海坊主
「えっ……なにこれ! どういうこと!?」
「ゆかり……下!」
驚いたように叫ぶ絵美の言葉に、ボートの下を見たゆかりは、ぞっとした。
何か黒い大きなものが、ボートの真下にいたのだ。
ボートはそのものの背に乗って、沖へと連れて行かれるようだった。
「なに、あれ!」
ボートの下だけではない。
気付けば、周りにも黒いものは漂い始めた。
そして。
ざばっ!
海面が盛り上がり、黒いものが浮かび上がってその姿を現す。
それは髪を振り乱した大きな妖怪だった。
「舟幽霊じゃ……ない。また違う妖怪!?」
黒いものは、言う。
「柄長を貸しょう、柄長を貸しょう」
「柄長……? 柄長って、なあに?」
「柄杓のことよ! ……さっき舟幽霊に投げたから、もうないわ!」
「海坊主か――しゃらくさい!」
センが妖怪――海坊主に飛び掛る。
だが、その巨大な身体にはじきとばされる。
「柄長を貸しょう、柄長を貸しょう」
海坊主は、次第にボートに近づいてきた。
ぎしりとボートのへりにその身をかけ、乗り上げてくる。
「きゃあっ!」
ボートがぐらりと傾いた。
センが海坊主にかじりつく。――だが、そのあまりの巨大さに、たいしてダメージを与えられない。
「このままじゃ……転覆する!」
そのとき、ボートの下にいた海坊主が勢いよく水面に浮上した。
その勢いで、ボートはひっくり返される。
「きゃああ!」
ゆかりたちは海に放り出された。
「っぷあ!」
一度沈んだものの、水面に浮かび上がり、顔を出す。
なんとかボートにつかまった。
しかし。
「あっ!」
しゅるしゅると、ゆかりの足に何かがからまった。
海坊主の髪の毛だ。
それはぎしりと力をこめ、ゆかりを海中に引き込もうとする。
「娘!」
センが叫ぶ。
喰いきれないと見て取ったセンは、思い切り息を吸い込むと、灼熱の炎を吐き出した。
だが、さすがに場所が悪い。
あたりは一面水に覆われている。
センの炎は、海坊主がざばりと立てた波にかき消された。
「ちいっ!」
喰いきることもできず、炎もダメージを与えられない。
センの攻撃は、海坊主に太刀打ちすることができなかった。
「きゃあっ!」
「絵美!」
絵美が、海中に引きずり込まれる。
ゆかりも必死に拘束を解こうともがくが、海坊主の髪の毛はびくともしない。
そして、とうとうゆかりも海中に引き込まれた。
「!」
反射的に、ごぼりと息を吐き出してしまう。
センが髪の毛を噛み切ろうとするが、次から次へと巻き憑いてくる。
ゆかりと絵美はどんどん水底へ沈められていく。
(苦しい……)
次第に呼吸が苦しくなって、ゆかりは眉を寄せた。
(このままじゃ……絵美まで……)
絵美。絵美が死んでしまう。そんなの嫌だ。
(センが……。だめ、センの炎も効かなかった……。水に、かき消されて)
と、そこまで考えたとき、以前聞いた話が頭の中によみがえった。
(火は水に、消される……。水は火を、剋す……?)
確か、そんなことを言っていた。絵美が教えてくれた話だ。
(じゃあ、水は……? 水は何に……?)
ごぼり、と再び息がもれる。
ゆかりの意識ももうろうとしてきた。
(土は……水を……剋す……)
明滅する意識の中で、ゆかりは必死に叫んだ。
(
どばあん!
途端、閃光と共に、盛大な土柱が吹き上がった。
砂だ。海底から、大量の砂が吹き上げられたのだ。
「きいい!」
それをみて、海坊主たちは逃げ惑う。
どん! どばん!
土柱は次から次へと吹き上がる。
直撃を受けた海坊主は、散り散りに吹き飛ばされてしまった。
「……っぷはあ!」
ようやく髪の毛を引き剥がしたゆかりは、水面に顔を出す。
みれば、絵美も同様に浮き上がれたようだった。
「今の……私が……?」
ゆかりが呆然と自分の手を見下ろす。
(必死で叫んだら、土が吹き上がって……)
辺りに群がる海坊主を見渡す。
視線を固定し、意識を集中させ、再度叫んだ。
「土剋水!」
どばあん!
