10. 癒やしの光
カーラを抱え、天井にぶら下がった僕は眼下が真っ黒なヘドロに埋め尽くされる様子を、ただ呆然と眺めていた。
扉から流れ込んできたヘドロはある程度の粘度が残されており、さらに不気味な事に、そこには無数の眼球が浮かんでいた。
「カーラ、見ちゃ駄目だ」
「シャルル様、皆様が見ています、恥ずかしい……です」
僕の焦燥感とは正反対に、カーラは顔を少し赤らめ、言葉とは裏腹に僕の頭を抱き寄せる。オッパイの柔らかさを感じられ嬉しいんだけど、
「フガフガ(カーラ、状況が解っていないの?)」
カーラの胸に埋まったまま、フガフガと声を上げた。
「フガフガ?」
「フガフガ(違う! 下を見て! ヘドロ!)」
「フガフガ」
駄目だ。
とりあえずカーラを抱えている手を一瞬離し、
「きゃっ」
カーラの身体の向きを反対にして、腹の方で支えるようにして顔を上げた。
「カーラ、見て!」
そのため、必然的にカーラは顔を下に向け、眼下の状況を確認できるようにしているのですが……
「シャルル様、皆さんがみていますわ……」
駄目だ。
どうやら、何かの幻術に陥っているのか、カーラはこの状況が把握出来ないらしい。
「コゾウ!」
その時、僕は自分の背後に気配を感じた。いつの間にか船長に後ろを取られたらしい。
「ちっ」
仕方が無く僕はシャンデリアに捕まっていた手を離し、
「スン!」
ヘドロが流れ込んできた際に離してしまった
その瞬間、鎧の肩口からかぎ爪のようなものが浮かび上がり、それが一気に近くの壁まで伸びた。
「縮め!」
「きゃぁ!」
壁に深く食い込んだ瞬間、僕は今度はかぎ爪の伸ばした分が縮み、僕は一気に壁側へ移動をする。そのスピードに驚いたのか、カーラが悲鳴を上げた。
僕は、カーラに衝撃がいかないようにしっかりと支えながらも、かぎ爪を完全に収納すると同時に刀を壁に刺し、僕とカーラは宙に浮いた状態で、船長を睨み付ける。
ふう。
しかし初めてだったけど、イメージどおりだったけど、うまくいった。
もう何でもありなだな、この
「コゾウ……オデノカラダヲ……ヨクモ……」
自分の発想力に感動しながらも、声のする方を見ると、船長は船長で引っかかりの無い天井を掴むことで身体をささえていた。だが、身体は胸の下から失っていた。
手応えはなかったけど、振り回した刀がうまく船長を斬ったのだろう。失った半身はヘドロの上に沈まずに浮いていた。
「まだ死なないのか……」
「あれでは倒せません」
「え? カーラ、正気に戻ったの?」
「はい……申し訳ありませんでした」
どうやら、壁まで移動した衝撃で正気に戻ったらしい。先ほどまで浮かべていた柔らかい微笑みは引っ込み、まさにこの場に相応しい、厳しい表情となった。
「それで、あれでは倒せないってどういう事?」
「船長は本体ではありません」
「本体では無い? あっ……」
ヘドロの上に浮かんでいた船長の半身が、徐々に膨らみ始めた。どうやら周囲のヘドロを吸っているようだ。
「だめだ。とりあえずこの部屋を出よう……うおりゃ」
僕は刀を刺している壁面を全力で蹴った。
「よし、逃げだそう」
轟音とともに、僕の蹴りで空いた大きな穴から公宮の外へ出れそうだ。
僕は壁から刀を抜き、指先で穴の縁をつかむと強引にカーラを抱えたまま、公宮の外へ飛び出した。
「駄目です。付いてきます」
着地し、少し公宮から距離をとった僕は、その声にカーラを下ろし、背後に庇って刀を構えた。僕一人ならすぐにでも逃げ出せるが、さすがにカーラを抱えたまま全力疾走をしたら、カーラを殺してしまう。
僕があけた穴を通るように黒いヘドロがどろりと出てきた。そして、地面に付くと同時に船長に姿を変えていく。
「あちゃぁ、ヘドロと船長が一体化しちゃったのか……」
そして流れ落ちるヘドロを徐々に吸収しながら船長は巨大化していった。その全身には、無数の眼球がくっついていて、どれもが意思を持ったように僕を睨み付けてくる。きっとあれが、公王家の皆様だったり、ホールで踊っていた人達だったんだよなぁ……もう、元には戻せないのかな……
「でも、これを放置していたら、街にまで被害が出る。倒さないと」
放置って選択肢は……さすがに無いか。
「とりあえず、やってみるよ」
「シャルル様、いくら倒しても、本体を倒さない……」
「うおぉりゃぁ」
カーラが何かいいかけていたけど、僕は船長に思い切って斬りかかっていった。
「どりゃぁ」
巨大化してくれたもんだから、いくらでも隙がある。動きも昔の僕だったら太刀打ち出来なかっただろうけど、今なら余裕だ。
だが、何度切り裂いて、バラバラにしても、すぐ合流してしまう。斬っている最中に目玉を分断すると、その目玉は切れたままになるので、こちらを見ている視線は減ってきてはいる。あ、でも、これって斬っちゃって良かったのかな……ソフィアとか、助けられたり……
「シャルルぅ……シャルルぅ」
その瞬間、再び一つに合体した巨大船長の太ももに、少女の顔が浮かんできた。
「あ、ソフィア!」
「シャルルぅ……助けてぇ……」
本物……だよね?
