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 我が子も同然と思い育ててきた甥に反抗的な態度を取られ、タルヴォはその形相をますます歪ませていった。しかし、セラトラはタイに止めに入られたことで冷静さを取り戻したのか、深呼吸をして心の乱れを鎮めようとしている。唯一の気がかりは額に浮いている珠のような汗だが、本人には取り付く島もない。

 クロエはセラトラの様子に気を揉みながら、タイとタルヴォの動向にも十分に目を光らせていた。


「……親に向かって何ていう口の利き方だ」

「親なら子どもに道を示すくらいのことをしたらどうなの?」

「俺がいくら道を示そうとしたって、お前は俺の背中なんてちっとも見ようとしなかったじゃねぇか。今だってそうだろう、お前はたいした事情も知らないくせにセラトラの味方をしようとしている」

「敵とか味方とか、そういうものさしでしか人を図れないからタルヴォは駄目なんだ。いつだって自分の意見を押し付けることばかり考えて、少しは人の話に耳を傾けたらどうなの? タルヴォが鼻で笑うようなことでも、セラトラは真剣に聞いてくれるよ。話を聞いて、道を選ばせてくれるんだ。今回のことだって、セラトラがサルジの話を聞いた上での結果なのだとしたら、きっとそれが正しいに決まっているんだ」

「お前は骨の髄までそいつに荷担するっていうのか?」

「セラトラが僕たちの族長なんだから、従うのが当たり前じゃないか」

「……もう一度その名前を口にしてみろ、お前を勘当するぞ。それでもいいのか?」


 タルヴォは怒りに我を忘れていると、クロエは頭を抱えたくなった。

 同じ年頃のふたりは、幼い頃から常に比べられていたという。体格から性格まで何もかも両極端で、似ているところなどひとつもない。物静かなセラトラと快活なタルヴォは、ことあるごとにぶつかり合った。そして、勝敗はいつも決まって同じだった。現在族長の地位がどちらに与えられているか、それだけで答えは明白だろう。

 何事も器用にやり遂げてしまうセラトラに、タルヴォはいつも憤りを感じてきたのだ。だが、クロエは知っている。ふたりは互いに認めあっているのだ。互いのいないところでは確かに相手を受け入れ、気遣うことができるのだから。しかし当人たちはそれを認めず、今でも敵意を剥き出しにしている。

 しかも今は、手塩にかけて育ててきた甥までもが自分ではなくセラトラを贔屓にしていると、タルヴォは気が気ではないのだろう。


「タルヴォ、それはあんまり――」

「お前は黙ってろ」


 頭の隅々まで筋肉でできているような相手に、何を言っても無駄なのだろうか。そのようなことを思いながら、クロエはくしゃりと前髪を掻きあげ、現状を把握しようと思考を切り替える。

 タルヴォは完全に目の前の問題を見失っているのだ。いや、問題をすり替えてしまっている。ひとつの論点が枝分かれをし、更なる論点を生もうとしているのだ。これ以上の諍いとすれ違いは、この先も尾を引いてしまう。


「この程度のことで断ち切られる縁なら、最初から何もなかったのと同じことだよ」

「タイ、あんた何てことを言うんだい!」

「ごめんなさい、モウラ」


 タルヴォの後ろに立っていたモウラが、タイの言い草に驚きの声をあげた。それに対してタイは詫びるものの、その面持ちはひたむきだった。


「でも、こればっかりは譲れないんだ。僕は僕のやりたいようにやる」

「タイ……」


 モウラは一瞬とても悲しそうな表情を見せた。タイはその顔を目にしていながらも、何も感じていないようなふりをしてタルヴォに目をやる。


「感情に任せた話し合いなんてするべきじゃない。セラトラだって、今のタルヴォたちには王子を会わせられないって思うから、見えないところに隠しているんじゃないの? 何をするか分かったもんじゃないって――」

