第33話 もう一つの戦い
日々は瞬く間に過ぎていった。寄宿舎での生活は勉強をするには最適な環境だった。少しずつではあるが勉強をする習慣が身に付き始めた夏実は、悪戦苦闘しながらも、どうにかテスト当日を迎えた。
万全とまでは言えないまでも、出来る限りのことをやれたと思えた。けれど、胸の中は不安でいっぱいになっている。問題を解こうと鉛筆を持った瞬間に、記憶したことが頭の中から出て行くのではないかと心配になる。
まるでこれから死刑を執行される囚人のような状態になっていた夏実に、優子が声をかける。
「あんなに頑張ったんだから、大丈夫だよ」優子の励ましにも、夏美はかぶりをふって自信がないことを告げる。
「でもうまくできないかもしれない、って思うと怖くて落ち着かないの」
「夏実ちゃん、こんな話を聞いたことがあるの。不安とかストレスは、決して悪いことじゃない、って」
優子の話を聞いて、夏実は不思議に思う。緊張しているとうまく出来ないから、リラックスをするために、手のひらに人という文字を三回書いて舐めろとか、ストレスのせいで病気になるとか、そういう話は沢山聞いたことがあった。
「こんなに辛くて苦しくて、このままテストを受けたら絶対失敗するよぉ」夏実は、弱気な声を上げる。
「囲碁を打つ前って、夏実ちゃんはどんな気分? 緊張はしない?」優子が突然話題を変える。
言われるままに、囲碁を打つ前はどんな気持ちになっていたかをイメージしてみる。碁盤と碁笥があり、対面には相手が座っている。
「え、うん。緊張もドキドキもするけど、それよりもわくわくする気分の方が大きいかな。自分の力を試したい、っていうか」囲碁のことを話していると、自然と夏実の顔がほころび、リラックスする。
「その時の緊張と、今の緊張も同じものなんだよ。身体がこれから起こることに対して、力を出せるようにって、気合いを入れてくれているの」
同じものなのだろうか、そう言われてみると今感じているこの緊張がただ苦しいだけのものじゃないように感じられた。
「そう……、なのかな。失敗したらどうしよう、ってことばかり考えていて、テストを楽しもうなんて思ってなかった」
夏実は目を閉じて想像をする。まるでゲームを攻略していくように、テスト問題を解いていく自分を思い浮かべる。自分はこのテストを受けるのを楽しみにしているのだと、自分自身に言い聞かせる。
気がつくと緊張はまだそこにあったが、パニックや不安はなく、うまく自分をコントロールできそうな感じがした。
「ありがとう優子ちゃん、あたしやってみるよ」夏実が優子に礼を述べると同時に、テストの開始を告げるチャイムが鳴る。
思えばこれも一つの戦いだ、と夏実は考える。囲碁のように一人の相手と戦うわけではないのだが、点数によって競い合い、勝敗が決められる。
進学を目指している人は、やはり数少ない椅子を奪い合うように、同級生をライバルとして互いに競い合う。
結局のところ、囲碁だけが特別な世界だなんていうのは思い違いなのかもしれない。世界はどこまでいっても残酷で厳しくて。けれどもそれだけじゃないことを信じたい。だから、今は目の前のことに集中して一つずつ進めていく。
夏実はペンを取り、テスト用紙へと手を伸ばす。
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