霧に舞う少年

PeaXe

霧のかかった遺跡

 そこは永遠の平和が約束された世界。

 神様が人に与えた『願いを叶える水晶球』は、あらゆる人のあらゆる願いを叶えました。


 しかしその水晶球は、願いを叶えるごとに力を失っていきます。

 水晶球の力が完全に無くなってしまうと、世界は『霧』に包まれると神様は言いました。

 霧は人の心を離れさせ、やがて人を滅ぼしてしまうのです。


 しかし、神様はこうも言いました。

 水晶球に残された最後の力で『ひと1人分の命』を捧げれば、力は回復するのです。


『水晶球に命を捧げる運命は、この世界で最も幸福な運命だ』


 そう、言われていました――


 ☆ ☆ ☆


 『沈黙の霧』――

 それは、童話の世界想区を区切る、濃霧が立ち込める領域である。シンデレラや赤ずきんといった別の物語を区切る、先の見えない濃霧を指す言葉なのだ。


 これは、それぞれの《想区》で神にも等しい存在―― 《ストーリーテラー》と、その神から『運命』を与えられなかった少年少女達の物語。


 物語を作り出すストーリーテラー・・・・。

 今現在、彼等自身が、彼等の生み出した物語の運命を変貌させる、狂った執筆者カオステラーとなってしまう想区が次々と生まれている。

 そして、そんなカオステラー達を『調律』し、元に戻す為に旅する者達がいた。

 彼等は、通称『調律の巫女』一行と呼ばれている。これまで数多くの《想区》を混乱に陥れてきたカオステラーを『調律』し、歪んでしまった運命の全てを元に戻してきた。

 輝くような金色の髪を揺らし、凛とした空気を放つ『調律の巫女』と呼ばれる少女、レイナ。

 灰色の髪を一部まとめ、男のロマンと聞いては黙っていられない兄貴肌の青年、タオ。

 サラサラの漆黒の髪をふんわりと結い、タオの妹分であり旅仲間、ツッコミ役でもある少女、シェイン。

 そして、自らの運命を切り開くべく、彼等と旅を共にする、エクス。

 彼等は決して血の繋がった存在というわけではない。タオとシェインは同じ想区の出だが、レイナとエクスは彼等と全く別の想区の出だ。エクスは、このメンバーの中で過ごした時は最も短い。未だに、シェインからは新入りさんと呼ばれるほどだ。

 彼等は『空白の書』と呼ばれる本の持ち主であるという1つの共通点の元、共に歩き、考え、戦い、あらゆる《想区》を巡った。既に両手で数え切れないほどの《想区》を。

 ・・・・。

 あらゆる《想区》の人々が、ストーリーテラーの書く『運命の書』に従って生を全うする。それはどのような《想区》でも一般常識であり、誰もが『運命の書』を見るのが日常に組み込まれている。

 しかし。この旅を続ける彼等4人は違う。自身のこれまで、これから起こる事の全てが書かれた『運命の書』に対し、何の運命も記されていない『空白の書』を渡された者達なのだ。

 生まれてから死ぬまでの全てが書かれた運命の書。それを渡されず、どのような未来が待っているのかが全く分からない彼等は、それでもカオステラーを調律し、物語を本来あるべき姿へと戻す為、先の見えない濃霧を通り抜けてきた。

 物語を調律する力を持つレイナがカオステラーのいる想区を感知し、その想区へと入る。そしてカオステラーが乗り移っているキャラクターを見つけ、倒し、そして調律する。

 それが、当然の順序だった。


 ―― だからそれは、少しおかしな事態だった。


「なぁ、お嬢」

 長身のタオが、濃霧の先にぼやけて見えるレイナを細目で見ながら呼ぶ。

 何度か霧を掻き分けるように腕を振ったり、周りを何度も見たりしてからの発言だった。

「本当にこっちなのか?」

 頭を掻く音に、レイナはピタリとその歩みを止めた。つられて、そのすぐ後ろを歩いていたエクスも立ち止まる。

 翠色の髪と淡い赤色の瞳を持つエクスは、タオがレイナに話しかけるより前から漂っていた気まずい空気に押し潰されそうになっていたが、そこからまともに息が出来ないほどになって、むせるのを我慢した。

