3月20日―生田・その2―

 初めて想いを告げた時の、悲しそうな瞳は今でも覚えている。

 その時は考えさせてほしいと言われたけれど、彼女の中で出されている答えを、本当は分かっていた。

 それでも、どうしても知ってほしくて。

 もう一度告白した日に、結花ははっきりと言った。

『わたしがここにいる理由、知っているよね?』

 現実を突き付けられた気がして、思わず息を呑んだ。

 彼女がこの施設にやって来た――それが、何を意味しているのか。格好からして、職員などではないことはすぐに分かった。明らかに、患者側だ。

 つまり、彼女の命はもう長くないということ。

『一番つらくなるのは、あなただよ』

 彼女はただ、優しかった。

 誰より一番辛いのは、当事者であるあなたのはずなのに。

 こんな時にまで、そんな彼女にますます、どうしようもなく惹かれてしまった。

 だから生田はあの日、包み隠さず言ったのだ。自分の、心の丈を。ありのままの、結花に対する想いを。

『たとえもっと、あなたがこれ以上に変わり果てても。ここからいなくなって、骨だけになってしまっても。誰もが、あなたのことを忘れてしまっても。それでも僕は、僕一人だけでも、ずっとあなたを想い続けます。誓います』

 結花の驚いた顔。そして、ゆっくりと崩れていく表情。

 身体は不健康に痩せ、顔色も悪く、頭はほとんど髪が抜け、まだら模様に皮膚の肌色がむき出しになっている……それでも、彼女は美しかった。

 ただ、愛おしいと思った。

『あなたの笑顔を、あなたの声を、あなたがくれた言葉を、あなたが与えてくれた全てのことを。何があっても、ずっと、忘れない』

 言い切るか言い切らないかのうちに、結花の瞳からは、大粒の滴がこぼれた。それはきっと、彼女が初めて誰かに見せた涙。

 抱きしめた時の、痩せた身体の感触も。自分の胸に染み込んだ、彼女の涙が服に染み込み、湿ってゆく感覚も。すべてを、今でも手に取るように、思い出せる。

 今思えばあれが、彼女の答えだったのだろうか。


 日記には、生田に対する感謝の言葉がたくさん綴られている。『かわいい』という肯定的な言葉も、頻繁に出てきて、少なくとも自分は結花に好印象を持ってもらえていたのだと分かり嬉しくなる。

 だけど……。

『あなたを忘れない』

 彼女は本当は、誰かにそう言ってほしかったのかもしれない。明確な、安心できる言葉が欲しかったのかもしれない。

 それならいつだって、望むだけ、自分が与えてあげたのに。


「結花さん……結、花さん……」

 涙が止まらない。

 彼女が亡くなった、あの日からずっと、一度も泣けていなかった。呆然として、今でも夢を見ているようで。

 でも、夢なんかじゃなくて。

 彼女は、もういない――……。


 最後の方はもう、目を凝らさないとほとんど読めない日記を――結花からの最後のメッセージを胸に抱いて、声を上げて泣く生田。

 そんな彼を目の前にしながら、落ち着くまでずっと、近藤は言葉をさしはさむことなく、ただそこにいた。


 結花の勿忘草を一株、彼の部屋にも置いて帰ることにした。

 今はまだ、辛いかもしれない。あんなに想っていた相手と、理不尽な別れ方をさせられることになったのだから仕方ないと思う。

 それでも、日記に書かれていた彼の言葉はまっすぐだった。

 死ぬと分かっていてもなお、彼女を一途に想い続けていた生田。

 立ち直るには時間がかかるかもしれないが、それでも。

「先生、ありがとうございました」

 僕、明日から頑張ります。

 結花の分身とも取れる、勿忘草。その鉢を愛おしそうに抱きながら、生田は近藤に頭を下げた。

「落ち着いたら、結花の家に線香上げてやって」

 きっと、あの子も喜んでくれるから。

「……はい」

 泣き腫らした笑顔はまだ弱々しかったが、さっきよりずっと前向きに見えた。

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