track 03-藍色の襲撃者
少女の足元から漏れ出した空気は一瞬で周りに広がった、重たいまるで水の底にいるかのような藍色の空気だ。
『ウミユリ海底憚』
例の文字が浮かぶ、だんだん理解してきたぞ、コレは俺に目の前で使われた異能がどんな名前なのかを教えてくれているんだ。
あのタイトルの異能を使うという事はあの人は……
「ナブナ君、君も向こうの人間だったのか」
ささくれさんが残念そうにため息をつく、その右手には長い柄の付いた柄杓が握られていた。
『ネコソギマターバップ』
「離れよう、僕らじゃ戦えない」
そう言うといつの間にか立ち直っていたJunkyさんはまた僕の手をとり肩を掴ませ、ポケットに手を入れた。
『メランコリック』
またあのフィルターがかかったかのような視界が戻ってくる、ウミユリ海底憚のあの空気と重なってより視界が悪くなっていた。
ささくれさんとナブナさんが対峙する、ナブナさんの隣の少女はなんだか悲しそうな目で虚空を見つめていた。
「聞いてたのより1人多かった気がするんですけど、誰ですかあれ」
「僕らと同じボカロPだよ、ルーキーなんだから優しくしてあげてね」
ナブナさんの周りがキラキラと不思議な光を放った、まるで見えない破片のような物が浮いているかのようだ。
『透明エレジー』
破片の先端がささくれさんへと向く、それに気付いたささくれさんは杓子を大きく振る、するとささくれさんは空気に溶け込むように消え去ってしまった。
「ネコソギマターバップは擬態の能力なんだよ、おおかた周りの水みたいな空気にでも擬態したんじゃないかと思う」
隣でJunkyさんが解説した。
目の前で敵を見失ったナブナさんは手を振り上げる、それに呼応して周りにさらに無数の破片が出現した。
「あの女の子が異能の本体なんだろうけど、ヒトの姿をした相手を攻撃するのはどうにも気が進まないなぁ」
どこからかささくれさんの声がする、擬態した状態で近くに潜んでいるのだろうか。
それにしてもさっきから動きにくい、まるで水中にいるようだ。
動き回るJunkyさんの肩を離さないように必死で走りながら打開策を考えるが、つい昨日まで平和に暮らしていた俺にそんなものが思いつくはずもない。
考え事をしながら走っていると、壁に思いっきりぶつかってしまった、しかし目の前を見ても何も見えない、さっきの透明な破片だろうか。
ふと違和感に気付く、あのフィルターのような靄が取れている、辺りを見ると顔を押さえて倒れ込むJunkyさんが目に止まった、どうやら顔面を強打したようだ。
「痛い……もう無理だこれ……」
異能が解除されたためか例のモードに突入してしまったJunkyさんの方にナブナさんの視線が移った。
「Junkyさん!避けて!」
俺の声に反応する時間も無く、透明の破片が襲い来る。
しかし間一髪のところで破片は何かに弾かれた。
「この空気の性質が水に似ているからかな、ただでさえ透明な破片が見えにくくなっているから気を付けて」
ささくれさんだ、Junkyさんを守るように姿を現している、杓子には深い切れ込みが入って今にも折れそうになっている。
弾かれた破片がナブナさんの元へと返っていく、破片はより集まり、ナブナさんを取り囲むように整列した。
「向こうもステルスを使えるのか、厄介だね…」
ナブナさんを取り囲む破片がキラキラと光り、ナブナさんの姿がゆらりと消えた。
『アンチグラビティーズ』
ささくれさんがその場でフワリと浮かび上がりついでに杓子を生成し直した。
「どうにか逃げ出す方法を考えてみるよ」
ささくれさんはそう言うと再びその場に溶け込んだ。
「僕らも逃げれるように努力しなきゃ……彼1人に任せるとすぐ限界がきそうだ」
上空でパリンと音がする、ささくれさんが杓子を破片の1つに叩き込んだようだ。
辺りに立ち込める異様な空気を感じ取ったのか、周囲の住民が窓やベランダから顔を出す、透明な破片がそこらを飛んでいるため鼻先を掠める見えない凶器に恐怖を感じてすぐ引っ込む人もチラホラと見えた。
「ささくれさん!このままだとすぐに異能対策部隊が来ます!」
「まずいね、ナブナ君も捕まっちゃう」
破片が割れる音と金属を切りつける音が響く中からささくれさんがJunkyさんに叫び返した。
見えない戦いだ、時々姿を現しては消える2人の様子はまるで波間に見える魚のようだった。
ふと先ほどまでナブナさんが立っていた道を見る、あの少女はまだそこに立ち尽くし、2人が戦う空中を悲しげな表情で眺めていた。
─これはチャンスなのでは?
