11.鮮血の兆
魔女街第七区――孟極楼。
最初に会った時に着ていた衣に身を包み、琥珀豹は紫檀の机に着いていた。
「【虎】のせいで第七区はずいぶん混乱したわ。うちの取引も五本ほど潰された」
言いながら琥珀豹は引き出しを開け、螺鈿細工の施された平たい箱を取り出す。そして、箱の中に入っていた無数の書類を一つ一つ確認し始めた。
一方のルシアンは相変わらず窓辺に寄りかかったまま、黙って彼女の話を聞いていた。
「【虎】自体は貴方達が始末してくれたけど……でも、裏で糸を引いてる奴がいるんでしょう? アルカちゃんから聞いたわ。魔女街組合がこの件を承ったって」
「あいつめ……それなら孟極楼にこの件を任せるのが筋だろう」
ルシアンは不機嫌そうに唇を歪め、苛立ちを紛らわすように茶杯に口を付ける。
すると琥珀豹は書類を確認する手を止め、ため息を吐いた。
「うちも打診したわよ。色々と『お世話』になったから、是非【虎】を作った人にお礼をしたいって。でもアルカちゃんが拒否したの」
「……アルカが、拒否した?」
「私もびっくりしたわぁ」
ぴくりと眉を動かすルシアンに、琥珀豹はうなずく。
「知っての通りアルカちゃんは魔女街組合の窓口――そして、【爆心地】の第六区の支配者。魔女街組合は合議制だけど……それでも、第六区支配者であるアルカちゃんの言葉は特別な効力を持つ。あの子がダメって言うのなら、私は下がるしかない」
「……何故、拒否したんだ?」
「わからないわ。理由は教えてくれなかった。ただ貴方達に解決させたいんでしょうね」
「面倒な……」
ルシアンはゆるゆると頭を振り、空になった茶杯を窓辺に置いた。
「――さて、ここで話が戻るわけ。私達に出来ない事が貴方達には出来る」
パチン、と扇子の鳴る音がした。
口元を扇子で隠し、琥珀豹は鋭いまなざしをルシアンに向けた。
「私達に代わって、黒幕を始末してちょうだい。こちらはそのために協力する。それで
「……具体的にどう協力するつもりだ?」
琥珀豹の問いには答えず、逆にルシアンは問いかけを返した。
しかし琥珀豹は扇子をひらりと翻すと、どこか得意げに唇を吊り上げた。
「うちが呪術素材の売買を行っているのは知ってるわね。その中には当然、魔物の血液も含まれる。市場の動向には常に注意しているわ」
おおよそ魔女街に入ってくる呪術素材はまず第五区のエボニーガーデンに集まる。たいていの呪術関連の店はここで素材を調達し、小売りに出す事が多い。
しかし、中には独自の販路を持つ店も存在する。
それはつまり危険な外界で金環教に悟られることなく、素材を調達するだけの組織力と戦闘力とを持ち合わせていると言うこと。
そしてそれだけの力を持った組織の長である琥珀豹は、机上に二つの黒い封筒を置いた。
「これはこの三ヶ月に魔女街で入ってきた希少血液のリスト。それとその競売の記録」
「よくそんなものを入手できたな」
やや驚いたような口調で言いつつ、ルシアンは窓辺を離れる。机から黒い封筒を取り上げ、中身の数枚の書類に目を走らせた。
琥珀豹は疲れたように笑って、くにゃりと机にしなだれかかった。
「苦労したわぁ。うちだけじゃなくて、他組織が購入した血液も調べたのよ? 久々に大分無茶した。おかげで昨晩から第七区は血の嵐」
「お前のせいかよ」
「私だけのせいじゃないもぉん。悪ノリした連中もいるもぉん」
琥珀豹はぶうぶうと言って、腕の中に顔を埋めた。
ルシアンは呆れたように鼻を鳴らしつつ、もう片方の封筒も開ける。
「さすがに全ての取引を末端まで網羅するのは私にも無理。――ただ、魔女街でもなかなか出回らないような珍品なら話は別。入りが極小だから、買い手は絞り込みやすい」
琥珀豹は顔を上げ、獣めいた琥珀色の瞳を意味ありげに細めた。
「しかもこの手の希少品はたいてい競売になるから――」
