わびすけのつぶやき
侘助ヒマリ
第1話 俺の生い立ちを話すぜ
俺の名前はわびすけ。
漢字で書くと"侘助"だそうだ。
人間が勝手に分類したところによると、犬種はロングコートチワワ。
齢は11歳。人間でいうと還暦を過ぎた辺りのようだ。
おっさんじゃねぇかって?そのとおり。
最近はグルコサミンが足りないのか膝は痛くなるし、歯だって歯周病で数本抜かれてる。
そして甲状腺機能低下症とかいう病気で薬が手放せない。
そんなこんなで体じゅうにガタがきているがまあなんとかやっている。
こんなおっさんの俺だが、体が小さいせいか未だに子犬に間違われたりするんだ。
「かわい〜♡」とか言って散歩中に近寄ってくる人間(主にJS)がいるが、勘違いも甚だしい。
俺は歳を取ってもナイフのような切れ味を失っちゃいない。
歳を取ってから婦女子には牙をむかずに耐えることを覚えたが、朝や夕方によく見かけるジョガーには未だに反射的に牙をむかずにはいられない。
あいつらは蛍光色みたいな派手な洋服を見にまとい、帽子やサングラスで素性を見せないまま結構なスピードで俺に近づいてくるから気味が悪いんだ。
ゴルゴなんとかとかいう某有名スナイパーのように背後を取られたくない俺にとっては、後ろから近づいてくるあのタッタッタッという靴音も薄気味悪い。
俺の守備範囲(=リードの長さ)に侵入してきた瞬間にいつも俺は奴らを威嚇する。
無論奴らが応戦するならば徹底抗戦も辞さない覚悟だ。
まあ、いつもご主人に首が吊れるほどリードを引っ張られて
こんな風に俺が荒くれ者になったのは俺の生い立ちに大いに関係があると思う。
俺の生まれはサイタマとかいう場所にあったブリーダーの犬舎だ。
コンテストで優勝するような犬を育てている有名なブリーダーだったらしいが、実際は商売道具の俺たちをブタ箱のようなひどい環境で育てるような奴だった。
十把一からげとはよく言うが、まさに10匹くらいの親戚兄弟が一つのゲージに入れられて、日もろくに当たらないような犬舎に閉じ込められている。
遊びたくてもゲージは狭く、動けば誰かの糞尿を踏むし、常に誰かの吠え声がしておちおち昼寝もできやしない。
衛生環境も甚だ悪く、臭いも最悪だ。
外に出られるチャンスといえば、ブリーダーのところに子犬を買いに来たお客の品定めに出されるときだけ。
今にして思えばシャバの空気が一瞬吸えただけでもラッキーなのに、暗くて狭いゲージの中しか知らなかった俺は、急に明るい応接スペースに出されて見知らぬ人間に抱かれても恐怖しか感じることができなかった。
震えて固まる俺を「かわいい〜」とかいう人間はいたが、愛想を振りまけない俺がその場所から外に連れ出されることはなく、いつもゲージに放り込まれるように戻された。
兄弟達が一人また一人と貰われてゲージからいなくなる中、俺より小さい赤ん坊達が次々とゲージに入ってきて、そしてまた俺より先にいなくなっていった。
俺はこのまま一生を暗いゲージの中で終えるものだと思っていた。
ゲージの中しか知らない俺はそれもまたよしと思っていた。
たまに出される外の世界には恐怖と緊張しか感じなかったからだ。
11年前のその日も俺はブリーダーに乱暴に抱えられて外に出された。
いつものように応接スペースのテーブルの上に直立不動で立たされる。
「この子、少し大きくなってるけど、ショーに出せるくらい均整が取れてる素晴らしい子なんですよ〜」などとブリーダーが営業トークをかましている。
目の前にいる二人の人間が交互に俺を抱っこする。
緊張と恐怖の中で俺は震えながら身を硬くする。
この拷問が早く終わればいいと、それだけを願っていた。
しかし拷問は終わらなかった。
俺は二度と俺のいた世界に戻ることはなかったのだ。
タオルが丸まった小さい段ボール箱に入れられたかと思うと、俺は車に乗せられた。
初めての振動、ガソリンの臭い、知らない人間の臭いと極度の恐怖により俺は途中何度も吐いた。
かなり長いこと車に乗せられたような気がする。
ようやく車から降ろされ、俺は人間に抱かれたまま家の中に連れて行かれた。
「ここがあなたのおうちよ」と降ろされた場所は、犬舎と似たようなゲージの中だった。
しかしそこには仲間はいない。
あるのは丸いふかふかした感触のベッドとぴんと広げられた真っ白なシートだった。
人間は俺が疲れているだろうからと、ゲージに毛布をかけて暗くし、俺をしばらく一人にした。
仲間のいない一人だけのゲージは広すぎて落ち着かなかったが、人生で初めて体験した恐怖で疲れきったのか、俺は睡眠をとることができた。
暗くて狭いゲージの中での飯やスペースの取り合いで殺伐として生きてきた俺がそこを天国と思えるようになったのはもっと後の話だ。
そろそろメシの時間だし、それはまた別の機会に話そうと思う。
見た目が可愛いというだけで俺のキャラを勘違いする奴が多すぎる。
犬ってのは素直で従順で人間のことを無条件に信頼している生き物だって疑わない人間が多いが、こんな心の傷を負ってるのは俺だけじゃない。
中にはもっと深い傷を負わされた奴だって沢山いる。
そういう奴らは決してすべての人間に心を許してるわけじゃないってことを忘れない方がいい。
俺たちに無防備に近づく奴らへの警告だぜ。
初回からちょっと説教くさくなったが、年寄りの戯言と思って許してくれ。
余談だが、あれから11年経った今でもたまにご主人は当時を思い出すらしく、
「あのときのわびちゃんは何度シャンプーしても臭いがとれなかったし、見るからにみすぼらしかったねぇ」と笑うことがある。
そんな俺を家に連れ帰ってきたご主人たちは物好きという他はない。
人間の中に物好きがもっと増えれば、傷つく犬たちも少しは減るかもしれないな。
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