第10話 喪失

「正体を隠すつもりがなくなったのか、ばれたところでどうでもいいのか、一体どっちだ?」


 小城は意味深な呟きを漏らす。しかし、朱里に気に留める余裕はない。

 右眼を使って、上空に浮かぶ魔獣――天使の情報をスキャンしようとした。だが、データベースには載ってないらしい。

 新種の魔獣……いや、あれを獣と表現するべきか? 傍目見ただけでは、コスプレをした人間にしか見えない。それも精巧な、最新CGでも使ったのかと思うほどのリアリティだ。


「小城さん!」

「俺が前に出る。朱里は後方から支援を――」


 という小城の言葉が途中で途切れる。小城が言葉を中断したわけではない。朱里に不調が起きたのだ。

 ――システム、シャットダウンします。そんな表示が右眼に出た瞬間、朱里の視界半分が真っ暗となる。

 戦術義眼のシステムが強制終了させられた。右腕の制御も右眼任せであるため、一気に右腕の重量が増加して、朱里はふらりと右へよろける。


「なッ! 何で……?」

「どうした! 狙撃で援護だ!」


 小城はアサルトライフルを天使に向けて撃ち放ち、朱里へと振り返る。

 一目見て、異常を理解したようだ。まともに身動きのできない朱里へと近づき、大丈夫かと案じてくる。


「う、動きません! 右眼も、右手も!」

「くそ、移動できるか?」

「な、何とか……」


 朱里はゆっくりとだが動き出した。歩き方がぎこちない。朱里のコンバットスーツの効果は右腕まで及んでいない。右眼が起動していれば重量軽減システムが発動し、生の腕と同じように扱えるのだが、右眼のシステムが死んでしまった以上、ただの重りにしかならなかった。

 足手まといとなった朱里へ、小城は四十五口径のピストルを手渡した。朱里が持っている五十口径の拳銃レイジは片手で扱うには反動が強すぎる。朱里は如何に右腕が自分の一部へと成り果てていたのか、嫌というほど痛感させられた。


「これで自衛しろ。奴は俺が始末する」

「で、でも!」

「片手じゃ何もできないだろう。安心しろ、すぐに終わらせる。安全な場所へ隠れてろ」

「小城さん!」


 小城はまだ上空で滞空している天使と対峙した。

 アサルトライフルを穿ち、朱里からどんどん距離を取っていく。朱里はハンドガンをポーチに突っ込み、右眼を瞑って左手で小突いた。動け、動けと念じたが右眼はびくともしない。なぜシステムが終了したのか理解が及ばない。

 片手で器用にスナイパーライフルを構えてみたが、ライフルとは基本的に両手で撃つ物だ。重量のバランスが狂った今の朱里にはまともな狙いを付けられなかった。弾丸をばらまく機関銃ならばまだしも、スナイパーライフルとの相性は悪すぎる。かといって、ショットガンは使えない。ヴィネオリジナルの散弾銃の射程は一般銃よりも短くなっている。


「くそ!」


 毒づいて移動するしか、今の朱里に手立てはなかった。



 ※※※



 アサルトライフルは敵に致命傷を負わせることこそなかったが、敵の注意を引き付けるには役立った。

 弾数すら念頭に入れず、引き寄せるために銃を撃つ。贅沢な弾薬の使い方に天使は興味を惹かれたのか、戦闘不能の朱里ではなく小城に勝負を仕掛けてきた。


「哀れなネズミだ」

「何? うおッ!」


 小城が驚いたのは、滑空してきた天使に驚愕したからではなく、人語を口に出したからだ。翼の黒い堕天使は小城に語りかけながら射出した羽を飛ばしてきた。小城は叫びながらも回避する。