 いつもなら。そう、いつもならば、とっくの昔に次の想区へ来てもおかしくない頃合だった。いつもより特別長い距離を歩いた感覚が、足の疲れと共に伝わってくる。オブラートに包んではいるが、タオは要するにこう言いたいのだろう。

「とうとうカオステラーのいる想区が感知出来なくなりました? 姉御」

「ちょっ、シェイン?! それはちょっとハッキリ言いす・・・・はっ」

 シェインのハッキリとした物言いに思わず口を出してしまうエクスだが、火に油を注ぐ発言だと気付いた時には、もう遅かった。向けられた背中越しに、怒りのオーラが棘を剥き出しにしている。

「あ、えぇと、ちょっと顔を洗いに」

 『沈黙の霧』には水場など無い、と、先に言っておこう。

「おい坊主、此処ではぐれたら、お嬢に怒られるよりもっと酷い目に会うぞ」

「新入りさん。ファイト」

 逃げようとしたエクスの、それぞれ片手で肩をがっしりと掴み、タオとシェインはそのまま、背を向けたままのレイナへとその手を押し出す。

「わーっ!! ごめん、ごめんって、というか、シェインの方がハッキリ言っていたじゃないか!」

「む、巻き添えとは感心しませんね」

「そもそもシェインが・・・・」

「おぉ、いつもは言い争いをしない2人が」

 無神経にケラケラと笑うタオを前に、エクスとシェインはキョトンとした表情になる。たしかに、レイナとタオのケンカなら日常茶飯事だが、エクスとシェインという組み合わせは珍しい。

 それに気付くと、エクスとシェインはお互い、もめていた事がどうでも良くなってしまった。

 1人、怒りのオーラを大きくするレイナを置いて。

「・・・・楽しそうね」

 レイナが後ろを向いたままそう言うと、エクスはハッとなった。

「あ・・・・っ、ごめん、レイナ。でも、体調が優れないなら少し休んだ方が良いよ」

「体調は万全よ!」

 ぐるりと身体を180度回転させたレイナが、顔を真っ赤にして叫ぶ。その目には若干の涙が零れそうになっていたが、それは言わない方が身のためだ。

 再び真っ直ぐ前方を向いて歩き始めるレイナに、一同は安堵しながらも心配そうに見つめる。

 レイナは妙に責任感が強い。その所為で、旅の途中で倒れてしまった事もある程だ。とはいえ、心配すると虚勢を張って益々疲労を溜め込んでしまうだろう。

 一行は全員十代半ばと、なかなかに難しいお年頃だ。

 特に、レイナが難しい。態度が分かりやすいから、尚更扱いに困る部分があるのだ。

「・・・・」

 だから、レイナが何処と無く迷っているように見えるのは気のせいでは無いだろう。この状況を何とかしたいという意気込みは、未だ足早に歩いている事から伝わってくる。しかし、その虚勢にも近い態度はいつまで続くだろうか。

 以前の経験も踏まえ、霧の中とはいえ。いや、霧の中ならば『敵』が来る事も無いはずだと考え、休憩を挟んだ方が良いと判断する。そうしてエクスが後ろで一列になって歩くタオとシェインへ目線をやると、どうやら同じ事を考えていたらしく、2人揃って頷いた。

