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「ご存知とは思いますが、現在我が王国では都での王位争いが火種となって各地で暴徒が発生し、徒党を組んだ人々が反乱や略奪の限りを尽くすというような状況がここ何年も続いています」


 ロランの口にした我が王国という言葉にタルヴォは小さく舌を打ったが、それ以外は誰ひとりとして話の腰を折ろうとする者はいなかった。


「発端は陛下のお加減が思わしくなくなり、政に支障を来すようになったことです。すると、徐々にではありますが王妃が政に口を挟むようになりました。当初は陛下のお考えを反映しその通りに采配を振るっていましたが、陛下が王妃を信頼し全権をお預けになると、まるで自身が王であるかのように下知を下すようになったのです」

「お前のところの王妃が王のように振る舞うのは、最近はじまったことでもないだろ。十五年前からそうだ」


 モウラは余計な口を挟むなとその腕を叩くが、タルヴォは止めない。


「当時都に送った使者が、帰ってくるなり族長のところで捲し立てていたのを覚えてるからな。国王に謁見を申し入れたところ、お前たちなんぞに会わせる義理もないと吐かしたそうじゃねぇか。それどころか俺たちを野蛮な部族呼ばわりした挙げ句、土地の返還を求めた使者に猫の額ほども明け渡すつもりはないってな、何様のつもりだよ」

「十五年前、ですか……」


 ロランはそうもらすと途端に黙り込み、瞼を半分ほど下ろすと物憂げな表情を浮かべた。視線を左から右へと巡らせながら、記憶の本を捲り何かを思い出そうとしているようにも見受けられる。

 だが、今は十五年前の話をしているわけではないのだ。その問題は後回しにせざるを得ない。


「王に代わり、王妃が采配を振るうようになって、何が変わった?」

「何もかもです。陛下が先王の時代から信頼し厚遇してきた知己たちを軒並み排除し、官吏を一掃すると、自らに都合の良い者たちで周囲を固めました。高価な宝飾品や調度品を買い漁り、豪遊の限りを尽くし、国財の底が見えはじめると民の税を徐々に重くしていく。陛下が手腕を振るわれていた頃では考えられもしないことです。それに十五年前のことだって、僕には陛下が指揮を執っておられたとは――!」


 少しずつ強くなっていく自らの語気にはっとして、ロランは「すみません」と小声で詫びた。


「王妃の失政は民の不満を煽り続け、領土各地で暴動を招く材料となりました。それは圧政へと繋がり、身を守る手段を持たない民は貧困に喘いでいます。国政は方正には執行されず、我が王国は現在に至るまで混沌とした状態が引き続いています」

「だけど、どうしてそんな状態になるまで王妃を放っておいたの? 誰も止めようとしなかったなんておかしいよ。病気だっていっても王がいて、王妃の子どもたちも君もいたわけでしょ?」

「仰る通りです」


 タイの最もな物言いに、ロランは自虐を含むであろう苦笑いを浮かべた。


「私の叔父、陛下の弟に当たる人物ですが、その叔父は当初から王妃のやり様には疑念を抱いていました。そして同時に、その欺瞞に満ちた態度を改め、民と正面から向き合うようにと何度も進言し続けていましたが、聞き入れられることはありませんでした。それでも叔父は王妃の権力に抗い続け、楯突く者として認知されると、反逆者の烙印を押されて国外追放とされてしまったのです」

「……国外追放?」


 クロエはそれを不審に思って声を上げ、眉根を寄せた。その心中を察したのか、ロランはクロエに目を向けて小さく頷いて見せた。


「叔父は文官武官を問わず人望にあつく、民からも慕われ、敬われています。そして叔父もその気持ちに応えようと努めていました。王妃にとっては、そのような叔父が驚異だったのです」

「それなのに国外追放で済まされるっていうのは、何とも妙な話だね」


 モウラが言いながら渋い顔をすると、その左側に並んだ三人が揃って首を縦に振った。

 こうして見ているとリンとジンはタルヴォを慕っているのではなく、モウラに倣っているのではないかと、クロエは思ってしまう。


「もちろん、王妃は叔父の処刑を望みました。陛下のお体が病んだ後に、官吏たちが次期国王にと見込んだのが叔父でしたから、自身の息子を王に仕立てたい王妃には邪魔な存在でしかありません。しかし、王妃の側使いとなった官吏たちでさえ、叔父の命を奪うことは憚られると考えました。殺すことができなかったのです。叔父の死が散り散りになった民の心をひとつにし、未だ王妃の勢力に取り込まれることを由とせずに抗っている官吏を刺激することも、避けなければなりませんでした。暴徒の沈静化は比較的容易いことでも、本格的な謀反を企てられては面倒なことになりかねません」

