バレンタインデー・ハピネス グリムノーツ

松尾京

第1話 ゲルダの隠し事


「さて。今日も城に異常はないな」


 広い雪原の中に佇む、氷塊の城。

 そのバルコニーから、外の銀世界を眺めているものがいた。


 蒼い髪に、透き通った氷のような肌。

 そしてどこか厳めしい目つきをしている……雪の女王である。


「……あれからどのくらい経ったであろうか」


 たった一人、孤独な城内で、女王は呟いた。


 美しい心を持った、街の少年――カイを初めて見た、あの時。

 そして、彼をさらって城へ連れ帰り、短い時間を過ごしたこと。

 そうして最後には、カイの幼なじみ――ゲルダによって、カイがこの城から帰ってしまったこと、その全てを思い出す。


 ……本音を言えば、カイをずっと、自分のそばに置いておきたかった。

 だが、その資格がないのはわかっている。

 どころか、自分がしようとしたことの愚かささえ、今では実感している。


 後悔の念とともに、今となっては、こうして孤独に余生を過ごすことが一種の正当な罰だとさえ思っていた。


「……。まあよい。こうして、日課も終わったことだ」


 女王は、暗い考えを振り払う。

 そうして……城の奥の私室から、何かを取り出した。

 大きなボールのようなサイズの……布で出来たかたまりだ。


「……もふっ、もふっ」


 女王は、それに顔を押しつける。

 次第に、興奮あらわになってきた。


「もふもふっ! ああ、カイ、カイよっ……! くんかくんか! すーはー!」


 形が変わるほど握りしめられている、それは……何と、手作りの、カイの人形だった。


「ああ! 妾のカイっ! うむ、見ればみるほどカイにそっくりだ! ひとつきかけて作った甲斐があったというものだ! もふもふっ!」


 そうしてしばし……女王は、カイの人形と戯れた。

 孤独な女王の、ひとときの、ちょっとアレなくつろぎの時間だった。


 だが……ハァハァと息を荒げて、女王はぬいぐるみを離した。


「はぁ、はぁ……。く……しかし、やっぱりダメだ……。これは、本物のカイではない」


 今更重大なことに気付いたように、女王は歯がみすると……。

 外――街のある方を、見た。


「か、かくなる上は、街に降りて……もう一度……!」


 それは、女王が何かを決意した瞬間だった。





「いやー、相変わらず、雪深い想区ですね」


 石畳の上で、服に着いた雪を払い落としている少女がいた。

『調律の巫女』一行の――シェインである。


 長らく雪の中を歩いてきて、やっとひと息つくように軽く伸びをした。


「ここに来るだけでもくたびれましたね」

「まーな。だが、街の中は平和みたいだな!」


 シェインに頷きながら返すのは、シェインの兄貴分、タオだ。

 大柄な体で街中を見回し、明るい顔を浮かべている。


 その言葉には、後に続く二人……『調律の巫女』たるレイナ、そして一行の一番の新人でもあるエクスも、同意を浮かべた。


「ええ。雪の女王の想区……久しぶりにやってきたけど、問題無さそうで安心したわ」

「ここには、カオステラーもいないんだよね。何だか、穏やかでいいなぁ」


 エクスは、街を眺める。

 石畳の向こうに広がるのは、美しい家並みが広がる、綺麗な街だ。


 雪の女王の想区。

 エクス達調律の巫女一行が、かつて訪れた世界だ。


 そのとき、そこでは主役の少年少女、そしてカオステラーとなってしまった雪の女王が起こした混乱があった。

 それを、エクス達は『調律』。

 想区の運命を、正しい方向に導いたのだった。


 あれから多少の時間が経過していたが……エクス達は、再びこの想区の様子を見に、立ち寄ったのだった。

 レイナは、ぱっと見て街にも異常が無さそうなので、安堵していた。


「これなら、心配なさそうね」

「そうですね。主役のカイさんと、そしてゲルダちゃん……二人がうまくやっているかだけでも、見てから帰りましょう」


 そうして、シェインはすたすたと歩き出した。


「おい、シェイン。……あいつ、何だか気がはやってるな」


 少し呆れ気味のタオに、エクスは歩きながら言った。


「気になってるんだよ。あのゲルダが、ちゃんと幸せにやってるかがさ」