「ああ、もういい! もう十分だ!」


 話にならんと頭を掻きむしったタルヴォは、獣のように唸ってタイを一瞥した。そして、そのままの眼差しをセラトラに向ける。


「お前が何を思っているかなんて関係ねえ。いいか? これはお前ひとりの問題じゃねぇんだよ。ここに集まってるやつらはな、全員あの日のことを忘れられずに生きてるんだ。こんな山奥に籠って、田圃や畑を耕してのほほんと生きてるように見えても、心の底じゃ十五年前の自分と戦ってんだよ。あのときどうして逃げてきたんだって、何でその場に残って死んでいったやつらと一緒に戦わなかったんだってな」

「少しでも多くの同胞たちが逃げ延びて、部族の血を絶やさないことが族長の願いだった」

「お前はこれっぽっちも後悔してないって言うのか」

「生きるということに喜びは感じている」

「俺は喜びなんてちっとも感じねぇよ。死んだ仲間のことを思うと今でも体が震えるんだ。仲間たちの仇を討ちたくて体が疼く。腰抜けのお前には分からねぇかもしれないがな」

「私が腰抜けと呼ばれるのなら、君にも腰抜けの素質が十分にある」


 売り言葉に買い言葉とはこのことを言うのではないかと、クロエはそう思った。だがしかし、セラトラの表情には怒りや苛立ちというものがちらついてもいない。それどころか影が差し込んで、それが悲痛さを感じさせていた。


「あの戦場から逃げた我々全員が、君が言うところの腰抜けだ。最高の戦士たちは皆あの戦場で果てた。だが、生き残った者を引き連れて部落を組み、そこで族長と呼ばれている私が最も卑怯で滑稽な腰抜けだ。それは認めよう」


 タルヴォが言い返す言葉を見失い、僅かに逡巡するのが分かった。

 里人らは隣り合っている者たちと何事かを囁き合いながら、行く末を見守る体勢だ。

 このままで済めば良いが、そう楽観してもいられないだろう。誰もタルヴォの発言に異を唱えず、タイに賛同を示さない。受け身の姿勢はどちらにも傾倒し得るのだ。そして今、その天秤はぎりぎりのところで均衡を保っている。


「だが、仲間の仇を討とうと言う君に彼を引き合わせるわけにはいかない」

「なぜだ!」

「復讐は更なる憎しみを生むだけだ、タルヴォ」

「あいつらに俺らと同じ苦しみを味わわせて何が悪い!」

「君は彼を杭に縛りつけ、石を投げつけるだけで満足できるのか? そうではないだろう。十分に痛め付けた後で森の奥まで引きずっていき、木に吊るして犬狼に捌きを託せば気が済むのか? それも違うな。君の苦しみや憎しみはその程度で帳消しにされるほど生半可なものではないはずだ。例え彼を殺したとしても、その恨みが消えることはない」


 十五年前の戦いで、シャラ族の半数以上が息絶えた。死んでいった多くの戦士たちは、心身共に鍛えられた歴戦の勇士たちだった。精神が成熟していた彼らを失い、残されたのは未熟な若者ばかりだ。その昔は評議会によって理性的に物事が取り決められ、力による行使は極力排除する方針で話を進めていくことがほとんどだったのだ。

 戦えば勝ち目は大いにあるだろう。だが、多くの命を奪えば同じだけの憎しみを買うことになる。憎悪は繰り返されるのだ。いつ終わりが来るのだろう。最後のふたりになっても、争いは続くのだろうか。血気盛んな若者ばかりが残されたシャラ族の理性は、望むべくもない状況だ。


「クロエが森で行き倒れていた彼を拾い、連れ帰った。それをネグロが看病し、今は順調に快気へと向かっている。ラダが何と言って君たちに伝えたのかは分からないが、それが事実だ。彼が真サルザ王国の王子であると判明したのも本日のことで、今はまだ話を聞いている段階であるとは伝えておこう」