「だがな、それこそ馬鹿の考えることだ。そんな面倒な男はさっさと殺しておかねぇと、後々恐ろしいことになるだろうが」

「はい、私もそう思います。ですが、それが官吏たちの狙いだったのです」

「それはどういうことだい? 王妃はあんたの叔父とやらに謀反を起こさせたくはないんだろう?」

「家族や使用人を人質に取られ、仕方なく王妃の元に下っている者も少なくないということです。従わなければ皆殺しにされてしまいます。そのような者たちにとっては、叔父の存在が最後の望みでした。王妃による悪政を終わらせるためには、叔父に生きていてもらわなくてはならないのです」

「まあ、そうだね。それは分かったよ」


 モウラは難しい面持ちを浮かべたまま何度か頷き、少しずつ理解を深めようとしている。すべての偏見を取り除き、頭をまっさらにして評議会に望んでいることは明白だった。


「それで話を戻すけど、あんたはどうして追われることになったんだい?」

「兄も私も幼い頃から叔父を良く慕っていました。叔父が追放された後も彼との繋がりを疑われ、ことあるごとに王妃の追及に合っていたのです。王妃も私たちが目障りだったのでしょう、何度も刺客を差し向けられたことがありました。毒入りの食事や菓子折りも――誤ってそれを口にした王妃の息子がひとり命を落としています」

「それはまたなんとも……」


 幸運だったとも災難だったとも口にできず、モウラは語尾をはぐらかした。


「生まれつき病弱だった一番上の兄も、突然の死を遂げています。医官は病死だと言っていましたが、実際の死因は毒殺でしょう」

「まるで見てきたような物言いだね」

「その遺体を発見したのが、私の兄でしたから。ふたりは仲が良く、兄は長兄の部屋を頻繁に訪ねていました。その時に、黒く変色した銀器を見たと言っています。目を離した隙に何者かが持ち去っていて詳しく確かめる術はなかったようですが」

「そうして最後のひとりになるまで殺し合うっていうなら、王族っていうのは数奇なものだな。俺にはまったく理解できねぇけど」


 そう言いながら身を仰け反らせたタルヴォは後ろ手をつき、足を投げ出すようにして座り直した。だらしのない座り方を晒しながらも、その目がロランから逸らされることはない。


「叔父は国外へ移送される道中に配下の兵によって救出され、そのまま出奔しました。兄と私は叔父の態勢が整うのを待ち、密かに宮城を出て合流する予定でしたが、どこからかその企てが漏れていたようです。私たちには追っ手がかかり、時間を稼ぐという兄を犠牲にして、私はその場から逃げ出しました。どうにか合流場所へ向かおうとしましたがそれも叶わず、無我夢中で馬を駆り続けて、気がついたらあの森に……」


 話すべきことは話した。しかし、話す必要のないことには口を噤んでいる。

 クロエはロランに対してそのような印象を抱いたが、同じように誰もが青年の話に納得をしたというわけではないようだった。

 その最たる存在がタルヴォであり、セラトラは当初に声を発したきり黙したままでいる。子どもがいる母親としては母性が働くのか、モウラの感情は既にロランの方へと傾きかけているようにも感じられた。リンとジンは何やら難しい話がはじまったという面持ちだ。タイはじっと絨毯の一点を見つめたまま動かず、何かを深く考え込んでいる。

 室内は一瞬ひっそりと静まり返ったが、意外にもその沈黙を破ったのは最年少のタイだった。


「でもさ、みんなが本当に聞きたいのはそういうことじゃないんでしょう?」


 タイは自分の気持ちに正直だ。日頃からしがらみというものを感じず、自由奔放に育ってきたからだろう。遠慮というものがない。その物言いにはさすがのタルヴォでさえぎょっとしているようだった。


「さっきまでは十五年前の恨みだとか何だとか、そんなことばっかり言ってたくせに、いざとなると誰も聞かないんだから」


 小屋での話を影に隠れて盗み聞いていたラダも、その話だけは聞かずに走り去っていった。もっとも肝心なところを聞き逃したのだ。もしその話を聞いていたとすれば、タルヴォたちの出方も変わっていたのかもしれない。