 あの調律で、ゲルダは確かに救われた。

 それをその目で、ちゃんと見たいのだろう。

 元々、ここに立ち寄るというのも、シェインの発案なのだった。

 タオも、それはわかってる、と言いたげに、シェインの後に続いた。





 シェイン達は、街を聞き回って、ゲルダ達が住むという区画までやってきた。


「どうやらこの辺りに住んでいるようですが……家はどこですかね」


 すこし、そわそわしたようにシェインは見回す。

 エクス達も、もちろん一緒に探す。

 と、エクスがそれに気付いた。


「あっ。あれ見て。綺麗な花畑があるよ。たしかあの二人って、花を育てていたんだよね」


 エクスが指す先には、確かに花畑。

 大きくはないが、バラに始まる、種々の花が植わった美しい花畑だった。


 そして……その中で。

 花に水をやっている、一人の少女を見つけた。

 左右にブロンドを結った、エクス達よりは幾分か年下の少女で――


「ゲルダちゃん」


 シェインがその名を呼び、近づいた。

 そう、想区の主役の一人、ゲルダであった。


「あ、ゲルダだけじゃなくてカイもいるじゃない」


 レイナの言うとおり、花畑の前には、ゲルダと同い年程度の少年、カイもいる。

 また、ゲルダの母と思しき女性もいた。

 ゲルダ達は、楽しげに話していた。


「見て、お母さん。今日も、綺麗に咲いているでしょう?」

「ええ、そうね。とても綺麗よ」

「えへへ。カイも、そう思うでしょ?」

「……う、うん」


 それは和気藹々とした雰囲気に感じられて……エクスは何となく、微笑みを浮かべる。


「楽しそうにやってるみたいだね。よかった」


 と、そこでシェインがゲルダのところへ歩み寄った。


「カイさんも、ゲルダちゃんも、お元気そうにやっていますね」


 シェインは、そう自然な口調で語りかけた。

 と、ゲルダはそれに怪訝な顔を浮かべる。


「えっと……? あの、どちら様でしたっけ。ごめんなさい、忘れていたら……」

「……。そうでしたね。忘れてました、シェインとしたことが」


 シェインは一瞬だけとまどってから、冷静に呟いた。


「シェイン……」

「タオ兄。別に、平気です。本当にうっかりしてただけですから」


 少し、言葉をかけかねたタオに、シェインはいつもと変わらぬ口調で返していた。

 そうして、気を取り直したように、ゲルダ達に向く。


「今の言葉は、忘れて下さい。……初めまして。この辺りを散歩しているのですが。とても綺麗なお花さんですね」

「まあ。この美しさが理解してもらえるなんて、うれしいわ!」


 ゲルダは、シェインの言葉に、顔を明るくした。

 そうして、二人はすぐに打ち解けたように、会話を始めた。


 エクスは、それを眺めていた。


「やっぱり、覚えてないのは、少し悲しいね」

「……ええ。でも、それがこの想区を救った証拠なのよ」


 レイナは、そんなふうに毅然と答える。


 カオステラーを調律すれば、そこであったことは、想区の住人の記憶には、残らない。

 当たり前となったはずのこの出来事には、シェインだけでなく、エクスも未だ、慣れない部分があった。


 シェイン達の会話は、弾んでいた。


「そうですか。カイさんとあなたは、仲睦まじく、お隣同士暮らしているのですね」

「うん。前に、離ればなれになりそうになったときもあったの。でも、今は一緒よ。ね、カイ?」

「……あ、うん。そ、そうなんだ。ゲルダには、感謝してるんだ、とても」


 カイは、深々と頷いて答えていた。

 タオはそれを見て、ふぅ、と息をつく。


「何にせよ、カイとゲルダが無事なら、想区に問題は無いな」

「……そうね。ぼちぼち、出る準備をしましょうか」


 ……と、そう、レイナが踵を返そうとした、そのときだ。


「しかし、カイさんの様子、少し変じゃ……」


 シェインが、そう小さな声を出したのと、同時。



 エクス達四人を、不意に不気味な気配が襲った。



 一瞬、その気配に、四人は言葉を失う。


「きゃっ!?」


 最初に悲鳴を上げたのは、ゲルダだった。

 美しい花畑の、すぐ前。

 そこに、黒いシルエットを持った異形が、次々に生まれ出していた。

 それは人や獣の姿をしながらも、普通の生き物とは明らかに異なった、魔物。



