エピソード8 袖ヶ浦家と大島家

8-1 俺の意志で決めました

「なあ……本当に俺も行かないとダメか?」

「ダメ」

「でもさあ……」

「ダメったらダメ!」

 陽光も眩い八月の初め、とある道の駅で。痴話喧嘩に励む一組のカップルが居た。男は背が高く、白の半袖ワイシャツに黒のスラックス、白のスニーカーで身を固めていた。容姿に惹かれるものはないが、真面目な雰囲気を全身から醸し出している。

 一方女性の方はといえば。長い黒髪を三つ編みにして臀部の近くまで伸ばし、大きな瞳と快活な表情がとても眩しい。メリハリのきいたボディを、白のカットソーとふわっとした膝丈のスカートで包み、靴は小洒落たサンダルであった。

「むぐぐ……。まあいいけど。明日は一旦俺も自分の実家に帰るからな? 家を変える話もしないとまずい」

 ようやく男は観念したのか、ついに女性に賛同した。女性は満足げに頷き、その上で一言付け足した。

「よろしい。まあとにかく今回は挨拶して欲しいだけだから。お願いね、要兄」



 朝の十時に家を出発した車が、雫の故郷に着いたのは十三時も半を回った辺りであった。日は中天空高く、燦々と眩い光を地面に提供していた。

「相変わらず山の中だなあ……」

 青の帽子を目深に被って、要は嘆息した。辺りを見れば民家と畑、そして山。普段住まう町にあるようなコンビニや飲食店、ホームセンターの類は殆どない。

「んー? 前に来た時よりは良くなったんじゃない? 前に来てくれた時は一軒もなかったし、コンビニ」

「あ、とうとう出来たのな」

「学校の近くだから、ここからまだ遠いけどね」

 そんな会話をしながら、二人は改めて現実を直視した。

「……何度見ても大きい家だな」

「そりゃあ、うん。一応昔は地主だったし?」

「正直気後れしかしないけどな……。行くかー……こんにちはー、要でーす」

 要は気だるげに歩を進め、覚悟を決めて引き戸を引いた。



「久しぶりねえ。あの電話以来かしら、声を聞いたの」

「ご無沙汰してます……」

 袖ヶ浦家の居間に通された二人は、雫の母、袖ヶ浦霞そでがうらかすみの歓迎を受けていた。今ひとつ読みづらい掛け軸や、高価そうな壺など、立派な和室の姿も一切変わっていなかった。


「いいのよ、いいのよ。で、どうなったの?」

 三人分の麦茶を置き、ようやく並んで座る二人の対面に座った霞。雫とは対象的に華奢な体を、整然とした和装に包んだ貴婦人は、踏み足も鮮やかに早速斬り込んで来た。

「あー……その。はい、今も一緒に暮らして、付き合って、ます」

 先手を取られた要は心の準備が出遅れた。必然言葉はたどたどしくなり、懐深くに食い付かれてしまう。

「そうじゃなくて、ほら。一緒に暮らしてる以上は、ねえ?」

 純粋に見える微笑みと、一見なんでもない言葉の奥に潜む刃が、要にははっきりと見えた。雫に視線を向ける。が、彼女は毅然と前を見るのみだった。それだけで要には分かってしまう。

(確かに二人の問題だが……。うむ、俺の責任だな。俺の決めたことだし)

 要は一瞬下を向いた。畳の網目、座布団の僅かに見える模様。その細かい部分まではっきり見えた。異様に研ぎ澄まされた感覚が、告げて来た。

(言ってしまえ。それがお前の意志なのだから。お前が、お前を信じて、決めたことだから)


 考えは定まった。顔を上げる。霞の顔を、正面から見据えた。僅かに息を吸う。そして。

「確かに一緒に暮らしてはいます。ですが、まだ。『そういうこと』はしていません。これ俺の意志で、雫とも約束したことです。全ては、十八になってから、と。そう決めました」

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