それでも、世界は

泉 遍理

それでも、世界は

 松田がこれまで死のうと思った回数は、42年の人生の前半だけで100回は下らないだろう。親にこっぴどく叱られる度、クラスメートと大ゲンカする度、失恋する度。受験に失敗したときは本当に、カッターを取り出した。鬱屈した感情の表現の仕方が分からなかった。


 大学での出会いが彼を変えた。講義で、世界の途上国の飢餓についてという、不偏の問題を初めて知ったのだ。何を今更、という友人の方が多かった。自分がこれまで無知だっただけということも理解している。それでも何もしないわけにはいかなかった。

 無知な分無鉄砲な情熱が、彼を突き動かした。


 大学中に一人で国際貢献のサークルを立ち上げ、学祭ではチャリティーの募金や古着の提供を呼びかけた。身の回りのものを手当たり次第詰め込んだ。なんでもいい。「2-2松田」と名前を書いた中学のあずきのジャージを持ってきたときは、とうとう友人が噴き出した。


 あきらめた夢のサッカーボールを丁寧に磨いて箱に詰め、少ないバイト代もつぎこんだ。途上国に送れるものはなんでも送った。

 そうした活動が、いつの間にか多くの協力者を呼び込んだ。卒業の年にはサークルのメンバーは20人を超え、何より彼自身に笑顔が増えた。


 4年になって、フェアトレードと呼ばれる、当時はまだ認知度の低い貿易手段を取る会社に自らアプローチし、内定を掴んだ。学生の間のボランティアだけで終わらせるつもりはなかった。

 自分が世界を変えてやる、と意気込んだ。届け。



 毎日が飛ぶように過ぎた。



 一人暮らしのアパートに帰ると、室内は湿気っていた。外はまだ雨が止まない。大学卒業20年の同窓会には、とうとう顔を出さなかった。もう42になったのか、と当たり前のことに驚く。


 昨年まで日本とカンボジアを往復する生活を送っていた。日本の漁師が使う漁業用の網を応用して、カンボジアで生産できないか交渉していたのだ。カンボジアにはまだまだインフラが整わない地域が多くある。急流な川に橋がなく、声の届く距離に行けないために生活に苦労する人々が多くいる。

 日本の技術を応用した、軽くて丈夫なロープを作れれば橋作りに役立つ。現地で製品化できれば、災害時の救助用に日本に売り込むつもりだった。


 海外事業の一切から撤退する、との会社の決定は正に寝耳に水だった。急きょカンボジアから戻り、家にも寄らず本社に直行した。

 採算が取れないという、それだけの言葉で全てを片付けられた。

 彼は食い下がった。フェアトレードは長い目で見なくてはならない。自分がアフリカで開拓したコーヒー農園だって、10年かかったが今では大手の缶コーヒー会社が高値で買ってくれる。現地の労働者にも十分な賃金が払えている。それが品質の向上を生む、と。カンボジアだって、いつか。


 会社の応答は素っ気なかった。現地のコーヒー農園のすぐ側に、北欧企業が広大な土地を買い付けた。競合すれば勝ち目はない。コーヒー事業も譲渡する。

 これから何をするのか、との問いには、インターネットの販売業という信じられない答えが返ってきた。オフィスは日本国内にしか置かないという。通販会社に鞍替えするのか。


 なにかの思惑を感じ取った彼は、コーヒーの代理販売を行う喫茶店に向かった。困り顔の店長が、昨年からコーヒー豆の値上がりを嘆いていた。彼はそれも知らされていなかった。 どこかの大手にいい値を提示されたのだろう。事業の一切を売って、ぼろ儲けしたつもりになっているのかもしれない。

 海外の新規事業の予定もないと言われては、退職の道を選ぶしかなかった。

 結局、強者が弱者から吸い上げる手伝いをしただけなのか。そんなことのために20年を費やしたわけではないのに。

 

 涙が出た。これまで笑った分の全てが涙に変わってしまった気がした。



 六畳一間のアパートには、ほとんど物が残っていない。大学からそのまま住んでいるが、もともと私物は少なかったし、この一週間で残りのほとんども片付けた。ここで死んだら大家に迷惑をかけることは申し訳なく思うが、他に思い当たる場所もなかった。


 家族がいたら、結婚していたら、なにか違っただろうか、と何度も考えたが、結論は変わらないような気がした。自分はずっと、理想の中に生きてきたのだ。一方で利益を求める連中が間違いだとも思わない。

 ただ、世界が変わらないことに気づいただけだ。


 あるいは、受験に失敗してカッターを握った日から、自分は何も一つ変わっていないのかもしれない。得意になって救いの手を差し伸べたつもりになっていたが、それは誰にも届かなかったのかもしれない。


 時計を見ると夜の3時を回っていた。もうじき4時になる。時間にこだわりはなかったが、生活の喧騒が始まる前に死にたかった。結局、大量の睡眠薬を飲むというありきたりな方法を選んだ。

 退職して生活に不安を感じ、不眠だと訴えるとあっさりと薬を手渡されていた。


 テーブルに並べた薬を手にした瞬間、玄関で物音がした。帰国してから取り始めた新聞を、解約し忘れていた。そのままでもよかったが、新聞が残っているせいで死に切る前に不審に思われても面倒だと思い、抜き取りに行く。


 社会面を開いたのはただの習慣だった。アフリカの青年団が自分たちでコーヒー農園を開拓し、欧米企業と対等に取引するという。フェアトレードの理想、完成形を写真付きで特集している。まだ収穫にはほど遠い、若い木々の前でピースする青年たちの一人が、下手な字で胸に「2-2 松田」と書かれたジャージを着て微笑んでいる。


 彼の目からまた涙が流れた。これまでとは熱の違う涙だった。届いていた。

 ここで自分が死んでも、世界は変わらない。生きたからといって変えられる保証はない。それでも。

 もう一度。

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