「しかし、牙を持ったネズミか。惜しいな。もう少し狡猾に動ければ、殺されずに済んだものを」

「うっせえな。死ぬつもりはないぞ」


 小城は無意味と化したライフルを早々に投げ捨てる。どうせ撃ったところで当たりはしない。

 代わりに、腰に差してあった剣を抜き取った。刀身と銃身が一体となった複合剣銃。万能ではあるが、使いこなすには熟練の腕が必要だ。


「天使様、ねぇ……お前、パシリだろ。上司に命令されて獲物を殺すのか?」

「そんな崇高なものではない。餌を与えられ狩るだけの、ただの傀儡同然だ!」


 天使の剣戟は圧倒的だった。試しに一度受け止めてみたが、衝撃波で吹き飛ばされた。

 ぐ、と息を漏らしながら切っ先を天使へと突きつける。刀身の裏の銃身……銃口が天使の頭へと向けられた。柄の上部に設置された引き金を引いて、撃発する。大口径の狩猟用弾薬が放たれて、天使を射殺せんと迸った。

 が、そう簡単に殺される天使ではない。羽が羽ばたくと、弾丸は風に流されて明後日の方向へと飛んでいく。


「勘弁しろよ」

「人の身で天使には勝てん」


 天使は絶対的自信を持って言い放つ。そりゃそうだ。小城は苦笑した。もし容易くぶっ殺せるなら、天使が信仰対象になんてならないはずだ。


「だがま、美しい天使様なら不可能でも、堕天使相手だったら行けるだろうな」

「驕るな、人間」

「驕ったわけじゃねえよ。やらなきゃいけないことを口にしただけだ」


 軽口を叩きながら、小城は銃身部分を折って開き、薬室にライフル弾を差し入れた。

 ヴィネが創った対獣武器は、魔獣相手に効果的な攻撃を加えることができる。しかし、天使とまともに応じられるかは不明だ。だが、相手は防いだ。防御するということはダメージが通るということだ。

 勝機はある。朱里の援護がないのは痛手だが、銃弾は風に阻まれて届かない。結局、古来からの戦法で屠るしかなかった。

 ――天使よりも先に、小城が動く。


「人間は時代が進んでも愚かだ。いつまで争いを続けている。敵と戦っていた時は協力し合っていたというのに」

「存外そうでもないさ。一周回ってまた共闘路線だッ!」


 天使は小城の接近を許し、剣で小城の斬撃を受け止めた。否、小城と話し合いたかったのかもしれない。

 小城とて、この天使とは話が合いそうな気がしていた。同じ目をしている――現状が気に食わないのに、自分の力ではどうにもならないという、無力感に打ちひしがれている眼だ。


「良い様に使われていることを、共闘とは言わん」

「いつまでもパシらされるつもりはない!」


 剣と剣がぶつかって、喧しい剣戟が響き渡る。天使は手加減しているのか、小城とまともに斬り合っていた。覚悟を見定めてるのかもしれないが、小城はその態度が気に入らない。


