5.ヨハネスとクラリッサ
外に出ると、まだ日はずいぶん高い。
車を停めた場所に向かってメリーアン達は歩く。道には相変わらずリコリスが咲き乱れているが、先ほどよりもその数が増えているような気がした。
「……お前、どうする?」
ルシアンが短く問うと、隣であくびをしていたヨハネスは肩をすくめた。
「何のことだ?」
「アルカの用事だ。やるのか、やらないのか」
「押しつけられてしまったものは仕方がない。研究の片手間にやろうかと思う」
「ふん、同胞が殺されているわりに淡泊だな」
「あれは僕の知り合いじゃないから」
「知り合いじゃないからって……」
けだるげに放たれた言葉に、二人の後ろについて歩くメリーアンは思わず絶句する。
彼の妹なら――クラリッサなら考えられない言葉だ。そんなメリーアンの考えを見透かしたかのように、ヨハネスはため息をつく。
「妹なら積極的に手を貸すだろう。あいつは変わり者だから」
駐車場にはルシアンの黒い自動車の隣に、大型のバイクが停められていた。それにかけていたヘルメットを取り、ヨハネスはバイクにもたれかかった。
「僕は妹と違う。同じ種族だからといって、いちいち心を砕く事なんてできやしない」
「その点では我輩とお前は気が合うな。他者に感情移入しない」
ルシアンは言って、自動車のボンネットに頬杖をつく。
どうやらしばらくここでヨハネスと話すつもりらしい。そう判断して、メリーアンはルシアンの後ろで待機する。
「どうでもいい……僕は自分の事で手一杯なんだ。見知らぬ同胞より研究の方が重要だ」
「あの……ヨハネス様は、どのような事を研究なさっているのですか?」
同胞よりも重要な研究——そこまで言われると、一体どんな研究か気になってくる。
メリーアンがおずおずとたずねると、ヨハネスはゆるゆると首を振った。
「ヨハンでいい。……僕の専門は魔術による封印とその解除だ。封印、密閉、拘束……ともかく何かを封じることと、それを解くことを研究している」
「ふん、ド変態」
「淫乱に言われたくないな」
ルシアンのからかいに、ヨハネスは淡々と返す。
先ほどからのやり取りを見る限り、ルシアンはヨハネスとはそこそこ仲が良いようだ。少なくともディートリヒよりもずっと。
メリーアンはその事に若干安心しつつ、ふと首を傾げた。
「封印に特化、ですか。ずいぶん変わった事を研究なさっているような……」
「地味だって思うだろう? 大学でも良く言われる」
「じ、地味だなんてそんな」
メリーアンは慌てて首を振る。
ヨハネスはヘルメットを撫でながら、目を伏せた。
「元は妹のためにこの研究を始めたんだ。あいつが、少しでもまともに暮らせるように」
「ああ、クラリッサの……」
燃えるようなオレンジの髪をした友人の姿が頭をよぎる。
彼女が全身に身に付けている護符。あれは確か、ほとんどが兄の作ったものだった。
メリーアンはあまり詳しい事情を知らない。
ただあれらの護符がなければ、クラリッサは相当大変なことになるらしい。
「——他にも色々な系統の魔術を使える。だから魔法大学の厄介事は僕にばかり回ってくるんだ。待遇は准教授のままなのに」
友人を思うメリーアンをよそに、ヨハネスはヘルメットを抱え込んでため息をついた。
「そ、それはひどい話ですね」
「器用貧乏も困りものだ……まぁ、僕は特許で稼いでいるから」
「儲かるのか?」
興味を引かれた様子のルシアンに、ヨハネスは肩をすくめた。
「そこそこだ。ただ、外界で魔術をやっている連中よりは稼いでいると思う」
「外だと
「たしか……その発想が、神様から賜ったものだという証明ですよね」
メリーアンの言葉に、ルシアンはため息交じりに「そうだ」とうなずく。
外界では、あらゆる発明には特許とは別に『聖賜証明』が必要となるらしい。
その発想は神から授かったものであり、邪悪なものではないという証明だ。基準は厳格かつ奇天烈で、審査には相当量の金と時間がかかるらしい。
「外には変なものがあるんですね……自分の発想を、神様からもらった事にするなんて」
「奴らは神の奴隷なのだ。神に支配されている」
軽蔑しきった様子でルシアンは薄く笑う。
対してヨハネスは複雑そうな表情でコートの襟を立て、目を伏せた。
「……ただ、奴らはきっと支配と引き替えに安息を得ているんだろう」
「安息……支配されて、安心するって事ですか?」
「ああ。だって抱擁と拘束は似ているだろう」
思いがけない言葉にメリーアンは面食らった。
しかしその意味を聞くよりも早く、耳に馴染みのある声がその場に響く。
「あんちゃん!」
「リッサ……?」