「レイナ!」

「・・・・何」

 まだ少し怒っているらしいが、その声からは覇気が失われていた。一行の中で最も体力が無いのだ。既に限界になっていてもおかしくない。

「僕、ちょっと疲れちゃって。想区の方向なら分かるだろ? 少し休もうよ」

「そーそー。俺も休みたいしさ、お嬢、休憩しようぜ」

「タオ兄に賛成です。シェインも座りたいです」

「・・・・」

 未だ黙ったままのレイナ。エクスは更に、2人に目配せする。

 トドメと言わんばかりに、3人がわざとらしく音を出しながらその場に腰を下ろした。

 これで、勝敗が決まった。

「―― ~~~ッ!」

 「しょうがないわね」といった体で、3人から若干離れた位置に座り込むレイナ。ただ、その表情は明らかに疲れきっていて、ホッとしていた。

 未だに涙が浮かんでいる事は、言わない方が良いだろう。

「にしても、本当、この霧って濃いよね。伸ばした腕の先もよく見えないよ」

「そうか? 俺はみんな見えるが」

 タオは目を細めれば見えるらしい。が、エクスにはタオのいる場所くらいしか分からない。それほどに真っ白な霧が立ち込めていて、とにかく見えないのである。

「でも、何か違和感があるような」

「そうですか? シェインはありませんが」

 何処と無くタオと同じイントネーションで自分の言葉を否定され、イラつきを覚えるエクス。この鬱陶しい霧の所為か、それとも疲労の所為か、無意識の内に全員が苛立っているように思えてしまう。

 今だって、彼等が義兄妹で仲が良いから、言葉の調子もつい似てしまったのだ、と。いつもなら軽く流すところである。エクスも内心、苛立っているのだ。

 この休息は、レイナだけでなく自分達にも効果があると良いな。そんな事を考えるエクスは、ふわりと鼻を撫でる風に気が付いた。

 弱いそよ風だったが、それはこの場において不自然な現象。

 それに気付いて、風の来た方向へ反射的に顔を向けた。

 沈黙の霧は、あらゆる概念や言葉を飲み込むと言われている。1人で入ったら最後、二度と出られない。この場にいる4人の内の誰かが風を起こさなければ、風を感じる事などありえない。

 エクスは何度も深呼吸をして、何度も改めて風の来る方向を見やる。

 すると濃い霧の中、一箇所だけキラキラと輝いている場所があった。真っ白な視界が広がる霧の中、エクスは他の誰も見ていないらしいその場所へと惹かれ、手を伸ばした。

「ん、おい、坊主、どうした」

「あぁ、いや」

 タオの質問にロクな返事を返さずに、エクスは輝きへと近付く。霧に慣れた目は、キラキラとした輝きをいやに魅力的に見せた。

 エクスは、霧から逃げるようにその輝きへと更に手を伸ばす。

 すると。

「わぷっ」

 そよ風とは比較にならない突風が、顔に吹きつけた。

「う、けほっ。あ、あれっ」

 しかしその風を抜けると、驚いた事に、霧の無い円筒状の空間があった。一行4人がゴロゴロ寝そべっても余裕がありそうなほどの広さがある。

「レイナ、タオ、シェイン! ちょっとこっちに来て!」

「え、エクス? え、どこ・・・・」

 何故か離れていく声。

「おいお嬢、こっち」

 小さくタオの声が聞こえて、何とか無事に3人とも、この霧が無い空間に来られた。

「おぉ、新人さんお見事です。タオ兄も姉御もよく見えます」

 いつもは無表情のシェインが小さな笑みを浮かべて、何処と無くホッとした雰囲気をまとわせる。また、レイナを連れて来たタオも、霧の無い空間に入るとグイッと背伸びをした。

「あー、霧が無いだけでこんなにも清々しいとはなぁ」

「でも、どうして此処だけ霧が無いのかしら・・・・」

 不思議そうに首を傾げるレイナだったが、霧が無いというだけで、足元に見えるのは石造りの地面。どうも、人の手が入っているらしい。四角く切り出された白くツルツルとした感触の石が敷き詰められている。大理石と呼ばれる、一応、高級な石だ。

