1.楼主とバーテンダー

 アッシャータとの戦いから、一週間が過ぎた。

 魔女街第六区――レッドスパイダー。先日は凄惨な光景が広がっていたそこにはもう血の跡は一滴もなく、いつも通り洒落たダンスミュージックがかかっている。

 磨き上げられたバーカウンターには、客が一人。

「――アルカ。貴方って悪趣味よねぇ」

 甘い林檎酒を飲み干して、琥珀豹は唐突に言った。

 その言葉にバーテンダーはグラスを拭く手を止め、へらっと笑う。

「えー、今更なにいってるのさ。いつものことだろ?」

「今回は特に悪趣味よ。――特にあの、アドラー旧子爵だったかしら? あれと監獄館組が戦ってるときも、何も助けなかったじゃない」

「忘れたの? おれはあの時死んでたんだぜ?」

 アルカはやれやれと、両手を軽く広げるジェスチャーをして見せた。

 潰されたはずの頭部も、大穴が開いていたはずの胴体も――まるで嘘だったかのよう。しなやかな体には、傷一つ無かった。

「死人に助けろだなんて無茶言うねぇ、豹大姐バオダージェ

「何故、即時復活しなかったの?」

 茶化すアルカの言葉も無視して、琥珀豹は金の瞳を細めた。

「貴方、普段復活というか――代わりの体を用意するのに、一時間も掛からないじゃない。何故、あの時だけあんなに時間が掛かったわけ?」

「そりゃ、たまにはおれだって休みたいのよ。あの翌日にはちゃんと復活したじゃん。――それに魔女街とおれ達が交した契約は単純だ。魔女街を守ること。魔女街にとって害をなす物を排除すること――だからおれはその通りに、そのために動くのさ」

 テンペストが――メリーアンが魔女街に害をなすなら排除する。

 アルカは言いながら棚からリキュールを一本取り出し、それを開けた。血のように赤いその酒をグラスに注ぎながら、バーテンダーは流れるような口調で語る。

「まず与えた神涙晶をあの子がどう使うのかが知りたかった。自分のために使うか、はたまた別のもののために使うか。それで記憶を取り戻したなら、その後の行動も」

「そこが悪趣味なのよ、貴方。焚き付けて、唆して……そして使い方次第で殺すなんて」

「仕方がないだろう? 念には念を、さ」

「でも、結局これであの子は記憶を永遠に取り戻せなくなってしまったじゃない」

「そんなことはないさ。手段が一つ失われただけ。やり方次第じゃ、取り戻すことができるだろう。……それに、もしかすると」

 赤い酒を一口のみ、アルカは青い瞳を細めた。

「……記憶を失ったのは、魂をも蝕む怒りの感情によるものだ。つまり霊的細胞の損傷と考えられる。ならば、もしかすると断片的になら――」

「……本当にメリーアンが気になって仕方がないのねぇ、アルカ」

 扇子を広げ、その影で琥珀豹は薄く笑った。

 しかしその金色の瞳は、相変わらず冷え冷えと光っている。艶やかな爪でカウンターをかつかつと叩きながら、琥珀豹は淡々と語った。

「途中から貴方、混合血液の事なんてどうでもよくなっていたんじゃなぁい? あの子がテンペストであると知った時点で、貴方はメリーアンが魔女街の敵かどうかを見定めるために今回の出来事を利用したんでしょ?」

「そんなことはないさ。混合血液のことはちゃんと考えていたよ」

 むっとしたようにアルカは唇を尖らせ、またリキュールに口を付けた。

「……まぁ、確かに、おれがメリーアンをいまいち信用しきれなかったのもあるけど」

「ほら、やっぱりぃ」

 琥珀豹は勝ち誇ったような顔で、居心地の悪そうなアルカを指さす。

「何がいてもいいのが、魔女街だったはずよ?」

「まーね、そりゃ重々承知してるさ。魔女街は自由の場所、まったくもってその通り」

 いじけた子供のような顔で、アルカはグラスの中のリキュールを揺らす。

 その顔に一瞬、憂いの色が差した。

「ただ、仕方がないのさ。おれは魔女街の守護者。そういう役割を――題目を与えられたんなら、なにをしてでも守らないと」

「……難儀な種族ねぇ」

「そんなのどこも似たようなものだろ?」

 琥珀豹のため息に、アルカは桜色の唇を吊り上げる。

「人間は器、幽霊は記憶、吸血鬼は名前、蛮神は題目。なんだかんだ、皆なにかに縛られている。――あーあ、おれも龍になれたらなぁ。好き放題やりたいなぁ」

 アルカは酒を一気に飲み干すとカウンターに頬杖をつき、深々とため息を吐いた。

 そんな子供じみたバーテンダーの愚痴に、琥珀豹は苦笑した。

「あら、そんな単純な物じゃないみたいよ? 私が知っている龍も、色々と大変そう」

「うっそだー、ルシアンは超人生たのしそうじゃん。――そうだ、思い出した」

 アルカはぱちりと指を鳴らすと、カウンターの下をごそごそと漁った。

 そうして取り出したのは一本のガラス管だ。中には青白い液体が満たされ、コルクで厳重に封がされている。

「これ、なんだと思う?」

「ちょっと……混合血液じゃなぁい。どこでそんなものを――」

「アドラー旧子爵邸跡地さ。なんか面白いものないかと――ンンッ、魔女街の利益になる物がないか探してたら一本だけ出てきた。他のサンプルは全部駄目になってたけど」

「それ、どうするつもりなの?」

「今からおれが飲む」

「……大丈夫なのぉ? キマイラになっちゃうんじゃ」

「やっだなー、このおれがあんなグチャグチャになるわけがないだろ? それに、メリーアンを取り込んだ状態のアドラー旧子爵はこいつを摂取しても変貌しなかった」

 アルカはにっと笑って、コルクを外した。

 途端、あたりに一瞬濃厚な鉄錆のにおいが漂う。見た目からはとてもそうとは思えないが、そのにおいは完全に血液のそれだった。

 ただ、そのにおいに琥珀豹は不愉快そうな顔をして扇子で顔を覆った。

「アルカ、それ――」

「つまりさ、おれのように肉体も完全でマナも最高なやつが飲んでも平気ってことさ」

「やめた方が良いとおもうわ。それはちょっとまずいと――」

「大丈夫だって。差し押さえだよ、これはおれのもの。――よし、いっただきまーす」

 アルカは腰に手を当てて、試験管に口を付けた。青白い液体が揺れる。ごくりと音を立てて白い喉が上下し、混合血液を飲み下した。

 直後。

「うッ――げぇ……っは、ゴホッ、ゲホッ……」

「……だから言ったじゃない。それ、どう考えてもまずい血のにおいがしたもの」

「うええ……ッ、こんなまずいもの生まれて初めてだ……ちょっと吐いてくる……」

「キマイラになっちゃいそう?」

「むしろ死人になりそうだ……駄目だ、今日はもう閉店だ……まずすぎて死にそうだ」

 その日、レッドスパイダーはバーテンダー急病につき臨時休業となった。

 それは開店三百年以来、初めての事だったという。

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