「買い手が特定できるかもしれない」
ルシアンの言葉に、琥珀豹はにいっと笑ってうなずいた。
琥珀豹から渡されたリストに載っている血液は、どれもワイン瓶一、二本程度の量のものばかり。そしてそのどれもが魔女街でもほとんど目に掛からないような代物であり、目の飛び出るような価格で落札されていた。
リストを読んでいたルシアンの目がある箇所ですっと細まる。
「
「しかもその三種はこの三ヶ月で、そこに記載されている量しか入ってきていない……」
琥珀豹は体を起こし、ぐうっと猫のような伸びをした。
「購入者は個人。名はロザリン・ハウザー……ジャードの言っていた名前と違うな」
「普通に考えたら偽名でしょうねぇ。ただ、そいつがその三種の血液を購入していったのは間違いない。――羨ましいわねぇ。そいつ、相当な金持ちよ」
「ほう、どれもその場で現金で一括払いか。これは確かに景気が良い」
小さく口笛を吹きつつ、ルシアンは書類をめくる。
しかしその手を一瞬止めて、リストの中に記された『飛竜』の文字をなぞった。
「……そういえば絶滅寸前らしいな、飛竜」
「ああ、やっぱりちょっと気にするのね。貴方、よく飛竜を空襲に使ってたし。……貴方以外にはできなかった。飛竜を使った空襲なんてね。だって――」
そこで琥珀豹は言葉を切った。
そして何度か扇子を閉じ開きした後で、ようやく意を決したように口を開く。
「……だって、飛竜は龍にしか従わない」
ルシアンは何も言わない。
琥珀豹は扇子を机に置き、じっとルシアンを見つめた。琥珀色の瞳には、幽かな憂いの影が差し込んでいた。
「ずっと前から気になってたの――やっぱり貴方、ホロウマリアに龍にされたの?」
――ちりん、ちりん。
その異音にメリーアン達が気づいたのは、辺りの魔物をあらかた片付けた時の事だった。
メリーアンは顔を上げ、辺りを見回す。
冷えてきたせいか、周囲には淡く夜霧が掛かっている。カラフルな夜光キノコの光も淡くぼやけ、その毒々しさが薄れているように感じられた。
そんな霧の中――どこか遠くから、小さく金属的な音が響いてくる。
「……ベルの音?」
「そうみたいだね。どこかの廃墟にあるんだよ。それが風で揺れてるの……」
クラリッサの言葉はどこか不安げだった。
実際、風などは吹いていない。しかし音は不規則に、廃墟の街に響き続けている。
その音に注意しているうちに、メリーアンは気づいた。
「……近づいてきてる、わよね?」
メリーアンの言葉に、クラリッサが無言でうなずいた。
いくつもの指輪が煌めくその手をきつく握りしめ、彼女はいつになく緊張した表情で音の鳴る方向を見つめていた。
メリーアンもまたオールワーカーに手をかけ、クラリッサと同じ方向に視線を向ける。
魔物が彷徨うこの廃墟の街を歩く者は、とてもまともだとは思えない。
やがて夜霧の中から、一人の女がのそりと現われた。
血と泥とに汚れた白いローブを纏い、金糸で刺繍したベルトを腰に巻いている。そのベルトには一振りの剣と、二つの金の輪とが吊り下げられていた。
二つの輪は女が動くたびに擦れ合い、あのベルに似た音を立てていた。
「……あんた、なに?」
クラリッサが硬い声音でたずねた。
女は立ち止まった。長い金髪が俯いた顔にかかり、その表情をうかがうことはできない。
「どうしてこんな所にいるの?」
女がゆるりと顔を上げ、メリーアン達を見つめた。
薄汚れているが、整った顔立ちをしている。しかしその青い瞳にはなんの感情もなく、ただ青黒い穴が開いているようにさえ感じられた。
虚ろなその目にクラリッサとメリーアンとを映し、女は口を開いた。
「……うかがいたい事があるのです」
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