 一応というのは、本来部屋の中などで見られるこの石が沈黙の霧の領域に存在している事に加え、風化に伴うひび割れで一部、無くなってしまった部分があるため。

 雨にさらされた形跡もある。つまり此処は――

「まさか・・・・もう次の想区に?」

 レイナがハッとなって、そう呟いた。

「えぇ?! でも、人はいないし、霧だらけだよ! 普通の人なら入る事すら出来ない『沈黙の霧』並みの濃霧が発生している、って事だよね? そんなの、ありえるのかなぁ」

「でも、そう考えれば辻褄が合うわ。さっきから私、カオステラーのいる想区の位置が分からなくなっているし、いつもならとっくに次の想区に来られているもの」

「そりゃ、そうかもしれないけど」

 シンデレラの想区からこれまで、様々な想区を見てきたエクスは、レイナの考えをあからさまに否定する事なんてできるはずが無かった。濃霧で先が見えないとはいえ、此処がまだ『沈黙の霧』の中とは限らないし、それを否定できる材料は1つとして無いのだ。

「とにかくよ、此処なら本格的に休んでも大丈夫そうだな、お嬢。何かあっても、この視界ならすぐにでも気付けらぁ」

「そ、そうね。あまり長い間はいられないでしょうけど。此処が本当にカオステラーのいる想区なら、あいつらも・・・・」

「姉御。そのあいつらは、あいつらの事ですよね?」

 レイナの言葉を遮り、シェインが指差した先には、青緑色の炎にも似た光と、蠢く黒い何かがいた。

 カオステラーの手によって生み出される『運命の書』を、カオステラーの手によって書き換えられたその《想区》の住人達・・・・。


 ―― ヴィランである。


 旅の中で最も目にしてきた、10歳以下の子供と同じくらいの身長を持つ敵だ。黒とも紫とも言える身体は手足の長い人を思わせる形で、頭にはウサギのような垂れた耳があり、ギザギザの口からは威嚇する声が出てきている。そして髪の代わりをするように、頭頂部に炎のような光が灯っている。

「やっぱり、此処はもう《想区》の中なのか!」

「っ、どうやら、随分と短い休息だったみたいね」

「あいつらを倒せばまた休めるぜ、お嬢」

「いくわよ!」

 レイナの掛け声と共に、エクス達は何も書かれていない自分達の運命の書・・・・空白の書に挟められていた栞に触れる。

「・・・・クル? クルルルルゥ!!」

 ヴィランがエクス達に気付き、攻撃してくる直前。

 ・・・・『導きの栞』が、彼等に力を与えた。


 『ヒーロー』。彼等の歩いて来た『沈黙の霧』を境界線とした、数多くの世界想区に住む者達の中でも、その《想区》の『主人公』とそれに類する者達の総称。

 シンデレラや赤ずきんといった、童話の数だけ存在する想区に『登場』するキャラクターが、栞の輝きと共に、エクス達に宿る。

 ジャックと豆の木と呼ばれる《想区》の主人公―― ジャックの姿を借り、エクスはヴィランを、その手に持つ剣で切りつける。するとヴィランは、体力が底を尽きたのか、身体と同じ黒とも紫とも思える色の煙となって消えてしまった。

 ヴィラン。

 それは、カオステラーによって『運命の書』を書き換えられてしまった、その《想区》の住人達。元あった運命を書き換えられた、悲しい者達。

 エクス達の目的は、ヴィランを生み出し、その《想区》を崩壊させようとしているカオステラーを、レイナの力で『調律』する事だ。

 調律をすれば、カオステラーは元に戻り、その《想区》の住人は、その全てがカオステラーによってもたらされた『歪んだ運命』から開放される。『自らにカオステラーを憑依させ』、その《想区》をおびやかした者達の記憶ごと、全てを忘れて。