「人間をなめるなよ? いつかえらい目みるぞ」

「人間の恐ろしさは身に染みている。愚かさも、美しさも――」


 鍔迫り合いとなった。至近距離で人間と天使の視線が交差する。

 小城は思わず笑みを浮かべた。どうやらこいつも同じ相手を見ているらしい。目の前の敵ではなく、本当に斃したい敵を。

 しかし、人間が闘志を滾らせているのに、天使の方は諦めていた。哀れだな。天使はそう呟いて、小城を怪力で弾き飛ばした。


「私はもう刃向かいはせん。何かを成せるという思い上がりが、大切なモノを喪失させる」

「随分情けない天使様だ」

「だから私は堕ちたのだッ!」


 天使の勢いが増す。先程とは比べ物にならないスピードで、小城に斬りかかってきた。

 小城は何とかして防いだが、反撃がままならない。くそッ! と吐き捨てて、左手でスタングレネードを地面へ叩きつける。

 閃光が拡散し、光と音が二人を襲う。天使が一瞬怯んだすきに、小城は懐へ入り込んだ。一太刀入れたが、浅い。トドメを刺すことは叶わずに、強打によって殴り飛ばされた。

 ぐおッ! と地面を転がりながら悲鳴を上げる。何とか体勢を立て直し、小城さん! と叫ぶ朱里の声を聞いた。


「しまった……!」

「前言撤回しよう」


 天使は翼を使わずに、小城へと歩いて接近する。近くに退避していた朱里が、小城の後ろで拳銃を構えていた。

 やっと、天使の狙いを小城は把握した。小城が予想以上に強敵だったから、弱点を突くことにしたのだ。


「お前はネズミなどではない。強力な猟犬だ。一度喉元に食らいついたら放さない。善人の類……美しき怪物だ。真に恐ろしいのは邪悪ではなく、他者を圧倒するほどの救済だ」


 天使は歩みを止めない。小城は剣を構えて、朱里に命じる。


「逃げろ、朱里!」

「これ以上逃げられません!」


 朱里の言う通りだった。後ろに下がっても、崩落したガレキと土に阻まれて逃げられない。

 完璧でいて、露骨すぎるセッティングだった。なるほどな、と小城は関心すらしている。


(無防備なのに誰も手出しできない無敵さ。あいつの方が怪物だろ)


 こんな状態だからこそ、愚痴らずにはいられない。


「小城さんこそ逃げてください! 私にはもう何もない! 庇う理由もないでしょう!」


 朱里は状況を鑑みれば真っ当な、少女が言うべきではないことを叫んでいる。小城は天使に立ち塞がることで、朱里の言葉を一蹴した。


「理由ならあるさ」

「なぜッ!」

「大人が子ども庇うのに、大層な理由は必要ないだろ」


 天使が動く。狙いは小城だが、剣先は朱里へと向いている。

 これが一番楽なのだ。狙いが外れていても、標的の方から刃へ突っ込んでくる。

 ああ、癪だなぁ。小城は苦笑せざるを得ない。

 誰かが理不尽に死ぬのが赦せなくて、PHCに潜り込んだ。政府の依頼ということもあったが、単純に正義感ゆえの行動だった。だがしかし、現実は理不尽に死んでいく被害者たちを看取ることしかできなかった。何も成せない。誰の役にも立てないということがこれほど辛いのかと、身に染みて実感させられた。

 結局また、少女一人すら救えない。何もできない、情けない大人だが……。


「――少しばかりは役立ってみせるさ」


 小城は自らの意志で、朱里を庇わんと身を挺す。癪ではあったが、自分の行動に何の躊躇も感じなかった。



 ※※※



「小城さんッ!」


 その鮮血に、目を奪われた。

 血が迸る音、命が散る音で耳を奪われた。

 朱里の目の前で、小城が刺し殺される。太陽はばかばかしいほど眩しくて、黒い翼を持つ天使と、貫かれた人間を明るく照らしている。


「小城さん……」


 朱里が呼んでも、小城は応えない。

 天使は剣を小城の右胸から抜き取り、死体を放り捨てた。ライフルソードが朱里の前に突き刺さる。


「次はお前だ、人間」


 天使は剣に付着した血を払い、朱里へと歩み寄ってきた。

 敵が迫っている。しかし、朱里の右手は動かず、右眼で希望すら見えやしない。

 絶体絶命の危機。小城の死が無駄となり、朱里は無残に殺される……。


(ふざけるなッ! そんなことは許容できない!)


