桜の大樹

如月李緒

第1話 桜の大樹

 沈黙の霧――それは想区と呼ばれる世界を繋ぐ空間。

 その場所には何もない。

 何も存在できない。

 沈黙の霧は、あらゆる言葉や概念を飲み込んでしまう場所。

 その霧の中を突き進む一行がいた。

 ――調律の巫女御一行。

 彼らは、全智の存在、ストーリーテラーに与えられるはずの運命を与えられなかった、異端の存在だった。

 彼らの目的は、ストーリーテラーによって定められた運命に逆らう存在……混沌の元凶であるカオステラーにとりつかれた者を止め、調律することで運命を元通りにするということだった。

 つまり、一行はカオステラーの現れた想区を調律するために旅をしているのだ。



「あ……っ」

 霧が晴れる。それは、次の想区についたということ。

「……おかしいわね。ここは一体……?」

「おお、これはこれは」

「なんだぁ?お嬢、とうとうカオステラーのいる想区への道も迷うようになってきたんじゃねぇかぁ?」

「桜の樹……?」



 彼らは目の前に広がった世界は想区というにはあまりにも狭い世界だった。

 世界の隅にいるというのに、この世界のほぼ全てを視界に収めることができるほどに、世界は狭い。

 その世界は、中心に桜の大樹があった。

 桜の大樹を中心に世界があって、桜の大樹しか、無かった。



「まぁ、いいじゃない。どうせだもの、ここで休憩していきましょ」

 レイナは、桜の樹の下に腰を下ろした。

「……まぁ、たまにはいいかもな」

 タオも、手頃な枝を使って、桜を登り、昼寝にちょうどいい場所を探す。

「ちょうど桜も満開ですし……お花見しましょう」

 シェインはシェインで、言葉とは裏腹に武器を取り出し、手入れを始めた。

「……ははは」

 エクスは1人、マイペースなみんなの姿に乾いた笑いを漏らすのだった。



『あなたたちは、だぁれ?』

 のどかな空気が漂っていた。

 そこに響く1つの声。

 最初に聞いたのはタオだった。

「あ?」

 タオは、声の主を確かめようと、辺りを見回す。

 目に写るのは武器の手入れに瞳を輝かせているシェイン、舞い散る桜の花びらを追いかけてこの休憩を満喫するエクス、そして樹の根元にいるレイナだった。

「……お嬢、何か言ったか??」

 一番近いレイナに、声をかける。

「……」

 しかし、レイナの反応はなかった。

「……おーい、お嬢??」

 さっきより大きな声で呼び掛ける。

 すると、レイナはピクッとした。

「……っ!?な、何よ、寝てなんかないわよ!!」

 あからさまに寝起きのレイナに、タオは呆れ気味に返した。

「寝てたのか……。わりぃな、邪魔して」

 タオの言葉に、意識が完全に現実に引き戻されていたレイナは頬を真っ赤に染めた。

「寝てなんかないっていってるじゃない!」

 真っ赤な顔で吠えるレイナのことを、タオはもう気にもとめていなかった。

(お嬢じゃねぇんなら、さっきの声は誰だ?)

