第15話 遭遇
それはぼくらよりずっと大きかった。顔の四分の一くらいはあろうかという大きな血走った目のある顔はクヌギの樹の中ほどの位置にある。多分ぼくが二人いたとしても届きはしないだろう。
太い丸太のような首があり、筋肉の盛り上がりがよく見て取れる頑強な肩からはこれまた一薙ぎで辺りの樹をなぎ倒せてしまいそうなほど太い腕が伸びている。
肌はゴブリンと同じように煤けた緑でちょうど森に同化しそうな色をしている。おそらくそれも目的の一つなのだろう。浮き上がった血管は肌の色のせいで青く見える。
ごつごつとした手には、木をへし折って簡単な持ち手を作っただけの棍棒を持っている。いくら作りが簡単だからといってそれ自体の威力が下がることはないだろう。あれだけのがたいだ。おそらく棍棒を振り下ろすだけで地面に穴が開く。
これがサイクロプス。これが巨人種。
話にはなんでも聞いていた。人間とよく似た姿の、人間の何倍もの大きさの化け物。
そんじょそこらの魔物とは訳が違う。はるか昔からこの世界で生き抜いてきた魔物。
サイクロプスの現れた土地は平らになる。そこにあった村は見事に滅ぼされてしまう。なにもなくなる。
あまりに大きくて、そしてその人間に似たフォルムは化け物と呼ぶにはしっくりときすぎていた。
温厚なドワーフたちとは違う。ひ弱で人間から隠れるように住んでいるゴブリンたちとも違う。
純然たる戦闘種族。戦う者。
並みの兵士が十数人がかりでも決して倒せないと言われる存在。腕の立つ小隊長レベルの兵士がようやく倒せるかどうかの存在。
竜よりも身近な災厄。
人間に近しい姿をしながらも決して人と相いれることのない種族。
それがサイクロプスだ。
ただ、ただ脳裏に浮かぶのはなんでなんだという文字ばかりで。
身体は氷漬けにされたように動かなくて。
サイクロプスの息をする音が加速度的にぼくらの恐怖を増長させる。
「二人とも下がれ!!」
ナオトの張りつめた声を聞いて我に返る。ミズノさんもぼくと同じように硬直から解かれて現実に戻ってきたみたいだ。
ぼくらはナオトの声に素直にしたがってサイクロプスから距離を取る。
自分が息をのむ音と、足が小枝を踏む音がやけに大きく聞こえてくる。
ナオトはすでに剣を抜き、サイクロプスと正対している。これほどサイズの違う相手の真正面に立つのは危険なのだろうがぼくたちを後ろに背負っている以上そうせざるを得ないのだろう。鎧越しの背中から緊張感が伝わっている。
「二人とも俺が合図したら一気に村の方まで駆け抜けてくれ」
ナオトの声は今まで聞いた中で一番真剣だった。
普段の飄々としたナオトからは全く想像できないその声にもう一度この事態の危険さを認識する。
死がすぐそこにある。
手を伸ばせばすぐに触れられる位置にある。
ナオトは今ぼくらよりも死に近い場所に立っている。
向こう側とこちら側の境界線に立っている。
気を抜けばすぐさま向こう側に落ちて行ってしまう。そしてもう二度と戻ってこれなくなる。
ナオトがぼくたちに逃げろと言ったのはぼくたちを危険から遠ざけるだけではないのだろう。
自分が生き残るために。
向こう側に落ちてしまわないために。
戦えないぼくらをここから遠ざけようとするのだ。
ゆっくりを続けながらナオトの合図を今か今かと待ち続ける。
一秒一秒がいままで体験したどの一秒よりも長く感じる。
横にいるミズノさんも固唾をのんで見守っている。
サイクロプスがその大きな口を目一杯に広げる。胸が上下するのがここからでもわかる。
「ゴアアアアアアア!!!!!」
もはやそれは声ではない。ただの音の爆弾。
地響きがぼくらを襲う。
鼓膜が張り裂けそうなほどびりびりと振動している。
頭が揺らされる。
サイクロプスから数十メートルほど下がった位置にいるぼくらでそう聞こえるのだ。ナオトはより大きな衝撃に襲われているだろう。
けれどナオトは怯む様子もなく勇敢に立ち向かう。
ナオトは手に持った何かをサイクロプスの顔めがけて投げつけた。
それはサイクロプスの顔に当たると弾け、中から強烈な光があふれだす。閃光は真っ昼間の森の中でも一際明るく、森を駆け抜けていく。
