文筆業

 スマートデバイスがなければ生活できない。もはや身体機能の一部とも言えるレベルだ。


 この小さな端末デバイスが連絡手段、コミュニケーションツール、財布、健康管理、自宅の鍵、TV、ラジオ、災害情報など情報ライフラインの一部になっている。


 一昔前にはPersonal Digital Assistantと呼ばれた時代もあったようだ。PDA。つまりデジタルの個人秘書だ。以前は手帳や日記という紙ベースの媒体に自分で書き込んで時々チェックしていたらしい。


 それにクレジットカードや電子マネーカード、GPSロガーなどといった単機能のデバイスを持ち歩いていたとか。


 さらには会社にあるような端末をPCと呼んで個人所有していたらしい。なんと面倒なことか。


 実際の所、紙ベースの媒体はまだ生きている。贅沢品としての物理書籍ハードコピー。個人的な記録は年かさのビジネスマンや企画屋はちょっとしたことを書き付けるとか、アイデアを書き留めるとかに小振りのノートとやらを持ち歩いている。それでもメインは常時オンライン接続されたスマートデバイスだ。


 書き留めたメモは自動的にスマートデバイスに取り込まれる。いつでも検索できる。昔のビジネスマンはどうやって紙の束に書かれたバラバラのメモから必要な情報を探していたのやら。よほど非効率的なやり方を好んでいたのか。それともそれしか手段がなかったのか。


 その紙の束を無くしたらどうしていたのか想像もつかない。スマートデバイスで管理していれば、社会保障アカウントID一つで、デバイスを無くしても買い替えてもそのまま同じように情報を参照できる。会社でどの机について端末を起動しても、同じ環境で仕事ができるのと同じ事だ。


 その社会保障アカウント自体もブレスレットデバイスに登録すれば、スマートデバイスにリンクさせるだけでOK。防水されたブレスレットはシャワーだろうがプールだろうが肌身離さずにすむのでなくす心配さえない。

 メッセージが来ればブレスレットに振動と表示で通知してくれるし、最適なタイミングで起こしてくれさえする。


 最近の子供はアカウント自体を非接触チップで埋め込んでいるけどね。俺は手首のID刺青タトゥと通知ブレスレットでいい。今更だし。


 一部の年老いた、権威にすがる評論家は「人類の堕落だ」などと言うが、知ったことではない。昔は良かった、なんて寝言は、一人ベッドの中でモゴモゴ言っていてくれ。


 デバイスに任せられるような、よけいなことを考えたりやったりする暇があるのなら、その時間を仕事なり趣味なりにつかったほうがよほど有意義というものだ。


 ブレスレットが通知する。イヤフォンが「心拍数が平常値を超えています。メディカルサービスが必要ですか?」と教えてくれる。


 ちょっと興奮しすぎたようだ。


「今は不要だ。30分後にメディテーションを予約してくれ」

「かしこまりました。最寄りのヨガ・メディ・サービスに予約しました」


 締め切りが近い記事を仕上げねば。考えた事を声に出し、テキストデータ化してアウトラインをまとめる。エディタのAI校正を通し、記事としての体裁がまとまる。ざっと読んで違和感はない。


「記事を投稿処理してくれ」

「送信が完了しました。担当編集、佐藤さまに送付した旨をメッセージしました」


 数分後。


「稿料名目で入金が確認されました。執筆依頼のメッセージが二件あります。ヨガ・メディ・サービスの時間が迫っていますが読み上げますか?」

「いや、メディに行く」

「では帰宅後に再度通知いたします」


 食うに困らない仕事がこれだけ簡単にできているのだ。スマートデバイスを使わない理由がどこにあるのか。


 自動で呼ばれていたオートモビリティに乗り、移動の途中にニュースピックアップを聞く。


「スマートデバイスに使われる人生でいいのか?」


 なにかの討論の議題のようだ。


「次」

「今期の各社新型デバイス発表」


 ああ、こういうのが聞きたかったんだよ。


「内容を」


 スマートデバイスが記事の内容を読み上げていく。


 オートモビリティが静かに移動していく。

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