「ソフィア! どうすれば?」
「ごろじでぇ……ごろじでぇ……もう゛ぶりだがら、ごろじでぇ」
それだけ言って、ソフィアの顔は船長の身体に沈もうとした。
その声に僕は一瞬だけ目を閉じ、
「わかった」
そう呟くと同時に船長の身体に沈み込もうとしたソフィアの目を斬った。そして、さらに速度を上げ、船長の身体中にある目だけを深く切り裂いていく。
やがて、巨大化した船長の身体には、船長自身の両目を残すだけとなった。
「キサマ……ツミノナイコウキュウノニンゲンヲ、アッサリと……」
どう考えても助けられそうになかったし……罪の無いって、お前が言うなよ。こっちが何も感じもせず、ソフィア達を殺したとでも思うのか? もう人間の尊厳を守ってあげるには、ああするしか無かったじゃないか。
だから……
「悪いのは船長だよね!」
僕はそのまま怒りに任せ、自分以外の目を失った船長の身体を何度も切りつけ、バラバラにした。僕の読みでは、自分の身体を守る他の人間だった存在を失った今、チャンス……だったのだが、これまで通り、船長はあっというまに別れた身体を合体させ、復活してしまう。
「……」
船長は曲刀を振り回し、僕がその曲刀をはじき飛ばすと、今度は両腕で僕を捕まえようとした。だが、船長では僕のスピードには付いてこれないため、ただ腕を振り回すだけになっていた。
一方、僕は僕で、急所となるような場所を探しながら何度も何度も、斬りつけているが、どこを斬っても、すぐに復活してしまう。
これではさすがに打つ手が無い。千日手という奴だ。
ほぼ同時に僕と船長は動きを止め、お互い睨み合う事になった。
「どうするかな……」
少し嫌気がさしてきた僕の背後から、カーラが近づいてきた。
「カーラ、危ないから下がっていて」
「シャルル様……」
「え?」
カーラは突然、僕を抱きしめてきた。
その瞬間、僕の周囲に、あの腐臭が漂う。
「申し訳ありません、シャルル様。いくらやっても本体を倒さないと、アレはいつまでも復活します」
「本体……本体だよね。それを探しているんだけど……って、カーラは何でしっているの?」
「その本体が……」
僕を抱きしめるカーラの力が増す。
「私なのです、シャルル様」
「!」
カーラが僕の身体を締め付けた。
***
「熱い!」
力を込めていたカーラが僕から突然飛び退く。
「シャルル様……すみません、そうですよね。私が原因なんですもの、一緒にはいられませんよね」
「カーラ?」
僕と触れていた部分が、プスプスと煙りを上げている。どういう事だ? 僕は何もしていないけど……
「シャルル様は沢山の人に守られているのですね」
「カーラ……本体ってどういう事?」
僕の問いかけにカーラは寂しく笑って、
「すみません、シャルル様。決してシャルル様を害そうなどと考えた訳では無いのです。ただ、少しお別れが、お名残惜しくて……」
別れって何?
え? 僕、振られちゃうの?
「私はあの時……海賊船を脱出した時に乗っていた小舟で因子を埋め込まれてしまったのです」
「はい?」
どういう事だ?
僕は別れを切り出されたり、因子などという初めて聞く単語が出てきた事に戸惑ってしまった。
「そうです……この肩に……」
だが、カーラは僕の反応を気にせず、話を続けた。
そこで僕も気がつく。
あれ?
そういえば、再会した頃は肩を吊っていたよね?
いつの間に包帯を外していた?
「シャルル様が戻られて……因子も活動を始めました」
「僕が戻って?」
「はい……それまでは私の身体の中に潜んでいたのですが、あの日……」
あの日?
