君の声をもう一度聞かせてほしい。

馬鹿

あれは13年前のことだ。

 俺は、家族総出で海水浴場へと出向いた。家からは結構離れていたため、約2~3時間程度かかった。道中の車内では、当時三歳の俺、都井新といあらたと、双子の妹の由梨花ゆりかは滅多にない外出に、異様に盛り上がっていた。その様子を父親は運転席から微笑み乍ら見守っていた。母親はというと、もともと体が弱かった故に俺達を産んですぐに死んだ。母親の顔や温もりを知らない俺達は、悲しむ事すらなかった。

 海水浴に着くや否や、俺と由梨花は道中車内ではしゃぎすぎたために、もう疲れて海で泳ぐようなテンションではなかったが、父親に急かされて車内から外に出た。

 一瞬で先ほどの疲れが風と共に飛んで行った。まだ幼かった俺の目には現実のものではないように映ったのだ。つまり、凄まじく美しかった。

 海はその時まで行ったことがなく、テレビや写真の中でしか見た事がなかった。

 独特な潮の臭いと共に辺りを木霊す波の音。初めて味わった海という存在に俺はたちまち魅了されてしまった。

 

 海水浴場は駐車場から少し離れた場所に位置していたため、俺と由梨花と父親と三人で手分けして目的地である海水浴場まで荷物を運んだ。

 海水浴場は家族連れの客を中心に賑わっていた。駐車場から見た海とは違って、子供やら大人がはしゃぐ声、海面に散らばったカラフルな浮き輪などで彩られていた。

 そして、この日は波が高く、散らばった浮き輪が上下に大きく揺れる様がどうしても可笑しかった。

 そんな光景に呆気に取られていた俺は、父親に肩をとんとんと叩かれた。

「さあ、場所取りに行こう」

 父親は、優しく微笑み乍ら言った。

 俺は額を上下に激しく振って、頷いた。


 人が多く、海水浴場の中心からは少し離れてはいたものの、いい場所が取れた。

 波打ち際の少し後ろにパラソルを立て、かわいらしいマスコットキャラクターがプリントされたシートを敷いた。その瞬間俺は、水着を履いていたので、服だけ脱ぎ捨てて海へと猛ダッシュで行き、勢いよく飛び込んだ。海に早く入りたいという欲望を抑えきれなかったのだ。

 波打ち際からダイブしたため、勿論着地するのは浅瀬である。思いっきり尻もちをつき、涙がでそうになったが、自然と笑いが込み上げてきた。

 痛かったが、それ以上に楽しかったのだ。

 俺がげらげらと笑っていると、由梨花も同じくダイブしてきた。当然結果は同じだ。由梨花も痛みで涙目になったものの、俺と同じく笑い始めた。俺は由香里と共に高々と笑った。

 間もなく父親が俺達の所に寄ってきた。

「浮き輪を借りに行こうか」

 と、優しく微笑み乍ら俺と由梨花の肩をとん、と叩いた。

 

 我が家には浮き輪などなく、あってもゴーグルくらいだった。

 もとより、父親は浮き輪を借りる予定だったのだろう。

 浮き輪を求めて海の家という場所にやってきた。俺達の拠点がある場所のすぐそばにあった。そこは、浮き輪の貸し出しだけではなく、食事もとれるようになっており、沢山の人がそこに集っている様子が外からでも窺えた。

 早速中に入ってみると、案の定人で埋め尽くされていた。前に進むことさえ困難だった。俺たちのような3歳児の身体つきならば前に進むのも容易だが、父親のような大人の体型だと前進するのも容易ではない。

 海の家の屋内は、窓は開けているものの人の多さ故の独特な暑さが立ち込めていた。なにもしなくても体中から汗が噴き出してしょうがなかった。

 しびれを切らした由香里は「海、入りたい」と駄々を捏ねだした。父親は困った顔で「もう少しだから」と言うものの、由香里は全く耳を貸そうとせず、「海、入りたい」と同じことを繰り返すばかりだった。

 我慢しきれなくなった由香里は、海の家の出口へと猛ダッシュで走っていった―――



 俺は、の事を事細かく鮮明に覚えていた。


 なぜなら、




 あの日以降、由梨花の姿を見る事がなかったから―――

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