第18話 終局

 踊り始めたダンスは、ステップを段々と複雑なものへと変えていく。


 互いの手と手、足と足。リズムとリズムが響き合う。間違って足を滑らせたり、集中力を欠いてビートを逃してしまえば高まった情熱の分だけ、この身体を焦がしてしまうだろう。


 夏実はそんなダンスのイメージを脳内に浮かべた。


 対局に関して、夏実の言葉遣いや感性が独特だとは、囲碁について話をしている時によく言われた。


 それまでは囲碁について、おじいちゃんと語り合うことしかなく、色んな用語やらも詳しくなく、本などもあまり読んでいなかったため、細かい部分に関しての話を共有するのに苦労した。


 冗談めかして、天才肌だねと言われたこともある。今回のダンスのイメージも、他人に話せば笑われる類のものなのだろう。


 けれどもそんなイメージが浮かんでいるときは、不思議とよく勝った。

極度に集中しているフロー状態と呼ばれる現象があると、スポーツなどの分野ではよく聞く。ゾーンに入るとも言われるが、自分でも信じられないぐらいに頭がよく働き、答えが直接見えてくるような状態だ。


 碁盤の上では互いの碁石が、あちこちで激しくぶつかり合い、絡み合い、全面に渡っての大勝負になっていた。石が生きるか死ぬのか、それさえも定かでない混沌とした状況。


 その中において、音楽に合わせて自然と身体が踊りだすように、どこに打てば良いのかが自然と見えてくる。振付が決まっているダンスのように、打つべき手の方から働きかけてくる。


 夏実の頭からは勝敗に関する執着は消え、この相手と共に最後まで踊りきりたいと、それだけを願っていた。



 負けるはずがないのに。麗奈は焦りを覚えていた。

まさかこれほどまでに相手が打つとは思ってもいなかった。同学年の間では自分が一番強いと自負があった。


 公式な対局ではないから、負けたとしても記録に残ることはない。それでも、いや、だからこそ負けたくはない。


 考え込んでいると、対局時計に記された持ち時間が残り少なくなる。時間切れで負けるのはダメだ、そう思って急いで次の手を打ち、時計のボタンを押す。


 打った後に自分の手の違和感に気づく。どうにも石同士の形がおかしいと。


 自分が石を置いた後になって、間違いに気づくのはよくあることだ。実際に打つ前に、頭の中でここにおいたらこうなる、とかシミュレーションをして考えているのだが、人間の脳というのはコンピューターのようには出来ていない。囲碁のようなゲームを処理する際に、数学の計算式やプログラムのように完璧な論理に従って考えているのではなく、石が置かれている図を絵として認識していることが多い。


 だから頭の中で、ああだこうだと考えている間には見つからなかったことが、実際に石を置いて図が変化した時に一瞬にして分かることがある。

打つべき場所を間違えた。中央に伸びた自分の石を守るために石同士をつなぐべきなのに、他のところを打ってしまった。明らかなミスだった。


 打たれた夏実も、その手の意味をじっと考え込んでいた。じっと碁盤の上に描かれた図を眺め、そして、麗奈の顔を見つめる。


 その夏実の視線に麗奈は気圧される。こちらの、心の奥底までのぞき込んでくるような瞳。こっちがミスしたことを見透かしているような気分にさせられる。


 相手も気づいて間違えたりしないだろう、と麗奈は思う。対局中に余計な雑念が入り過ぎた。それに比べて、相手の集中している様子は見事だった。純粋に賞賛の念がわいてくる。


 夏実が麗奈のミスを咎める一手を打つ。これで中央の石が大きく取られ、勝負をひっくり返すことはほぼ不可能になった。


「負けました」麗奈が投了を宣言する。

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