 カオステラーの力によってヴィランに変えられた者達も、元に戻る。

 ・・・・『調律』の前に、その《想区》の住人として『死亡』してしまえば、その人物の事も忘れられてしまうが。

 カオステラーに関わった事のほぼ全ての記憶が、人々から何も無かったかのように消滅する。


「―― ふぅっ」

 霧の中から突如現れたヴィランを迎撃し、見事、ヒーローの剣技や、華麗な魔法攻撃によって全滅させたエクス達。

 今度こそ休息が取れると、全員がその場に腰を下ろした。

 何せいつに無く歩いた先で、突然ヴィランに襲われたのだ。疲労はピークに達していた。

「此処でまたヴィランが来たら、ひとたまりもねぇな。特にお嬢が」

「そ、そんな事、ない、わ、よ・・・・」

 レイナのフェードアウトしていく声に説得力は感じられない。レイナをからかっていたタオも、笑みと同時に大量の汗を浮かべている。

 シェインにいたっては、普段から口数が少ないのに、何も言えなくなる程に疲れきっていた。

 そんな風に冷静な観察をするエクスだって、誰よりも先に地面に寝転がっている始末。

(さすがに、タオの言うとおりだよね・・・・)

 疲れの所為で眠くなってしまっていたエクスは、既に目が半開きの状態で、どうにか開いているという状況だった。

「まぁ、この霧だ。ヴィランもそんなすぐには来ねぇだろ」

「シェインは、少し、寝ます・・・・」

「えっ、でも、見張りはどうするの、レイナ」

「わ、私は、ム、リ・・・・ガクッ」

 聞くまでも無く、気絶同様に頭を石畳に打ちつけて眠ってしまうレイナ

「え、ちょ、レイナ?!」

「はは、俺も・・・・ガクッ」

「タオまで?! え、えー・・・・じゃあ、僕が見張りをするのか・・・・」

 4人の内既に3人が寝息をたてている。半ば強制的だったが、エクスは「仕方ないな・・・・」と呟きながらも上体を起こし、襲ってくる眠気を何とか振り払いながら辺りを見渡した。

 幸いにも、真っ白な霧の中でヴィランの光と姿は目立ってくれる。少しぐらいなら気を抜いても大丈夫かもしれない。

 ・・・・。

 実を言うと、タオだけは気絶したフリだった。こういう場合ではさすがに罪悪感が生まれてしまったが、タオも疲れているのだ。その事には違いないが、少なくとも一行の中では体力が一番あると自負しているため、本当なら自分が見張りを引き受けなければならなかった。

 エクスはどう見ても、いつ寝てもおかしくないくらいに身体が左右に揺れている。

「おい坊主。交代」

「・・・・えっ、タオ? あれ、寝ていた気が」

「あ? いつの話だ。お前の方が寝ていたらしいな」

 エクスが見張りになったのはついさっきの話だが、タオの汗に気付けないほどエクスは疲れきっていた。もう、目が焦点を合わせられていない。

 どうやら、声だけでタオだと判断したらしい。

「いーから、お前は寝ろ。俺が見ていてやるから」

「あ、ありが・・・・くー」

「うお、はやっ?!」

 眠る速さに驚くタオだったが、上体を起こしたまま寝てしまっていたエクスを寝かせた。

 自分も眠いのに、他人に押し付ける事を思いつかないエクス。彼を散々お人好しだと言ってきたタオが、改めて声に出してこう言った。

「超、お人好しだな」

 そのあまりにも安らかな寝顔に、タオは薄く笑った。

 さて、時は一気に2時間後。

 特に変わった事も無く、あまりにも静かな空間で、レイナは気持ち良さそうに伸びをした。

「ふぅ、スッキリしたわー」

 そう言いながら軽く身体を動かしつつ、レイナは呟いた。表情が微妙に緩んでしまっているが、起き抜けの余韻だろう。

 タオはあえて、何も言わない方向で話を進める事にした。

「そりゃ、この中で一番気持ち良さそうに寝ていたからな。お嬢、顔に地面の跡が付いているぞ」

「えっ、早く言いなさいよタオ! それと、早くエクスを起こして!」

「えー」

「え、何その反応。シェイン」

 タオからあっさりとシェインへと視線を切り替える。レイナの言葉にハッとなる辺り、彼女もそれなりに起きたばかりで呆けていたのだろうが、何とかレイナとタオの会話は聞こえていたようで、レイナとタオを交互に見て、それからこくりと頷く。

