8-2 離れの部屋と白装束
要の言葉は、想像していた以上に大きな声で口から飛び出した。それが故に、沈黙は重いものとなった。のんきに鳴く鳥の声や蝉の音が、妙に大きく響く。目の前の人物は表情を崩していない。緊張が重くのしかかる。
(ししおどしか風鈴でもあれば、気が紛れるんだが)
場違いな思考が首をもたげる。要の緊張は限界に近かった。正座のままの足は既に悲鳴を上げ、背中の汗は嫌な感触をもたらして来る。隣にいるはずの伴侶は未だに口をつぐみ、露骨に顔を向けるのにも抵抗があった。
「要君」
沈黙を打ち破ったのは、霞の声であった。時計の類が部屋にない為、どれだけの時間無言が続いていたかはわからない。腕時計を見るのは簡単だが、それすらも咎められそうな空気であった。
「暫く、雫とお話させてくれないかしら? いつもの部屋に入っていいから」
霞の声色は、一見問い掛けのそれだった。しかし要には、反論の余地もないことがはっきりと理解できた。
「承知しました。少し、散歩して来ます」
袖ヶ浦家を去り、改めて腕時計を見やれば、既に三時近くであった。太陽は未だに高く、燦々と光が降り注いでいる。
「ま……。親子水入らずの時間も必要だよな」
自分に言い聞かせるように呟いた。半ば逃げ出したような感覚だった。それでも一度、距離を置きたかった。
「確か、雫の学校はあっちだったな……」
いい機会だとばかりに、要は雫が言っていたコンビニへ向かうことにした。とにかく、思考を整理する時間が必要だった。
(やっぱり叔母さんはご不満でしたかね)
額に汗を浮かべて歩きながら、要は思考を巡らせる。正直な所、それが嫌だった。想定の範囲内ではあった。いつぞやの電話の頃から考えてはいた。だが、それが改めて現実のものとなると、やはり嫌悪感が増してしまった。
「もう一度話さないと」
それでも思考を無理矢理現実的な方向に引き戻し、要はコンビニのドアを引く。節電の為に冷房は控えめになっていたが、それでも歩き続けた身には実に良く効いた。コーラを二本と、当座のお菓子などを購入して、要は再び歩き出した。二本の内の一本はすぐに開け、ゴクゴクとその量を減らしていく。
「……。っし! 行くか!」
五百ミリリットルの内の半分を飲み干し、要は改めて気合を入れた。とにかく明日まではあの家に滞在せざるを得ないのだ。できればその間に、互いの認識をすり合わせたい。要はやや早足で、もと来た道を進んでいった。
「只今戻りました」
「お帰りなさい。散歩はどうだった?」
「相変わらず自然が多くて、いいところだと思います」
そんな通り一遍の挨拶を交わしながら、要は再び袖ヶ浦家の門をくぐった。霞の顔を見やれば、先程とは打って変わって上機嫌である。その表情に僅かな違和感を浮かべながら、要は幾度も寝泊まりした離れの部屋へと通された。
「ゆっくりしてくださいね」
そう言い残して、霞は部屋を去った。大体二年ぶりであったが、違和感はない。掃除も行き届いていた。
「はー……。取り敢えず一息、かね」
荷物を整理した要は、ようやく畳の上に寝転んだ。既に夕方近いにも関わらず、暑さは未だやんでいない。風もなく、申し訳程度の風鈴も静かなままであった。要は暫くそのままであった。夕食はまたあの緊張の場だ。しかも今度はおそらく叔父も増える。少しでも休んでおきたかった。
そんな時だった。不意に空気を感じた。襖が、僅かに開いていた。
「要兄。今、いい?」
鈴の鳴るような声。雫だった。
「いいぞ」
何事かとも思いながらも、要は承諾した。襖の開きが、全開になる。そこには。
「…………」
顔を真っ赤に染め、肌も透けるような白装束。そして震えながらも、何かを訴えようとする雫の姿があった。
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