「そう、シャルル様が公宮に訪れたあの日、因子がシャルル様の気配を感じて暴れ始めたのです」
「……」
「私の肩に埋め込まれた因子は、外へ飛び出し、公家の皆様を汚しました。そして主食を全てあの忌まわしき黒いモノに置き換え……ソフィア様だけは、海賊船での記憶が残っており、抵抗をされましたが……」
「食べたの?」
「はい……」
ソフィア達がヘドロ人間になってしまったのは、そういう事か。
「それでカーラは?」
「私は……孤児院に着いた最初の日に、シャルル様に癒やされてしまい、中途半端な状態になってしまいました。因子は残った状態のまま、人としての意識も残り……」
「カーラもヘドロ人間になっちゃうの?」
僕は力なく一番聞きたくなかった質問をした。
「いえ。シャルル様のおかげで、今のところ、それは大丈夫です」
「じゃぁ、元の身体に戻っているの?」
「それも無理なのです」
その瞬間、僕が持っていた刀がピカッと光り、全裸のスンが僕の前に立った。
「スン……」
「
「あ、うん……」
僕は背中の鞘の位置に引っかかっているスンの服を手渡す。
それをスンが手早く着込み、一度咳払いをしてから話始めた。
「主様、癒やし」
「癒やし?」
「癒やしの魔法」
「そうか! それを使えば、カーラも元に……えっ?」
僕の言葉に、スンとカーラが首を振る。
「手遅れ」
「もう手遅れなんです、シャルル様」
そして、スンが僕を睨み付けたまま、動かない巨大化した船長を指さす。
「癒やしの魔法で、あれを止める」
「そうなると、カーラはどうなるの?」
僕の問いに二人は同時に答えた。
「死ぬ」
「消えます」
「嫌だ!」
死ぬも消えるも、同じ事だ。
僕の大切な婚約者であるカーラがいなくなってしまう。
「主様」
「シャルル様」
またしても同時にスンとカーラが僕を呼んだ。
「だって、カーラが消えちゃったら……僕はどうするのさ。また一人ぼっちに……それにカーラだって……カーラは何も悪くないのに……」
「シャルル様、シャルル様にはスン様を始め、沢山の仲間がいるじゃありませんか」
カーラが、一歩前に出て僕に近づく。
スンはそれを止めようとはしない。
「私は……私たちの公国は、海賊船に狙われた時に命運が尽きていたのです。それをシャルル様に一時的に伸ばしていただいただけに過ぎません。だから大丈夫です。少し寂しいですが、大丈夫です」
「カーラ」
「それに……このままですと、私が抱えてしまった因子は、この街を全て飲み込む事でしょう。この因子は海賊船を変質させ、100年以上も漂流させるような強力なモノなのです。私もやがて、もう一度全身を汚され、ソフィア様のような最期を迎える事になります」
そんな……
この街には孤児院もある、エリカもいる。
冒険者組合やタニア商会……それにタニア商会には僕が引き取った子供達がいる。
ロランも……あ、ロランはいいや。自分で何とかしそうだし。
「だから、そんな事になる前に……私が人間でいる間に……人間のまま、終わらせてください」
「カーラ……」
「シャルル様、カーラは幸せでしたよ」
そういって、カーラはもう一度……今度は優しく抱きしめた。
「主様、急ぐ」
スンの言葉に船長を見ると、何かプルプルと震えだしている。あのままにしていちゃ、まずい事が起こりそうな予感大だ。
だけど……
「……どうしようも無いの?」
「はい」
「僕が……もっとうまくやれていれば……」
「いいえ、同じ事でしたよ」
「因子って何?」
「シャルル様……私も解りませんが、きっと、いつかシャルル様の前に立ちはだかる、シャルル様が超えなければいけない何か……そんな気がします」
「そうか……じゃぁ、そいつが出たらカーラの……みんなの仇は取るね」
「はい、お願いします」
「ありがとう」
「はい、ありがとうございました」
「じゃ……
『
僕が呪文を唱えた瞬間、カーラはまるで砂が崩れるように風に巻かれ消えてしまった。
「主様、あれ」
スンが船長を指さす。そして、そのまま刀へ変化した。
船長を見ると、いよいよ、プルプルも大詰めのようだ、体中から何かが吹き出しそうに、あちらこちらが、膨らんだり凹んだりしたいた。
「ああ、解った」
僕は鞘に収まっている刀を拾い上げ、抜刀し、全てが塵になるまで、僕が出しうる最高速度で船長を切り刻んだ。
船長は一言も発せず、再生もしなかった……。
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