「ハイ。ほら新人さん。早く起きないと置いていきますよ」

「・・・・ふぇあっ、え、もう出発?! しゅ、すぐに準備してく!」

「大丈夫だ。まだ行かねぇから。それとちょっと言葉が変だったぞ、坊主」

「えぁ、何だ。よかったぁ・・・・あぅ」

 エクスは未だ焦点の合っていない目をこすりながら、額に手を当てた。寝起きでイキナリ上体を起こしたために、目眩を起こしたらしい。

 タオは、確かに『一番気持ち良さそうに寝ていた』のはレイナだと言った。

 しかし。

(この中で一番熟睡していたのは、坊主だよなぁ)

 レイナに負けず劣らず責任感が強くて、おまけにお人好しのエクスは、知らない内にレイナよりも色々と溜め込んでいるのかも。

(・・・・大丈夫、だよな。見た限り、鍛えてはいる。お嬢みたいにすぐ倒れたりはしないだろうが・・・・)

 寝る前からこれまでの一部始終を見ていたタオは、心の奥でそう考えた。

「それで・・・・、これからどうするの? 此処はもう、カオステラーのいる想区なんだよね」

「ええ。多分、としか言えないけど。ヴィランが現れたことだし、そうだと思うわ」

「だがよお嬢、この調子で進むと、お嬢の方向音痴に拍車が掛かる一方じゃねぇか」

「むっ、うぅ」

 レイナは『沈黙の霧』の中にいる時、別の《想区》にいるカオステラーの気配を掴む事が出来る。しかし、肝心の《想区》の中では、カオステラーの気配を掴みにくくなってしまうのだ。

 『沈黙の霧』並みの濃霧に成す術の無い一行は、休息と言いつつただ次にどうするのかを決められずに、ただその場に停滞し続ける。

 真っ直ぐ歩いていればいつかはまた『沈黙の霧』に入るだろう。しかしどれほどの時間が掛かるのか分からない状態で歩き続けるのは、ヴィランとの遭遇も考慮に入れ、とてつもなく無謀な行動だ。とりあえず、この濃霧の先に何があるのか知る手段でもあれば別なのだが・・・・。

「そう簡単には、行かないわよね・・・・」

 そりゃあ、都合よくそんな物があれば、とっくの昔にカオステラーも見つけられているはずである。そんな都合の良い事が起こらないのが普通なのだから。

 ―― ・・・・普通なら。


「うわああああぁぁあぁぁあぁぁぁぁあああ!!!!!」


 濃い霧が僅かに震えた・・・・そんな気にさせるほどの大音声が、エクス達のいる霧の無い空間に響き渡る。エクス達が振り返る先に、僅かに揺らめく青白い光が見えた。

「ヴィラン?!」

「それだけじゃねぇぞ、お嬢! おいそこのお前、早くこっちへ来い!」

 レイナが揺らめく光に反射的に栞を取り出す中、タオが目を細めて声を上げた。

 誰かが、ヴィラン達に追いかけられていたのだ!

 ヴィランの前を走る人影・・・・先ほどの声の主だろう少年が、タオの声に少し反応し、真っ直ぐエクス達の元へと全速力で駆けて来た。

「大丈夫?!」

「う、うぅ」

 少年はフラフラと走ってきて、かけよったエクスの前で倒れてしまう。

 明らかに人間だった。

「そいつの介抱は後だ! 速効で倒すぞ!! 完全回復したタオファミリーの恐ろしさを見やがれヴィランどもぉ!!!」

 そうして、2度目の戦闘は、再び濃霧の中で始まった。

「大木に登る理由? ―― そこに大木があるからさ!」

「お決まりの台詞は後にせい!」

 見習い魔法使いシェリーの姿を借りたレイナが、後ろからそう叫んでいた。

 シェリーは回復役だ。他の役よりも体力の無い回復役は、後衛に回らなければ厳しい戦いを強いられる。やけに大人びて、少し近寄りがたいような貫禄のある少女は、本を片手に呪文を唱え始めた。