ふとある考えが浮かび、少女の元へと歩み寄る、俺の接近に気付いた少女はこちらを見上げてじっと見つめてきた。
「ええと、君のご主人、このままだと悪い人たちに捕まっちゃうんだ、だからこんな事止めてさ、一緒に逃げようよ」
話が通じる保証はない、しかし交渉はやってみない事には成功しない。
「バックくん!危ない!」
Junkyさんの声にハッとして上を見る、透明な破片がキラキラと光りながらこちらに迫ってきていた。
思わず目の前の少女をかばいながら横っとびに避ける、助けた後から考えると異能の本体であるこの子をナブナさんが傷つけるはずはない事に気付いた。
「Junkyさん! またあの見えなくなるのやる事ってできないんですか!?」
次々飛んでくる破片を避けながら辺りを走り回る、見えないし動きにくいしで間一髪で避けているものばかりだ。
「あれは見えなくなる、触れれなくなるってだけで物理攻撃は普通に当たっちゃうんだ! だからこうして物量で攻められるとどうにもならない! むしろポケットに手を入れてる分避けにくい!」
Junkyさんが早口で答える、俺より必死で避けて回っているようだ。
ダメだ、空気が纏わり付いて上手く走れない、このままだとあの破片に切り刻まれて……
マイナスな想像をしたせいだろうか、足がもつれてしまう。
俺の身体は重力に従い地面へと叩きつけられた。
ヒュンと風を切る音がする、破片が迫ってきているのだろう。
しかし俺の身体に来た衝撃は切りつけるそれとは全く違うものだった、誰かに横から思いっきり転がされた感覚、実際、俺の視界は地面から一転して空へと向いていた。
我に返って先ほど自分が転んだ辺りを見る、すると破片で首元から胸にかけて大きく切り裂かれてしまった少女がそこに座り込んでいた、傷からはキラキラした粒子が漏れ出している。
「え……何で……」
俺の問いかけに少女はニコリと笑いその場で粒子となって散開した。
同時に辺りを覆っていた重たい空気が消え去る、身体の自由を急に取り戻したJunkyさんがその場ですっ転び、またもや顔面を強打した。
数テンポ遅れてささくれさんがナブナさんを抱えたまま着地する、ナブナさんは気を失ってしまっているようだ。
「どういうわけか急に気を失ってしまってね、君たち何かした?」
顔を赤くしながら涙目でJunkyさんが起き上がる、まるで状況を把握していないようだ。
「ささくれさんが言っていた本体の女の子と交渉しようとしたんですけど……上手くいかなくて……そしたらその後あの子が俺をかばってあの破片に刺されて……」
自分のせいで1人の少女の形をした何かが切り裂かれて消えるというのはあまり気持ちのいい光景ではなかった、とてつもない罪悪感でいっぱいだ。
「君……他人の異能の本体と心を通わせたのか……?」
Junkyさんが信じられないといった表情で俺に問いかける。
「え、心を通わせたってほどではないですけど……むしろ話もできなかったんで……」
「いや、異能の本体がその特性や異能者の指示以外で異能者でない者を守ろうと動く事なんて、本来はありえないんだよ」
ささくれさんも同じく信じられないといった感じで言った。
「君……一体何者なんだい……?」
辺りに散らばった透明な破片が少女のそれと同じような光りの粒子となって消えていく中、ささくれさんの問いかけだけが俺の耳にこびりついた。
─────────────────────────
sasakure.UK
異能
3-ネコソギマターバップ:様々なモノに擬態する能力。姿自体を変える擬態ではなく相手から見える自分の姿を操作する。異能の本体は杓子。
4-アンチグラビティーズ:水中、もしくは重力下での自由な移動を可能にする能力。
n-buna(ナブナ)
「透明エレジー」「ウミユリ海底憚」等のヒットを飛ばすボカロP
異能
1-ウミユリ海底憚:辺りを水のような性質の空気で満たす異能。固有結界として分類されるためか、その中央には常に悲しげな表情の少女が立っている。空間内では異能者以外は息苦しく動きにくい状況になるが、異能者本人は自由に動き回る事が可能であり、泳ぐように空中を移動することもできる。
2-透明エレジー:透明な破片のようなものを自在に操る能力、時間の経過や感情が高ぶるにつれて破片の数は増える。ウミユリ海底憚の結界内部で使うと破片で物を覆う事によりステルス兵装として使う事も可能になる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます