高虎の末裔

若狭屋 真夏(九代目)

 黒船

嘉永六年六月三日浦賀沖に4隻の黒船が突如として出現した。率いるのはご存知ペリーである。アメリカは鯨油を求めアジアに進出してきており、その補給基地として日本を選んだのだ。鯨油は主に照明に使われた。アメリカ人は油だけを取るとクジラをすてた。日本人はクジラを食べたし、「声」以外はすべて利用した。

骨もからくり人形のばねとして使っている。

そもそも現代においてアメリカ人が日本人に向かって「クジラを取るな」というのはおかしな発想なのだ。

アメリカ人は鯨油のために「閉じている国」を武力で威嚇し、開国を迫る。という荒々しいやり方をして、クジラを捕獲している。量からしても日本は手漕ぎの船だからそう何頭も捕獲できないが蒸気船なら簡単に捕獲できるからアメリカは相当量のクジラを捕獲していたと予想できる。

現代の「捕鯨問題」を話し合う時になぜこの話題が出ないのか不思議に思う。


それは別として黒船は日本人を恐怖たらしめた。と同時に興味の的でもあった。

当時の老中首座(今でいう総理大臣)は阿部正弘である。

今の感覚でいうと「UFOが渋谷にあらわれた」ような感覚である。

それでも民衆はたくましい。見物人が黒山の人だかりのように集まり、小舟で黒船に近づこうとしたものもいた。今の時代でUFOが現れたらみんな写メを撮るだろう。そんな感じだった。

実は幕府はオランダや琉球から情報を得ていたが正直対応できなかった。

ペリーはアメリカ大統領の親書を持参しており、阿部正弘はこれを受け取るしかできなかった。折あしく将軍家慶は病床にあり「とりあえず」という形で親書を受け取り引き返してもらった。

ペリーが去った7日後将軍家慶が薨去する。

ペリーはこの動乱のすきを突こうとして「来年再び来る」と告げた。


さて困ったのは幕府である。阿部はとりあえず外様大名や旗本、庶民に至るまで意見を求めた。

とある庶民の意見では「お酒を船員にのませ、べろべろになったところで包丁で刺して皆殺しにしてしまえ」なんて乱暴で非現実的な意見を言うものがいたりした。


さて、この時の津藩藤堂家当主は藤堂高ゆきである。津藩は「伊賀の国」を支配している。伊賀忍者で有名な場所である。高ゆきはこの「黒船」に関心を抱いていた一人である。

「異人とはこまったものよの」と漏らす。

「殿、どうでしょう?無足人を用いては?」家臣が提案する。

無足人とはいわゆる忍者の事である。彼らは給料は藩から支給されていない。

しかし、苗字帯刀をゆるされており百姓とは違う。

「無足人か。それも悪くないな」

「だれぞいい者はおらぬか?」と高ゆきは家臣に聞いた。

しばしの沈黙が経過した。

なにしろ戦国時代は遠い昔、忍びを使うということを必要としない世の中が長すぎたのだ。

「恐れながら、、、沢村甚三郎はいかがでしょうか?」ある家臣が提案した。

「沢村か」沢村の名は高ゆきは知っている。

無足人たちは毎年藩主や上野城代の前で武芸を披露する決まりがある。

沢村甚三郎は抜きんでた技の持ち主であった。

「わかった。沢村にきめたぞ」高ゆきはそういうと退出した。


藤堂高ゆきは別段優れた能力があるわけでもない。しかしそういったお殿様のほうが家来たちは「仕事がしやすい」のである。

早速甚三郎に召集の命下った。

沢村家は代々狼煙に関する技を伝えてきた家で甚三郎保佑の代で8代目となる。

「この命」の話を聞いたとき甚三郎は「わが耳を疑った」

なんどもいうが「UFO」の中に入って調査しろというのは現代人でもできない事だ。それに「諜報活動」というのも甚三郎はやったことがない。

というより「やる必要がなかった」ということだ。

しかし藩主の命令である。これを無視すれば自分はおろか家族まで追放されてしまう。

「しかたあるまい」とだけ言った。


しかし運が良いことに甚三郎は「忍び込む」ことをしなくてよくなった。

「アメリカ人が日本人を歓迎するため」船内を案内するということで、甚三郎はその日本人の一人に選ばれたのだ。

「ホッ」と胸をなでおろす。

甚三郎の子孫が書いた「沢村家文書」によると嘉永6年だとあるが、アメリカ側の記録にはない。

まあ、いずれにせよ。甚三郎は忍者衣装をまとうことなく「お客様」の扱いで船内に入ったことになる。

甚三郎はアメリカ人の説明を受けて船内を回った。

「沢村家文書」は後年書かれたものでその時の事は書かれていない。

おそらくビールかワインなどの酒を飲んだであろう。それに西洋料理というものを食べたであろう。もう憶測の域にある。

甚三郎は初めての体験をしながらアメリカ人に好かれたらしい。

おそらく「忍びの技」の一つでも見せたのだろう。

いわば甚三郎は「余興」のための要員であったのかもしれない。

いかに日本とアメリカであっても酒を飲み、うまいものを食べれば気分はよくなる。そこに「言葉の壁」はない。肩でも組みながら歌でも歌ったのかもしれない。


そうしているうちにアメリカ人に好かれた甚三郎に一人の乗組員が近づいてきた。

彼は甚三郎をハグして袋を渡した。

どうやら「贈り物」らしい。

「せんきゅー」と甚三郎は言った。

呑みなれない酒に気分はよくなり意識は遠のいていく。


船を下りたのは2時間ほどたってからだろう。

「忍びらしい」活動は残念ながらできなかった。

とりあえず藩邸にもどった。


酔いを醒ましてから高ゆきに謁見しようとしたが高ゆきの嫡男高潔(たかきよ)が甚三郎を呼んだ。


甚三郎は船員からもらった袋を高潔に提出した。

袋の中には「パン2つ、たばこ2本。ろうそく2本、書類2通が」入っていた。

高潔は甚三郎の話を詳しく聞いてきた。

甚三郎は丁寧にそれに返した。

高潔が一通り話を聞いたが「別段」有力な情報はなかった。

もっともあったとしてもそれを「日本語」にできる人物もいなかっただろう。

書類2通には「イギリス女はベッドが上手、フランス女は料理が上手。オランダ女は家事が上手」というどうでもいいような内容が書かれている。

もう一通には「音のしない川は水深である」という諺が書かれていた。

この書類2通は情報としては「どうでもいい」内容であるが、甚三郎が確かに黒船に乗り込んだという証拠として残っている。


高潔は「父には私から伝えておく」といい「そのパンを一つくれ」といった。

甚三郎は差し出すと高潔はパンをほうばった。

「なかなかうまいのぅ」そういって笑顔になった。


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