 ・・・・さて。

 そんなこんなで、ケガ人の為にも戦闘をぱっと終わらせた一行は、先程倒れてから全く動かない少年を、囲むように見下ろしていた。

「おーい、君。大丈夫かい?」

 見下ろすといっても、見張りで周りを見ているタオの除いて、回復魔法の使えるレイナ、シェイン、エクスは、しゃがんだり座り込んだりして様子を窺っている。

 エクスは少年に話しかけたりゆすったりしてみるが、一向に起きる気配が無い。

「一発叩いて起こしますか」

「ちょっ、シェインやめて!」

 と言ったが、エクスもやろうか、と一瞬ほど考えたが、静止をかけた事だったので深く追求しない。

 少年の薄い紫色の長髪は藍色の細長い紐で結われており、昼の海を思わせる水色と白のグラデーションがかかったケープを身に付けている少年だ。白いワイシャツにカーキ色でサスペンダー付きの長ズボンを着用しており、白いソックスと革製の靴を履いている。

 何より目立つのは、見るからに重そうな大きな鞄が、右肩から左腰にかけられている事だった。

「起きませんね。此処はシェインの秘儀『鬼ヶ島流・超絶減疲労指圧』で起こしてみましょう」

「え、それってアリスの時のじゃあ」

 エクスの脳裏に、不思議の国のアリスで起こった「人には見せられない様子のとある人物」がよぎる。

「むむ、あれとこれではまるで違うのです。新入りさん、よく聞いてください。今シェインがやろうとしているのは『超絶減疲労指圧』です」

「つまり、尋問目的じゃなくて、ただのマッサージだ」

 タオがそう付け足すと、エクスはホッと胸を撫で下ろして少年から一歩遠ざかる。それを確認した後、シェインは少年の横にすわり、少年の身体をうつ伏せにして、その両肩に細い親指を置き、小さく「てい」と言いながら親指をこれでもかと言うくらいに押し込んだ。

 すると――

「ぁいだあぁっ?!」

 身体をビクリと仰け反らせて、少年は文字通り跳ね起きた。必至にシェインに押された部分をさすりながら、キョロキョロと辺りを見回す。

「普通なら痛みで起きるようなものではないはずなのですが・・・・まぁ、起きたので良しとしましょう」

 肩へのめり込み具合からして、どう見ても力が強すぎた気がしたのだが。とは思ったが、エクス達は無言で、痛がる少年へと目線を移した。

「う、うぅ、痛いです・・・・」

「大丈夫? 君、ここまで来て、倒れちゃったけど」

「え、あ、はぁ。あ、ありがとうございます?」

 どういうわけか頭上に「?」のマークを浮かべながら、少年はエクス達の表情を順に追っていく。一行は一貫して心配そうな顔をしていたのだが、シェインとタオは少し分かりづらかった。

 それからエクスが笑顔でその少年へ手を差し出すと、少年も安心したように笑って、その手を取って立ち上がる。

 少年はキョロキョロと辺りを見回すと、ペコリ、とひとつお辞儀をした。

「あ、ありがとうございました。皆さん」

「良いよ、僕達はヴィランと戦い慣れているし。僕はエクス。で、レイナ、タオ、シェインだ」

「良いお名前ですね!」

 満面の笑みを零す少年。

「え、えぇと、僕は・・・・エディ。・・・・だと、思います、ハイ」

 しかし自分の名前を告げるに至り、その笑みは急速に失われ、先ほどのような困惑の表情へと変化した。目は挙動不審であちらこちらを見回し、自分の人差し指でコツコツと頭を叩いている。

