セルフメディケア

 アゴに痛みを感じ、マットレスの下に手を突っ込む。


 手持ちの、金庫とさえ言えない工具箱の底からなけなしのデジタルマネーカードを取り出す。こんなことに使う羽目になるとはな。いざという時の蓄えだったはずのポイント。だが今がそのいざ・・という時だ。


 思い返す。仕事ランでヘマをして殴られ、使い捨てのIDレスワーカーだと分かったとたんに捨てられた。抜き取られる情報すらない役立たずユースレス。あとは全てを捨てて逃げるか事後報告に依頼者の元に泣きつくとでも思われたのだろう。


 ドクドクと脈拍に合わせて響く奥歯とアゴの痛み。視界の左半分が狭い。

 コフィンホテルの中で目覚めたが、帰ってきた記憶がない。無意識のうちに歩いて戻ったか、俺を見つけた知り合いが運んでくれたのか。財布カードケースとその中身が散らかってる所を見ると後者だな。顔を知ってるというだけの誰かだ。こんちくしょう。


 痛む顔にぬるくなりかけた保冷剤を当て、近場のドラッグストアに入る。強力な痛み止めのアンプルや鎮痛剤、脱脂綿や綿棒、消毒アルコールなどを適当にかごにつっこみ会計を済ませる。東南アジア系の店員がなにかを言っているが。


「いいからそれを売ってくれ。説明はいらねえ」


 とまくしたてる。通じたのかどうなのか。あきらめたような顔で袋に詰めてくれる。カードを読み取り機に当てて商品をひったくるように受け取ると足早にコフィンに戻る。


 コフィンのベッド。マットレスの下から道具箱を取り出し、洗面所に走る。

 不衛生な場所だがしかたない。洗面台にアルコールをぶちまけて簡易消毒だ。


 ちらつく照明。ジジジと変圧ノイズ。いつもこうだ。サブウーファから響くような低音がささくれた気分を逆なでする。

 ドクンドクン。脈拍と痛みが連動して伝わる。気化したアルコールの匂いも気分を悪くさせる。

 口の中に溜まった血混じりの唾液を吐き出す。


 不快感はまったく晴れない。アゴが腫れて痛んでいるが視界を狭くしているまぶたの腫れもひどいものだ。腫れたまぶたには注射するわけにもいかない。化膿止めにドルマイシンを薄く塗ってあとは忘れよう。

 今は口の中をなんとかしないと。


 明るさが足りない。

 ライトで奥歯を照らし、砕けた歯と、それ以上に痛む歯を鏡の中に見る。

 小さなカプセルらしきものが左下、大臼歯の中心に埋め込まれ、細いワイヤーがとなりの歯に伸びている。埋め込み爆弾か自決毒だ。シャイセ!! そうだろうよ。逃げたらこれが破裂して顔が見られたもんじゃないことになるんだろ。見せしめによくあるパターンだ。流石に頸椎爆弾や頭蓋爆弾を埋め込む手間はかけなかったんだな。そんな手間をかけるほどの価値もねえってか。


 砕けた歯の奥にはカプセルがレジンで固定され、たぶん制御基盤が隣の歯茎あたりに埋め込まれている。歯茎が一番痛い。神経に障る痛さだ。


 工具箱からシリンジを取り出し、先端をヤスリで削って注射器にする。痛み止めを綿棒で歯茎に塗り。同じ液体をでっち上げた注射器に吸い上げ、鏡を覗きこみながら痛む奥歯の周辺に刺して流し込む。


 工具箱からビニールシュリンクされたディスポナイフを取り出し、おもむろに歯茎に刺す。プツッとした感触がナイフ越しに伝わるが、口の中は苦みとしびれと元からあふれていた血錆びの味で変わらない。口のまわりの気持ち悪さが気にならなくなってきた。

 だんだんと痺れてくる。麻酔がわりのアンプルは効いてきた。これは救いだ。


 指が血と唾液で滑り、唇から離れる。もう一本くらい腕が欲しい。

 コフィンにとって返し、針金ハンガーをひとつかみ。洗面所でハンガーを引き延ばし、肩に通してフックを口に引っかける。セルフSMだ。お代は見てのお帰りとはいかない。見世物じゃねえんだ。鏡の向こうの間抜けと視線が合う。引っ張ってピン留めされた馬鹿づらの標本だ。


 ナイフの刃先の感触で基板の位置にあたりをつけて切れ込みを広げていく。

 鏡のなかの歯は血に染まってまだらになっている。


 一度ナイフを口から出しハンガーをはずし。アルコールでゆすいで痛みとともに吐き捨てる。ナイフとピンセットを両手で持ち、基板を歯茎から引きずり出す。埋め込まれて時間が経っていないからか癒着もなく、ずるりと肉の隙間から滑り出る。ワイヤーを切らないように舌の脇に基板を納め、傷口に追加の鎮痛注射を打ち込む。


 もう一度アルコールでゆすぎ。カプセルが固定された奥歯にペンチを当てる。潰さないように、しかしすっぽ抜けないように。

 みしりと音が骨越しに響く。痛みはないが涙が浮かぶ。肉体の反射だ。鎮静剤でごまかせ。

 浮きかけた歯の隙間に注射を追加。すこしだけ待って。覚悟を決めると浮きかけた歯の上に基板とワイヤーを瞬間接着剤で固定する。口の中にとがった味が広がる。


 歯をペンチで掴み、軽く左右に揺すった後。一気に引き抜いた。

 勢い余って。

 握った拳が鏡にヒビを入れる。赤い液体が手の甲からしたたる。その手が握るペンチの先には流体の赤と固体の白、基板フレキシの緑が光を反射する。口の端がちぎれたが気にならない。気にしない。あとでワセリンでも塗っておけばいいさ。


 そっと洗面台にペンチごと歯を置いて。消毒代わりのアルコールでふたたびゆすぎ、抜けた歯があった部分に痛み止めアンプル液を染み込ませた綿を詰める。苦みと痺れが口の中を支配するがどうしようもない。

 モザイク状に映り込む俺はひどい顔だ。左側だけ笑ったようにさけた口。血まみれの顔。顔、顔。やり場のない怒りと恨めしさと後悔を貼り付けたツラが格子の向こうから何十とにらみ返してくる。


 ペンチは基板ごと歯に貼りついている。窓からペンチごと投げ捨て数秒後。

 乾いた破裂音が響いた。

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