06:ヒロインの誕生日

 日付けが変わって、まだ数分。

 もう夜中と言っていい時間に、部屋のドアがノックされた。

 私はメールを確認していた携帯を手に持ったまま、「はーい」と返事をしてドアを開ける。

 そこにいたのは、予想どおり季人だった。

 緑と青のチェック柄のパジャマを着た季人は、私ににこりと笑いかけた。


「咲姫、誕生日おめでとう」


 その言葉に、思わず頬がゆるむ。

 なんの用で来たのか、聞く前からわかってはいたものの。

 わざわざその日になってすぐに言いに来てくれると、やっぱりうれしいなと思う。

 毎年電話やメールで祝ってもらっていたけど、こうして直接言ってもらうのは初めてだしね。


「朝でよかったのに」

「まだ起きてるだろうなって思ったから、早く言っておきたくて」


 律儀なところはまったくもって季人らしい。

 気配り上手で頭がよくて、顔もぱっとはしないけど悪いわけじゃないし、大学ではさぞやおモテになることだろう。

 いや、お人好しな季人のことだから、いい人止まりという可能性のほうが高いか。


「残念ながら一番じゃなかったけどね」


 そう言って手に持っていた携帯を掲げて見せれば、季人の苦笑が返ってくる。


「文明の利器には敵わなかったか」


 そりゃそうだろう。

 メールをくれたのは、前の学校で同じグループだった二人だけれど、二人とも十二時ちょうどに誕生日おめでとうメールが送られてきていた。きっと送信予約でもしていたんだと思われる。

 それよりも早くというほうが無理な話だ。

 ちなみに前のグループは四人組だったので、一人足りないが、もう一人はマイペースだから今日の昼か、遅いと数日後におめでとうメールが届くことだろう。


「でも、うれしいよ。ありがと」


 にへへ、と笑ってみせると、季人も照れくさそうに笑う。

 なんかいいな、この空気。

 誕生日を素直に喜ぶのが気恥ずかしい年頃ではあるんだけど。

 祝われて悪い気はしない、というか、やっぱりうれしい。

 おめでとう、のその言葉が、一番の誕生日プレゼントだ。

 物よりも何よりも、しあわせをもらえる。


「明日……もう今日だけど、母さんがはりきってるから、できるだけ早く帰ってきてあげて」


 はりきってる、という言葉に私はついつい苦笑してしまった。

 季人の母親、伯母さんはとても家庭的な人だ。

 食卓にスーパーのお総菜なんて並んだことがない。

 たまにお菓子作りもするし、その腕前だって普通の主婦とは思えないくらい。

 パーティーとか、してくれる気なんだろうな。

 どんなケーキが出てくるのか、今からすごく楽しみだ。


「大丈夫だよ、まだ誕生日教えた友だちもいないし。寄り道とかしないで帰ってくるよ」


 入学してから一ヶ月も経っていない今、私の誕生日を知っている人はいないはずだ。

 誰かに捕まるということもないだろうし、すぐに帰ってこれるだろう。


「そっか、じゃあおやすみ。プレゼントはあとでね」

「うん、おやすみ」


 部屋に戻っていく季人に、私は手を振った。

 そうか、プレゼントなんて用意してくれているのか。

 まあ実のところ、ここ数年季人がプレゼントをくれなかった年なんてないので、充分期待していたけれど。

 今年は何をプレゼントしてくれるんだろう。

 ベタに筆記用具とか、消耗品とか。食器類は引っ越してくる前にそろえてもらっているから、マグカップだとかという可能性はたぶんない。

 食べ物、ということも考えられるかもしれない。

 去年がしおりだったから、今年も同じものということはなさそうだ。季人はそういうところは細かいから。

 とにかく、伯母さんの料理だけじゃなくて、季人のプレゼントも楽しみにしておこう。

 早く時間が過ぎればいいのに、と私はメールを返してからベッドにもぐり込んだ。



  * * * *



「立花さん、お誕生日おめでとうございます」


 朝、教室に入ってすぐにそう声をかけてきたのは、花園さんだった。

 予想していなかったお祝いの言葉に、私は目をぱちくりとさせた。


「あれ? 教えたっけ?」

「クラスメイトのプロフィールくらいすべて頭に入っていますわ」


 当然のことのように花園さんは言う。

 クラスメイトのプロフィールって、このクラス三十人以上いるんですが。

 花園さん、あなたはどんな完璧超人だ。

 ゲームのキャラだからなんだろうか。いや、たとえゲームの世界だろうと現実は現実だ。

 こんなライバルキャラに、ゲームのヒロインはどうやって勝ったんだ。主人公補正というやつか。

 現実世界で主人公補正なんて持っていない私には、到底敵いそうにない。

 まあ、そもそも争おうという気もないけれど。


「それはすごいね……。ありがとう」


 驚きはしたけど、お祝いの言葉をもらって、うれしくないわけがない。

 私は笑顔でお礼を告げた。

 どういたしまして、と澄ました顔で言う花園さんは、かすかに頬を染めていた。

 かわいいなぁ、この素直じゃないところ。

 誕生日を知っているのは彼女にとっては当たり前のことだったのかもしれないけれど、祝ってくれたのはそうではないはず。

 ちゃんと、気持ちのこもったお祝いの言葉。

 花園さんと仲良くなる気なんて、最初はなかった。

 でも、こういうのも悪くないな、と思い始めている自分もいる。


「えっ! 立花、今日が誕生日だったの!?」


 私のすぐあとに教室に入ってきた桜木ハルが、こっちにやってくる。

 チッ、面倒な奴に知られてしまった。

 とはいえ、ここまで来て知らんぷりもできない。猫っかぶり咲姫さんとしては。


「うん、そうだよ」

「うっわ~、おめでとう! おれ、知らなかったから何も用意してないや」


 私が肯定すると、桜木ハルはお祝いの言葉のあとに、厄介事を起こしそうな発言をした。

 勘弁してくれ。プレゼントなんてもらってしまったら、イベント確定じゃないか。

 それでなくとも頻繁に話しかけられるだけでもハラハラしているのに。


「おめでとうの言葉だけでうれしいよ」


 だからプレゼントを渡そうとなんて思うな、という思いを込めてにっこりと笑ってみせる。

 誕生日イベントなるものがあるということは、事前に季人から聞いている。

 どういう条件で起きるのかだとか、詳しいことは聞いていないけど。

 たぶん、一定以上の好感度で発生するイベントなんだろう。

 桜木ハルはそんなに好感度は上がっていないはず。

 でも、念には念を入れておくに限る。


「そ、そっか! ならよかった!」


 桜木ハルはニパッと満面の笑みを浮かべた。

 さっきの花園さんのように、少し頬が赤くなっている。

 なんとなく、嫌な予感がした。……もしや、好感度を上げてしまった?

 いやいやまさかな。そんなことはあるまいて。



 ……一応、あとで季人に確認しておこう。

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