2 悲劇への序曲
六年もの長い間、ここに住んでいるにもかかわらず、深夜の廊下をひとり歩くのは初めてである。兵士様も女性たちも見当たらない。部屋の外に出た仮面のわたしは音をたてぬよう静かに扉を閉めた。
南サツマに建つこの城は一世紀ほど前、旧王朝派が最後の砦としていた場所のひとつである。一部の設備などは取り替えられ、補修工事も行われたそうだが、当時の面影は濃く残っているらしい。廊下を照らす壁の電灯が等間隔で設置されており、深夜でも視界は確保できる。白い仮面ごしに見る“初めての光景”は、わたしにとって新鮮なものだった。昼とは別物にすら感じられる。
誰かに見られた時点で、この“冒険”は終わってしまう。これからの人生で二度とないかもしれない緊張に身をまかせつつも、音をたてぬよう慎重に歩いた。いくつかの角を曲がり進んでゆくと、警備の兵士様たちの声が聴こえてきた。十字に交差する廊下の左へと曲がった方向にいる。
(引き返さなければ見つかっちゃうわ……)
そう思い、うしろに振り返ったとき、彼らの会話が耳に入ってきた。
「頭の怪我が原因じゃないのか?俺は、そう教えられてるぜ」
「んなもんはとっくに治ってるよ、おまえはここに来たばっかだから知らないだろうけどな」
「ああ、たしかに初耳だ」
「“魔法”と“薬”だよ。定期的に両方を投与することで、論理的な思考を脳ミソから、ある程度排除できるのさ。だから、あんな白痴みたいな状態の女が出来上がる」
「その“魔法”って、精神系のものだろ?国際条約で世界的に禁止されてるんじゃないのか?」
どうやら二人いるようだ。いけないと思いつつも、わたしはついつい盗み聞きしてしまった。
「それが“国家の闇”ってやつさ」
「なるほどね」
「今じゃ国民も“ヌードモデル様”の存在なんて忘れてやがる。あれほど騒いだのに薄情なもんさ」
「そりゃあ、第二次アリアケ攻防戦から六年たつしなぁ……第一次なんて、十年近く前だろ」
「正確に言えば九年とちょいだな」
(なんの話かしら?ヌードモデル?それは何……?)
それを考えようとしたとき、強い頭痛に襲われた。たちくらみそうになるも、ふんばった。
「この城に鏡はない、表向きは一応、そうなっている」
「なんで?」
「自分の顔を見たとき、記憶の一部がよみがえる可能性があるらしい。だから顔の傷を理由に鏡を見せないのさ」
「傷ねぇ……ひどいのかい?」
「んなもんはねぇよ」
「はぁ?」
「殴られたのは頭だぜ?顔に傷なんざつかねえよ。つまり、“暗示”さ」
「ないものがある、と思わされているのか?」
「そうさ」
「窓や水面に映るだろ?」
「それも見えないと思わされているのさ。精神系の魔法が禁じられる理由がわかるだろ?人間の心も頭も破壊するのさ」
聴けば聴くほど、頭痛に襲われるわたし。白い仮面の奥から汗がつたう……それでも、なんとか我慢した。なぜか、そうしなければならないと思ったのだ。
「ちなみにヌードモデル様を殴った男は昨年、獄中死したよ。ひとりの娘の人生をボロボロにした罪悪感に苛まれ、晩年はおかしくなっていたらしい」
「息子の仇だったんだろ?」
「おそれ多い言い方だが、当時19歳の女の子だぜ?それを殴打して大怪我させたあげく、一時的に記憶喪失にさせたんだ。正気を保つことなんざできんよ」
「まァ、そうだろうね」
「復讐なんて果たそうが果たすまいが当事者に何も残さないのさ。“あっしは、あの娘の将来を閉ざしてしまいやした”ってのが口癖だったんだと」
「怖いねえ……」
「逆恨みかと言われればそうでもないけどな。むなしいもんさ」
さらに頭痛がひどくなり、わたしはうずくまってしまった。なにかが……なにかが、頭の中に引っかかっている。それは、なに?
「で、“その日”はいつなんだい?」
「近々」
「利用するだけ利用して、あとは“ポイ”か……」
「反乱軍との“和平交渉”に邪魔になったのさ。連中は“こちらに引き渡せ”と言っているが、対外的に彼女は、もう、この世にいないことになっている」
「素直に引き渡せば、ヌードモデル様の力をあちらに利用されることもあり得るからな」
「反乱軍から見れば忌むべき仇だが、利用されると大事だ。だから死んだことになっている。いや、バレるとヤバいから実際にそうする」
「国のために大勢の男どもの前で裸になった娘の行く末……悲惨だな」
「だが、ここで一生、廃人のように暮らすよりかはいいのかもしれんがな」
ふたりの会話の意味が、わたしにはわからない。記憶、復讐、裸、和平、そしてヌードモデル……いったい、なんのことなのかしら?なにか、覚えがあるような……だが、思い出せない……嗚呼、頭痛が……誰か、誰か、わたしを助けてくださいな……
二週間後、南サツマの空に粉雪が舞っていた。南国とはいえ、この時期珍しいことではないが、滅多にあるわけでもない。ちいさな窓の外からずっと、わたしは外を見ていた。
「見てくださいな、カレンさん。まるで雪が花びらのよう……」
仮面を外し、窓際の棚に置いた。傷が残っている顔を晒したわたしは入室したカレンに言った。
「あら?どうしたのです……?」
そして訊ねた。昼食を持って来た彼女の目は真っ赤だ。
「マリア様……」
カレンは大粒の涙を流していた。トレイを持った手が、ぶるぶると震えている。
「目が真っ赤……寝不足ではありませんか?」
くすくすと、わたしは笑った。顔の傷がつっぱるような気がした。
「い、いいえ……いいえ……なんでも、ないのです……」
青ざめた顔のカレンは、テーブルに食事を置いた。まだ手が震えている。
「疲れているのではないですか?たまには、お休みなさいな」
言って、わたしは着席した。
「まぁ、美味しそう……」
今日の昼食は、なぜかいつもより豪華である。魚介類や燻製のお肉がたくさん盛り付けてあり、数種類の色とりどりのサラダは見た目も綺麗……コンソメのスープから漂う香りも食欲をそそる。
「今日はカレンさんが作ってくださったのね、ありがとう」
お礼を言った。すると、彼女の顔がますます青ざめてゆく……
「今日は一緒に食べないのですか?」
わたしは訊いた。
「わ、私……まだ、仕事があるのです」
と、カレン。
「そう……では、夕食は“一緒に”食べましょう……約束ですよ?」
わたしがそう言うと、カレンはさらに大粒の涙を流しながら、そそくさと退室した。よほど忙しいのだろう。
「いただきます……」
ひとりになったわたしはスプーンを手に取り、スープをすくうと、口に近づけた……
〜次回、最終話〜
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