再び土柱が海坊主を蹴散らす。
もはや海坊主はゆかりたちに見向きもせず、逃げ惑っていた。
「セン!」
「言われずとも」
センが吹き散らされた海坊主の破片に食いつく。
ごくりと、それを飲み込んだ。
そこらに散らばっている破片も、片っ端から食い尽くしていく。
無事だった海坊主たちは逃げて行き、土中の直撃をくらった海坊主はセンに食べられ、荒れ狂っていたあたりは静かになった。
「……けほっ、けほっ」
「絵美、大丈夫!?」
「ゆかり……。ええ、なんとか。……一体、何が起こったの?」
「私にもわかんない。……でも、こないだ絵美が教えてくれた話を思い出して……、必死に祈ったら、なんとかなってた」
「じゃあ、さっきの土柱はゆかりが?」
「そう……みたい」
「……ゆかりには、本当に五行の力があったのね」
「信じられないけどね」
「娘ら、無事か」
センが泳ぎよってくる。
「セン! うん、大丈夫だよ。ありがとう」
皆でボートを元通りひっくり返し、それに乗り込む。
ボートの上で、センはむっつりと塞ぎこんでいた。
「セン、どうしたの?」
「……我は、今回何もできなかった。海坊主ごときに」
「そんなこと。舟幽霊からも、海坊主からも、最後は助けてくれたじゃない」
「娘。主の力があればこそじゃ。それがなければ今頃は……」
「でも、センは自力で逃げるなり何なり、できたでしょう?」
「……」
センは無言でそっぽを向いた。
「セン?」
「ゆかり、センはもしかして……、私達を助けられなかったことを、悔いているのじゃないかしら」
「え? セン……そうなの?」
「馬鹿なことを。主らがどうなろうと、知ったことではないわ」
否定するが、その口調はどうにも弱かった。
「そっか……私達、センに心配かけちゃったんだ。……えへへ」
「何を笑う」
「ううん。そんな風にセンに心配してもらえるなんて、嬉しくて」
「じゃから違うというのに」
ゆかりはセンを抱きしめた。センもそれを振りほどこうとはしなかった。
「あれ……セン?」
違和感を覚えて、ゆかりはセンをまじまじとみる。
「やっぱり。なんだか大きくなってない?」
「む?」
見れば、センの外見は14歳頃だろうか。まだまだ子供子供していたこれまでと違い、少し体つきも男らしくなった。
「もしや」
センが変化の術を解き、獣型に戻る。
「あっ! 尻尾が増えてる!」
センの背に生える尻尾が、三本へと増えていた。
「舟幽霊、海坊主と立て続けに喰ったからな。その分妖力も戻ったか。……ようやく、失われた尾の三分の一が戻ったわ」
センは嬉しそうに喉を鳴らす。
「ようやく三分の一……とはいえ、一人流離っていたころから考えれば、望むべくもない結果じゃ。この短期間で三本の尾を取り戻すことができたとはな。……娘。主のおかげじゃ。ほめて使わす」
「えっ、私? 私は何もしてないよ」
「そんなことはないでしょう、ゆかり。妖怪を集めるのもあなたの体質かもしれないのだし、今日だって、あなたの力がなければ危なかったわ。……思い返してみれば、濡れ女と騒動になったときの不思議な光。あれも、ゆかりの力だったのかもしれないわね」
「私の、力……」
ゆかりは自らの手を握り締める。
(もし、それが本当なら、私もみんなの役に立てるかもしれない)
自分に宿る力がどのようなものか。今は自分でもよくわかっていないけれど、使いこなせるようになりたい。そう思った。
「さあ、岸に戻りましょうか」
ボートを返すと、ゆかりたちは残りの時間を浜辺ですごした。
それから後は妖怪もでることはなく、存分に海水浴を楽しむことができた。
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