農協おくりびと (54)さぁ、買い出しだ

 紅ズワイガニ漁が解禁になると、港の沖合いに直径が1,5mもある

鉄製の重い『カニカゴ』が、300個以上も沈められる。

水深800~2500m付近に沈められたカニカゴが、再び揚げられるのは

2日から3日後になる。


 餌を求めてカゴへ入った紅ズワイガニは、深海から一気に漁船へ引き揚げられる。

浜へ揚げられた紅ズワイガニは、水分が抜けないように甲羅を下にする。

仰向けの状態で、並べられていく。

全身に帯びた朱色は、熱を通すとさらに鮮やかな赤になる。

紅葉よりひと足早い紅ズワイの鮮やかな紅色は、越後に、秋の到来を告げる。

 

 紅ズワイガニが棲む400~2700mの深海は、水温がほとんど変らない。

この海域は、常に0,5℃から1,0℃に保たれる。

殻が柔らかく、身に水分が多く含まれるのは、水圧が高い深海域に

生息しているためだと考えられている。

紅ズワイガニの特徴は、茹でると水っぽくなり、身が柔らかくなることだ。

 

 「さぁ、買い出しだ!」大型の水産店が立ち並ぶ歩道で、祐三が号令をかける。

「買い出し?。2階の食事処で、カニを堪能する予定じゃなかったかしら?」

何てことを言い出すのあんたは、と、妙子が眉を寄せる。


 「べつにケチってるわけじゃない。

 好きなだけカニを買い出して、近くの浜辺で、バーベキューと洒落こむ。

 なんのために8人乗りのワンボックスでやって来たと思う?。

 後部スペースに8人用のワンタッチテントと、バーベキューセットが積んである。

 どうだ。この計画に不満があるか?

 いやならいいぞ。君だけ2階の食事処で、たらふくカニを食えばいい。

 俺らはのんびりと、海でも眺めながら、カニとバーベキューを満喫するから」


 なんだ。そういうことなら早く言ってくれればいいのに、と

妙子がふたたび、祐三の腕にぶら下がる。

「じゃ行きましょ、あなた」妙子がにっこりと、祐三の顏を見上げる。

 

 (おい。あれはもう、戒律を守って生きている尼僧じゃないぞ。

カニの魔力に完全に負けている、ただの堕落した普通の女だ・・・)

ナス農家の荒牧がまいったなぁとつぶやく。呆れ顏で2人の背中を見つめていた

先輩も、「なんの、あれしき」と鼻で笑う。


 (女が食の本能に負けることは、よくあることよ。

 でもさ。戒律に生きている清楚な女が、男にベタベタしているのが許せないわ!)


 (尼僧を停止中なんだろう、いまの妙子さんは。

 輪袈裟は車の中に置いてきたから、戒律から、解放されているんだろう)

 

 (都合よすぎるじゃないの。そんな方式は。

 相手は、女性からの誘惑にことさら弱い、あの祐三さんなのよ。

 何かあったら、困るじゃないの。

 なんだか圭子ちゃんと松島君の事よりも、祐三さんと妙子さんの方が

 心配になってきましたねぇ・・・)


 (うん。なんだか俺も、不安になって来た・・・

 祐三さんは色香で迫って来る女には、めっぽう弱いからなぁ。

 不倫で大騒ぎになった時も、相手の女は、あんなタイプの女性だったなぁ。

 それにしても妙子さんは、尼僧の割に、色っぽいね。

 禁欲を続けていくと、女は逆に、色香が増幅していくのかな・・・

 なんだか妙子さんが、魔性の女に見えてきた)


 (妙子さんは、もともと色っぽい女性ですからねぇ。

 尼僧の白頭巾姿の時でさえ、はっとするほど美しく、刺激を感じさせます。

 わたしたちが、あれこれ心配してもはじまりません。

 美味しそうな紅ズワイガニを選んで、バーベキューの準備をしましょ。

 あら・・・地魚の詰め合わせセットだって。

 見たこともないお魚が、これでもかと詰め込まれているわ。

 美味しそうですねぇ。

 これも買っていきましょうよ、ねぇ、あなた)


 荒牧の腕に寄り添った先輩が、美味しそうな魚を見つけるたびに、

「ねぇ、あなた」を連発していく。

4組のカップルが、それぞれ魚のカニ横を楽しそうに闊歩していく。


  

(55)へつづく

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