11-4 苦いコーヒー
春野に追い出される形で雫から引き離され、仕方なしに入れた一杯のコーヒーは、酷く苦い味だった。
「なんだってんだ……」
思わず悪態が口をついて出てしまう。自分を蚊帳の外において進んでいく事態に、心のざわめきが止まらないのだ。
「むう……」
やむを得ず砂糖をスプーンで二杯追加した。すると、今度は口の中が甘ったるくなってしまった。
「いかんな……」
要は期せずして呟いた。完全に精神の平衡を失っている。このままでは危うい。その時、雫の入っているドアが開く音がした。
「準備は粗方出来た。後はお着替えを待ってくれ……って、大島。お前物凄い顔をしているぞ」
「……へ?」
春野の指摘で、要は初めて気付いた。まさか精神の乱れが顔にまで出ているとは思わなかった。
「顔洗ってこい。そして座れ。どうせ気に病んでいるといったところだろう?」
図星だった。言われるがまま、顔を洗いに洗面台へ向かうと、鏡には雫にはとても見せられない顔が浮かんでいた。
「やれやれ。ああ、勝手にコーヒーは頂いた」
わだかまりこそ残っているものの、先程よりはマシになった気分を引っさげて要が居間に戻ると、春野はすっかりくつろいでいた。入ってきた時は後頭部に纏めていた髪が既に解かれ、ジーパンに包まれた脚線美は胡座の形をしていた。その姿のまま、彼女は要を凝視する。
「なあ、大島要。今お前は何を思っている? 不安か? 怒りか? それとも、悲しみか?」
「…………」
要は答えられなかった。言葉にするとなると、全てが当てはまりそうだった。目の前の女性は、それを確認してからコーヒーを啜った。
「ま……。全部か。それはそうと、だ。お前さんも同行なのだが、準備はいいのか?」
「へ?」
「いや、携帯にメールが行っているだろう? さてはお前、懊悩のあまり見てすらいないな?」
「……。あっ」
意外な言葉に慌てて携帯を確認した要。すると、メール自体は既読になっていたが、要の同行を要望する旨の文面を見落としていたことに気付く。ここまで動揺していたという事実に、改めて頭を抱えてしまう。
「やれやれ。まあいい、まだ間に合う。服はあるんだろ?」
「あります……。行かなきゃダメですかね?」
「保護者みたいなものだから、お目通りは必要だと思うぞ。髪は整えてやるから支度しな」
「分かりました……」
要は抵抗を断念し、トボトボとタンスの前に立ったのであった。
数時間後。郊外に建つ高級洋食店の前に、三人の姿はあった。要は黒のスーツに黒のネクタイ、白のシャツに身を固め、雫は学生服を思わせる黒のブレザーにスカート、長い髪は半分ほど纏めて残りはサイドポニーという出で立ちであった。
「当初はドレスという考えもあったが、先方が恐らく学生服だからな。このくらいの方が良かろう」
と要へのお披露目で春野は言っていた。そんな彼女も装いを変え、ビジネススーツに袖を通している。別室待機を契約で勝ち取っていたのだ。
「……行くか」
「うん」
二人は手を繋ぎ、アウェイたる戦場へと踏み出した。
背後で見送る春野が、小さく何かを呟いた。しかし、要の耳にそれが届くことはなかった。
スーツの着こなしも素晴らしい店員がVIPルームのドアを開けると、そこはまさしく異世界であった。
神楽坂邸の食堂よりも広い部屋、シャンデリアやキャンドルも恐らくは神楽坂邸のそれ以上。そして中央を占めるテーブルの最奥に。
神楽坂家当主・
その夫人にして遙華の実母・神楽坂はる。
そして遙華と大介が揃って鎮座していた。
「この度はお招き頂き、ありがとうございます」
春野に伝授された作法通りに、要は四人へ向けて礼を行う。静かな戦いが今、始まろうとしていた。
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