことを言うタイの顔は真剣そのものだ。しかし、その隣にいるサカリは特に感ずることはないという表情でいる。何かを考えている風にも見えず、ただ時間が過ぎるのを退屈そうに待っているようだ。


「真っ二つにはされないように気をつけるよ」


 タイでなくても、クロエがタルヴォに挑むなど無謀だと考えている者がほとんどのようだった。暇潰しに様子でも見てやろうという態度の者が多い印象だ。

 こういつまでもゆっくりしていると余計にタルヴォを苛立たせ、今度は逆にやりにくくなってしまいかねない。そう思いながらクロエが対戦の舞台へと向かおうとすると、間の悪いことに後ろから呼び止められる。その声を聞いて振り返ると、酷く気遣わしげな顔のロランが歩み寄ってきていた。


「あの、僕が言えたことではないのかもしれませんが、どうか無理はなさらないでください。僕のことでしたら、気になさらなくて結構ですから」

「別にロランのためなんかじゃない。私が早く行きたいだけだよ」


 そういうことにしておいてくれと小声で付け加え、クロエは軽く片目を瞑る。するとロランは反射的に押し黙り、なぜか心地が悪そうに自分から視線を外した。

 これがシャラ族の血なのだろうか。決して争うことが好きではないのにもかかわらず、クロエは興奮で心が打ち震えるのを感じていた。何者とでも拳を交えるときはいつもそうだった。実際のところはそうすることを楽しんでいるのかもしれないと思うが、本当のところは自分でも良く分かっていない。

 今度こそその場で背中を向けたクロエは、肩を柔らかくするように回しながらタルヴォに近づいていった。


「寝起きでぼさっとしていても手加減はしてやらねぇぞ」

「もちろん、それで構わないよ」

「へっ、随分と余裕じゃねぇか」


 武器を握るのは久しぶりのことで、僅かに違和感がある。棒はクロエが好んで用いるものではあるが、自分の腕の延長であると思えるまでには少し時間がかかるのだ。

 先端に手の平をついて地面に突き立てると、その棒は丁度クロエの胸元までの長さがある。他にもいくつか試してみたことはあったが、これが最もしっくりくる長さだ。接近戦にも備えられる長さで、多様な動きにも対応できる。


「弟子はいつか師匠を打ち負かすものだしね」

「俺はまだ負けてやるつもりはねぇぜ、悪いがな」


 恐らく、実戦の数ではクロエが勝っているはずなのだ。タルヴォはここで暮らしている十五年の間、命を取り合うような激しい戦闘の最中に身を置くことがなかった。対してクロエは両手では足りないほどの戦に巻き込まれ、死線を潜り抜けてきている。戦うという感覚は研ぎ澄まされていた。

 経験と実力とではどちらが重要と言えるのか、それが証明されるだろう。


「勝敗はどう決める?」


 クロエが問う。するとタルヴォは肩に担いでいた槍を勢い良く振り下ろし、その先端をクロエの鼻先に突きつけた。遅れて風がやって来たかと思うと、金色の髪が数本目の前を舞う。それでも身動きひとつせずにタルヴォの目を見つめていれば、面白いとでも言いたげな笑みが向けられた。


「相手に参ったと認めさせる。そうでなくても意識を失えば敗北だ」

「単純明快だな」

「俺は難しいことが嫌いでな」


 槍の先端が引き上げられていく。クロエはその動きを目で追いかけながら、棒を構えた。

 長期戦は控えた方が無難だということは分かっていた。タルヴォのような剛の使い手が相手の場合、その都度振り下ろされる槍の打撃が恐ろしく重い。そんなものを何度も受け続けていれば腕は痺れ、鈍った体では棒を握ってさえいられなくなるはずだ。どうにか短期戦で終わらせる必要がある。しかし、タルヴォはクロエがそれを狙っていると察しているだろう。


「特別に最後の機会を与えてやる。恥をかきたくなかったら、ここで手を引いておけ」

「同じ言葉をそっくりそのままお返しするよ、タルヴォ」

「後悔するなよ」


 挑むところだ――と応じる間も、タルヴォは与えてくれなかった。

 熊のような巨体からは想像もできない素早さで、タルヴォはクロエとの間合いを一気に詰める。そして同時に槍が振り下ろされた。それは寸前で歯止めが利かないほど豪快で、確実にクロエの脳天を狙ってくる。

 クロエは跳ねるように後ろに飛び、槍の切っ先から逃れた。だが、タルヴォは次々と追い立てるような一手を繰り出しては間合いを詰め、クロエを広場の隅へと追いやっていく。


「逃げてばっかりじゃあ、勝てやしねぇぞ!」


 意地の悪いことを、生き生きとした表情で吠えるように言う。

 真横から迫り来る槍を棒で受け止めると、骨まで痺れるような衝撃がクロエを襲った。なんという怪力なのだろう。足を開き、膝を曲げて地面を踏みしめていなくては吹き飛ばされてしまいそうだ。