「だと思う、って。まさか、自分の名前分からないの? 運命の書は?」

「えっ、あっ、運命の書・・・・そう、ですね。運命の書を見れば自分の名前も分かりますよね!」

 暗に自身の名前が分かっていないと認めているが、それは後回しだ。

 エディは右肩から左の腰に提げていた大きな鞄を漁り始める。何やら食料が入っているらしい鞄から、水の入ったガラス瓶、食べかけのパンなどを取り出しては鞄を覗き込んでいる。中身が減って本が探しやすくなり、明るくなるはずのその顔は、見る見る内に青ざめていった。

 ―― 見当たらないようだ。

「・・・・っ」

 エディの顔が更に青白くなった辺りで、ようやくエクスが身を乗り出した。

「え、えっと! 家にあるとかじゃないかな! ほら、大切な物は肌身離さず持っているか、誰にも分からないような所に隠しておくものでしょ?!」

「うぅ。そうしたいのは山々ですが、家の場所も、そのぅ」

 エディは口篭る。

 その態度は、何かしらの理由で「話したくない」というものではなかった。

 辺りを不規則に見回し、まるで何か大切な物を探しているかのようにも見える態度。それは、何かしらの理由で『話せない』と言った方が、しっくり来るような様子だった。

 そしてその大切な物とは。

「おいおい、こりゃ、記憶喪失ってやつか?」

「えっ、じゃあ、名前が『無い』って事じゃなくて、忘れているって事? タオ」

「ん? や、多分の話だけどよ」

 ぱっ、とエディの方へと向き直るエクスに、エディは肩をビクリとさせる。

「・・・・あ、あの。この先の『洞窟』までは持っていましたよ。そこから逃げてきたし、その辺りの記憶はハッキリしていますから、逃げる道中に落とした事は間違いありません」

 記憶喪失という点には何も言ってこない。やはり記憶喪失なのか、と一行が認識を改める中、レイナだけが目をギラリと光らせた。

「この先に洞窟があるのね!」

 ずいっ、と前のめりになって聞いてくるレイナに再び驚くエディ。

「レイナ、ちょっとだけ落ち着こう。ねぇエディ、その洞窟が何処にあるのか分かる?」

「あ、はい!」

 霧の所為で視界が最悪の状態にもかかわらず、エディは笑みを浮かべながら即答した。

 そしてぺたぺたと地面を触りつつ、キョロキョロと辺りを見回し、大きな声で「こっちの方です!」と、満面の笑みで答えた。

 何で分かるのだろうか、と首を傾げるエクスだったが、その疑問は『運命の書』があれば分かるかもしれないと思い直し、その場では沈黙を保つ事にした。ちなみに、エクスに宥められて少し離れた場所へ移動したレイナやシェインはともかく、タオはそのような疑問を持たなかったようだ。

 タオの場合、その疑問が浮かぶ前に、分かる奴がいるなら自分側から無くても勝てに話は進んでいくから大丈夫だろう。というのが先に浮かぶのである。

 一行は深い深い霧の中、エディの案内で洞窟へと向かう事になったのだった。

 ・・・・。

 そしてこれは、その道中の会話である。

「・・・・子供がなつきやすいのは知っているけれど・・・・エクス、本当に人付き合いが上手いわね」

「いえ姉御、今のは新入りさんがどうこうではなく、姉御が彼を驚かしたのが原因かと」

「そ、そうなの?」

 相も変わらず淡々とツッコミを入れるシェインに、レイナは精一杯睨みを利かせた。もっとも、無表情でやり過ごす辺り、効いているとは思えなかったが。

「というかシェイン。私はただ単に質問しただけよ。驚かしてなんかいないわ」

「いえいえ、姉御が驚かしていなくても、あちらが驚けば驚かせた事になります」

「むっ。むぅ・・・・」

 それきり、洞窟に着くまでは静かだった。

 ・・・・霧の中で、ヴィランの襲撃が無ければ、もっと静かだっただろうが。

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