「ほう、ザハリアーシュ嬢ではないか。相変わらず可憐だ」
ヨハネスが顔色を変え、ルシアンは愉快そうに唇を吊り上げた。
しゃらしゃらと体中の護符を鳴らして、クラリッサが駆けてくる。彼女はルシアンの傍に立つメリーアンを見ると、驚いたように目を見張った。
「メリーアン! さっきぶりね。あんたもここにいたの?」
「さっきぶりね、クラリッサ」
出来るなら友人のそばに駆け寄りたいが、今はルシアンの前なのでそうもいかない。
なので、メリーアンは品良くクラリッサに会釈する。
「旦那様の御用事でここにきたのよ。貴方はどうしたの?」
「あたしは買物ついでにあんちゃんを迎えに来たんだよ」
「……僕を迎えに来ただって?」
ヨハネスは眉を寄せるとバイクから離れ、クラリッサの前に立った。
小柄な妹と比べると彼の長身がいっそう際立ってみえた。ちょうどヨハネスの肩ほどの位置にクラリッサの頭はある。
その高さからヨハネスはクラリッサを見下ろし、叱りつけるように言った。
「お前は馬鹿か? 最近は危ないから一人で出歩くなと言っただろう。魔女狙いの殺人鬼がうろついているんだぞ」
「仕方ないじゃない。出歩かないと仕事できないんだもの」
クラリッサはヨハネスを見上げ、さして表情も変えずに肩をすくめる。
「あと、危ないのはあんちゃんも一緒でしょ。でっかいくせに貧弱なんだから」
「モヤシだからな」
クラリッサの言葉にルシアンがにんまりと笑う。
メリーアンはまじまじとヨハネスの長身を見つめ、こそっと主人にたずねた。
「結構、立派な体格のように見えますが……?」
「下に色々仕込んでいるからそう見えるだけだ。実際はかなり細いぞ、あいつ」
自動車の陰に少し身を潜めて、監獄館の主従はこそこそとやりとりをする。
そんな二人をぎろりと睨み、ヨハネスは首を振った。
「……僕はいいんだ。お前みたいに小さいのが危ないに決まってる」
「じゃあ、一緒に帰ろうよ。小さい妹を守ってちょうだい」
「っ……早く乗れ!」
ヨハネスは思い切り唇を歪めると、大股でバイクに戻った。
クラリッサはさして怯む様子もなく兄の後ろに座り、その背中に手を回した。
「あたし達は帰るけど、あんた達はこれからどうするの? どこかに遊びにいくの?」
「さぁ……私は旦那様次第かしら」
言いながら、メリーアンは主人の様子をうかがう。ルシアンは自動車のボンネットに肘をつき、心底暇そうな様子で空を見上げていた。
がっくりと肩を落すメリーアンに、クラリッサは苦笑いする。
「そっか……また今度どこかに遊びに行こうね。それと――ルシアン、あんまりメリーアンをいじめないでよ」
「これは妙な事を言う。我輩はそこまでこいつをいじめてはいないぞ」
ルシアンは空から視線をクラリッサに向け、悪びれた様子もなくにやりと笑った。
「いじめてる事自体は否定しないのね……」
「それより――クラリッサ、我輩と遊びに行かないか? この後なら少し時間があるぞ」
「おい」「ちょっと旦那様……」
手持ちぶさたな様子でエンジンを鳴らしていたヨハネスが振り返る。メリーアンもまた眉を吊り上げてルシアンを軽く睨んだ。
一方、当のクラリッサはつんとすました顔で肩をすくめる。
「おあいにくさま。あたしはこれから仕事なの」
「ならば仕方がないな。君のように愛らしく賢い子と遊べないのは残念だ」
ルシアンは至極残念そうに首を振り、芝居がかった仕草で両手を広げた。
その言葉に、クラリッサは軽く指を鳴らす。途端その手の周囲でぱちぱちと盛大な音を立てて色とりどりの火花が飛び散った。
「ふふ、どうせあたし以外の女の子にも同じ事言ってるんでしょ? ――メリーアンを泣かせたら承知しないよ。あんたの事、こんがり焼くからね」
「怖い怖い。気をつけるとしよう」
ルシアンは悪びれる様子もなく笑い、ひらひらと手を振った。
高いエンジン音を上げ、ヨハネスのバイクが動き出す。オレンジの髪を炎のように揺らして走り去る兄妹を、メリーアンは会釈して見送った。
「……さて、我輩も動くとするか」
その言葉にメリーアンはハッとして、運転席に乗り込むルシアンを見る。
「旦那様……ついに行動を開始されるのですね!」
「うむ。いい加減じっとしているのにも飽きてきた――とりあえず乗れ。行くぞ」
「が、合点承知です!」
メリーアンは大喜びで扉をすり抜け、自動車に乗り込む。
ルシアンはハンドルの上に顎を載せ、ヨハネスのバイクの去った方向をじっと見つめる。
「……さて、どうするか」
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