 はあ、と大きな息を漏らしたモウラは、タルヴォを押し退けて前に進み出てくる。


「たったそれだけの説明であたしたちが納得するとでも思っているのかい?」

「納得してもらわなくては困る。私たちもまだ詳しいことは何も分かっていないのでね」

「だったらその王子とやらに説明をさせておやりよ。ここへ連れておいで、膝を突き合わせて話し合おうじゃないか」

「私は邪推してしまうな、モウラ」

「あたしにタルヴォのような下心があるんじゃないかって?」

「ないとは言い切れないだろう?」

「もしその王子に会わせてくれるって言うなら、タルヴォのことはあたしが請け負うよ。あたしの拳はクロエにでも預けよう。それでどうだい?」

「クロエが冷静でいられる保証はない。一体誰が彼女を請け負う?」

「私なら大丈夫だ」


 クロエは会話に置いていかれないよう急いでその言葉を口にした。すると、前に立っていたセラトラが肩越しに振り返り、細めた目でクロエをじっと見つめる。

 この辺りで妥協をしたと見せかけ、決着をつけなくては面倒なことになるとクロエは感じていた。


「タイのおかげで頭が冷えたよ。もう誰にもつかみかかったりしない」

「……信じていいんだね」

「うん」


 その目をまっすぐに見つめ返して頷くクロエを、セラトラは無言で見入っていた。しかし、間もなくするとこめかみを押さえながらゆっくり頭を振り、再び前に向き直る。


「分かった。では、慣例に従い評議会を開こう。それで皆が納得するというのならね」

「そうと決まればこうしちゃいられないね。こっちはあたしとタルヴォ、それから適当に二、三人見繕って行くよ」

「こちらからは私とクロエが――」

「僕もだ!」


 ふたりの間で手早く取り決めが作られていく最中に、タイが手を挙げて自らを主張した。セラトラはタイを横目に見るが何も言わない。だが、タルヴォがそれに異を唱えた。


「これは評議会の取り決めだ、勝手なことを抜かすな。餓鬼が足を踏み入れて良い領域じゃないんだ!」

「いや、構わない」


 過剰に反対して見せるタルヴォを差し置き、セラトラが言った。


「こちらからは私とクロエ、それからタイが参加する。定員は七名だ、残りはそちらで決めてくれ。では、四半刻後に集まろう」

「おい、待ちやがれ! そいつは俺の管轄だ、お前の自由にはできないぞ!」

「ついさっき、あんたはあの子を勘当したんだろう?」


 そう言って突っかかろうとするタルヴォの耳を、モウラが力任せに引っ張った。タルヴォはそれを痛がりながらも懸命に食い下がる。


「あ、あれはその場の流れってやつで……」

「タイだってもう子どもじゃないんだ、好きにさせておやり。それだけの覚悟があるんだろうからね」


 そう言いながらも、モウラは養い子の顔を見ようとはしない。タルヴォのように露骨ではないものの、タイの出方に衝撃を受けていることは間違いないようだった。


「じゃあ、あたしたちは一旦退くよ」


 モウラはひらりと手を振ると、タルヴォを引きずるようにしてその場を去っていった。そのあとを若い衆たちが追いかけていき、野次馬たちに何事か声をかけて解散を促している。


「良かったのか?」


 クロエは養い親の背中を見送っているタイの横顔にそう声をかけた。タイはクロエを見上げて苦笑いを浮かべ、良いんだ、と言って頷く。


「僕は僕のやりたいようにやるって決めたんだから」

「……本当に、少し見ない間に変わったんだな」

「タイは昔からそういう子だったよ」


 セラトラはタイに近づいていったかと思うと、その頭に手を置いて複雑そうに微笑んだ。そして何かを言いかけるが、思い直したように口を噤む。


「頼りにしているからね」

「うん、任せてよ」


 そうして互いに笑い合うふたりを見て、クロエは少しだけ妬いてしまった。だが、それで良いのかもしれないとも思うのだ。もしまたクロエが旅立つことになっても、タイがいればセラトラも退屈を覚えることはないだろう。タイもセラトラから多くを学ぶことができるはずだ。クロエがタルヴォの元で武術を学んできたように、得るものは多分にあるはずなのだから。

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