 朱里は意を決して拳銃を天使へと向けた。そして、え、と驚いた声を漏らす。


「だ、だれ……?」

「あなたの救世主、となるかもしれない者」


 ふふふっという笑い声を出す紫髪の、黒いドレスを身に纏った少女が目の前に立っている。

 その少女の後ろには天使がいる。しかし、天使は止まったまま動かない。

 違和感を感じて、辺りを見回す。外界から切り離されたかのように、時間が停止していた。


「あなたの望みは何かしら?」

「何を……突然」


 少女は銃を向けられても平然として、朱里に近づいてくる。

 怪しげな笑みを湛え、朱里の姿を舐めるように見回した。

 ああ、おいしそう。少女の独り言が聞こえてくる。


「私が、あなたの願いを叶えてあげる。生きたいんでしょう? 家族に会いたいんでしょう? だったら私の手をとって。私があなたに力をあげる」


 少女はにっこりとして、左手で握手を求めてきた。

 銃を突きつけていた朱里の、左手から急に力が抜け落ちた。拳銃ががちゃりと落ちて、朱里と少女は見つめ合う。

 少女は言った。


「あなたはとってもカワイソウ。世界から見放されて、変な連中に掴まって、奴隷のように酷使される。ああ――哀れで惨めで愛おしい。そんなあなたに朗報よ。私が素敵な力を付与します」