 思わず顔をしかめたクロエを見て、タルヴォは笑った。


「偉そうな口を利いてたのはどこのどいつだ?」

「うるさい、まだはじまったばかりだ」

「長続きはしそうにねぇな」


 クロエの師匠というだけのことはあり、細かな癖はすべてお見通しという様子だ。攻撃を仕掛けてみたところでそれらはことごとく阻止され、まるで手応えが得られない。

 やはり、槍を相手に棒で応戦するのは分が悪いのだろうか。いや、そのようなことはないはずだ。クロエはこの棒術でいくつもの修羅場を生き延びてきているのだから。

 詰められた間合いを嫌うように距離を取ったクロエは、槍の刃先で傷つけられた棒を目視した。まだ折れるほどではないが、装飾の施された表面が大きく抉られているのが目に入る。クロエの体ではなく、この棒が真っ二つになるのは時間の問題だろう。

 何か別の作戦を考えた方が良いかもしれないとクロエは考えていた。

 いかにして隙を作り、見つけ出すかが鍵だ。棒はまだクロエの意のままに働いてはくれない。槍による攻撃を横へ、横へと受け流し、時を見計らって一撃で仕留めるしか手段はなさそうだった。意識を奪うこともやぶさかでない。そもそも、あのタルヴォは口が避けても参ったなどと言わないだろう。

 クロエは体をならすように数回軽く跳躍しながら、大きく深呼吸をした。そして頭のなかではいくつもの攻防を展開させながら、棒を両手で構えると身を低くして相手の懐に向かって突進していく。

 ほぼ同時にタルヴォも地面を蹴ると、クロエの突きつけた棒の先端を槍の柄で軽くいなした。その遠心力を用いて振り下ろされた刃先はクロエの足を凪ぎ払おうとするが、クロエは棒を地面に突き立てて体を浮かせ、寸前のところでそれを回避する。地に足をつけた不安定なところを狙って体を反転させながらの回し蹴りが繰り出され、クロエは棒で補助をした腕でそれを受け止めた。骨の軋む音を聞くが、今は頓着していられない。

 僅かに弾き飛ばされた体を瞬時に立て直し、クロエは次の一手を仕掛けた。砂の地面を掬うように棒を動かし、はねあげると砂を舞い上がらせる。顔面に砂埃が直撃したタルヴォは生理的に目を細めるが、クロエが振り下ろした棒の動きを気配だけで正確に捉え、頭上で受け止めた。棒を引くより早く槍が動き、絡めとる。クロエは武器ごと引き寄せられ、目と鼻の先に片目を細めるタルヴォの顔が迫った。

 タルヴォの表情に、もはや笑みはない。獲物を仕留めようとする獣の目はまっすぐにクロエを睨んでいた。

 槍は天地を返すように反転され、絡めとっていた棒をクロエの手から引き離そうとする。このままでは腕まで持っていかれると判断したクロエは、自ら棒を手放した。タルヴォはそれを見逃さず、クロエから武器を奪おうと弾き飛ばした棒を己の槍で真ん中から叩き割った。


「――クロエ!」


 誰かが名前を叫んだが、クロエにはそれを確かめている余裕もない。考えている間もなかったのだ。まるで自分の周りだけ、時間そのものがゆっくり流れていると錯覚してしまうほど、すべての動きが緩慢に見えていた。

 叩き割られた棒が左右に別れ、その片割れがクロエの手元に戻ってくる。それを咄嗟に掴み、タルヴォの喉をめがけて突きつけた。するとネグロは首を倒すだけでそれを避け、筋肉で盛り上がった肩を使い軌道を逸らす。次いでは棒を握ったまま無防備な状態になっているクロエの腕をへし折ろうとするように、タルヴォは槍を持っていない方の腕でクロエの伸びた腕を叩こうとした。

 クロエは後ろに引くことを諦めると、背中を丸めて素早くタルヴォの懐に入り込んだ。滑らかに足を運んで体を反転させながら、振り上げられたタルヴォの腕を避けるべく脇の下から背後に回り込む。

 タルヴォは背後を取られると同時に槍を用い、大きな体ごと勢い任せに後ろを振り向いた。丁度首の高さで槍が凪ぎ払われ、クロエは身を伏せてそれを回避する。防御体制が疎かになっているタルヴォの軸足は、一瞬の無意識によって膝がまっすぐに伸ばされていた。そこに隙を見出だしたクロエは、地面に片腕をつくとタルヴォの膝裏に強烈な蹴りを食らわせた。体制を崩して槍の柄で体を支えようとしたところに、再び蹴りを入れて武器を弾き飛ばす。

 均衡を失いながらも体を素早く回転させて背中から倒れることを避け、タルヴォは両足を踏みしめてその場に留まろうとした。クロエが地に手をついた体勢から立ち上がると、タルヴォの拳が繰り出された。

 力では劣っていても、素早さならば自分のほうに分があるとクロエは分かっていた。

 クロエは迫る拳を身を低くして避け、再びタルヴォの懐に入り込んだ。二度も同じ手が通用するかと、膝でクロエを蹴り上げようとする。しかしクロエは怯まず、半分になった棒の先端をタルヴォの鳩尾に突き刺した。

 確実な手応えのあと、クロエの頭上から小さな呻き声が聞こえてくる。だがしかし、タルヴォは降参を宣言していない。手負いの獣ほど、最後の最後で驚くほどの力を見せるものだ。ここで気を抜いてはいけない。

 すぐさまタルヴォの懐から出たクロエは、まだ近くに転がっている槍を更に遠くへと蹴り飛ばす。鳩尾を押さえながら、それでも立ち上がるタルヴォの死角に入ったクロエはその場で反動をつけ、後ろ回し蹴りをその頭部に繰り出した――。

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