『クルルゥ……! クルルゥ……!』



「おいおい。……マジかよ」

「……ヴィラン!」


 タオとエクスが、声をあげながらも、すぐに飛び出す。

 それは、戦闘をするためだ。

 ヴィラン――想区に混沌が生まれたことの、証明だ。


「どうしてここに……。いえ、今はとにかく、退治するしかないわね」

「そうですね。急ぎましょう。花畑は、襲わせませんよ」


 レイナとシェインも、戦闘準備。

 空白の書を取り出して、それぞれの英雄に、コネクトを開始した。


 タオとシェインはヘンゼルとグレーテルに。

 レイナとエクスは、アリスとモーツァルトに変身。

 ヴィランの集団と、剣戟を開始した。





 現れたヴィランは、さして強くもなく……すぐに戦闘を終えることが出来ていた。

 シェインは元の姿に戻ると、振り向く。


「何とか花畑は守れましたね」


 それは安堵した声だったが……カイやゲルダは、息を呑んだようにしていた。


「あ、あの化け物、一体なんなんだ?」

「あれはヴィラン。この想区、つまりこの世界に何かの異常が現れた証拠なの」


 レイナが言うと、二人は顔を見合わせ、まだうまく理解できないというような表情をする。

 それでも、ゲルダはシェインに頭を下げた。


「シェインさん、とにかく、ありがとう。あなたたちがいなかったら、私達、どうなっていたか」

「いいえ。無事でよかったです。それと」

「?」

「出来れば、こちらのことは“シェインちゃん”と呼んでください。一度仲よくなったら、友達ですから。友達のことは、守ります」


 ゲルダは、一瞬ぽかんとしてから、今度は笑顔になった。


「うん、シェインちゃん! ありがとう。是非、家で休んでいって」





「ほー。窓からカイの家に行き来できるのか。面白いな」


 ゲルダの家に招かれた一行は……ゲルダの言った通り、そこでひとまず、休ませてもらうことになった。


 カイの家と繋がったような造りになっているのを、タオは面白そうに眺めている。

 ゲルダは頷いた。


「そうなの。だから小さい頃から、よくそれで遊んだの。ね、カイ?」

「……」

「カイ?」

「あ、う、うん。そうなんだ」


 カイが答える横で、エクスは腕を組んでいる。


「……それにしても、一体どういうことだろう。こんな平和そうなのにヴィランだなんて」

「平和そうに見えても、想区には何かの異変がある、ということね」


 レイナも、その表情は明るくない。

 図らずも想区の危機に行き会ってしまったわけだが……突如のヴィランの出現からわかることなど、それこそ何もない。


 タオは、頭をかく。


「……何にしても、これじゃ、帰るわけには行かなくなっちまったな」

「ええ。今のところは、動きようもないけど……」


 レイナは困った様に言うが、シェインは力強く、言葉を返した。


「それでも、放っておくことは出来ません。絶対に、何とかしましょう。……そこで、少し気になることがあるのですが」


 すると、そのままシェインは、エクス達三人を自分に近づけさせた。

 ゲルダ達に聞こえないような位置になってから、話しはじめる。


「こちらに耳を。……原因、とは思いたくありませんが。皆さん、ここに来てからひとつ気になること、ありませんか」

「気になること?」


 エクスがきょとんとすると、シェインは顔を少しカイの方に向けた。


「カイさんです。カイさんの様子、ここに来たときから、何か変ではありませんか?」

「そうか? オレは何も……」


 タオは、眉をひそめていた。

 が、レイナは頷く。


「……いえ、確かに。ゲルダは元気で爛漫だけど。カイはちょっと、大人しすぎるというか、何か、気になってることでもあるみたいだわ」

「言われてみれば……何か、変だね」


 エクスも、何となくカイの方を向いている。

 カイは、窓辺から遠くを見ているようでもあった。


 しばしどうしたものかと考えていた四人だったが……シェインは息をついて、離れた。


「ここは、もう本人に聞いてみますか」

「シェイン、平気なの?」


 エクスは言ったが、それ以外に方法はないとばかり、シェインはすたすたとカイに近づいた。


「カイさん。失礼ですが、何か悩み事でも?」