「ラダは肝心なところを聞かずじまいだったからね」


 クロエと同じことを考えていたらしいセラトラが、久しぶりに口を利いた。

 おそらく、自らやクロエ以外の者たちの欲求を満たすために自由に話をさせていたのだろう。

 時間は過ぎ、窓の外からは西日が差し込みはじめている。橙色の光がセラトラの横顔に降り注いでいた。そのため顔色はよく見えたが、黒い影が彫りをより深く見せ、窶れ具合を強調させていた。


「十五年前の件が、王家の食卓を彩る話題として頻繁に持ち上がったとは到底思えない。彼にとっては、あの悲劇も紙の上の記録でしかないということだ。私たちが知りたいと思うようなことは、ほとんど何も知らないと考えるのが無難だろう」

「自分の国の歴史も知らねぇっていうのか? 百年、二百年前って話でもないんだぞ」

「隠したい、知られたくないという心理が働いているのかもしれない。何か不都合なことがあれば、歴史として継承したくはないだろうからね」

「不都合なんてよく言うぜ!」


 ちっ、と大きく舌を打ち、タルヴォは仰け反っていた体を勢いよく起こした。クロエと同じように胡座を掻くと身を乗り出して、ロランを睨む。


「だったらお前の国は不都合だらけじゃねぇか。俺らの祖先が開拓した領地を奪い取るだけでは飽きたらず、奴隷として扱き使ってきたんだ。この程度のこと、知らねぇなんて言わせねぇからな」


 タルヴォの目に睨まれ体を固くさせるロランだったが、それから逃れようとはしない。しかし膝の上で握り締めた拳の力は一層強くなり、爪が皮膚を破るのではないかと思われるほどだ。


「責任は他人任せにして良いもんじゃねぇんだよ。自分で背負ってなんぼのもんだ。俺は自分の娘の他に、兄弟の息子を引き取って育てている。そいつの父親は十五年前の夜襲で死に、母親は息子を産んですぐに後を追うようにして死んじまった」

「ちょっとタルヴォ、突然何を言い出すんだい!」

「国を育てることも、子どもを育てることも同じようなもんだろうが」


 タルヴォは隣に座っているモウラに目を向けたあと、そのままロランに視線を戻した。呆気に取られ、唖然としているタイのことは見ようともしない。


「そいつは俺の本当の息子じゃねぇし、俺が思うようにも育っちゃくれない。でもな、俺にはそいつを育てる責任がある。立派なシャラ族の戦士に育てて家から追い出してやるまで、そいつを守っていかなきゃならねぇ。一緒に酒を酌み交わせるようになるまでは、俺の分身も同然だ」


 タイが恥ずかしそうに俯くのを見ながら、クロエはやれやれと苦笑する。

 なぜ今になってそのようなことを言い出すのだと疑問に思うが、タルヴォの眼差しは真剣そのものだった。だが、このようなときだからこそ言えることもあるのだろう。家の外ではタイやサカリの自慢話をしていても、家族の前では堅実な父親でいたいのだ。

 クロエが思わず養い親を見やると、セラトラは半ば呆れているような面持ちで小さく肩を竦めていた。


「お前も一国を担う王子だってなら、その責任を果たしやがれ。けじめをつけてみろ!」


 タルヴォの怒鳴り声が居間に余韻を残す。モウラは自分の旦那を見て困った人だと言いたげに眉を寄せ、大きく息を吐き出した。


「まったく、偉そうなことを言うんじゃないよ。ここは評議の場だ、私情を交えるのはご法度だろう?」


 だが、そう言うモウラの声色にいつものような覇気が感じられないのは、タルヴォの気持ちが嬉しく、暗に感心しているからなのかもしれない。


「大体ねぇ、あんたは――」

「いいえ、タルヴォさんの仰る通りです」


 モウラの言葉を遮ってロランが大きく声をあげた。すると、全員の視線が一気にそちらへと集中する。それでもロランは構わなかった。まるで感銘を受けたとでも言い出しそうな強い目で、タルヴォを見つめ返した。


「私は――いえ、僕はこれまで自分に課せられている責任というものを無視して生きてきました。何をしても無駄だと決めつけて、王家に生まれた自分を恨むことしかしてこなかったのです。それでも兄の影武者くらいにはなれるだろうと思っていたのに、いざとなったら怖じ気づいて、兄を盾にして逃げ出してしまいました」


 嘘か真か、その目は後悔に揺れている。

 けれど、まるでひとりぼっちの野うさぎのような心細さを感じさせる傍らで、その目の奥には燃えるような意志が垣間見えるような気がした。

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