「素敵な、力……」

「そうそう、素晴らしき力。グリゴリなんか一撃で屠り、世界の支配者気取りの男を一瞬で滅ぼせる力。それさえあればあなたは無敵。真の意味での怪物に――」


 少女の饒舌は中断させられる。

 朱里が左手で少女の手を叩いたからだ。拒絶した。未知なる力を。


「そんなの、いらない」


 自分の意志を少女に伝える。あの天使もどきを狩るのに、訳のわからない力など必要なかった。

 拒否され怒り狂うかと思った少女は、とっても嬉しそうに喜んで――。


「ああ……だからこそあなたは美しき怪物――!」


 ――時間が急に動き出す。


「契約を拒否したか。だが」


 天使は全てお見通しと言わんばかりに口を開く。

 意味不明な朱里だが、それでもコイツを倒すという目標だけははっきりと自覚している。

 落とした拳銃を拾い、天使に向けて撃ってみた。しかし、風に阻まれる。

 どうすればいい? 朱里は無我夢中で思考した。だが、やはり右手の制限が響いている。両手が使えたら対応できるのに――。そう歯噛みした時、急に起動音が鳴り出した。


 ――プライベートハンティングカンパニーにようこそ、ハンタータカミヤアカリ。当機は戦術支援を目的としたハンターサポートシステム、タクティカルアイです。


「再起動したッ!?」


 驚愕しながらも、右手の感覚を確かめる。動く。自分の身体の一部に戻った。

 驚く間もなく、敵の異変を察知した天使が攻撃してくる。朱里はショットガンを取り出して、クイックショット。しかし、翼で飛んで避けられた。

 天使の猛攻は終わらない。朱里が態勢を整える前に、切り殺さんと急降下。朱里はショットガンを投げ捨てて、地面に刺さっている小城の剣へと手を伸ばす。

 天使が剣を振りかざし、朱里が剣を抜く。一瞬の交差。大量の血潮、斬り飛んだ右腕。


「ぐッ! バカな……人間が天使に合わせただと」


 右腕を庇う天使が瞠目。それもそのはず、朱里は天使の斬撃に合わせ――天使の戦術予測すら凌いで――右腕を斬り落としたのだ。

 ただ不意をつかれたのではなく、完全に動きを読まれた。しかも、ただの人間に。

 朱里の視点からでも、天使の動揺はありありと窺えた。朱里は剣を構え直し、上空に退避した天使を挑発的に見上げている。


「どうしたの? 手品をみせて頂戴」


 朱里は天使を嘲笑う。反対に、天使からは表情が消えている。

 真顔となった天使は朱里と睨みあった末に、言葉を残して飛翔した。


「君は強く、美しい。まるでイシュハタルのようだ」

「待て!」


 朱里の制止虚しく、天使は撤退してしまった。

 朱里はしばらく影を眼で追い、小城の遺体へと近づいた。

 小城は目を瞑り、安らかな顔で眠っている。後悔ばかりの人生だったが、最期に一太刀報いることができた。まさに、そんな顔だ。

 しかし、


「死ぬ必要はなかったでしょう、小城さん。あなたには家族がいたはずです。帰りを待つ人が、いたはずですよ。どうして……私なんかのために……」


 その答えを小城は生前口にしている。

 ――大人が子どもを庇うのに、大層な理由は必要ない。



 ※※※



 輸送機は大幅に遅れて到着した。というよりも、通信が回復していたことに気付くのが遅れた。

 彩月の声が耳元から聞こえて来た時、反射的に朱里は怒鳴り返した。小城の死が頭を占拠していたのだ。

 怒鳴られた彩月は珍しく怯えて、ごめんなさいとずっと謝っていた。小城の死に責任を感じているというよりは、自分の責任から逃れようとするように朱里は感じたが、言及はしなかった。

 話すつもりにもならない。誰が悪いのか。直接的な原因はあの天使だが、間接的な要因についても、朱里は重々承知している。


「……でも、奴は無敵」


 輸送機の座席に腰かけて、朱里は思考整理を開始する。

 攻撃が効かないというわけではなく、誰も攻撃できないという無敵。

 奴を殺せば、PHCは機能不全に陥るだろう。となると、世界は魔獣に対抗できなくなる。ヴィネさえいれば何とかなる気もしたが、彼女はあまり人間に協力的ではないようだ。自分の武器を使うに値する人間を選んでいる――そんな気がする。

 武力行使でどうにかなる段階ではないのだろう。朱里が考える打開策を世界はまだ試していないのではなく、既に試して失敗した後なのだ。途中から関わることとなったただの一少女が策を弄したところで、具体的な解決案を提示できるはずもない。


「撃てば殺せる。でも、殺したら世界が終わる。生き残るためには例えどんな相手でも利用しなければならない……」


 それはPHC内での鉄則だ。信用できようができまいが、使えるのならば使わなければ。

 選り好みはしてられない。選り好みできる相手はもう死んでしまった。後は、人の言うことに従順な天使だけしか朱里には残ってない。


「天使、か」


 思い返せば天使を見るのは二度目だな、と朱里は独りごちる。

 いや、もしかすると悪魔も目にしていたかもしれない。時間の止まったフィールドで。


「相談相手、いなくなっちゃった」


 真の意味で頼れる人間は、もういなくなってしまった。

 その人がくれたドッグタグに、朱里は触れてみた。二枚組のプレートに目を触れて常場の時のように遺品をいじくり回す。

 と、視界に違和感を感じて、朱里はプレートの文字を注視する。しばらく見つめて、違和感の正体を掴んだ。

 左眼……つまり肉眼でしか捉えられないのだ。義眼では読み取れない特殊な文字が書き込まれている。

 そこには、丁寧な文字でこう書かれていた。


『もし俺が死んじまった時は、部屋にある資料を漁れ』



 ――スキャン開始……終了。室内には誰も確認できません。


 義眼の対人サーチを終えて、朱里は小城の部屋の中へと入った。

 室内は小奇麗で、衣服や小物もきちんと片づけられている。おかげで、目当ての資料には手早く辿りついた。

 まず、目についたのがテーブルに置かれていた資料だ。朱里はめくろうとして、念のため右眼を閉じる。


「さて……。小城輝夜……二十八歳。元陸上自衛隊……階級は一尉」


 所属部署など重要そうな部分は黒塗りされていてわからなかったが、小城は元自衛官らしい。部屋が綺麗なのも合点がいった。自衛官や警察官などの公務員は、身の回りの世話を教官に叩きこまれるとテレビで見たことがある。


「PHCに内密に……いや、どうせばれると考えて堂々と入ったみたいね」


 小城は自衛隊に限界を感じたためというありきたりな理由でPHCに志願したようだった。下手に隠せば余計疑われる。どうせ疑われるのなら、変に隠したりせず堂々として入社すればいい。