 するとカイは、何だか挙動不審になった。


「……えっ? あ、いや、その、別に……。な、何でもないよ」

「……あからさまに怪しくない?」


 とは、レイナの感想だ。

 こうなると、タオも追随した。


「おい、カイ。まさかとは思うが、お前何か、よからぬことでも考えてるんじゃないよな」

「な、何、よからぬことって? 違うよ、ぼくはただ、ゲルダのことで――」

「え? ゲルダちゃんのこと?」

「あっ、しまった……」


 カイは、まずったというように口元を押さえる。

 シェイン達は少し、顔を見合わせて……。

 カイをひとまず、ゲルダから離して、話を聞くことにした。


 追及されると、カイはため息をついてから、話しはじめた。


「ぼくじゃないんだよ。……ゲルダなんだ。ゲルダが、僕に対して隠し事をしてるらしいんだ」

「ゲルダちゃんが隠し事?」


 シェインに、カイは頷く。


「何日か前からなんだけど。明らかに、何か僕に言えないことをしてるみたいなんだ。ゲルダが隠し事なんて初めてだから、どうしていいか、わからなくて……」

「矛先が意外な方向に向いたわね」


 レイナは、鼻歌交じりに料理の準備をしているゲルダを、遠巻きに眺める。

 エクスは少し怪訝だ。


「でも、ゲルダはそんなそぶりはないけど……。ゲルダに聞いてはみたの?」

「一度、それとなくは。でも、ごまかされちゃって……」

「はぁ、しょうがないですね。……こちらも、直接聞くことにしますか」


 と、言ったのはシェインだ。

 またも、決めるとすぐに、すたすたとゲルダの方へ歩いて行った。


「ちょっとシェイン、いいの?」

「姉御。カイさんにしても、ゲルダちゃんにしても。悪巧みなんてことをする二人じゃないって、シェインは知ってますから」

「シェイン……」


 だから心配することなどない、というように、シェインはゲルダに話しはじめた。


「……で、そういうわけなんですが。何かカイさんに隠し事、してますか?」

「いや、それにしてもド直球だな……」


 シェインが真正面から事情を説明すると、タオもさすがに不安そうな顔になるのだった。


 すると、話を聞いたゲルダは、意外な反応を見せた。

 何となく、楽しげに含み笑いをすると、言った。


「え~? 隠し事~? ふふーん、何のことかな~? 私、何も隠してないけど~?」

「……」


 四人は、皆、当たり前の如く微妙な顔になった。


「……なんだ、あの爆発的な怪しさは?」

「絶対、何か隠してるよね、あれ……」


 と、そこでシェインが、近くにいたゲルダの母を見ると……何やら、彼女もまた、怪しげな反応を見せている。


「うちの娘は、何も隠してなんかいませんよ~? ほほほ……」

「母親まで怪しいとか……どういうことよ?」


 レイナは何とも言えない表情になる。

 それは、見た印象の上では、余り深刻そうなことには、見えなかった。

 ただ、こちらは想区の運命がかかっている。


「あのー、ヴィランに関係しているかも知れませんので、知っていることは是非、教えて頂きたいんですが」


 すると、ゲルダは少しだけ、真面目な顔になる。


「うーん。……でも、ごめん。シェインちゃんでも、言えないの。少なくとも、あの化け物に関係あることだなんて思えないし」

「……」

「お花畑を守ってくれたことは、本当に感謝してるよ。でも、どうしても内緒にしておきたいの」

「……隠しているのは、カイさんに対してなんですよね?」

「うん。でも、カイに絶対に知られたくないから。誰にも、言えないの。大事なことだから」


 ゲルダはあくまでも、そう言った。

 その言葉は、真摯なものだった。


「そうですか。……すみませんでした」


 シェインも、その様子に、頷いて引き下がるしかなかった。

 エクスは考えた末に、口を開く。


「あの二人の様子なら、ヴィランに関係無い、とは思うけど……」

「でも、私達の知らないことが起こってるのは、確かみたい。一応、二人の警戒だけは、しておいた方がいいかも知れないわね」


 レイナは、頷きつつも、最後まで冷静に言っていた。

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