5-6 今までありがとう

「……」

 聞かされた側は全員無言だった。三人が三人顔を見合わせ、要に掛ける言葉を探していた。だが。

「無理に言葉を探さなくてもいいぞ。今日は皆に話せてよかった。一人で思い出していたら、多分……」

「させないから」

 要が空気を割って紡いだ言葉を、雫が遮り言い切った。その瞳に、恐怖の色は感じられなかった。

「要兄に変な真似は、私がさせない」

「……」

 再び場が沈黙に包まれた。暫くの後、要が口を開いた。

「ありがとう」

「要兄……」

 必然、二人が見つめ合い――。


「あー! いい加減遅い時間になったなー! 大介、帰るぞ!」

 遙華の声が空気を両断した。

「ん? ああ、うん。そうだね。うん。そろそろお邪魔だね。帰るね、先生」

「お楽しみしてぶり返すなよ!」

 遙華の放言を苦笑しながら、それでも二人は笑顔で見送った。しかし。


「さて、要兄も病み上がりだし。そろそろ……え!?」

 再び大島要は意識を手放し、床にその身を横たえたのであった。



 数日後。ようやく体調を回復した要の姿は、かつて彼の居た大学にあった。あの高熱を経て僅かに肉が落ちているが、対照的に目の鋭さは増しており、かつての姿より圧力を増していた。ヒソヒソと言葉を交わす者は居たが、直接意志をぶつけに行く勇気ある者は、一人としていなかった。


「本当に良いのか?」

「はい。今までありがとうございました」

「それなら仕方ない。退学届、確かに受け取った」

 教官が封筒を胸ポケットにしまい込み、要に背を向ける。その姿を見えなくなるまで目で追ってから、要は新たな一歩を歩き出した。最早彼に雑踏のざわめきは耳に入らなかった。



 そのままゆっくり歩みを続け、いつしか要の姿は街へと出ていた。思えば久々となる一人での地元の散策である。

「バイトも見つけないとなぁ……」

 いよいよ緑色が濃くなった街路樹の道を歩きながら、彼はそんな独り言をつぶやいた。学び舎に見切りをつけた以上、いつまでもヒモ状態ではいられない。そんな要の目に入ったのは。


「ああ……。そういえばここ暫くこの本屋にも来ていなかったなあ……」

 陽峰堂ようほうどうと書かれた看板を前にして、要は立ち止まった。かつては読書を趣味にし、週に五回は通った店だった。しかしあの事件以来、一度も立ち寄っていなかった。僅かに逡巡した後、要は店舗に踏み入った。


「お邪魔します……。わあ、変わっていないなあ」

 中身は寸部違わず記憶のままであった。昔ながらの風情だが、それでいて清掃が行き届いている。


「なんだ、随分と久方ぶりだな。なにかあったのか」

 要が本を見繕っていると、奥のレジから、しわがれた老人の声が届いた。懐かしい声だった。要は相好を崩して答える。

「少し、色々とありまして。ご無沙汰してしまいました」

「そうかい……。よっと」

 老人が杖をつき、要へと近付いた。腰も曲がっており、歩くのも大変そうである。

「兄ちゃんは本が好きだったな?」

「ええ、とても」

 言葉をかわす。その目は真剣だった。それでいて、輝いていた。

「もしも、だ。兄ちゃんが望むなら。儂の店で働いてみんか? このままじゃ閉店まっしぐらだが、常連かつ若いアンタになら、色々と考えてやってもいいぞ」

「へ?」

 あまりにも急な、しかし要にとっては渡りに船の提案であった。



「ただいま」

「おかえり要兄!」

 諸々の手続きを済ませ、帰って来る頃にはすっかり日が暮れていた。そんな彼を迎える声は、いつも通りに明るくて。ハグをされ、そして、聞かれる。

「どうだった? 要兄」

「上手く行ったよ。今までありがとう。そして、今後ともよろしくな? 雫」



 エピソード5・完

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