「逃げろ!!!!」
ナオトは叫びながらサイクロプスに向かって走っていく。
合図を聞いたぼくらは弾かれた様にサイクロプスとは反対に走り出す。
後ろからまた地響きが聞こえる。怒っているのかさっきよりももっと大きい。
ナオト、生きていてくれ。
そう願わずにはいられない。
どうか逃げるしかできないぼくを許してくれ。
頬を伝って涙が落ちる。
情けない気持ちが恐怖一色だった心の中をかき乱す。
それでもぼくらは足を止めない。
振り返らない。
生きるために。
そしてナオトを助けるために。
どれだけ離れてもなお、地面を巨大ななにかが打ち付ける音は鳴りやまなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
土埃の中五体満足なことを確認し、とりあえず安堵する。
あんな攻撃うけようものならその瞬間俺の身体は地面と一つになってしまうだろう。
それほどに敵は強大で、自分の何倍もの膂力を誇る相手なのだ。本来ならばこんなひよっこの衛士ごときが立ち向かっていい相手ではない。
俺なんかよりいくつも格上の相手だってことは分かっている。今の自分に倒せるかどうか危ういことも。
「それでも強がるしかないだろうが」
あいつらを逃がすためには俺がここでこいつを食い止めるしかない。
あんなに美味い料理を作るトーリを死なせて良い訳がなかった。この村に来て心細かった俺と仲良くしてくれたあいつを死なせるわけにはいかなかった。
俺があいつの料理を気に入っているのは単に美味いからだけじゃない。作った本人の心そのものみたいな柔らかい味がするから俺はずっと通っているのだ。
故郷の母が作ってくれた料理の優しさとは違う。誰かを想って込められた優しさではない。ただ意識せずにあふれ出てしまったような淡い温かさ。そういったものがトーリの作る料理には息づいている。
単純な料理の腕なら普段厨房にいるトーリの母親の方がまだまだ上なのだろう。煮物は素材の芯まで味がしみ込んでいるし、焼き物はちょうどいい歯触りになるように仕上げられている。それはトーリ本人も認めているようだった。
でも俺はトーリの料理の方が好きだった。
まだ慣れていなくてもなんとかいいものを作ろう、お客さんに喜んでもらおうというのが伝わってくる。
そうするとなんだかお腹だけでなく心まであったまるのだ。
どんなに疲れているときでもまた明日頑張ろうと思える。まだやれると思えてくる。
まだ会ってから数か月しか経っていないとは思えない。それくらい俺はあいつのことを信用しているし、大切な友達だと思う。
いや本当は昔から知っているのかもしれない。初めて会った時から他人の気がしなかった。なぜだか懐かしいと思った。
昼休みに食堂で働くあいつと言葉を交わすたびにこんなことがあったよなと思う。
会ってるはずがないのにな。なぜだろう。
土煙の中から巨大な棍棒が振り下ろされる。
視界が悪い中でもあれだけの巨体が動くのだ。どうしたって音が出るのは避けられない。
また転がりながらサイクロプスの攻撃を避ける。
地面についた手から大きな衝撃が伝わってきてよろける。が、倒れこむほどではない。いける。
俺を見失っているサイクロプスのアキレス腱を狙って剣をふるう。
ざりっという肉が削げる嫌な感触が剣から伝わってくる。
大丈夫。攻撃は通じる。
大きく息を吸い込んで心を落ち着かせる。
「吾が背子と 二人し居れば 山高み 里には月は 照らずともよし」
ナオトのことを考えるとそんな言葉がふいに出てきた。意味はしらないはずなのにぴったりだと思った。俺たちの友情を表すにはきっとこの言葉がぴったりだ。
「ゴアアアアアアア!!!!!」
またサイクロプスが大声を上げる。
大丈夫。絶対ここから先にはいかせやしない。
だからお前はお前の大切な人と絶対村までたどり着け。
剣を握る力を強め、サイクロプスともう一度向かい合った。
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