シン・エイガカン
三文士
第1話 まごころなんてない
その日は男にとって人生で最良の日になるはずだった。
だが、現実はただただ残酷な天使のテーゼで。大画面から流れ出る映像は男の期待をことごとく裏切っていった。
もちろん悪い方に。
男はその時、映画館の座席で絶望に打ちひしがれながら1997年のあの夏の日を思い出していた。
「またやられた」
男は悔し涙で湿気ったキャラメルポップコーンを握りしめながらただただそう思った。だが元々キャラメルポップコーンは涙に関係なく、わりと湿気っているという事をその時の彼は知る由もなかった。
時は、男がまだ少年だった時までさかのぼる。
1997年 夏
当日の日本はインターネットなんてもちろん普及してなくてテレビとラジオくらいしかねえ!という状態だったが、それでも案外みんな幸せに暮らしていた。
当時の世間の関心と言えば、消費税が5パーセントに引き上がった事、GLAYかL'Arc〜en〜Cielの次の新曲の事、そして安室奈美恵のヒット曲を結婚式のどのタイミングで使うか。そんな事ばかり考えていた。
少年その時小学五年生。
一番仲の良かった同じクラスのシン君(仮名)がややオタク寄りの趣味だったので、少年もつられてOVAや特撮などに傾倒し始めていた。
そんな夏休みも差し迫ったある日。少年はシン君からこんな誘いを受けた。
「今度新しくやる例のアニメの映画、見に行かないか?」
例のアニメとは最近二人の間でもっぱら話題の新世紀ロボットアニメの事だった。
とにかくそのアニメは今までのロボットアニメとは全てにおいて一線を画していた。背景や時代設定。キャラやロボットのデザイン。魂に呼びかけてくるような音楽の数々。そして新約聖書を題材にしている謎めいた設定と単語の数々。
何よりヒロイン達が魅力的だった。
無口でミステリアスなショートヘアのヒロインA。
勝ち気な元祖ツンデレ美少女。赤の似合うヒロインB。
そして歳上の余裕を見せながらも、何処か一番人間味のあるお姉さん系ヒロインC。
どのヒロイン達も甲乙つけ難いくらい魅力があったが、少年はとりわけお姉さん系ヒロインCが好きだった。
最初の頃の少年は特別ロボットアニメが好きというわけではなかったのだが、親友シン君の影響もありちょっと付き合うくらいの気持ちで見始めた。しかし後に社会現象とまで言われるようになったその作品が、たかだかガードの甘い小学生一人を虜にするくらいハナホジ並みに簡単な事だった。
少年たちは新世紀のロボットアニメに夢中になった。
そして待望の夏休みという小学生にとってただでさえ有頂天間違いなしのイベントと同時に劇場版は公開された。少年の胸は彼の短い人生の中でも一番ではないかという位の高鳴りをみせていた。
当日。
少年とシン君、その他にもう一人同級生のダイスケ君を連れ立って彼らは映画館に足を踏み入れた。
きっと今日は人生最良の日になる。少年はそう確信していた。
しかし現実はただただ残酷で。
少年のワクワクはズタズタに引き裂かれ踏みつけられ、地面に横たわった後に唾を吐かれた。
主人公は色々な奴に裏切られたと思い込んでるせいで終始一貫して鬱だし。謎のヒロインAは謎が解明するどころか増えたり巨大化したりして謎が深まるばかりだし。
一番ショックだったのは二番目に好きだったヒロインBが敵の集団からフルボッコにされた挙句に間接的とは言えロボットと感覚を共有した状態でムシャムシャ食われ絶叫したり、意識不明の重体にも関わらず乱心した主人公にぶっかけをされたりしていた。身も心もズタズタである。
映画が終わり少年達は呆然とした表情で外へ出た。
本来なら布教する目的で連れてきたダイスケ君だったが劇場を後にしてまず最初に口を開いた彼の一言に全てが集約されていた。
「なんだよ、アレ」
そうなのだ。正にその通りだった。
少年達の心情を表すのにこれほど適切な言葉もない。
「なんだよ、アレ」
である。
当時の級友たちから「歩くエロ辞典」の異名をとっていた少年であったが、例のぶっかけシーンに関してどんな行為をしてたかは理解していても、あのシーンの意図するところが何なのか皆目見当がつかなかった。
否、仮になにかの意図があったとしてもあそこでぶっかけシーンを流す必要性はなかったのではと。大人になった今でも少年は硬く思い続けている。
少年たちは思い思い心に傷を付けられたシーンを思い浮かべつつ、夕食の時に両親へ映画の感想を素直に述べるべきかどうか悩みながら家路についた。
大人になった少年たちは映画を見た当時の事を振り返りこう言った。
「まごころなんて何処にもなかった」
と。
そして時は流れ17年後。
大人になった少年はこれらのトラウマをすっかり忘れつつあった。しかし彼は、運命の導くままに、約束された裏切りの園に再び赴く事になる。
何故か。
それが運命だから。
ツヅク
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