ナイトメア
三千字以内
〇
深夜に目を覚ますと、私の枕元に悪魔が立っていた。
「私は悪魔だ。君の願いを叶えてやろう。さあ、遠慮なく言いなさい」なんて言いながら、私を見下ろす悪魔は、その名前からして悪人であるに違いない。詮ずる所、必ず対価を要求してくると予測した私は、慎重にこれを吟味した。
「あなたの目的はなんですか。なぜ私なのですか」
「君は夢を見ない。だから毎晩悪夢を見続けてもらう事が条件である」
やはりタダとはいかないらしい。うまい話には裏があるもので、ポストがいつも仕事をしていない様子から、察して営業しにきた新聞屋のような名目で、この訪問客は、私に悪夢を見続けろと勧誘するのだった。
悪夢が彼らにとって、腹の足しになるのか、欲を満たすのか、あるいは契約件数がステータスの一種なのかは定かではない。だが、これを一つの好機と私が捉えたのもやぶさかでない。なぜならば、実に人生の三割程度をホモサピエンスは寝て過ごすと言うが、その不毛な時間を差し出し、己の糧とする事は、非常に有意義で、実に効率的だと考えたからである。
「わかりました。では私を大金持ちにしてください」
「承知した。どんな宝くじを買おうとも、必ず一等が当たるように細工をしておく。うまく帳尻をつけなさい」
悪魔は私に助言を残すと、ふっと姿を消した。
悪魔の言う帳尻とは、恐らく連続で当てすぎて不正に気付かれたり、または公にこの契約を語り、良からぬ連中に嗅ぎ付けられる事を言うのだろう。
〇
翌週買ったキャリーオーバー中のロト7は、見事的中し、私は十億の資産を手に入れた。あの悪魔は確かに、約束を守ったのだ。
私は後日、気になっていた会社の受付嬢を、宝くじが当たったからおいしいものでも食べに行こうと食事に誘った。
彼女はまるで人が変わったかのように、二つ返事で了承した。
西麻布の高級ビストロで、タルタルステーキを注文した私達は、出された料理に舌鼓を打っていた。
「おいしいね。こんな奇特なものは初めて食べたよ」
タルタルステーキとは、いわゆる韓国料理のユッケのように、肉をミンチ状に細かくなめしてから、生のままスパイスで味付けしたお上品な料理である。
生肉であると言うのに臭みがなく、ステーキを謳うのにひんやりとした舌触りが、徐々に口内の熱で綿あめのようにほぐれていく様相は、余程鮮度のいい肉にしか許されない妙技であると予感せざるを得なかった。
「このお肉は、どちらで育ったもので?」
私はウエイターに尋ねた。
「ありがとうございます。今朝がた、新宿から取り寄せたものであります。丁度、山手線で人身事故があったものですから」
ウエイターは私に答えた。
笑えない冗談だ。しかしそれは冗談ではなかった。皿に綺麗に盛られたステーキをほぐすと、人の爪らしきものが目に入ったのである。
私は思わず胃の中をテーブルに撒き散らした。
対面に座る彼女は、汚いと言って大暴れしていた。
「ほ、本当に人の肉を使ったのか!? 何を考えてるんだ! 君、警察を呼んでくれ!」
「何を言ってるんです? おいしいじゃあありませんか。貴重な若い女の肉は、そうそう手に入らないんですよ」
〇
私は目が覚めた。
シーツまで濡らすほどに汗だくで、口の中には生生しい感触が、いまだ残り続けていた。
私は冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出すと、うがいを繰り返した。
悪夢だったのである。あの悪魔と契約した通り、私は悪夢を見ていたのだ。
通帳を確認する。そこには確かに十億円が振り込まれていた。
私のような何の取柄もないサラリーマンが、十億なんて貯金ができるはずもない。毎晩この悪夢にさらされるのはさすがに堪えるが、それでも預金通帳に記入された数字に、私は多少なりの決意を抱いた。
結局朝まで眠れなかった私は、そのまま会社へと向かった。
その道程で、横断歩道を渡っていた私は、信号を無視してきた車に轢かれた。
痛みすら感じないほど一瞬の出来事で、霞む私の視界には、見事に分断された私の下半身が映っていた。
〇
私は目が覚めた。
シーツまで濡らすほどに汗だくで、今になって瞬時の激痛を思い起こす。
布団をめくり両足を確認する。自在に動かせはするが、ショックによるものか、まるで自分の体ではないようだった。
時計を見るとまだ夜中である。私は実感した。こんな生活死ぬまで続けるのは不可能であると。私の想像以上に、悪夢を見続けると言うのは、精神を蝕んでいく行為だったのである。
日が昇ると、私は売り場に赴き、ありったけの宝くじを購入した。
これだけのくじを同時に購入し、それら全てで一等をとったならば、メディアでも大々的に取り上げられるだろうと予想したのだ。その結果、私を調査し、もしかしたらこの呪いを解ける人間が現れるかもと企んだのである。
予想通り、私は世界一の幸運男として引っ張りだこになった。そして番組の一つで、悪魔と契約した事を明かし、金に糸目はつけないから、どうか、だれか、これを解いてほしいと、カメラ越しに世界へと訴えた。
世界中から祈祷師、占い師、呪術師、坊主、はては宗教家が私の元を訪れたが、誰一人として悪夢を途切る事は出来なかった。
肩を落として家に帰る度、待ち構えていた金目的の強盗に殺されて――
〇
私は目が覚めた。
シーツまで濡らすほどに汗だくで、私は深い絶望に落とされた。
私は会社を辞め、その日から魔術や、占術など、オカルト関連の書物を読み漁るようになった。もう一度あの悪魔に会わねば、この悪夢は断ち切れないと判断した為である。
一つの書物に、処女の血を浴び、その生首を抱きかかえながら眠ると悪魔を呼び出せると書いてあった。
私は下校中だろう女学生を金の力で自宅に招き入れ、包丁で首を掻っ切っては、これを実行した。すでに警察に捕まろうとも問題ではなかった。例え一生牢獄で過ごすことになろうとも、この悪夢から解放されるのであれば、安いものだった。
深夜に目を覚ますと、枕元に悪魔が立っていた。
私の呪術は成功したのである。
「お願いします。この悪夢を止めさせてください。お金ならお返しします」
「まあ、もう十分に悪夢を堪能させてもらったからね。いいだろう。君の悪夢は今日で終わりだ」
悪魔は私の願いを聞き遂げると、ふっと姿を消した。
私は安堵から涙を止められなかった。必要なものは、決して金なんかじゃない。人間が真に求めるものは、ただ無為に過ごす、安らぎだったのである。
私は枕に顔をうずめ、ゆっくりと目を閉じようとした。
その時右手小指に激痛が走る。
目をやると、抱えていた女学生の頭部が私の指を噛みちぎっていた。
私は痛みに悲鳴をあげたが、未だ悪夢が続いているのだと絶望した。
〇
私は目が覚めた。
シーツまで濡らすほどに汗だくで、布団の中を覗いても、女学生の頭部も、血液も見当たらなかった。
私は悟った。
この呪いを解く方法はこの世になく、悪魔を呼び出す方法も、また同様であると。
毎晩毎晩悪夢にうなされ、生きていくのは死ぬよりも辛い刑である。
煙が天を目指すが如く、私が行きつく退路は一つしか存在しなかった。
私はベランダから身を乗り出した。
どれだけ綺麗に着地しても、アパートの四階から飛び降りたなら絶命は避けられないだろう。悪夢から逃げるように、私は飛び降りた。
〇
私は目が覚めた。
シーツまで濡らすほどに汗だくだった。
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