 しばらくはその方法で功を奏していたようだ。いや、あの社長のことだ。面白いと思ってわざと迎え入れていてもおかしくない。

 朱里はページをしばらくページをめくっていたが、このファイルはPHC用の資料だと気付き、今度は本棚を調べることにした。

 棚の中にはたくさんの本がある――娯楽小説から、戦術教本、モホーク族の狩猟技術、ヴィネウエポンカタログなど様々な内容だったが、一冊だけ棚に似つかわしくないノートを見つけた。

 取り出して、開く。誰かに見られた場合を危惧してか、ノートには単語しか書かれていなかった。


「PHC、ビースト」


 単語は無数に書かれている。関連性のある単語から、無意味な用語の羅列まで。

 朱里は散りばめられた単語の中から、意味のありそうな語句をピックアップした。


「怪物=才能……人間」


 社長やヴィネ、PHCの面々は、怪物を生まれついて持った才能を言い表す言葉としていた。

 だからこそ、朱里は怪物。時間が止まった世界の中で、不可思議な少女も言っていた。


「怪物は人にしか宿らない。人間は生まれついての怪物、か」


 人は誰しも怪物を飼っている――。

 人間は原初の生まれから狩猟民族だ。狩る対象こそ違えど、世界の人間は狩りをしていた。

 狩りから殺しに変わるまでの間、人間は協力し合ってたという。人間が殺し合いを始めたのは、社会を形成し始めて、狩りで自分の力を誇示できなくなったからだ。常場が遺した本にそんな記述が載っていた。


「これは?」


 次に目についたのは、天使と悪魔。

 宗教めいた単語だが、今の朱里には無縁とは思えない。実際に天使を見たからだ。

 堕天使のことは悪魔とも言うらしい。朱里は意図せず天使と悪魔の両方を目撃したことになる。

 魔獣という不可思議な存在がいるのなら、それよりももっと不思議なモノが存在していてもおかしくない。


「じゃあ、私たちを殺そうとするのは、神様? 人間が増えすぎた罰、とでも言うのかしら」

「何をしている?」


 皮肉を口にしていた朱里は、急に戸口から声を掛けられて驚き立つ。

 慌ててドアへと視線を向けると、そこにはチャーチが立っていた。どうして、驚く? と疑いの眼差しで朱里を直視している。


「きゅ、急に声を掛けられて」


 言い訳めいて口答えしたが、朱里は窮地に追い込まれていた。

 もし、チャーチが社長に告げ口したら、朱里は処分されるかもしれない。

 だが、朱里の心配をよそに、チャーチはそうか、と頷いただけだった。


「この部屋の物はお前の物だ。常場と同じように、小城も引き継ぎ同意書にサインしていた」

「そ、そう……ですか」


 予想できたことだが、やり切れない想いが胸を巡る。

 チャーチはノートに視線を移し、


「とはいえ、不要な物は処分される。大事な物と使えそうな物はとっておけ。後々役に立つ」

「は、はい」


 チャーチが部屋を出て行った。

 朱里は胸をなで下ろし、今一度ノートを閲覧する。

 と、そこにはまた奇妙な単語が見受けられた。


「エクソシスト……?」


 日本語では祓魔師。悪魔を祓うという役割を持つ職業であることぐらいは朱里も知っている。


「なぜこんなものが……」


 考えても疑問が解消されないので、読み進めていく。少し離れたところに書かれた退魔と教会という言葉。

 首を傾げながら読んで行き、ある単語が注意を引いた。


「マモン……?」


 何かの名称であるその単語には、意味深に二重丸が付けられている。


「これは一体」


 次のページを開こうとすると、ノートに挟まっていた何かが落ちてきた。

 拾い上げて、あ、と呟く。


「microSD」


 スマートフォンに使えそうなデータカードを、左手で摘まんでいた。

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