 しばし考えるが、答えは見つからない。

 タオは結局、幻聴が聴こえたのかもしれないという結論にいたり、大きなあくびを1つもらした。

「……寝るか」


「もう、なんなのよ。寝てないのに……」

 レイナは、勝手に寝ていたと決めつけられ、挙げ句の果てにそのまま話を終わらせたタオに苛立っていた。

『寝てたじゃない。うたた寝、気持ち良さそうだったよ』

 そこに聞こえる1つの声。

「~~っ!!だからっ……」

 レイナは、落ち着きかけていた頬を再度真っ赤に染め、タオの方に顔を向けた。

 しかし、声をかけてきたと思われたタオは寝息をたてて眠っていた。

「……あら??」

 レイナは不思議に思ったが、結局大して気にもとめず誰のものかわからない声が聴こえたことなんて、すぐに頭の隅に追いやってしまった。


『……きれいだね』

 うしろから聞こえた声に、シェインはそれがエクスだと思い、武器の手入れをする手を止めることなく返す。

「新入りさん、ようやくこの美しさがわかりましたか」

 しばし沈黙の後、返事が返ってきた。

『……うん、とても美しいよね』

 肯定的な言葉に、シェインは喜び、詳しい説明をしようと返事をしながらうしろを振り返る。

「そうですよ。特に今手入れをしているこの……」

 しかし、そこにエクスの姿はない。

 よくよく見れば、まるで日向ぼっこをするように、大の字で大地に身をなげているエクスの姿が確認できた。

「……???」

 シェインは不思議にこそ思ったが、ふと武器の手入れの途中だったことを思いだし、また武器の手入れに戻った。


「……ん~~……」

 エクスは、この休憩を満喫しようと考えていた。

 手始めに桜の花びらを掴めないかと舞い踊る花びらと格闘する。

 なかなか掴めない中、バランスを崩し、盛大に転んだ。

 しかし、そのときとっさに握った手の中には、桜の花びらが一枚掴めていた。

 それが嬉しくて、そのまま大の字になる。

 深呼吸をする。

 ぎゅーっと、体をのばす。

「……こんなに穏やかなのはいつぶりだろう……」

 レイナたちと出会って、ずっと一緒に旅をしてきた。ずっと、毎日がせわしなく過ぎていった。

『気持ちいいね~』

「うん…」

 なんだか、気持ちよすぎて眠くなってきた……。

『お兄ちゃん、桜はお好き?』

 "お兄ちゃん"という呼ばれ方に、エクスは違和感をもつ。

「え……?」

 それもそうだ。仲間たちの中に、エクスのことを"お兄ちゃん"と呼ぶ者はいない。

 そこでようやく、自分が仲間以外の誰かと会話をしていたことに気づく。

 体を起こし、周囲を見渡すが、知っている者たちしかいない。

「君はだれ?どこにいるの??」

 エクスが、声に話しかけると、帰ってきたのは笑い声だった。

 それはとても楽しそうな……愉快そうな笑い声だった。

『……あっ』

 しかし、その声はエクスが思いもしなかった事態によって止められた。

「クルルゥ」

 それは、ヴィランの声。

 それは、沈黙の霧から現れた。

「タオ!シェイン!レイナ!!」

 エクスが叫んだことで、3人はヴィランの存在に気付いたようで、"導きの栞"を手にする。

 導きの栞―――それは、ヒーローの魂と繋がるコネクトするための大事な栞。

 エクスがコネクトしたのは巨大な豆の木に登り巨人と戦う勇敢な少年、ジャック。



「あっ!!」

 桜を背にヴィランたち戦う一行。

 全てを倒したと思い、エクス以外の3人がコネクトを解除した瞬間、レイナの声が響いた。

 レイナの声に、これからコネクトを解除しようとしていたジャックエクスが振り返ると、桜に近づく黒い影が見えた。

 桜に近づくヴィラン。走って止めようにもこの距離では間に合わない。

 ヴィランの姿に皆が気づいたが、ジャックエクス以外の皆は既にコネクトを解除し"導きの瞬間"をしまった後だった。

「っ……!」

 エクスは、"不思議の国のアリス"の帽子屋ハッタにコネクトを切り替えるのと同時にヴィランに攻撃をしかけた。

「クルァ……ッ!?」

 ハッタエクスの攻撃に、ヴィランの注意が桜からそれる。

「我らの花見を邪魔するなんて許しませんよ」

 ハッタエクスは、追撃しようと杖を構えたが、その時、その場にいる一行の誰のものでもない声が響いた。

『―――守ってくれてありがとう』

 そして、その声が響いた瞬間、舞い落ちる桜の花びらの一部がまるで意思を持っているかのような動きでヴィランに突っ込む。

 その花びらは刃のようにヴィランの体を切り裂いた。


 ―――守ってくれてありがとう。

 その声はみんなに聞こえていた。

「一体、誰の声だったのかしら?」

 ヴィランが去り、本来なら休憩を取り直すところ。

 しかし、あの声が気になった一行は想区をぐるっと一周した。

 しかし、どこにも声の主らしき姿はない。

「桜じゃねーか?」

 タオがコソッと言うと、シェインが「まじで言ってます??」と少し呆れ気味に言った。

「タオ兄、それはさすがに安直すぎませんかね?」

 シェインの言葉にタオがチラッと桜の目を向ける。

 そんなタオの姿を見て、何かを思いついたのか、シェインはレイナに目配せをした。

 そして、タオもなんとなくシェインの考えを察したのだった。

「……でも、だれもいないし……。もしかしたら、そういう想区なのかもしれないよ?」

 そこに、1人シェインの考えを悟れなかったエクスが言葉を発した。

 その瞬間、タオとシェインがエクスを睨んだ。

『そうかもね~』

 そこに響くのはあの声。

 エクスは、タオとシェインがニヤリとしつつ、じっとエクスを見つめるその異様な状況に、頭がついていかず響いたその声にも反応できなかった。

「……」

 そして、他の一行も何も反応しない。

『……あれ?無反応??』

 一行の様子にその声は戸惑うように声を上げたが、だれ1人反応しなかった。

「シェイン、思うんですけど……みんな疲れてるんじゃないですか??」

 そこにシェインが真面目な顔をして言った。

「……そうね、幻聴が聴こえるくらい疲れてるのね」

 レイナも、体を伸ばしながらシェインの言葉に乗る。

「……そうだな」

 タオも、なにかを悟ったように返事をした。

 しかし、エクスだけが1人、その会話に取り残されていた。

「え?あ、……うん、そうだね」

 みんなどうしたの?と言おうとしたが、え?と言った時点で3人の視線が痛いくらいに圧を帯びてエクスに注がれた。エクスは訳もわからずとりあえず話を合わせる。

「……よし、ちょっと休憩したら次の想区へ向かいましょう」

 レイナは沈黙の霧を見つめた。

『え、ちょっと』

「そうですね、そうしましょう。(どんな武器があるか楽しみです)」

 シェインも、沈黙の霧の先にある次の想区に胸を膨らます。

「んじゃ、ちょっと最後に昼寝でもしてこうぜ」

『あの……』

 タオは1人桜の方を見た。

「いいんじゃない?」

『よくないですよ!!』

「シェインも賛成です。どうせですから桜の根元で寝ましょう」

『いや、あの……!』

 レイナとシェインも桜の方へ向き直り、あるきだす。

「エクスも、それでいいわよね?」

 1人歩いてこないエクスに、レイナは振り返り声をかけた。その目は暗に早く来てといっているように感じた。

「あ、うん。もちろんだよ」


『ちょっと……!?』

 どんなに話しかけても反応してもらえない。

 声の主は本当に幻聴として扱われ、無視され、傷ついた。

 とてもとても傷ついた。

 一行は桜の根元で横になっている。

(本当に無視してどっか行っちゃうつもりだ……)

 傷ついた声の主は、人知れず涙を流す。

『―――もう、1人は嫌なの……っ』


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